「タイムスリップ」と「タイムパラドックス」

 とある貸し会議室で、三人の男が密談を交わしていた。

 三人は互いの顔も名前も知らないまったくの初対面であるが、一つの問題を共有していた。その問題を解決するため、話し合いと称して集まった三人だ。ところが、話し始めて一時間も経たないうちに、会議室には怒声が響き始めた。


「だから、それだと僕が多田さんを交通事故から救えないんだって!」

「うるせぇ! それは必要な事故だって言ってるだろうが!」


 三人のうち、特に激しい口論をしている二人がいる。

 片方はデニムにパーカー姿の痩せた優男、もう片方はどっしりとした体型のビジネスマン風の男だ。


「こ、この世に必要な事故なんてあるわけないだろ」

 ビジネスマン風の男の剣幕に、優男の方は押されつつある。


「事故起こした運転手が未来で鍵になるんだよ。何度も何度も俺の改変の邪魔しやがって、いい加減諦めろ!」

「僕だって、変えた未来を変えさせないためにここに来たんだ!」

「だったら二度と変えられないようにしてやるよ!」


 優男の胸ぐらが掴まれ拳が振り上げられた瞬間、それまで傍観していた三人目の男が声を挙げた。


「二人ともそのへんで。一度落ち着きましょう」


 よく通る声に、ビジネスマン風の男が動きを止める。

 金髪色黒でアロハを着た三人目の男の風体は、昂ぶった男たちの気持ちを妙に撫で付けるものだった。


「あんただって目的があるから来たんだろうが。文句がないならそのまま黙ってろ」

 拳こそ降ろしたものの、ビジネスマン風の男は苛立ちを隠そうともしない。胸ぐらを掴まれていた優男は、バツが悪そうに俯いている。


「もちろん。私もあなたたちと同じように、過去と未来を改変し合うことにウンザリしています」

「だったら、俺と先にやるか?」

「なので、このいたちごっこに終止符を打ちませんか」


 挑発するような誘い文句もまったく気にせず、金髪の男は他の二人を交互に見据えた。


「終止符だぁ?」

「はい。まず、あなた」

 金髪の男は俯いていた優男に指を向けた。


「あなたが助けたい多田さんという女性は、あなたにとって大切な人ですか?」

「当たり前じゃないか! 多田さんは俺を孤児院から救ってくれた恩人だ。そんな人が交通事故に遭うとわかったら、止めるに決まってる」

「なるほど。たいへん結構。次にあなた」


 そう言うと今度は、自分の女でもないのかよなどと悪態をついているビジネスマン風の男に指を向けた。


「先ほど、事故を起こした運転手が鍵だと言っていましたが、それがわかるのはいつ頃ですか?」

「……事故から二十年後のことだ」

「二十年だって!?」

 優男が声を荒げた。

「そんなに後のことなら、僕を優先しろよ!」

「早い遅いは関係ねぇ。俺は重要性の話をしてるんだよ」

「それほど重要な人物ですか?」

 まぁまぁと優男をなだめつつ、金髪の男は質問を続ける。


「事故の何年か後に、運転手が自動車学校で講義する機会があるんだよ。その時の聴講者に自動車メーカーの社員がいてな。そいつが帰宅後、トイレで転んで便器に頭を打った拍子に、画期的な交通事故防止システムを閃く」

「映画みたいなバカな話だ」

 優男が小さい声で呟いたが、静かな会議室では存外その声は響いた。


「何だとこの野郎」

「結構です。ありがとうございます」


 再び口論になりそうな雰囲気も、金髪の男が遮ることで事なきを得る。いつの間にか、金髪の男が場を仕切り始めていた。


「その画期的なシステムとやら、詳しい仕組みは知ってますか?」

「知ってはいるが、ここで言うことはできねぇ。時系列がおかしくなっちまう」

「交通事故が起きないとその未来は来ない?」

「来ない。だから必要な事故だし、そこのお前には諦めてもらうしかない」

「絶対に嫌だ」


 優男の必死の様子を見ながら、金髪の男は少し考えるそぶりを見せる。


「それでは、こうしましょう」

「多田さんを救うのは譲れないからな!」

「もちろん。まず、あなたの言う女性は救いましょう。その上で、運転手にも事故は起こしてもらいます。ただし、別の事故を」

「別の事故?」

 二人の男が疑問を口にした。


「簡単な話です。多田さんとやら以外の人間を準備するだけですよ。それなら関係ないでしょ?」

「別の人間って、誰をだよ」ビジネスマン風の男が尋ねた。

「関係ないので気にする必要はありませんよ。私が準備するだけです」

「……あんた、誰だ? あんたが変えたい未来は何だ?」

「私自身は誰でもありませんよ。強いて言えば、自動車メーカーの競合他社でしょうかね」

「利権に関係が……?」

 いかにも恐る恐るといった調子で優男が聞く。


「さぁ、どうでしょうかねぇ」


 そう言ってほくそ笑む金髪の男に対して、二人の男は得体の知れない薄ら寒さを覚えた。それ以上の素性を聞く気にはなれそうもない。


「……関係ないなら、それでいい」

「……僕も、多田さんが救えるなら」


 簡潔な提案だったが、各々の目的は達成されていた。

 結局は運転手が事故を起こすことにも、見知らぬ誰かが犠牲になることにも、異論は出なかった。

 会議室を訪れた当初の使命感にも似た意思のある顔から、目的以外は関知しない素知らぬ風を装った顔へ。

 二人の男の変化を、金髪の男は目ざとく見逃さなかった。


「じゃあ二人の知っていることを教えてもらえますか。段取りを決めますので」

 金髪の男は再び場を仕切り、情報を集め始める。


 その時、会議室の扉が突然開かれた。


「失礼するよ」

 入ってきたのは、スーツ姿のメガネをかけた男だった。


「いち、に、さん。うん、特徴も合ってる」

 突然の訪問者に三人は呆気にとられていたが、男は構わず手元のメモ帳を見ながら人数を数えている。


「何だ何だ、話の邪魔だ。部外者は出て行ってくれ」


 メガネの男よりもいくらか背の高いビジネスマン風の男が立ち塞がるように進み出た。優男の方はいまだに事態が飲み込めないのか、呆然と立ち尽くしている。


「すぐに出て行きますとも。仕事が終わればね」

「仕事……」


 その一言に金髪の男は何かを察したのか、会議室から駆け出る素振りを見せた。


「はい、仕事です」

 その瞬間、メガネの男が右手の指を鳴らした。


「タイムトラベラーを時間軸から消す仕事」

 メガネの男がそう言い終えた時、会議室には誰もいなくなっていた。


「コソコソ密談なんてやるものじゃないよ。だから全員消えるはめに……」

 一仕事終えた様子の男だったが、視線を少しだけ空中に漂わせると、一人逃げられたか、と呟いた。


「まぁ、しょうがない」


 男は手元のメモ帳を再び見た。縦に折り畳まれた紙には、時間と場所、そこにいる人間の人数と特徴が時系列でびっしりと書き込まれていた。


「次の場所は…げ、遠いな。急がないと」


 呟きながら、男は会議室を出ていく。

 再び扉が閉められた会議室は、最初から誰も来ていないかのように、静かだった。



【タイムトラベラーたちの密談】

 <了>


 出典: シナリオのためのSF辞典/森瀬繚/SB Creative

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