往時を偲ぶ
九年前のとある春の日のこと。数百年もの間閉じ込められていた封印が解かれたかと思えば、九尾は封印された当時に陰陽師によって与えられた重傷のままどこか知らぬところへと飛ばされたのである。数百年も外界を見ていないのでは、景色なぞ変わり果ててどこが己の棲家だったかさえ分からない。癒えぬ傷がズキズキと酷い痛みを訴える中、本来の大きさの4分の1もない身体を引き摺りながら、どこか家屋の裏にある草むらへと九尾は身を隠した。今一番気に掛けるべきは祓い人に見つからないことだ。陰陽師と名乗る祓い人が九尾を封印したのである。故に、こうして封印を誰ぞかに解かれているのを悟られて仕舞えば、力を発揮できない今の九尾では今度こそ祓われてしまう。どうにかして元の力の半分でも取り戻さねば、と縮こまって傷の痛みから逃げていると、九尾の隠れている草むらがガサゴソと動いた。
「あれ?」
思わず身構えたが、耳に届いた幼い声に小さく息を吐く。幼子ならば、今の己にも呪い殺すことができるからだ。幼子の反応からきっと九尾がいることはバレている。呪い殺そうとして、九尾はとある考えによって動きを止めた。普通の人間ならば九尾は見えないはずだ。だというのに、何故この幼子は九尾のことを視認しているのだ。
「きつね……? なぁ、だいじょうぶか?」
幼子は、はっきりと九尾のことが見えているようで警戒をして牙を剥き出している休日に向かって手を差し伸べてくる。陰陽師の子供か、それとも魔法界に生まれた霊力の高い子供か。その選択肢を出して、すぐに一つに絞る。もしも陰陽師の子供であれば妖怪に関してそれ相応の知識があるはずだ。知識があれば、こうも簡単に手を伸ばしてくるはずがない。魔法界の子供であれば、また九尾にとって都合が良かった。魔法界のことを嫌っているであろう陰陽師達は“上”という存在からの依頼がなければ魔法界に降りてくることはない。なれば、魔法界そのものが九尾の隠れ蓑になる可能性があるのだ。
「けがしてる……」
労わるように伸ばされた幼子の手を、思わず九尾は尻尾で払い退ける。いくら幼子とはいえヒトはヒト。幼子さえ信用できず今度こそ、と思ったところで九尾は気が付いた。先まで、あれだけ酷く痛みを訴えていた身体の痛みが薄れているのだ。主に、尻尾が。払い退けた幼子の手が触れた尻尾から順繰りに、ぐんぐんと質の良い九尾の中で妖力に変換された霊力が回っているのを感じる。幼子の声色からも、霊力からも悪意というものが一つも感じられなかったため、九尾はおずおずと幼子に擦り寄る。
「いたい?」
幼子の手が九尾の背を撫ぜる。もしやこの幼子、己に霊力があると知らずに無意識のうちに垂れ流しておるのやもしれぬ。そう考えた九尾は、幼子から放たれている霊力を全て寄せ集め、何とか己の中に粕ほど残っている妖力を何とか練ってすべからく妖力に変換していく。すると、みるみるうちに九尾の妖力が回復していった。幼子の問いに、ふるりと首を振って見せると幼子は嬉しそうにへにゃりと笑う。九尾は、4分の1ほど回復した妖力を辺りに巡らせて、人間の会話に耳を澄ませる。口調からして、もう九尾が魔法界で過ごしていた頃の名残は既に無くなっているのだろう。それを何とか解析して、己の放つ声に幼子に不審がられぬような口調を乗せる。
「痛くないよ」
「わ、しゃべれるのか?」
「ウン、僕は使い魔なんだ」
「つかいま?」
九尾は首を傾げる幼子を観察する。黒髪に黒目。なるほど、陰陽師にみられる典型的な容姿だ。金髪碧眼が通常な魔法界だが、稀に黒髪黒目の人間が生まれると九尾は聞いたことがある。その人間こそ正に陰陽師の素質を身に宿している人間のようだが、推測する限り数百年経っている現在、黒髪黒目の人間が生まれる確率というものは着々と減っているようだ。マ、そんなことはどうでもいい、と九尾は幼子を利用することを決める。言うなれば霊力タンクのこの幼子近くに居れば、己が本来の力を取り戻すのは十年ほどで足りると考えたからだ。
「君の友達ってことだよ」
「ともだち……?」
陰陽師の素質を持った人間というのは、魔法界で誰もが持ち得るはずの魔力を持っていないと聞く。それ故に迫害されることも多いのだと。だからそこにつけ込めばいいと九尾は考え、回復した妖力で幼子の霊力が全て九尾に向かうように調整する。霊力を垂れ流していればいつかそこらの妖怪に襲われる可能性がある。こんな都合の良い存在を、逃してしまっては堪らない。
「おれのともだちになってくれるの?」
「勿論!」
九尾の返事に、幼子はぱぁっと顔を明るくさせる。幼子は、いつの間にか消えてしまった九尾の傷に気付かずに、己の服が汚れるのも厭わずに九尾と視線を合わせるために地面にうつ伏せに寝転ぶような形になる。
「おれのなまえはアキラ! キツネさんのおなまえは?」
「僕、は」
九尾は、今まで出会った人間の中で見たこともないような純粋さに戸惑いながら、名を問われて思わず口ごもってしまう。妖怪である九尾には名前なぞない。九尾という名称があるだけなのだ。答えない九尾に首を傾げた幼子──アキラは、ハッとして深刻そうな表情に一変する。
「もしかして、おなまえないの? おれがつけてあげようか?」
「君が?」
うん! とアキラはまるで太陽の如く裏表の無い笑顔でにっこりと笑う。生まれてこの方数千年間、優しさに触れるという機会なぞ数えるほどしかなかった九尾は、それでもいいな、なんて思ってしまったのだ。
「それじゃあ、お願いしようかな」
己の口から漏れ出てくる聞き慣れない口調に違和感しかないのだが、それをグッと堪えてアキラの答えを九尾は待った。
「キュウ……キュウは、どう!?」
「きゅう」
「きつねのキュウ! きょうからキツネさんはキュウだよ!」
口の中でころりとキュウという単語を転がす。心のどこかでピースがかちりとハマったような感覚がする。先程繋いだ霊力と妖力の繋がりが更に強くなったような感じがして、アキラの霊力の質が更に上がったような気がしたのだった。
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