拗けた諸刃は嗤わない 悲しき秋桜ブレーキング (仮)

染田 正宗

第1話 理想の求道者

 理想とは何か、と聞かれれば、自分はどう答えようか迷う。しかし言えるのは自分にとってそれは、当たり前で典型的な幸せを享受する事なのだ。ここで典型的とは何か当たり前とは何か、それこそ聞かれれば真面に答えられないだろう。何故なら自分が欲するそれらの理は主観で見たものに過ぎない。そして自分がそれを得たということは、欲求の充足が、人生を顧みた時に満たされているということでもある。

 長く言ってはきたが、つまり自分、玖道進くどうすすむは未だ求めるものを見つけるに至っていないのである。


 カツカツ。静かな校舎の階段で、足音が響いて重なる。そしてその音は登った先の赤い廊下に消えて行く。そして空間の隅の闇にも吸われて行く。影は既に濃くそれは夜の到来を感じさせ、また一日が終わるのだと憂鬱が溜息となて自分に現れる。

 キャップを指でかける様にして持っていたペットボトルが、油断か何か、すっと手元から消えて階段から落ち、昇降の中間地点、オレンジ色の光に照らされた地面に転がる。また音が寂しく響いて、自分はそれを聞いているしかなかった。急いで拾おうとは思えなかった。雰囲気がそうさせたのだろう。自分はそれに少し酔っている様だった。だから心の中で自嘲し、恥じて....頭の”熱“を抜く。

 階段を降りてペットボトルを拾おうとする。眼鏡がおちぬ様片手の中指と人差し指で押さえる。今度は落とさぬ様ペットボトルのキャップ部分をちゃんと掴む。

 振り返る。オレンジ色に染まった世界を窓越しに見た。どこかそれは寂しくて切なくて、先ほど僕を酔わせた雰囲気と同じものを出していた。しかし頭を冷やした自分はそれを、なんてことはない(事実そうなのであるが)只の空だと思い込み、1-B組の教室に向けて足を進めた。


 太刀波たちなみの言葉が正しければ、ここにある筈だが....。

 「あ」

 今ある事実に気付いた。

 「(鍵を忘れた.....)」

 放課後は教室の扉が施錠されている。何故こんな当たり前に気付けなかったのだろうか。それもこれも自らのモットーに自分が反した行動をしたせいだ。

 「本を常に携帯せよ」。これは自分が日々心掛けていることであり、制服のポケットには常に文庫本を突っ込んでいる。理由は多くあるが、自分がそうする最も大きな理由は遅読だからでもある。更に言えば、空いた時間の暇つぶし用であるのだが、これは時間を有効活用したいという側面もある。しかし今の状況はどうもそんな考えを嘲笑うかの如く、時間の浪費で、言葉通りモットーを果たせていたならば、こんな無駄なことはしなくて済んだだろう。鍵を忘れるか否か、なんて分岐もなかった筈だ。

 面倒くさい。

 心の中で呟いて、無礼を承知で鍵が開いている窓がないか、不法侵入する為よく確認する。意外と廊下側の小さい窓が空いているなんてことは....ない様だ。虚しくガンと窓が揺れただけだった。一応と、まずあり得ないと思うが普通にドアを開けようと試みる。

 ガラララ.....。

 「あら」

 何故か、いとも簡単にドアは横にスライドした。拍子抜けと言うか、出鼻を挫かれたと言うか、思わず声が漏れてしまった。

 「.....」

 暫く考え込むが施錠が何故なされていないのか分からない。

 結果オーライと考えればいいのか?

 答えは出ない。疑問を追求したい気持ちを振り切り、取り敢えず本を回収する為教室に入ることにした。

 ーーーーー驚愕する!

 と言うのは大袈裟であるが、自分の目が点になったことを自覚してしまうくらいには驚いた。

 そこにはーーーーーー。

 「.....」

 窓際で秋の風に吹かれながら本を読む美女がいた。白い肌に夕暮れの儚くも力強いオレンジが、髪に沈んで行く日の球の白さが反射し甘美に写る。髪は吹き込む風で舞い、それの一本一本が動くたび光もまた綺麗に波を描くように輝く。うちの学校のセーラー服は配色と色の比率的に黒が目立つモノとなっている。赤いラインが入っているのと同色の細いリボンが特徴的なその制服をその女性は着用していた。彼女のすらりとした長い脚の肉もタイツが締め付けている。それらが黒の印象を強めており、夜へと移ろうする時間帯が影を濃くつくり、強調をより顕著なものにしていた。しかし彼女眼がじろりとこちらを睨んだ時、その印象は少し崩れる。彼女の眼は青かった。その部分だけ青く透き通って奥が見えてしまうのではないかと思うくらいには綺麗な瞳であった。

 「いい趣味してるのね」

 「はぁ....」

 彼女に話しかけられると思っていなかった僕はそんな素っ頓狂な返事しか出来なかった。それ以上に何のことを言われているのか分からなかったせいでもある。いい趣味....とは?

 こちらのそんな思考を読んでいたようで、彼女はすぐに続ける。

 「この本、貴方のでしょ」

 それは自分が読んでいた、ホラー小説の短篇集だった。

 「恥ずかしい」

 「そんな真顔でよく言うわね」

 真顔であるがこれはあくまで装い、中身は結構恥じている。あの小説は内容が内容だ。なかなかきつい。

 「厭だ」

 「....」

 小説の締めの台詞と、自分の心情を重ね合わせた渾身のギャグは、掠るどころか彼女の心から大きく外れ、遥か地平に飛んでいってしまったようである。その証拠か自分を襲ったのは滑った時特有の無言の圧以外にも、軽蔑した目線も合わせてこちらにダメージを与えてきていたのだった。

 今日はとことんついていないようだ。

 「返してくれないだろうか?茨色いばらしきさん....だっけ?」

 茨色。茨が姓であり、”いばらしき“と言う苗字な訳ではない。彼女はこの学校では有名な、完璧超人であり、卓越した学力と運動能力を有し、見た目も相まって、人望が厚いと言うある種典型的で完璧な人物だ。学力だけでなく頭もよく冴え、能力の良さ故に産んだ妬みの反感を持つ相手にはよく言い返し、毎度黙らせている。良くも悪くもこの学校で知らぬものはいない。彼女の相手は殆ど女性であるが彼女らの間で交わされる口論は、毎度音量だけなら静かなものであり、冷戦なんて揶揄されたりもする。そうなってしまうのは、茨さんの冷静過ぎる論法が相手を引っ張ってのことだろう。自分の土俵に誘い込んで狩るワケだ。人を操ろうとする術も備えていることがそこからよくわかる。

 茨さんが、本を持って前に差し出した。それに呼応するように、歩いて彼女のもとに向かう。

 「胡散臭い笑い方してるわね。笑わない男と聞いていたのだけれど」

 笑わない男とはどう言う意味か。

 「これが笑って見えるなら、自分は嬉しいよ」

 手を伸ばせば彼女に触れられる距離。自分は本を受け取ろうと手を出す。小説の先の話が気になってしょうがないのだから、その手には多少力みが生じていた。

 今、掴む。と言うところで本は茨さんの手により上に掲げられた。

 「それは何の冗談だい?」

 「......」

 良くわからないが、面白くもない。外はもう暗くなってきている。早いとこ帰りたいのだ。家は自転車で数分。遠くはないが、暗い道とはいい気分がしないものなのだ。何があろうと早々に切り上げたい。

 真っ直ぐと天井に向けられた本を取ろうと身体を伸ばす。

 「....!?」

 届かない....!?嘘だろう!女性に身長負けとかあり得んだろう!

 反射的、僕の足は背伸びをし、爪先立ちになっていた。これなら....!手が届く....!

 しかし瞬間的に相手も爪先立ちになり、こちらとの距離を離した。

 「何やってんですか、茨色殿...!意地の悪い!」

 本との距離を縮めるために、彼女の体自体に距離を縮める。

 「約束して、貴方が頼みの綱....!」

 どうでもいい...!

 「取り敢えず返してくださいよ!」

 「聞いて!私.....!」

 言葉を無視して手を目一杯伸ば.....!す....?

 「ん....?」

 突然、上に掲げられた本から、紙切れが空気に乗って緩やかに落ちてきた。

 「っ!」

 そしてこちらの顔に張り付く。驚いてこちらが後ろに下がったことにより、顔から離れた紙が地面にひらひらと落ちて行った。

 自分は地面に落ちたそれを拾い上げる。

 裏表を確認すると、片面に何か書かれていた。

 

 拗けた諸刃へ

 彼女は困っている。救ってあげたいが、自分の技量では無理だと判断した。人は知識だけで導くことは出来ない。

 故に君の平均よりちょっと上くらいの観察眼と知識、そして飛び抜けた度胸と勘に期待を込めて、お願いします。

 太刀波たちなみ そうより。


 「はぁ!?太刀波の野郎!」

 何をアイツ....。いつも面倒事ばかりを押し付ける....。

 いや待て、落ち着け、落ち着くんだ。感情的になるな。今の自分は実にみっともないではないか。客観的に、あくまで客観的にだ。

 深呼吸を.....1、2、3回。

 気を取り直して、彼女へと視線を戻す。

 「本を返してくれ」

 「約束してくれないとそれは確約できない」

 「約束を確約....」

 「黙って!」

 怖くて後ずさる。

 「ごめんなさい」

 ギャグセンスのなさが露呈したうえに怒られた。いやギャグにすらなっていない。これじゃ最早只のおふざけである。あまりの酷さに謝罪をしてしまった。

 しかし.....だ。彼女、必死そうである。茨さんの完璧に左右対称の顔がこちらを見据えていて、その目は非常に威圧的で怖い。しかし意志の固さもそこには表れていた。その目はどこまでも真っ直ぐで、こちらを突き刺してしまう程に鋭い。

 「お願い....」

 しかし今度は目に篭っていた硬さがなくなって行く。だが“力”は失われず、生きている。いや、生きようとしている。

 最悪だ。さっきの深呼吸は自分の恥を少なくした。それはいい。いいことなのだが、同時に思考能力やら観察能力を自分に与える結果となった。

 「.....やめてくれ。そんな目で見ないでほしい」

 自分は自分と言うものを理解していた。その関係上速くもこの先の展開を予想できてしまった。

 「お願い!ここまで許した、いや見せたのだから!私は!」

 彼女は前のめりになって畳み掛けるようにして言った。さっきまでの顔にはなかった縋るような、救済を祈るその眼差しが、生きたいと、願っている様な目が自分には.....。彼女の言葉はなのに。

 見せた、か。彼女の怒りや、今見せている泣きそうな顔。それらの価値は重い。茨色と言う女性がどう言う存在なのか、詳しくはないが完全に分からないと言うわけではない。お嬢様と言うとどこか薄く感じるけれど、彼女は気高く生きている。高過ぎる矜持、そしてそれに見合った能力。故にそれに比例し、彼女が感情を露呈して行く度、価値は重くなって行く。知ったことじゃない。どれだけ感情を他人に見せようと、それは僕には関係ないことだ。関係ないことなのだ....関係ないはずなのに.....。

 僕は、面倒が嫌いだ。それは自分が求める理想から程遠いものである筈だから。誰だって急いで目的地に向かう時、遠回りはしないだろう。敢えてそれをすると言うなら、それは、とんでもない特殊な趣味を持っているか、もしくはーーー


 ーーーーその道に譲れないものがあるかだ。


 「分かった!」

 「え?」

 彼女は半分あきらめていたのだろう。震えて出た「え」と言う声はとても間の抜けたものだった。

 「....君が何を求めるのか。自分は何も分かっていない。だが自分にできることがあるなら手伝おう。それが今まで。君が必死にやってきたことへの報いとなるならば」

 自分にとって必死、とは特別なものだ。自分は決してそれを笑えず、馬鹿に出来ない。どんな人間であろうとその性質が善であろうと悪であろうと、極端に言うと救世主だろうと人殺しだろうと、半端者の僕は、彼らを否定できないのだ。嗤えないのだ。見て見ぬ振りはできないのだ。譲れないことなんだ。それが多少上から目線の言葉でも。だっておかしいだろう?必死にやって擦りむいて、転んで転んで泣いて、終わりなんて。平和を願った人殺しが、消滅を願った救世主が、理想に到達できる意志を持つものが、何かのせいで足を止めるのだとしたら、僕はそれを許容できない。

 胸に祈る様にして包んで手を置いて彼女は涙を流す。ここで自分は彼女の性質を理解する。今日は碌でもなかったが、特別頭も冴えるらしい。

 「何をして欲しいのかも聞いていないのに?」

 静かに頷く。

 「何の意味があって....?」

 「自分は理想の求道者を自称しているのでね。故に見て見ぬ振りができない時もあるのさ」

 「理想の...?」

 「忘れてくれいいよ」

 正直恥ずかしい発言であるが、これは必要なことだ。こちらの矜持にかけて、否定の為に。

 彼女はこちらの言葉に静かに分かったと頷いて、僕が差し出したポケットティッシュで涙を拭く。

 「変な人....」

 「何とでも言ってくれていいよ。どうせこれも興が乗っただけだからね」

 「それはどう言うこと....?まさか....」

 「察しの通り、今後次第で協力をやめ...」

 遮る様に

 「それだけはやめて!これ以上は.....、もう誰かに...私を見られたくない」

 「これ以上.....ね」

 協力は全面的にするし、興がどうこうなんてのも嘘だ。全部相手を探るためのモノ。そんな鎌かけ紛いのことをしてみるけれど得れるものは多くない。分かることは、思いと必死さは本物であると言う点。言葉自体はどこまで信じればいいのか分からない。それは当たり前以前のことなのだが...。感じたこと自体ならそれ以外にも幾つかある。そして一つ、勘だけれど言えることとしては、彼女はこの時点で嘘をついている可能性があるということだ。それが事実であったならば、少し気に食わない。でもそれを問うのは今じゃなくてもいい気がした。自分は黙っておいた。


 外は真っ暗になっていた。正門の前には横向きに一本道が通っている。その道では街灯が幾つか頼りなく並び、弱々しく光を放っていた。そのうちの一番門に近い街灯の下で、横に自転車を駐めて茨色さんを待つ。

 「ミルクティー、冷めてしまったな」

 折角温かいやつにしたのに。

 飲んでキャップを閉めてバッグにしまう。次にポケットに手を突っ込む。そしてものを探す....。

 「ん」

 そう言えばまだ本を返して貰っていなかった。続きが気になると言うのに、こう言う時こそ読むチャンスだと言うのに。気が滅入る。

 あの後、もう周りは暗くなっていると言うことで、帰りながら要件を聞くことにした。ちょっと前まで高校生になれば理想が果たせると思っていたが、高校生になったからと言って時間的に自由になったり勝手に彼女ができるわけもなく日常はすぎて行った。高校生活を秋まで過ごしてみてそんな当たり前のことを思い知らされる。気付いてしまえば、悲しくともなんともない。しかしもうちょっとマシになれないものかなとも思う。誰かからは“拗けた諸刃”という不名誉な称号をもらったり、読んでいるヤバい小説の内容がバレたり、果てには変な出来事に巻き込まれたり...。それは自分の理想に反することだと言うのに。普通の幸せを享受する。それですら世界は傲慢だと言うのか?そんな大きく考えるようなことでもないのだろうけど。認めたくない物だ。

 「ごめんなさい。待たせてしまって」

 振り向くと彼女がいた。

 今の季節は秋、と言っても今は十一月終わりであり、季節的にはもう冬なのではなかろうか。息は白くなるし、木々からは葉が落ちるし水を触るのは辛くなる。

 そんなんだからか彼女は赤と白の線と模様が入ったマフラーを目深に、制服の上からは、これまた赤いカーディガンを着込んでいた。

 それに比べ自分は制服だけ。今日は寒くなると聞いてはいたが舐めていた。こればかりは自己を呪うしかない。

 「じゃあ、行こうか。茨色さん」

 「呼びにくくない?茨でいいのに」  

 それは冗談で言っているのか?いばらしき、なんて結構語呂がいいと思うが.....。

 まぁ断る理由はない。距離が短くなって困ることなどほぼないのだから。

 「じゃあお言葉に従い、茨さんと呼ばせていただく」

 

 自転車を手押しで動かし、女性との夜道を行く。二つの車輪の音が虚しく小さくリズムを刻む。暗い地面を点滅するライトが照らして先を見えるようにするがこれもまた学校前の街灯と同じく心許ない。ちゃんと漕げばそんなこともないのであろうが、一人だけ自転車に乗るなんてこと、許されていいわけがない。というか、それは僕のプライドが許さない。

 この先は大きな道路が、今通っている道と一本交差する形で設けられている。他の道と比べ交通量と整備されている数がダンチであるその大通りは、学校前の街灯とは裏腹に、全体的に強く大きく明るかった。この町の象徴の様にも捉えれるその道はこちらの目指す地点を示してくれており、やはり自転車のライトなどここでは無用に感じる。


 「もう、いいんじゃないだろうか。要件を聞いても」

 僕は大通りを右に曲がって、そのまま道を沿って歩きながら彼女に話しかける。さっきまではあまり話しかけなかったが、それは心の準備ができていなかったからだ。もう、大丈夫だ。

 周りは電灯でとても明るい。横の道は多数の車が通りその車のライトもあり、闇の怖さをこれっぽっちも感じない。だから、これから彼女の口から出る言葉の恐怖、直観的な嫌な感覚、全てがきっと気にならない。誰かの目線で言う訳ではないが、もう逃げることなど許されない。乗りかかった船、そのような言葉もあるが、この場合は既に乗り切ってしまっている。もう地上に戻ることなどできぬだろうし背を向けることなどできない。もちろんそのつもりもない。

 彼女は一つ白い息を深呼吸の為だろう、吐いた。そして覚悟を決めた様に口を開く。


 「私は、近々死ぬ」

 

 私は、近々、死ぬ。それは、どう言うことか。頭で反復させるも、その言葉が理解出来ずに思考が空回ってしまう。

 僕は無意識に地面に点滅する自転車の光を見ていた。いや正確には光を見ているのではなく、その目線は朧げであり、どこを見ているのか自分でも分からない。それはどこも見ていないとも考えれるかもしれない。頭を回すとぼーっとしてしまう。そんなんじゃ理解できるとは到底思えない。自身ですらそう思ったが、それでも理解は追いつかない。

 「分からないって顔してる」

 「ああ」

 彼女の声で意識が現実に戻される。戻った原因の刺激が聴覚だったせいか、耳が敏感になった。車が道路を通る音が何度も何度も聴こえる。そんな環境音を聞くたび頭が冷えて行く。熱が、抜けて行く。

 思考がクリーンになる。そして今考えるべきことはこうではないと察する。最初は理解出来ないことなら分かろうとしなくていい。内容は本人に聞けばいいのだから。そしてそれは自分が考え込まなければ、彼女から勝手に話してくれるであろうことも察しがつく。分からないことに噛みつこうとするのは自分の悪い癖だ。証拠にそんな心情を見透かしてか彼女は会話を止めている。

 自分は茨さんに顔を見合わせることで話を進める為のサインとした。そんな考えを雰囲気から感じ取ってくれたのか彼女は再度話し出した。

 「具体的に言うと、夢を見るの」

 「夢....」

 「自分が死ぬ夢。あらゆる方法で死ぬ夢。私はそれぞれの夢でそれぞれの死を迎える。そして最近ではそんなものを見て目覚める度、嫌な気持ちで朝起きて、それが現実になるんじゃないかって生活していて怖くなる。時には事故死、時には焼死。全てがリアルで気分が悪くなる。そしてその夢の微かなる記憶が、現実の視界の中で重なってしまったときは、本気で死ぬんじゃないかって思った」

 「それはあくまで夢だろう」

 問いかけておきながら、思う。それは彼女も分かっているはずだと。

 「そう....かもね。と言うかそうだと思う」

 「.....」

 相手が次にする反応も少しは理解出来ていたつもりだった。次に彼女は怒るだろうと。もしくは怒りを見せるだろう。あれだけ強く助けを求めていたのに「あくまで夢」とはねつければ、彼女は良い気分をしない筈である。だから怒りを表すと思った。しかし彼女は意外にも冷静で.....、これは抑えたというより、そう思わなかったのだろうか?自分を客観視できているとも見れる。それに関しては少し羨ましく思った。僕はそれに徹し切ることが出来ない。抑えようとしてもすぐ感情的になるし、故に真実は嘘と理屈で捻じ曲がり、自分でもよく分からなくなってしまう時が、偶にある。

 「どうかした?」

 「いやなんでもないよ」

 続けてくれと言って自分は彼女を観察する。

 「夢は夢。その推察は貴方の.....、えっと名前聞いていなかったわね」

 こっちが一方的に知ってただけだからなぁ。

 「玖道進、大字の方の9に道を進むと書いて玖道進。なんとでも呼んでくれていいよ」

 「そうね、それが、“拗けた諸刃”でも?」

 それは自分が一番気に入らない呼ばれ方だ。

 「前言撤回。それ以外で頼むよ」

 それにしても拗けた諸刃と言うワードを知っている。あの僕宛に書かれた紙を見ていたのだろうか。

 分かった。と茨さんのその言葉が空気と話を戻す。

 「玖道君の推察通り、それらは只の夢。だから場合によっては訳の分からない内容もある。

 例えば、殺されて、怪異に死姦される、みたいな」

 「まだ僕の小説の話を引っ張るのかい。そんなネタ誰も分からないだろう」

 「誰もって誰のことよ」

 たしかに今ここには彼女と自分しかいない。

 「.....」

 それにしても一々意地の悪い言い方をする。本当に自分が“頼みの綱”か怪しくなってきた。実は茨色と言う人間は結構余裕なんじゃないだろうか。何を言われたって疑念は膨張するばかりだ。

 「そんな冗談を言うんじゃ、君の相談には乗りかねる。自分は半端者に割く時間などない」

 「待って!そう言うことじゃない!...ただ、それだけ異常な夢を見ていると伝えたかったの。

 楽なものではない、そして私が半端な思いでこんなことを言っているんじゃない。これだけは分かってほしい。

 結末はいつも死。一般的な死因はほぼマスターしたわ。これだけで尋常じゃないってことは分かるでしょう?」

 「へぇ」

 

 横断歩道を渡り、道を二つほど曲がり、帰路は住宅地に入って再び暗くなる。

 「つまり、夢を見るだけ」

 「ええ」

 「ならそれは僕の仕事じゃないだろうね」

 彼女もそれは予想できていた答えだったのだろう。ええ、と静かな肯定は覚悟していた重みか、声が低かった。

 茨さんと僕の思考は一部分で一致している。それは本業に任せるべきだろうと言う点だ。精神科医というものがこの世にはいるのだから、それは本業の人間に任せるのが普通だ。むしろそっち方面に知識の乏しい自分が何かしでかして、後戻りできなくなったらと考えると、それはやっぱりまずいことである。それを承知で言っているのだろうか?彼女は。この僕に。それこそ分からない。

 「何故そこまでして、自分に賭ける。君は」

 「貴方は誰かの前で感情を晒したい?」

 そんな訳がない。すぐ怒りや悲しみを表に出す人間ほど、恥も外聞もない者はいないと思う。そんなことも気にして生活できない奴は大馬鹿者だ。少なくとも自分はそう感じる。

 「嫌だ」

 「私も。しかも自分は筋金入り。貴方の何倍もその想いが強い筈」

 「それは容姿端麗、頭脳明晰、質実剛健...故かい?」

 それを聞いた彼女は真顔でこちらを見つめる。

 「案外、貴方も意地が悪いのね。

 でも、そうね。私は自他共に認める容姿端麗、頭脳明晰、質実剛健だわ」

 彼女ははっきりと言いのけた。

 「そんな発言もプライド故....かな」

 「ええ。力を持つならば責任が伴う。ここまで完璧な私が謙遜なんて、反感を買うだけのことができる訳がない。自覚がない人間程他人に嫌われるものもないのだから。言われて否定などしない」

 それは極論で、逆もまた然りだろう。そう思いながらも、彼女の言葉も一理あるとも思う。例えばある技能に於いて“とても優れる人”と”ちょっと優れる人“がいるとする。ちょっと優れる人はこう言うのだ。「貴方は何故そこまで優れているの?」そしてそれにとても優れる人は答える。「そんなことないよ〜。私そんなんじゃないし、そんなことないよ」と。つまり意味不明な否定だけを並べて煙に巻こうとする。事実は残酷なくらいにはっきりとしているのに。他にもパターンはあるだろうが、全てに言えることは誰もその言い分には好感を示さないということだ。誰だってそんな謙遜を聞いていて良い気分はしないだろう。何故ならそれには答えがなく只薄っぺらだ。そんなことをする位ならば、堂々としていればいい。それが茨色のスタンスなのだろう。

 予想通りの人間だ。しかし彼女の助けを求める言葉の重みは予想以上だ。

 「そこまで来ると...なんか、生きにくそうだね」

 「とても生き難い。でもね仕方ないないじゃない。私に自由なんてないんだから」

 自由なんてない。どう言う意味か。

 「一応聞くけど、精神科の診察はしました?」

 「ある訳がない。そんなことをしたら....」

 「それは君が自由じゃないことと関係あるのかな」

 「本当に意地が悪い。分かってて言ってるんでしょう?」

 「確証はないから聞いているんだよ」

 共に沈黙。それは彼女の場合肯定。僕の場合、家庭事情がある程度把握出来たことを意味していた。

 彼女を縛るものは色々ある。それは一括りにすれば他者からの目線であるが、具体的に言うならば、クラスメイト他知り合い、そして一番大きい物がやはり”親“だ。プライドが高い人間は常に他者からの目線を一番考慮する。それは当然と言えば当然だ。自分はそれを悪く言うことはない。自分もそうだからだ。しかし度が超えればそれはただの枷になる。丁度彼女の様にだ。そしてそう言う人間にとって一番重いのが親からの目線なのだ。これ程ダメージの高い重しもそうそうない。もちろん個人差はあるだろうけれど、彼女の場合はそうなのであろう。自分はそう考えた。

 「優等生が精神病院に通ってるなんて言えると思う?」

 「知らないよ。そんなの」

 この言葉は半分嘘で半分は真実。精神病院に通う人間に対しての世間的印象は良くないとまで言わないが、偏見が残っているのも事実である。そんな見方をしてしまうとは世間もなかなか腐っている。しかしだからと言って、診てもらわない、その選択程勿体無いものもないと思った。それでは“何故生きているのか”分からなくなるからだ。そんな考えをして飲み込む。それは今言ってはいけない気がする。絶対だめだ。

 「知らないなんて言って、顔に書いてあるわよ。行ってこいって」

 「そんな風に見えるかな」

 きっと今の僕の顔は、そんな善人の面じゃない。きっと放置すると後味が悪いかもなって心配の顔だ。だから彼女の解釈は勘違いも甚だしい。

 「まだ分かっていないのね」

 「そうかもね」

 それを聞いた彼女は、苛ついているのか眉間に皺を寄せてこちらを睨む。

 正直、何が分かっていないのか分からない。そんな重複した考えこそがそう言われる原因なのではとも思ったりもするが、深くは考えたくない。

 「....私は、どうせこのまま行くと死ぬ」

 「何故かな」

 「分からないけど、夢みたいに死んでしまう」

 言葉が漏れる。

 「それこそあり得ないでしょう。他殺とか事故死とかは、君が生きようと考えていれば大丈夫なはずだろう。自殺もまた同じの筈だ」

 「本当にそうかしら?」

 「何を言うんだ?」

 

 「”きっと私の死因は正真正銘の自殺よ“」


 おかしい話だ。

 「分かってて死にに行くやつがあるかい?」

 「何故そう思うのかしら。現実って何が起こるか分からない面白いゲームじゃない?こう言う意外なことって案外あるんじゃないかしら。だって私がプレイしているのは一度始めたら降りることの出来ない、そして何が起こっても不思議じゃない”人生“っていうゲームなんだから」

 「それを言うならプレイさせられている、じゃないだろうか。誰もやりたくてこんなクソゲーやってないさ」

 「かもね」

 「でも君は」

 「ええ、そんなクソみたいなゲームを楽しくもないのに必死にやっている。そしてまだ降りたくない。私がここから降りたら、今まで死に物狂いで生きてきた自分を否定することになる」

 成る程、最早彼女も後には引けないという訳だ。ならば誰もそれを否定することはできないだろう。それを出来るのは自分だけだ。しかし自分ですら容易じゃない。それは自己否定だ。それ程心に来るものもなかなかない。彼女がもしそれをすると言うならば、それは”人生“をゲームオーバーしている状態で終了することを表している。

 「貴方はまだ分かっていない」

 その言葉がまた、意識をこちらに戻した。やはり敏感になるのは耳だった。静かな住宅街に流れ込む風の音がこちらの耳に吹き込んだ。同時に、かなり微かだが車がこちらに向かって来る音も聞こえる。

 「かもしれんね」

 車のタイヤを踏み付ける雑音の方向に目を向けて言う。すると赤い車がこちらに顔を出して曲がる。とても遠いがライトをつけているため目立っている。

 道は狭くない。だが一応迷惑にならぬ様自分は茨さんの前に出て、一列に並ぶ。

 貴方はまだ分かっていない。か。そうだろう。あって数時間。全てを理解しろと言う方が無理だ。むしろ聞けば聞くほど分からなくなっていったりもしているし...。

 彼女はいきなり自分の前に出た。僕が敢えて前に出ていたのにだ。

 「じゃあ正直に言うわ。貴方には私を救って欲しいの」

 それは、

 「只の学生に頼むことじゃない」

 受けると思っておきながら、僕は今、怖気付いていた。だって仕方ないだろう。命は重い。どんな人間でも軽い命などない。それは何一つとして正しいもの、答えなどないこの世界で人間が無意識下に定めた理だ。しかし反面これはチャンスだと思った。過去は無理だが、今救うことで一つの証明ができるのではないか...。でもそれは彼女を駒みたいに使っているようで...やりたくはない。

 「子供が背負って良いものじゃない。そしてそれは自分の仕事じゃない」

 車が近付いて地面の擦れる音がうるさくなる。砂か小石かまたはその両方か巻き上がる音かジャリリとする。そしてそれが迫ってくる。

 協力はする。この言葉に嘘はない。だからこそ、ここでこの様な発言をする。出来ることなどないなら何も出来ない。そう言いたいのだ。平静を装い自分はそうその言葉を心の中で唱えた。

 「本当に自分のことを子供だと思ってる?便利よね、高校生って。どっちの顔もできる。大人と子供の使い分けが楽だもの」

 いきなりなにを....。

 子供と言う言葉を言い訳にしたのは事実だ。だが、そのように言われる謂れはない。

 だめだ。嫌な予感がする。これは否定せねばならない。いや、否定と言うには直観的すぎた。正確には嫌な予感がしてどうしていいのか不透明なのだ。否定か肯定か?分からない。地雷はどちらか。そういうことなのだ。

 ......末に僕は否定を選んだ。そしてこれは本心でもあった。

 大きくもないエンジン音に急かされている様な気がして口早に言う。

 「今の僕は子供だ。それに誰が....」

 彼女はこちらの言葉を遮って言う。

 「そうね。誰もこんな事やりたがらない。普通は。でも私にとってはもう、貴方以外いない。

 それに、間違ってる。人の生き死にに年齢なんて関係ない。私が証明してあげる。そこにあるのは主観だけ。だからきっと、“貴方は目の前の命を見過ごせない”ーーー」

 

 ーーーー彼女は道路に身を投げ出す。倒れる様に、自ら死を選ぶ様に。さもそれが、自分の望みであるかのように。そしてその時の彼女の顔は笑っていたのだった。

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