君だけが唯一の

「刀、どうだ?」


 役目を終えて鞘の中で大人しくする刀を見ながら、ミツは問う。アキラの腰で未だその確かな重さを主張している刀は、アキラが一つの妖怪を滅したという証拠を、はっきりと示していた。


「ちょっと重い、ですけど、何も無いよりは全然」

「重いのはまァ、これから鍛えるしかないな」

「一月の間で、どれだけいけますかね……」

「さァな。そりゃお前次第だ。お前のその吸収の良さはこっちも爽快になるくらいだからな、色んな奴に扱いて貰えよ」

「はい」


 こくり、と頷いて腰に掛かる刀をするりと撫ぜる。ヒトを斬ったわけでもないのに、嫌に残る感覚は妖力霊力を吸う刀ですら、吸ってくれやしない。カタカタと震える右手を、意地になって止めようとするが、どうしても震えは止まらなかった。


「アキラ」


 キュウが、長い尻尾をアキラの首に巻き付ける。ふわふわの、お日様の匂いがするキュウの尻尾に包まれて、ようやっとアキラは深い息を吐くことができた。


「アレはヒトではない。妖だ、ヒトには決して成ることのできない存在なのだ」

「ひとじゃ、ない」

「うむ。お主がそのように気負う必要なぞない。陰陽師として、するべきことを成したのだろう」

「……う、ん」


 再度、大きく息を吐いてアキラは瞳を瞑る。瞳の裏には先の光景が焼き付いたように流れているが、それを振り払うようにしてアキラは首を振った。


「ミツさん、帰りましょう」

「おう。平気か?」

「平気、です。ごめんなさい、ちょっと冷静になれなくて」

「最初は皆そんなモンだ。一人で妖怪を倒せるだけ、お前は凄ェよ」


 ミツの言葉に、小さく頭を下げる。手の震えは、いつの間にか止まっていた。完全に妖怪の消滅を確認して、二人と一匹は入って来た時の鳥居を潜って沈丁に戻る。沈丁の中も既に陽が落ちかけており、橙の温かな光が沈丁全体を覆っていた。ミツとは途中で別れ、アキラとキュウでハルの屋敷に向かっていると、アキラの耳に水のちゃぽんと揺れる音が届いた。思わず後ろを振り向いても、何もない。水場もなく、音が聞こえるわけもないのにだ。どうしてか、一瞬だけだったその音が気になってしまって足を止めてしまう。音の出所を探そうとアキラが一歩足を踏み出したところで、不審に思ったキュウが声を上げた。


「アキラ!」


 ハッ、としてアキラは踏み出しかけた足を止める。ヒトの目がある町中では声を出すなと釘を刺されていたキュウが声を荒げるなんぞ、相当のことだ。どこかへ飛びかけていた意識をキュウに戻し、アキラはハルの家の方角に視線を戻し、キュウに促されるがまま歩いた。





「一体どうしたのだ、アキラ」


 ハルの家について、サクラの夕飯の説明を聞いてから部屋に戻った後、キュウは座布団の上で自慢の尻尾の手入れをしなながらアキラに問う。キュウ視点、動きを止めた時のアキラの様子は異常そのものであった。瞳は生気を失ったかのように虚に溶け、キュウの小さく呼びかけていた声すら聞こえていないようだった。


「水の音が、聞こえて」

「水?」

「キュウは聞こえなかったか?」

「聞こえておらんぞ。あの場には水場なんてなかったろうに」

「でも、」


 迷いのある表情を見せるアキラに、キュウはひょいと大きくなってから飛びかかり、揃って床に倒れ込む。そのままキュウはふわふわと尻尾と身体でアキラを包み込み、尻尾でアキラの右手をゆっくりと撫ぜた。


「お主は疲れておるのだ。今はまだ何も考えずとも良い。夕餉まで時間があろう、ゆるりと眠れ」

「ゆ、げ」

「夕食のことだ。式神も陰陽師が帰った時に夕餉の準備をすると言っておった」


 魅惑のキュウの毛に包まれたアキラの瞳は、とろんと蕩け、段々と瞼が下がっていく。いくら能力があれど、いくら大人びていれど、アキラは社会を知らぬ少年だ。数千年生きているキュウからすれば、十六のアキラば守るべき存在である。


 アキラと共に過ごすのを赦してはいるが、キュウは陰陽師の存在というものが気に食わない。自分を封印したのが陰陽師であるからというのもあるが、それ以上にアキラを危険な場所に連れ込んだのが陰陽師だからだ。また、アキラをキュウ一人で守れると安心させることのできない己のことも、どうしても気に食わなかった。勿論、キュウを守れるようになる為と陰陽師への道に踏み込んだアキラに嬉しい気持ちが無いわけではない。そんな複雑な感情を持ってしまったからこそ、キュウはアキラを止めることができなかったのだ。


 すぅ、すぅと小さく寝息を立てて眠る少年はキュウの本来の大きさより三回りも四回りも小さい。キュウにとって瞬きの間にも満たぬ短い生しか過ごしていないというのに、その身に宿る意思は強く、また何よりも優しい。生涯吾らの実態を知らずに居て欲しかった、なんて過ぎたことを思ってはキュウはアキラを起こさぬように小さな溜息を吐く。大妖怪と謳われる己が、たった一人の人間にこれほど執着するなんて千年程前の己だとしたら笑って虚偽だと笑い捨てていただろう。


「まこと、おかしな人間よ」


 キュウにとって、人間とはあまりにも面倒な生物であった。心の内を何一つとして晒さぬ、己が良ければ他を犠牲にする。己の利益になるものならば何でも利用してしまう。それが、人間であると思っていたのだ。事実、過去は妖怪を視ることのできる人間は多く、幼かったキュウは何度も利用されたことがあった。騙され、人間を信じた挙句の行く果ては破滅。力をつけたキュウが気に入らぬ人間を呪い殺したほどには人間という存在を信じていなかった。


「きつね……? なぁ、だいじょうぶか?」


 長年積み重なったキュウの人間への悪印象が変わることとなったのは、たった九年前のことである。

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