ちらと覗くは世の薄ら闇


「ハル様、ご案内致します」

「あぁ」


 艶やかな黒髪を、結い紐によって後ろで一つに纏めている女性が陰陽寮の入り口に立っており、ハルに声を掛ける。何の躊躇いもなしに女性の後ろに着いていくハルの横に並び、案内されるがままに陰陽寮の廊下を歩いていると、いかにも豪華そうな柄の散りばめられた両開きの扉の前に辿り着き、女性が凛とした声を放った。


「ハル様がご到着になりました」

「入っておいで」


 優しげな男性の声が中から聞こえ、ハルは扉を開ける。随分と広い畳造りの部屋だが、所狭しと置かれた棚の中には幾つもの巻物や本が入っており、少しばかり狭いのではないと錯覚させられる。部屋の奥には、脚の低い机が置かれ、ハルの見目よりも三十、四十は歳の食っているだろう見目をしている男性が、こちらを向いて座布団に座っていた。


「久しぶりだね、ハル。五百年振りかな?」

「できることなら、貴方には会いたくなかったが」


 ハルと男性は知った仲なのだろうか。久しぶりの会合を喜んでいるであろう男性の言葉に、素っ気なく返すハルに男性は苦笑する。


「相も変わらずつれない子だね。しかし……君が新しい子を連れてくるのは、もうないと思っていたよ」


 そこでやっと男性の目が、アキラの方に向けられる。優しげな見た目の人だが、どこかそれだけには思わせないような雰囲気を感じる。見定められるような視線を投げ掛けられたアキラは、ぺこりと一礼してから口を開く。


「初めまして、アキラと申します」

「うん、初めまして。僕はフジと言って、一応この陰陽寮の長をやらせてもらっているんだ。あと、そこに立ってるハルの先生でもある」

「ハルさんの、ですか?」

「昔の話だけれどね。あの頃のハルは手負の獣のようだったけれど、二千年経って随分と変わってしまった」


 懐かしむような表情を浮かべてフジは語っていた。ハルから聞いた陰陽師の体質のせいで、見目から年齢の判断は出来ないが、言動からしてハルよりもフジは歳上なのだろう。和やかな笑みを浮かべるフジとは違って、ハルはどこか不機嫌そうな雰囲気を醸し出している。


「……俺のことはいい。それよりも、受理を」

「はいはい。入学書だね」


 ハルが懐から取り出した入学書を、フジは手を伸ばして受け取る。その時、フジの袖に紫色の小さな蕾が散りばめられた花がちらりとアキラの瞳に映ったが、見たことのないために花の名前は分からなかった。入学書の内容を確認したフジは、二つ折りにした入学書に墨のつけていない筆で何やらを書きつくり、筆を離す。すると、折った部分がぱたぱたと羽のように上下に動いて、フジの一番近くにある棚の最上段に置かれている小さな箱の上に向かった。箱の真中の上に辿り着いた入学書は、、力を失ったかのようにひらりと舞い落ちる。見事に箱の中に入り込んだのを見届けることなしに、フジはアキラの前に立つように腰を上げた。フジは先まで座っていた為気付くことはなかったが、どうやらハルまでとはいかずともアキラより身長が高い。肩甲骨までの髪は右側に纏められており、垂れた瞳のせいで雰囲気の柔らかさを増長している。柔らかい瞳の奥では一体何を考えているのかは分からない。先の技術を見る限り、ハルの先生だと言われても納得ができるほどの精巧さであった。


「ここ数千年では珍しい。木を宿す子なんだね、君は」

「ハルさんと、ミツさんにも言われました。すごく、珍しいのだと」

「おや。ミツにも会ったんだね」

「上の言葉がなければ、俺はミツにアキラの育成を任せるつもりだった」


 不満そうに言葉を紡ぐハルに、フジはからからと笑う。ハルが上の方針を嫌っているのは昔からのことらしい。


「ミツももう、教える側になっていたんだったね」

「ミツさんともお知り合いなんですか?」

「ミツの師匠とよく話すことがあってね。あの人は本当に物好きな人だった」


 フジの物言いに少し引っ掛かりを覚えながらも、アキラはなるほどと頷く。話を聞いていると、キュウが退屈そうにアキラの腕の中で動いて位置の調節をしていた。


「それで、そこにいるのが九尾だね?」


 フジの、きっと確信を得ているであろう言葉にアキラは思わず肩を跳ねさせる。ハルが一目で見抜いたのだから、その先生であるフジが見抜くのもなんら問題はないのだが、唐突に言い当てられてしまうとどうしても驚いてしまう。


「あぁ、いや。咎めようとしているわけではないよ。随分と力が弱まったものだと思ってね」

「ふん、後先短い老耄が。前線に出てこぬからとっくの昔に死んだものだと思っておったぞ」

「こら、キュウ」

「構わないよ。九尾のその態度は昔からのことだからね」


 ハルのみならず、フジにさえ褒められたものではない態度をとるキュウを嗜めようと声を上げるが、フジがそれを制した。キュウが老耄、というなんて本当に何歳なのだろう、とフジの年齢に対する謎が更に深まっていく。


「君にとって、九尾はどんな存在だい?」

「守るべき存在、です」


 ハルの言葉を借りることにはなるが、アキラにとってキュウの存在の最適解はまさにそれであったのだ。キュウがどれだけ凄い妖怪でも、アキラよりも実力を持っていたとしても、小さな頃からキュウは、アキラにとって守るべき存在なのである。


「九尾をかい?」

「はい」


 じぃ、とフジが見つめてくるのを、負けじとアキラは見つめ返す。ここで目を逸らしてしまえば、全てが瓦解してしまう気がしたのだ。確信はなく、ただの勘だけれども。


「うん、なるほど。面白い子だ。ハルが見初めただけはあるね」

「育て甲斐がありそうだろう」

「そうだね。だけど、少し困ったことがあるんだ」


 いつのまにか取り出していた和紙で作られた本を、ぱらぱらと捲りながらフジは困ったような表情を浮かべる。ちらりと見えた表紙には、教員の文字が見えてこの陰陽寮にいるであろう、陰陽道の先生が一覧になっているのかもしれない。


「木を得意とする子が居なくてね。折角教わるのなら、自分が特出している五行を得意とする者から教わりたいだろう?」

「教えてもらえるだけで凄くありがたいのに、そこまでしてもらうわけには……」

「遠慮しないで、と言いたいところだけどこればかりはお言葉に甘えるしかないかな。木を得意とした子は、二千年ほど前にいなくなってしまってね」

「いなく、なった……?」

「フジ先生」


 疑問を抱いたところで、掻き消すようにハルが声を上げる。


「あぁ、ごめん。まずは、アキラくんのお話からだったね」


 何も無かったかのように、フジは話を続ける。どうにも、アキラの知り得ないことがあったらしいが、それを教える気もないらしい。フジと話した数分だけで引っ掛かりをいくつか覚えながらも、アキラは静かにフジの紡ぐ説明を聞いたのであった。

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