愛染美雪は「ぼっち飯」を許さない!

真瀬 庵

1.ぼっち飯クライシス

 夏休みも終わり、秋の気配が近づいてきた九月二十三日。

 およそ半年続いた“ぼっち飯同盟”は、突如、終わりを迎えようとしていた。

 良かったじゃないか、と他人は言うかもしれないが、全然よろしくない。

 この俺、崇三根健人たかみね けんとには“ぼっち飯”を貫き通す義務がある。

 義務なんて仰々しい言い方は格好つけすぎかもしれないが、とにかく、これは破れぬ誓いであり、贖罪だ。


「おいガク、二人で学食行くってどういうことだよ!」


 ガクこと黒渕岳人くろぶち がくとは「いやあ……」とバツが悪そうに目を逸らす。


「J、お前まで裏切る気か!」

「たかっち、そりゃあ背に腹は代えられないっしょ?」


 へらへらと岩見城いわみ じょう、通称Jは答えた。


「俺たちゃ万年金欠なワケよ。こんなチャンス、逃すわけに行かないっしょ」

 Jの手には学食のタダ券が握られている。

「崇三根くんも、一緒に行こうよ? ほら、このタダ券、二人以上じゃないと使えないみたいだし」


 ガクは、眼鏡の奥の潤んだ瞳で俺を見つめてくる。


「くっ! そんな可愛い顔で懇願しても無駄だ! とにかく、俺はメシの時間に他人と馴れ合いたくないんだよ!」

「ガクちゃん、たかっちには何言っても無駄なようだぜ。学食混んじまうし、さっさと行こうや」

「そうだね……」


 ガクとJは顔を見合わせ溜め息をつくと、一年A組の教室から出て行ってしまった。

 学校中が、昼休み特有の喧騒に満ちていた。

 ふと窓の外に目をやる。

 ……垂れ幕のせいで、自分の席から空はほとんど見えない。

 つい先日設置された、学校祭の開催日を示した垂れ幕は、ちょうど俺の席に影を落としていた。

 秋の空に思いを馳せることすら、俺には許されないらしい。

 というか、教室ってなんか日照権みたいなのが法律で定められてなかったか? 大丈夫かこれ。

 ともかく、こうして高校入学以来続いていた“ぼっち飯同盟”は脆くも崩れ去った。

 ぼっちなのに同盟とは、と疑問に思うかもしれないが、孤独な食事を愛する同好の士と捉えて頂いて構わない。

 かつて、昼になるたび教室から消える俺を目ざとく見つけ、“ぼっち飯”に賛同した士であるガクとJ。

 彼らは所詮「一人でメシを食う孤高のオレ」をカジュアルに消費していただけだったことが、今日判明したわけだ。

 もともと“ぼっち飯”に熱意があったわけではないだろうし、なにより各々が勝手に一人でお昼を食べるだけなので、同盟への帰属意識は希薄だったろうが……。

 まあ、半年続いたのだから健闘した方だろう。

 それに、俺自身の“ぼっち飯”はまだ終わっていない。

 そもそも、一人で出来るのが“ぼっち飯”の良いところである。

 中学二年の秋から始めたこの儀式は、一生続くのだ。


「崇三根さん、お昼行かないんですか?」


 教室のざわめきを貫通して、澄んだ声が響く。

 “ぼっち飯同盟”を解散に追い込んだ元凶かつ、かの愛染(あいぞめ)グループの御令嬢である愛染美雪あいぞめ みゆきが、ゆっくりと俺の席に歩み寄ってきた。


「あのなあ! お前が配ったタダ券のせいで同士が全滅したんだぞ!」


 愛染は長い髪をくりくりと触りながら「はてさて」と惚けたふりをする。


「朝に校門の前で堂々と配ってたじゃねーか。しらばっくれても無駄だ」


 お付きの女装筋肉メイドとタダ券を配布する姿は、相当に目立っていた。知らない者などいるはずがない。

 ふう、と溜め息をつくと、愛染は俺の鼻先に人差し指を突き立てる。


「崇三根さん! この海成かいせい高校一年A組で“ぼっち飯”をしようなどと目論んでいる人間は、もはやあなた一人だけです!」


 教室に響く愛染の凜とした声に、机を寄せて弁当を食べているいくつかのグループが、一斉にこちらを見た。


「ほっとけ! それに俺の仲間が死んだのはお前の策略のせいじゃねえか!」

「死んだなんて大げさな。あなたの友人二人は、今や私の“一緒にごはん同盟”のお仲間です」


 “一緒にごはん同盟”だと?

 まるで俺への当てつけじゃないか。


「タダ券なんて姑息な手段を使いやがって。そこまでして俺の邪魔がしたいかよ?」

「食費に困っているお友達を助けることの、どこが姑息なんです?」

「どうせ親にでも頼んだんだろ!」


 愛染グループは、この街のほとんどの産業、政治に深く根を下ろしており、我が海成高校の理事長も愛染グループの息のかかった人物だという噂だ。


「私はただ、みんなで学食を食べる日を設けて親睦を深めるのも、より良い校風とするために重要なのでは、と提案しただけですよ」

「……まあいいや。わかったから、俺抜きで勝手にやっててくれ。じゃ」


 入学以来、クラス内での愛染の振る舞いを見てきたから分かるが、彼女は仲良し主義に傾倒している。

 しかも、お嬢様らしく自己中心的性格も兼ね備えているときた。

 ここで言い争っていると昼休みが丸々消えてしまいかねない。

 俺は机の横に引っかけたリュックから弁当の包みを取り出し、いつもの場所に向かうことにした。

 家では自分の部屋があるが、学校では“ぼっち飯”を実行しにくい。

 かといって便所飯など、まっぴらだ。

 廊下を人気のない方へと進み、校舎端の階段を上る。

 屋上に繋がる扉の前に腰を下ろし、あぐらをかいた上に弁当を広げた。


「……ついてくるなって」


 階段の踊り場からこちらを覗いていた愛染が、ぺろっと舌を出した。

 ……可愛くなんてないぞ。


「どうぞどうぞ、お弁当食べてて下さい」

「俺は一人で食べたいんだが」

「学食に連れ込む作戦はもう諦めたので安心して下さい。お弁当が無駄になってはいけませんし」


 こいつ、やはり俺を学食に連行するつもりだったのか……。

 黙って弁当を食べていると、愛染は顎に指を当て、斜め上を見、小さく唸りだした。


「んー、崇三根さんの言う“ぼっち飯”の定義ってなんですか?」

「はあ?」


 そりゃあ、一人で食事をとることで、それ以上でも以下でもないだろう。


「教室の机で一人で食べるのは“ぼっち飯”じゃないんですよね? それじゃあ例えば、牛丼屋さんのカウンターで一人で食べるのは“ぼっち飯”に該当するんでしょうか。店員さんも他のお客さんも存在しますよね」

「それは……」


 言葉に詰まってしまう。

 普段、外食なんてしないから、考えたことがなかった。

 しかし、飲食店で一人で食べるのは“ぼっち飯”の範囲だろう。


「半径二メートル以内に人がいたらダメとか?」


 愛染が俺の顔をまっすぐに見てくる。

 思わず、箸を止め考え込む。


「……うーん、あれだ。知り合いが同席していない限り、それは“ぼっち飯”だろ」

「それじゃあ、今の状況は“ぼっち飯”ではないのでは」


 確かに。

 なし崩しではあるが、愛染の目の前で弁当を食らっているこの状況は“ぼっち飯”とは言えないのでは――?

 いや違う。こんなところで俺の“ぼっち飯”の誓いを破るわけにはいかない。

 考えろ。直感的に、これは“ぼっち飯”だ。

 食べている最中に他人に話しかけられるのは、けっして「一緒に食事をとった」とは言い難い。

 一体何が“ぼっち飯”を構成する条件だ――?


「――わかったぞ。やはり、今この状況においても“ぼっち飯”は成立している。それは愛染、お前が食事をしていないからだ! 知人と同席して食事をとらない限り、それは“ぼっち飯”に他ならないだろう!」


 それを聞くと、愛染は「なるほどなるほど」と頷き、満面の笑みを浮かべた。


「それじゃあやっぱり、崇三根さんは今“ぼっち飯”をしていないことになります」


 愛染は俺の目の前でしゃがみ込み、口をあんぐりと開いた。

 ……真っ赤な舌の上に、唾液にまみれたレモン色のキャンディーが、きらりと光っていた。


「それじゃあ、明日も一緒にごはん、食べましょうね」


 そう言い残し、愛染は階段を下りていった。

 顔が熱い……気がする。

 しばらく呆けていると、昼休み終了五分前を告げる予鈴が鳴った。

 俺は慌てて、弁当の残りをかき込んだ。

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