交わらない妖怪と人間


 撫で回していたミツの手を、アキラはじっと受け止める。すぐに今までのようにキュウが叩き落とすかと思われたが、アキラの心情を考えてかキュウが動くことはなかった。深く、それでいて重い息を吐く。ミツの言う通り、確かに重い案件であった。アキラよりもずっと、ずぅっと小さな子供の見た目をした妖怪が、迷子のように、母からの愛を求めるように、己を殺した人間に復讐するために、そんな複雑困難な動機を抱えて人間を害す存在してそこに在ったことが、今でも上手く受け止めきれていなかった。それでも、これからのことを、陰陽師として成長しなければならないことを見据えて、アキラはじっと前を見る。地面にまだ崩れ落ちている、一反木綿だったものを視界に入れる。


「消滅、しないんですか」


 まるで討伐されたモンスターのように地に伏せる一反木綿は、黒いモヤは失っていてもその姿形はそのままに存在している。人形のようだ、さっきまで言葉を紡いで、感情のままに行動していたのが嘘のように。


「今は妖力を吸い取っただけだからな。妖力、または霊力が零になった段階で更に力を吸えば、消滅……いや、死ぬ」

「……死ぬ」

「あァ。霊力を注いで遣いにすることもできなくはないが、推奨はされてねェ」

「どうしてですか?」

「そりゃ、妖怪ってもんはどこまでいっても妖怪なんだ。それ以上でも、それ以下でもねェ」


 もう動きやしない一反木綿を、鋭い瞳で見つめてミツは一反木綿の横にしゃがみ込む。その行動は、決して悼む意味を持ってはいない。ミツは、右の人差し指と中指の二つ指を一反木綿の額に押し当てる。式神を使うでもなく、スゥと息を吸って再び凛と大きくなくても林の中に響くような声を放つ。


「急急如律令」


 ぶわり、と熱が辺りに広がり、一反木綿の口がぱかりと開く。そこから、今日見た中で最も濃い、夜闇のようなモヤが飛び出してきてミツの指に吸い込まれていった。それと同時に、一反木綿の身体全体が、まるで灰にでもなるかのように崩れていき、熱風に巻き上げられて空高く立ち昇っていく。瞬きでもするような一瞬の間で、一反木綿はアキラの視界から完全に消えた。


「これで討伐完了だ」


 着物についた土埃を払いながら、ミツは立ち上がる。その様子を一から十までじっと吸い込まれるように見ていたアキラは、ごくりと唾を飲み込んで一つ、頷いた。


「お疲れ様でした」

「おう、お前も頑張ったな」


 労いの言葉を掛けるミツに、アキラはもう一つ頷く。表面上は冷静を装っているが、内心はそうはいかないのだろう。ぐるぐる、ぐるぐると子供の、一反木綿のどこか寂しそうな表情が脳の中心をずっと支配している。


「どう思った?」

「……え?」

「陰陽師をどう思った、妖怪にどんな感情を抱いた?」


 まるで、尋問のようなミツの言葉に黙ってしまう。陰陽師とは、何なのか。妖怪とは、何なのか。思考を何度も、何度も巡らせるが、上手く言葉にすることができない。メンタルが強くなければやっていけなさそうだ、大変そう、自分にできるのか。人間のせいで、生まれたのに、存在してはならないかのように扱われる妖怪が──


「まだ知ったばっかのお前に問うには難しかったな。ただ、これだけは覚えていろ」


 優しい瞳をしたミツが、アキラをじっと見つめる。アキラを通して、別の何かを見ているようだと一瞬錯覚したが、瞬きをすればその感覚も消える。


「妖怪は、人間を容赦なく殺す。妖怪が妖怪である限り、人間に害を与える存在である限り。私達陰陽師は、妖怪を許しちゃならねェ。妖怪を完全に理解しようとするな、妖怪に同情をするな、死にたくなきゃな。お前が陰陽師として生を捧げる限り、私は全力でアキラをサポートすると誓おう」

「ミツさん……」


 ミツの言葉に、アキラはぎゅっと瞳を瞑る。頭を振ることで、瞼の裏に残っていた情景を払い落として、改めてミツと向き直った。陰陽師について、妖怪について知ることは沈丁に帰ってからでいい。取り敢えずは、今アキラの目の前にいる、アキラのことを想って行動し、言葉を紡いでくれる存在に伝えられた分の誠意を伝え返すことが重要であった。


「俺のために、キュウのために。……陰陽師として存在を確立するために。俺は、この世界を生き延びてやります」

「よし、いい心意気だ。お前がここで心折れたらどうしようかと思ったよ」

「ミツさんが頑張ってたのに、俺が折れるわけにはいきませんよ」

「はは、変な奴だな、お前」


 再度、ミツはアキラの頭をぐしゃりと撫ぜる。解けたままの髪を、纏め直しながら二人と一匹は座敷童子のいた屋敷へと戻ることになった。




「アキラ」

「キュウ? どうしたの」

「妖怪が……否、吾のことを、怖いと思っておるか?」


 道中、キュウにしては頼りなさげな声でそう紡がれる。一反木綿討伐の時、ずっとアキラの側でアキラの恐怖心を受け取っていたからこそ、気になってしまったのだろう。あの大妖怪も無し崩れ、といったところか。今のキュウにとって、アキラに怖がられ、距離を取られることがいちばんの死活問題であるのだ。


「……妖怪は、怖い」


 今でも、さっきの情景を思い出すと手が震えてしまいそうだった。それを、決意によって何とか誤魔化して歩いている。


「でも、キュウのことは怖くない。小さな頃から俺の側に居てくれて、ずっと守っててくれたんだろ? そんなキュウを怖がるわけない」

「それなら良いのだ」


 アキラの腕の中に収まるキュウは、軽く尻尾を揺らす。撫でろ、とでも言うようにぐりぐりと胸部に頭が押し付けられ、アキラは嫌がることもなくキュウの頭を撫ぜた。

 無事に、魔法世界と沈丁の繋ぎ目の屋敷まで辿り着き、討伐成功の報告をミツが座敷童子にしたところで、ミツに式神を取り出すように告げられる。ミツに貰って懐にしまっていたままの式神を掌の上に乗せて、どうすれば良いのかと迷っているとミツに扉の前まで連れて行かれる。


「何か媒介になるもの……マ、髪でいいか。一本引き抜け」

「え、はい」


 ぶち、と言われた通りに髪の毛を一本引き抜いて、摘む。


「霊力を手の先に集めるようにして、集まったら扉に式神を貼り付けるように置いてみろ」


 こくり、と頷いてアキラは己の手先に集中する。じんわりと温かいものが手先に順々と集まっているのを確認してから、半ば疑心暗鬼になりながらも扉にぴたりと式神を当てる。ミツの促すままに手を離すと、式神はしっかりと扉に張り付くようにして剥がれることなく残っていた。


「出来た!」

「ン、上出来だ。次は千切った髪を、式神に当てて」


 霊力を指先に集めたまま、アキラは髪の毛を式神に触れさせる。すると、まるで生き物かのように髪の毛が式神の中に吸い込まれていった。


「指を式神に当てたまま、私の言葉を繰り返せ」

「はい」

「急急如律令」

「きゅ、急急、如律令……!」


 ハルやミツが何度か紡いでいた呪文を、アキラも口にする。すると、ぶわりと式神を中心に風が巻き起こり、アキラの前髪を仰いでふわりと浮かばせる。風が落ち着く頃、ミツの言葉によってアキラは式神から指を離す。使命を成した式神は、ただの紙となってひらりと地面に舞い落ちた。


「開けてみな」


 扉を、がらりと開ける。そこには、数刻前に見たばかりの沈丁の景色が、広がっていた。

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