第12話 好きだから、知りたい

 私とヒマリが悩んでいると、突然コーセーが立ち上がった。

「少し一人で考えたいことがあるんだ。ちょっとその辺りをぶらぶらしてきていいかな?」

 ヒマリは不思議そうな顔をして「どうぞ」と言った。私は小さく手を振った。コーセーが部屋を出ると、静寂が二人を包んだ。


 じっと考え込んでいるヒマリを見て、私は尋ねた。

「ねえ、貴女、どうしてそんなに正しい解釈にこだわるの?別にメッセージは牧先輩に伝えたんだから、マシロ先輩のお願いは果たしたと思うけど」

 ヒマリは「そうですね……」と言いながら、

「姉のことをもっと知りたいから、ですかね。姉がどんな人でどんなことを考えていたのか、妹として、ちゃんと知りたいんです。それなのに、私、姉がいじめれていたことすら知らなかった……いじめられていた時、姉がどんなことを考えていたのかも、まだよく分からないんです」

 ヒマリは肩を落とした。私は、大きく息を吸った。

「そうね……最初は、なんでアイツらにいじめられなきゃならないんだって思って、それからだんだん、いや悪いのはアイツらの方じゃなくて私の方なんじゃないかって自信なくして、それである日、教室に自分の席がないのを見て、ああ、やっぱり私が悪いのかなって、泣きたくなる。そんなところかしら」

 ヒマリは、横目で私を見て、

「なんだか、経験してきたみたいな言い方ですね」

「経験してきたからね」

 ヒマリが目を見開いた。

「中学3年の頃の話よ。きっかけが何だったかも、よく分からない。でも、あの頃の私は、今よりもずっとおしゃべりだったから、何か気に障ることでも言ったのかもね。ほら、私、皮肉っぽいし、冗談ばっかり言ってるでしょ。とにかく、気づいたらみんな私から離れていって、気づいたら教室から席がなくなってた……いつも当たり前みたいにあるから気づかないけどね、『席』があるって、けっこう大事なことよ」

 ヒマリは悲しそうな顔をした。私は手をついて天井を眺めた。シミ一つない、真っ白な天井だ。

「人って、本当によく分からないわ。何を思っていじめているのか……でも、きっと、分からないのはお互い様よね。いじめている方も、何を思っていじめられているのか、分からないんだわ。もしかしたら、『なに被害者面してるんだ』とか思ってたのかもね。私も、アイツらの気持ちをもう少し理解していれば、いじめられずに済んだのかな。ちゃんと『席』が、あったのかな……まあ、それが出来なかったから、いじめられたんだろうけど」

 チラとヒマリの方を見ると、ますます泣きそうな顔をしている。私は、ヒマリの頭を撫でてやった。

「だからさ、マシロ先輩の気持ちが分からないからって落ち込むことないわ。人って何考えて生きてるか分からないものよ。分からないなりに、なんとなく付き合ってれば、それでいいのよ」

 そう言うと、ヒマリは鋭い眼で私を見た。意志の強さを感じる、力強い目つきだ。

「それは、コーセーさんともですか?」

 私は少しぎょっとした。なぜここでコーセーの話が出てくるのか?

「そうね。確かに、アイツも何考えてるのか、よく分からないわね。何が好きなのか、何に悩んでるのか、私のこと、どう思ってるのか……まあ、だからこれまでコーセーとは何となく付き合ってきて、その『何となく』が心地よくて、何となくずっと一緒にいて、そんな感じかしら」

 そう、大事なのは「何となく」なのだ。無理に自分をさらけ出したりすれば、相手はすぐに自分のもとから離れていく。そして、それは自分もきっと同じだろう。相手のことを知りすぎると、私もその相手と一緒にいたくなくなる。すれ違って、傷ついて、寂しくなって。だから、この気持ちは「恋」なんかじゃない。「何となく」一緒にいたいだけなんだ。


 高校に入学した時、友人を作る気は全くなかった。むしろ、誰とも付き合うまいと思っていた。新学期が始まり、クラスメイトからは「出身中学はどこ?」だの「趣味は何?」だの「好きなアイドルや俳優は誰?」だの色々聞かれたが、その度にてきとうな冗談でかわした。するとだんだん、私の周りから人がいなくなっていた。これでいいのだ。どうせ私と付き合ったら、私のことが嫌いになる。嫌いになられるくらいなら、私のことなんて、放っておいてほしい。

 文芸部に入ったのは一番人付き合いがいらなそうな部活だと思ったからだ。籍だけ置いておいて、すぐに幽霊部員になってやろうと思っていた。私が第2多目的室に行くと、そこには先客がいた。桜の花びらが教室に迷い込む。私は、同級生らしいその青年に、無愛想に入部届をつき出した。彼は読んでいた本を閉じ、入部届を受け取ると唐突に、

「アメリカと中国、どっちが大きいと思う?」

と尋ねた。私は小さな声で「中国」と答えた。彼は微笑んで、

「残念、正解は僅差でアメリカ」

と言った。このくだらない会話が気に入ったのだ。 

 明らかに警戒している私に対し決して深入りしようとはせず、しかし、なけなしの豆知識でなんとか会話の糸口をつかもうとしてくれる彼は、とても優しかった。


 私の言葉を聞くと、ヒマリは力強く拳を握った。ヒマリの眼から涙が溢れた。

「確かに、『何となく』の付き合いもいいかもしれません。他人のことを理解することは、すごく難しい。理解しようとする過程で、嫌われたり、嫌いになったりするかもしれない。それはとても辛いことです。でも、諦めちゃいけないと思うんです。私は、姉を、お姉ちゃんを理解しようとすることを諦めたくない。お姉ちゃんのことが大好きだから」

 ヒマリは私の眼を見た。意思のこもった鋭い目だった。

「私は、好きだから、知りたいんです。アカネさんは、どうなんですか?」

 私はワンピースの裾をぎゅっと握った。

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