3.ぼっち飯インポッシブル

 昼休みを告げるチャイムが鳴った。 先ほどまで静かだった教室は、一気に喧騒に包まれる。

 一週間後に迫った海成祭の準備期間のため、今日から午前授業だ。

 それも相まって、教室のざわめきは一際大きい。

 購買へ向かい駆け出す者、友人と学食へ向かう者、机を引っ付け弁当を広げる者。

 ガクとJの二人は、まだ教室に残っていた。


「えー、なんで僕はメイド側なのさあ」


 不満そうにガクが頬を膨らませる。


「そりゃあ、ガクだからだろう。クラスの可愛い弟分として、意外と人気あるらしいぜ、お前」


 からかってやろうと、俺は「可愛い」の部分をわざと強調した。

 昨日で“ぼっち飯同盟”は解散となったが、別に絶交したわけではないし、会話も普通にする。

 そもそも、食事の時以外は他人を排除しようなどと思っていない。

 俺は、いたって健康で一般的な男子高校生だ。……たぶん。


「今時、男がメイドの格好しても珍しくないっしょ? ほら、愛染さんとこのお付きの人も、普段からああじゃん」


 Jもガクを説き伏せようと加勢する。

 愛染の筋肉メイドの例を出したのはナイスだぞ! もっと攻めろ!

 ガクは「えー」と言ってはいるが、まんざらでもない様子だ。これは堕ちたな。

 一年A組の海成祭での出し物は、先週のクラス会議でメイド&執事喫茶に決まっていた。

 衣装はすでに演劇部から借用済みで、今日衣装合わせがあるという。

 それが終われば、あとは食材の調達だけで済むため、部活の出店との掛け持ちが多い我がクラスの大多数はメイド&執事喫茶に賛同していた。


「そう言えば、今年は花火あるらしいよ」


 ガクは女装談義から無理矢理に話題を変えた。


「あー、クラスの誰かが言ってたけど、昔、ボヤ騒ぎがあって、何年もやってなかったみたいだな」


 屋上で花火をバックに、応援団が演舞をするというパフォーマンスの最中、一人が振っていた旗に火の粉が落ち引火したらしい。

 なんとも間抜けな事故だ。


「俺らマジでラッキーすぎるっしょ! てか、俺の手で花火打ち上げてー!」


 Jは指を鳴らし叫んだ。

 させて貰えるわけないだろ。


「業者さんが四階の空き教室に花火らしきものを搬入してたって、風の噂で聞いたよ」


 ……らしきものって、バールかよ。


「空き教室って、ここの二つ上っしょ? あとで確かめに行こうぜ!」

「あー、悪いけど、パスで。昼からちょっと行くとこがあってな」


 俺が提案を断ると、ガクが「準備サボったらクラスのみんなに怒られるよ」とたしなめてきた。

 部活での出店準備があるやつも多いから、実際のところ、少し人数が減っていてもバレないだろう。


「たかっち、サボってどこ行くん?」


 うりうり、とJが俺の脇を小突いてくる。俺は「まあ、ちょっとな」と答えを濁した。


「それよりお前ら、お昼はどうしたんだ」


 ガクとJの二人は普段、購買で昼食を買っている。すぐに売り切れてしまうため、ここで悠長に話し込んでいる余裕はないはずなのだが。


「それがね、今日は購買も学食も臨時休業らしくて。――ほら」


 ガクはスマホの画面を俺に向ける。

 海成高校公式SNSのタイムラインには、十二時ちょうどに購買と学食の臨時休業のお知らせが投稿されていた。

 Jは「参っちまうよな、まじで」と溜め息をつく。


「だから、少しおこぼれを貰おうと思ってね」


 ガクは俺のリュックを指さす。


「……いや、普通にやらんぞ」


「そう固いこと言わずに」とJがリュックを漁り始める。


「おい! 二つも弁当入ってるじゃんよ!」

「崇三根くん、一個でいいから。ね?」

「ひとつは弟の分だからダメだ!」

「あれ、たかっちに弟なんていたっけ。てか、じゃあなんで今お弁当持ってるのよ」


 ……まずいことになったな。

 その時だった。

 校内放送のスピーカーにノイズが入った。


『皆さん、こんにちは! 海成高校一年A組の愛染美雪です』


 なんだなんだと、皆静かにスピーカーの方を見上げる。


『本日、私の勝手な要望により、学食と購買をお休みとさせて頂きました。ごめんなさい』


 Jは「なんてことしやがる!」と叫んだ。昼食を買いそびれて戻ってきたのであろうクラスの何人かも同調して声を上げる。


『――と言うのも、我が愛染グループは来月、新しいレストランチェーンの全国展開を開始します。そこで、全校の皆さんに、コースメニューの試食をお願いしたいのです』


 たちまち、教室は歓声に満たされた。

「えー、もうお昼食べちゃったー」と文句を垂れる女子もいたが、続く『すでにお昼をとられてしまった方にも、シェフ特製の新作スイーツをご用意しています』のアナウンスを聞くと、すぐに手のひらを返した。


『これから配膳の準備に取りかかりますので、皆さん、各自の教室で待機するようお願いします』


 愛染の放送終了と同時に、重低音が教室を揺らし始めた。

 教室の窓から校庭の方を見ると、土煙が舞っている。


「なんだよあれ!」


 クラスの男子が叫ぶ。

 十数台の大型トレーラーと複数の輸送用ヘリが、こちらに急接近していた。

 その迫力に、つい呆気にとられてしまう。

 ……いや、この状況はまずい。


 「せっかくの機会だし、皆でスペシャルなランチに舌鼓を打とう」という空気の醸成。

 たとえ普段は一匹狼を気取っている輩でも、「今日ぐらいは」と揺らいでしまうような、圧倒的な外圧。

 愛染の策略により、今この時をもって、学校から“ぼっち飯”は撲滅される――。

 別に他人がどうしようが俺には関係ないのだが、圧倒的に行動しにくくなってしまう!

 弁当派、購買派、学食派が入り乱れる平常時であれば、俺の“ぼっち飯”など見向きもされないが、今回は違う。

 空気の読めないやつ、という痛い視線を集めるアウェイ感。

 同調圧力に弱い平均的日本人、かつ今後の学校生活も考慮しなければならない一般男子高校生である俺に、それは酷だ。

 そもそも“ぼっち飯”は他人に見られたくないという「負い目」の意識からなされるもので、“ぼっち飯”の結果、衆目を集めてしまっては本末転倒。

 どうにか、学校から脱出する方法はないか?

 今日は、何が何でも、行くべきところがあるというのに……。

 校庭では大型トレーラーの側面が跳ね上がり、白衣とコック帽に身を包んだシェフの群れが調理を開始していた。

 また、数百人を超える燕尾服とメイド服の召使い軍団がテーブルクロスやグラス、カトラリーを載せたお盆を持ち、続々と正面玄関に入ってゆくのが見えた。

 ――あるいは、この人混みに紛れれば。

 配膳が完了するまでどれくらい猶予があるだろう。

 とにかく、行動するなら早いほうが良い。


「俺、もう行くから。あとはよろしくやっといてくれ」


 ガクとJに小声で伝える。二人揃って「へ?」と気の抜けた返事。

 弁当が入ったリュックを手に提げ、俺は足早に教室を出た。

 一年A組の教室は校舎二階の東端に位置している。すぐ横の階段を下り、五十メートルほど廊下を進めば正面玄関だ。

 階段下からは燕尾服&メイド服の軍団がすでに上がってきており、人混みをかき分けかき分け、流れに逆らうように進む。

 何分かかっただろう。職員室前を過ぎ、ようやく正面玄関にたどり着くことが出来た。

 玄関には赤い絨毯が敷かれ、いくつもの長机が規則正しく並んでいる。

 校庭のトレーラーで調理された料理をここで盛り付けし、各教室へ運ぶらしい。

 機械のようにテキパキと動く召使いたちと何度もぶつかりながら、出口に向かう。

 玄関扉は開け放たれているが、人の往来が激しく一向に近づけない。

 こんなにも、校庭へ続く道を遠く感じたことはない。

 人の濁流に、体をねじ込むように一歩一歩進む。

 ……もう少し! もう少しで外に出られる!

 その時。


『崇三根さん、どこへ行くんですか!』


 ノイズ混じりのひび割れた声だった。


「あ、愛染っ……!」


 校庭のトレーラーの前。民衆を統べる領主の如く。校長が運動会の挨拶で上るあの朝礼台の上で、拡声器を手にした愛染が立っていた。


『どこへ行くんですか? これから皆で、おいしく楽しくランチを頂くんですよ?』

「……悪いが、俺抜きでやってくれ! 今日は用事があるんだ!」


 外の愛染に聞こえるように、俺は叫んだ。


『まったく、あなたは。いつからそうなってしまったんですか……』


 拡声器は、愛染の溜め息までも内蔵アンプで増幅させた。

 なんと言われようが、俺には“ぼっち飯”を貫く義務がある。今日だけは、絶対に譲るわけにはいかない。


『仕方ないですね。あまり荒っぽい真似はしたくなかったんですが……』


 愛染は、すぅと息を吸い込むと


『皆さん、そこの崇三根さんを捕まえて下さい!』


 音割れした主の命令が、校庭に響いた。

 周囲の召使い軍団が、一斉に俺を向く。

 まずい。


「いや、あの、えーっと……。人違いです!」


 走りだそうとしたものの、突っ込んでいける隙間もなく、あっけなくメイド服に羽交い締めにされてしまった。

 ……しかし、やけに力の強いメイドだな。


『メイドさん、ご苦労様です。それじゃあ、そのまま彼を教室まで連行して、逃げ出さないよう監視をお願いします』


 「大人しくしなさい」と、メイドに羽交い締めにされたまま、玄関とは反対方向に引っ張られていく。情けないったらありゃしない。

 他の召使い軍団は、配膳作業に戻っていった。

 おいおい、俺にはメイド一人で十分だってか? 舐められたもんだ。隙を突いて逃げ出してやる……!

 教室へ戻る階段の踊り場まで来た。

 ――足場の悪いここなら!

 腕を振りほどこうと、思いっきり身をよじる。


「ちょっと、僕だってば!」


 俺を羽交い締めにしていたメイドから、よく知った声がした。


「お前、ガクか?」


 メイド服姿のガクは俺の耳元で「静かに」と囁いた。


「一旦、このまま教室まで戻るよ」


 よく事態を飲み込めないが、とりあえず、従うことにしする。

 一年A組に戻ると、全ての机にテーブルクロスとカトラリーが準備されており、あとは料理を待つだけの状態となっていた。

 他の教室の準備に回ったのだろう、教室内に燕尾服とメイド服は一人もいなかった。

 教室のドアを閉めたところで、ようやくガクは俺を解放した。


「まったく、驚かせやがって!」

「ごめんごめん。それにしたって、普通に声出してたのに全然気付かないんだもん」


 ……確かに、愛染の指示に応えてたけど、全く分からなかったな。

 ガクの見た目が悪すぎる。いや、良い意味で。

 メイド服姿のガクは完全に女の子にしか見えないのだ。


「てか、なんで玄関にいたんだよ? しかもメイド服で」

「せっかく本物のメイドさんがいるなら、いろいろ教えてもらおうと思って。そしたら崇三根くんが捕まりそうになっちゃうんだもん」


 ガクは頬をぽりぽりと搔く。

 メイドガチ勢かよ。……おかげで助かったわけだが。


「それより、大事な用事があるんでしょ。これからどうするの?」


 ガクは心配そうに俺の顔を覗き込む。……しかし、可愛いな。


「多勢に無勢。愛染さん側が圧倒的過ぎるっしょ」


 スマホでガクの写真を撮りながら、Jも話に加わってきた。


「てか、たかっち、愛染さんに何かしたん? 狙い撃ちされてない?」

「そうそう。崇三根くんって、愛染さんとどういう関係なの」


 二人に詰められる。

 どういう関係って……。


「愛染とは、小学校が一緒だったんだ。それだけだよ」


 小学校二年か三年の頃だったと思う。愛染は急に転校してきて、また、あっという間に転校していった。

 小さいながらに、親の都合に振り回されて大変だろうなと、心配した記憶がある。


「ともかく、作戦を練らないとな」

「作戦つったって、勝ち目なさ過ぎるっしょ」


 Jはやるかたなしと、肩をすくめる。


「崇三根くんを無事に学校から脱出させる方法か……」


 口元に手を当て、考え込むガク。絵になるな。……いや、俺も真剣に考えないと。


「そうだ! 崇三根くんもメイド服で変装すればいいんじゃない」

「イイじゃん、イイじゃん!」


 ガクの妙案に、Jが相槌を打つ。

 確かに、今は学校指定のブレザー服で、教室の外にいるだけで目立ってしまう。

 さっきの玄関での騒動もあり、多くの召使いに顔を覚えられてしまった。愛染がさらに周知を徹底した可能性も高い。

 ガクが着ているメイド服は演劇部員が自作したものらしく、出来が良い。ぱっと見なら誤魔化せるだろう。


「でもよお、それで玄関までたどり着けたとして、そのメイド軍団から離れたら逆に目立つくね?」


 Jの考えはもっともだ。召使い軍団は非常に統率がとれている。少しイレギュラーな行動をしただけで、異分子であることがバレてしまうだろう。


「うーん。なにか他に注意を逸らせればなあ」

「陽動作戦か……」

「あ! あれ使えるんじゃね?」


 何かひらめいたのか、Jが人差し指を立てる。


「ほら。陽動にぴったりなやつ、あるっしょ」


 人差し指をそのままクイクイと動かす。

 ……上?


「花火よ花火! ドカンとやれば、皆そっちに釣られちゃうっしょ!」


 とんでもないことを言い出したなこいつ。


「俺っちも花火やってみたかったし、たかっちも逃げられるし、一石二鳥じゃね?」


 馬鹿すぎる。高校一年生って、そんな花火に執着する年齢だったか。


「無茶すぎる。ガクもこのバカになんか言ってやれ」

「現行犯で捕まらなければ、学校側の管理不行き届きってことにできるかも……」


 ガクもか。というか物騒だな、おい。


「んじゃ、決定ってことで!」


 Jが指を鳴らす。


「おいおい、勝手に進めるな」

「そうだよ! まだ作戦の詳細を決めてないでしょ!」


 そこじゃない。

 というか、二人ともノリノリじゃない?

 ガクとJは俺を差し置き、詳細を詰めていった。

 概要をまとめると、次の通りである。

 まず、メイド服に着替えた俺はJと一緒に校舎四階へ向かう。空き教室でJと別れ、俺は西端に移動する。いつも俺が弁当を食べている、あの屋上へ続く扉の所だ。一年A組は東端なので、逆の端にあたる。

 なぜ俺も、一度四階まで移動するのかというと、花火が置いてある空き教室は今いる一年A組の二つ上であり、陽動が実行された際、東側の階段は人山で使用不能に陥ると考えられるからだ。

 それに加え、陽動開始まで身を隠せる場所が四階しかないというのもある。

 二階と三階の教室が、一年生から三年生のクラスルームに充てられており、召使い軍団は三階までが行動範囲だと考えられる。

 西側にある、召使い軍団から隠れられる場所。

 消去法で、四階の屋上扉前に絞られる。

 さて、変装した俺が無事に屋上扉前にたどり着いた後。その後の作戦はいたって簡単だ。

 Jが花火に点火。召使い軍団や教師が四階の空き教室に殺到する。その騒ぎに乗じて、俺は一気に一階まで下り、学校の外へ脱出する、という寸法だ。

 ……本当に大丈夫か、この作戦。

 自信満々なガクとJにはもう、俺の不安の言葉は届かないようだった。


「それじゃあ、今から五分後だ。俺っちが花火に点火するから、たかっちはその隙に逃げろ!」

「頑張ってね。崇三根くん!」


 メイド服に着替えた俺の手を、ガクは両手で握りしめた。

 ガクはここで留守番&俺のリュックのお守りだ。……てか、J一人だけハイリスク過ぎないか、この作戦。


「ゲームのアイテムっぽいからって買った、俺っちのライターが初めて火を噴くぜ!」


 当の本人は模擬店用のタキシードに身を包み、ドラゴン柄の大きなライターをかちゃかちゃ鳴らしている。

 うん。心配しなくていいや。あと、タキシードあるなら俺もそっちが良かったんだけど。


「それじゃあ、行くぞ」


 俺は廊下の様子を伺ってから、教室の扉をそっと開けた。

 普段と違いきびきびと歩くJに続き、廊下に出る。

 まず、一緒に近くの階段を四階まで上がり、Jは花火のある空き教室へ、俺はそのまま廊下を直進し、屋上扉前で待機する手筈だ。

 廊下の向こうで、メイド服と燕尾服がまばらに動いているのが見える。

 距離があるため、変な動きをしない限り目立たないだろう。

 お互い無言のまま歩みを進め、階段にたどり着く。たった二十秒程度だったが、ひどく長く感じられた。

 問題はここからだ。

 階段は絶えず召し使い軍団が上下を往復している。

 立ち止まってタイミングを見計らうわけにはいかない。

 自然体を意識しつつ、三階へ向かう燕尾服たちの後ろに合流した。

 大丈夫か? 歩き方は変じゃないか?

 冷や汗が背中を伝う。息をするのさえ憚られる。

 一段一段、確かめるように踏みしめ、上へ向かう。

 階段を下ってくるメイドの視線が気になる。

 何か変だったか?

 そう言えば、他のやつらはお盆を持っているが、俺とJは手ぶらだ。

 手ぶらのまま上の階に向かっていること、その違和感に気付かれた?

 ここで焦ってしまうと致命的だ。平常心。まっすぐ前だけを見る。

 ……見咎められずに済んだか。

 踊り場で折り返し、やがて三階が近づいてくる。

 召使い軍団の列は、ぞろぞろと左に曲がって行く。

 四階に行くには、右に折り返す必要があり、どうしても目立ってしまう。ここが正念場だ。

 まずJが列を離れる。

 次は俺だ。

 駆け出したくなる気持ちをぐっと堪え、周囲と同じペースを意識しつつ、列と逆方向の右へ曲がる。

 ……行けたか?

 Jに続いて、四階へ続く階段を上る。

 大丈夫だ! バレていない!

 踊り場にたどり着くと、あとは一気に四階まで駆け上った。


「緊張したぜ~」


 Jが安堵の表情を浮かべる。

 ここまでは順調。空き教室もすぐそこだ。


「……そういや、火のつけ方ってわかんのか?」

「ぱっと見で無理そうだったら、スマホで検索するから大丈夫よ!」


 ……不安要素しかない。

 扉の窓から空き教室の中を覗くと、銀色の筒を立てて並べたものと、ダンボール色の大ぶりな球がたくさん入った木箱がいくつか置いてあった。打ち上げ筒と花火玉だ。


「お! マジもんの花火! それじゃあ、たかっちの準備が終わるまで少し待ってから点火するから、って、ありゃ……?」


 扉はガタガタと言うばかりで開かない。立て付けが悪いのかと思い、俺もJと一緒になって取っ手に力を込める。

 ――ダメだ、鍵がかかっている。


「ど、どうするよ、たかっち!」


 鍵はおそらく職員室の壁にかかっているはずだが、一階に行って取ってくるのはリスクが高すぎる。それに、おいそれと貸してはくれないだろう。

「お前たち、なに油を売っているんだ!」

 振り返ると、階段の踊り場に壮齢の燕尾服が立っていた。

 ……まずい。見つかった。


「ち、違いますー!」


 そう言うと、まず、Jが駆け出した。

 逃げるしかない。俺もJを追うように、廊下を走った。


「ま、待ちなさい!」


 燕尾服が後ろで叫ぶ。

 一心不乱に走り続け、廊下の反対端、屋上扉へ続く階段までたどり着いた。

 追っ手の燕尾服とは、まだ距離がある。


「たかっち、どうするよ!」

「三階は敵だらけだ! 上、上!」


 言うが早いか、俺は階段を上った。それにJも続く。

 廊下の燕尾服からでは、俺たちが上に行ったか下に行ったか判断できないはず。

 踊り場を折り返した所で、足音が近づいてきた。

 燕尾服も階段に差し掛かったようだった。

 ――さあ、上と下、奴はどっちに行く?

 頭を隠すように、腰をかがめた体勢で息をひそめる。呼吸するたび胸が動き、小さな衣擦れの音を立てる。この程度なら聞こえないはず……。

 ……ゴトッ!

 Jのライターが床に落ちた音だった。Jは慌てて拾い上げたが、時すでに遅し。


「そこだな!」


 燕尾服の声が階段に響いた。

 急いで残りの階段を駆け上る。

 屋上扉は普段施錠されているが、学祭準備期間なら、あるいは!

 金属製のドアノブをひねると、扉が奥に開いた。


「開いてるぞ!」


 俺とJは屋上に転がり込んだ。

 急いで扉を閉め、ドアノブのツマミを回し、鍵をかける。

 燕尾服はガチャガチャとドアノブをこねくり回し、開かないことが分かると引き返していったようだ。

 俺とJは、扉に背を預け、深く息をつく。


「危ないところだった……」


 ふと見ると、扉の横に応援団が使う旗と大太鼓が置いてあった。午後からの練習に備えて備品を運び入れ、鍵を開けっぱなしにしていたのだろう。おかげで窮地を脱することが出来た。


「しかし、これじゃあ袋のネズミだな」


 玄関から一番遠い場所に、自ら閉じこもってしまった。まさか飛び降りるわけにもいかない。


「花火、点火させたかったな……」


 残念そうにJが言う。目的変わってない? いや、こいつは最初からこうか。

 立ち上がり、あたりを見回す。

 屋上に立ち入ったのは今日が初めてだ。

 秋晴れの青い空。柔らかい日差しが、家々と、遠くの海に降りそそいでいた。

 いつも座って弁当を食べていた扉の奥に、こんな清々しい景色が広がっていたとは。


「あ、あれ使えるんじゃね?」


 屋上の東端を目掛けて、Jが駆けていく。

 落下防止柵にもたれながら、何かを指さしている。


「たかっち! これ、これ!」


 近寄ってみると、学祭の開催日が書かれた垂れ幕の上端が、柵にくくりつけられていた。


「これ伝って降りれば、空き教室の窓から侵入できんじゃね?」

「落ちたら死ぬぞ。それに窓だってカギかかってるだろ」

「そんなの割るに決まってるっしょ! これから花火爆発させるやつが何ビビっちゃってんのさ!」


 ごもっともな意見だが、人として間違っている気がする。

 だが、それ以外に有用な案は考えつかない。

 それに、なんとなくだが、Jなら大丈夫な気がする。そう自分に言い聞かせる。


「それじゃあ、花火の音が聞こえたら、一気に逃げろよ!」


 Jは柵を乗り越え、屋上の縁に手をかけると、宙ぶらりんになった。

 校舎の壁面に足をつくと、一瞬片手を離し、垂れ幕を巻き込むように抱え込む。壁を蹴り少しずつ降りていく。さながら特殊部隊の突入作戦だ。

 空き教室は屋上の直下なので、すぐに目的の高度までたどり着いた。

 Jは「うおりゃ!」と壁を強く蹴り、振り子の原理で空き教室の窓に激突した。

 窓ガラスが割れる音と、「痛ってー!」という叫び。

 侵入は成功したようだ。

 あとは花火の爆発を待ち、逃走するだけ。

 その時、屋上扉を開ける音が聞こえた。

 振り向くと、息を切らした愛染が立っていた。


「なんでここに! つか、鍵かかってただろ!」


 走ってきたのだろう、愛染は乱れた呼吸を整えながら


「……愛染グループは、鍵屋さんも、経営しています。……前にも、言いましたよね」


 そういえばそうだった。


「一体、何の用だよ。試食会の準備はいいのか」


 愛染の長い髪が風になびく。その顔は、どこか寂しげだ。


「なぜ崇三根さんは、そこまで、皆でごはんを食べることを拒否するんですか」

「……俺には、和気藹々とごはんを食べる権利なんて無いんだよ」

「どうしてっ!」


 目を見開き、愛染はじっと俺を見つめる。


「……小学生の私を。……転校したてで、クラスに馴染めなかった私を。お昼一緒に食べようって誘ってくれたのは、崇三根さんでしたよね?」


 小さい頃の話だ。朧気にしか覚えていないが、そういうこともあったのかもしれない。


「……昔とは、違うんだよ」

「なんでですか」


 愛染は肩を震わせている。


「ここまで準備したんですよ……? 今日ぐらい、一緒にごはん、食べましょう……?」


 今にも泣き出しそうな愛染の表情に、ぎゅっと胸が締め付けられる。

 ……また、俺が原因で、人を悲しませてしまうのか。こんなにも、俺のことを考えてくれている人を。


「……許してくれ。今日だけは、どうしても、駄目なんだ」

「今日がなんだって言うんです! 昨日も今日も明日も、一緒じゃないですか!」


 愛染が叫ぶ。

 口が渇く。一呼吸置き、俺は愛染の目をまっすぐに見つめ、


「今日は! 弟の命日なんだよ!」


 思ったより大きい声が出て、自分でも少し驚いた。


「……めい……にち?」


 愛染は、へたりとその場に崩れ落ちた。

 その瞬間、爆発音が空気を震わせた。


「たかっちー! 逃げろー!」

 下の方からJの叫ぶ声が聞こえた。

 空き教室の窓からは白煙が上がっている。


「……ごめん、行くところがあるんだ」


 もう、愛染のほうを見ることは出来なかった。

 謝罪の言葉が、彼女に届いたかどうかも、分からない。

 ……それでも、前に進むしかなかった。

 前?

 果たして俺は、前に進めているんだろうか。

 花火の爆発音は、なおも続いている。悲鳴や怒号が、かすかなざわめきとなって伝わってくる。

 Jが作ってくれたチャンスを無駄には出来ない。

 俺は屋上扉を開け、一気に一階まで駆け下りた。

 陽動作戦が上手くいったのか、人はまばらだったし、俺を咎めるやつは誰もいなかった。

 そのまま正面玄関を抜け、一年A組の真下に向かう。


「おーい、ガク!」


 呼ぶとすぐに、ガクが窓から顔を出した。


「派手にやってるね! はい、リュック!」


 教室の窓から、俺の、そして弟の弁当が入ったリュックが投げられる。

 両腕でキャッチし、校門に向かって走り出す。

 調理もすでに終わったのだろう。大型トレーラーもすでに撤収を始めていた。

 召使いたちには、特段、俺を捕らえるようにとの命令は出されていないらしい。見られはするが、誰も追ってこない。

 ……そういえば、メイド服を着たままだ。

 一度家に戻って着替えるか。

 自転車を取りに戻るのも気が引けたので、このまま歩いて行くしかないだろう。

 いよいよ校門から出ようといったその時、長身のメイドが乗った大型バイクがエンジン音を轟かせながら、目前に滑り込んできた。

 思わず後退りする。

 ……追っ手か。どうする。どっちに逃げる。

 バイクの主はフルフェイスのヘルメットを取った。

 筋肉軍人女装メイドのタクヤだった。


「さっさと後ろに乗れ、坊主!」

「……ど、どういうことですか」

「お嬢から頼まれたんだよ。で、どこに行きゃあいいんだ」


 愛染が……?

 ともかく、乗せていってくれるようなので、目的地を告げる。


「……海成霊園まで、お願いします」


 タクヤは「あいよ」と短く答えると、俺にヘルメットを差し出した。

 俺がきちんとヘルメットを装着する前に、ダブルメイドを乗せたバイクは、フルスロットルで走り出した。

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