2.ぼっち飯モーニング
愛染の卑劣な作戦によって“ぼっち飯同盟”が解散に追い込まれた翌日、九月二十四日。
その日は、俺が食事の席から他人を排除するようになった中学二年のあの日から、ちょうど二年。
いつも通りの朝だった。
自室で目覚めた俺は、居間に降り トイレで用を足し、顔を洗い、ブレザーの制服に着替え、仏壇の前で手を合わせた。
モーニングルーティーンを済ませ、さて、お待ちかねの朝食だ。
もちろん、家でも“ぼっち飯”を貫いている。最初、両親は反対したが、数ヶ月も続けているうちに、なにも言わなくなった。
食卓には、伏せられた茶碗とお椀。ラップがかかった平皿には、焼き鮭、玉子焼き、きんぴら。それと、ランチクロスに包まれた弁当箱が二つ。
午前七時半。
両親はすでに出勤してしまい、家には俺しかいない。
ガスコンロの上にある鍋の蓋を開けると、湯気が立ち上る。豆腐と長ネギの味噌汁が入っていた。
熱々が好きなので、鍋を火に掛け追い焚きする。
その間に炊飯器から白米をよそう。今朝炊いたものだが、程よく蒸らされている。
味噌汁と違い、白米の炊きたては好きじゃない。水分が多く、粘着質が過ぎるからだ。
「おはようございます! 崇三根さん!」
だからコイツ、愛染美雪も好きじゃない。
「どこから湧いてきやがった! 玄関も窓も鍵かかってたろ」
「愛染グループは鍵屋さんも経営しておりますので。ご存じないんですか?」
愛染はニコニコと得意げだ。
いや、普通に不法侵入だろ。
「今日も一緒に、ごはんを食べましょう!」
長く艶やかな髪を翻し、愛染は食卓の椅子に座る。
居間に入ってきた燕尾服の男が、愛染の前に立派なお重を置く。次々とやってくる燕尾服は、おしぼり、箸、お茶など、食卓を整えていく。
俺の家は出入り自由か。
愛染はいただきますと言うと、おせち料理と幕の内弁当の合いの子のようなお重に箸をつけ始めた。
台所で、味噌汁の鍋がぐつぐつと音を立て始めた。
しまった、温めすぎた。
愛染とその召使い軍団は一旦無視し、朝食の準備に戻る。
白く泡が浮いた味噌汁をお椀に注ぎ、白米とおかずの皿と一緒にお盆に載せる。もちろん箸も忘れずに。
普段は居間で一人、朝食を食べるのだが、今日はイレギュラーだ。
俺はお盆を持ち、居間を出ようとした。
「席はあっちだぞ、坊主」
ドスの効いた声。
三十代後半だろうか、メイド服に身を包んだ筋骨隆々の男が、ドアの前に立ち塞がった。
「どいて下さい、あの、メイド……さん?」
「タクヤだ。いいから、席に戻れ」
メイドと呼ばれるのは嫌いなのか、タクヤは仁王立ちで腕組みをし俺を睨みつけた。
「まあまあタクヤさん。無理強いはいけませんよ。自然に崇三根さんが諦めるように仕向けないと。それにしても崇三根さん、昔はもっと可愛げがあったんですけどねえ」
人の家に押しかけておいて、なに余裕ぶったことを言ってるんだ、
ともかく、ご主人の許可が出たんだ。メイド軍人タクヤを押し退け、俺は二階の自室に向かった。
朝食が載ったお盆を机に置き、ドアに鍵をかける。
……玄関の鍵をピッキングしてきた相手に、果たして意味があるのか?
まあ気休めだが、時間稼ぎにはなるだろう。
ようやく朝食にありつける。
まずは味噌汁をひと口。熱々の液体が食道を通り、出汁の香りが鼻から抜ける。しゃっきりした長ネギの食感と、とろけるような豆腐が混ざり合う。
間髪を入れず白米を口に放り込む。米粒がほどけ、春の陽だまりのような蒸気が口内を満たす。じんわりと甘みが広がり、心が浄化されていくのを感じる。
焼き鮭をひとかけ。香ばしさと塩味と脂が、白米を引き立てる。
焼き鮭、白米、白米。
次は玉子焼き。
我が家の玉子焼きは甘めの出汁巻きだが、塩気の多いおかず群において、この甘さは、むしろ丁度良い。
ふんわりした舌触りと噛むたびに溢れる出汁が、しょっぱさに慣れた口をリセットしてくれる。
焼き鮭、白米、白米、玉子焼き、味噌汁。
きんぴらゴボウも忘れてはならない。甘辛くコリコリとした食感は、おかずと箸休めの役割を両立している。素朴だが、白米と一緒に頬張れば、まるで炊き込みご飯の味わいだ。
白米、焼き鮭、白米、味噌汁――愛染。
「随分おいしそうに食べますね!」
急にクローゼットの扉が開いたかと思うと、中にはお重を持った愛染がいた。イリュージョンか。
「せめて普通に入ってこいよ!」
「崇三根さんが、あまり鍵を開けられるのを良く思っていらっしゃらないようでしたので。実は昨日の午後、ちょっと改装させて頂きました」
「人んちを勝手に改装するんじゃねえ! てか犯罪だろ、もう!」
なんの法律に引っかかるのかは知らないが、こんな横暴が許されるはずがない。
「崇三根さんのご両親にはちゃんと連絡しましたよ? むしろ、ローンを肩代わりして貰えるなんて、と大喜びでした」
もはや父母まで籠絡されたか。
一緒にメシを食うためだけに、いったいどれだけ執着してるんだ。
それを言ったら“ぼっち飯”に拘っている俺もなんだが、少なくとも他人に迷惑はかけていない。
「いや、そもそも入ってくるなと言ってるんだよ、俺は!」
「一緒に食べましょうよ、ごはんくらい」
ごはんくらい。
その、たかがごはんを誰かと一緒に食べる資格が、俺には無い。
絶対的に、あるわけ無いのだ。
「……もう食べ終わったよ」
俺はお盆を持ち、立ち上がる。
「あら、それは残念です」
愛染は、クローゼットの中身ごと、せり下がっていった。
とんでもない改装をされているな、俺の家。
一階に降り、シンクに使った食器を置いて、水につけておく。
俺が歯磨きをしている間に、愛染の燕尾服たちは居間の片付けを済ませ、姿をくらましていた。
愛染は「それでは学校で」と言い残し、家を出ていった。車のエンジン音が遠ざかる。
彼女は毎朝、黒塗りのリムジンで登校しては周囲の注目を集めている。
絵に描いたようなお嬢様だった。
午前八時十五分。俺もそろそろ出なければ。
リュックにお弁当を二つ入れる。朝食と同じく母のお手製。俺と、弟の分。
玄関を出て自転車に手をかけると、低い声に呼び止められた。
家の前の塀に、筋肉メイドのタクヤがもたれかかっている。
「うちのお嬢のこと、無視しないで貰えるか?」
鋭い眼光に、思わず目を背けてしまう。
「無視はしてませんよ。一緒に食事しないだけです」
俺は気まずさから早くこの場から立ち去ろうと、自転車にまたがり、漕ぎ始める。
「そんなに意地張らなくても、いいんじゃねーのか?」
すれ違いざま、タクヤはそう呟いた。
知ったような口利きやがって。
今日は俺が“ぼっち飯”を始めてちょうど二年。
せめて今日だけでも、絶対に“ぼっち飯”を死守しなければならない。
決意を胸に、俺は学校へ向かった。
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