脈拍に廻る


 廃れきった、今にも崩れてかろうじて保っているであろう形さえ崩れてしまいそうな小屋の前でミツは足を止める。


「ここは……?」

「出口みたいなもんだ。お前らが入ってきたでけェ鳥居とは違って、お忍びによく使われるやつだがな」

「お忍びなんですか?」

「お前みたいな才能の原石、しっかりと育て上げてから世に出すのが一番面白いだろ。天才陰陽師、ハルをも凌ぐ新人現る! なんてな」


 茶化すように告げるミツに、アキラはつられて笑ってしまう。知らないことが多すぎて、心の中で燻っていた不安はいつの間にかミツによってすっかり取り払われていた。

 ミツは、小屋の前に立って思い切り叩けば派手な音を立てて倒れてしまいそうな扉に、そっと手をかける。苛烈な輝きを見せる赤い瞳は、瞼の裏にしまわれた。


「急急如律令」


 ハルも紡いでいたのと同じ呪文のようなものがミツの口からまろび出る。すると、ミツは一切手を動かしていないというのにガタガタと扉が震え始めた。急に起こった超常現象に、アキラはキュウを抱き締めて一歩後ずさる。暫くすると扉の震えは止まって、ミツは満足したように頷いて扉から離れた。


「よし、入るぞ」

「入る……って、この中にですか!?」

「もちろん」


 一歩でも中に踏み込めば、床を踏み抜いてしまいそうな小屋に今から入るのか、というアキラにミツは何ともないように頷く。がらり、と開かれた扉の中にはぼろぼろな部屋が……というわけもなく、どうしてかきちんと整えられた綺麗な部屋がそこにはあった。想像とあまりにも違いその部屋の姿に度肝を抜かれ、アキラは小屋の外観と部屋の内装を何度も繰り返し見る。しかし、どれだけ見ても変わらず、己の目がおかしくなったのではと不安になってきた頃には、ミツはすっかりその部屋の中で寛いでいた。


「一回扉を閉めて、もう一度開けてみな」


 困惑するアキラの様子を面白そうに観察していたミツはそう告げる。何か変わるのか、と言われた通り扉をそぅっと閉め、再び開ける。


「え、」


 さっきまで通ってきた道は、石畳であったはずだ。沈丁特有の、石灯籠も寂れた姿でひっそりと存在していたはずだ。だ、というのに。今アキラの目の前にあるのは、見慣れたレンガ造りの地面。一度外に出て小屋の外観を見てみると、まるで先まで見ていた小屋が幻であったかのように、魔法世界特有の、よくある家の形に変わってしまっていた。


「沈丁ってのは魔力有りの人間の眼から隠れるように作られている。だから移動もあんなしち面倒なやり方になってんだよ。実は沈丁に行く手筈はあちこちに散らばってるんだぜ? 普通の人間には見えねェけどな」

「霊力を流せば扉を介して移動手段になるんですか?」

「凄いじゃないか、よく分かったな」


 ミツはそうアキラを褒めながら、膝までの高さしかない机の上に皿を置き、その上に円盤の形をした茶色のお菓子──煎餅という──を据える。何をしているのだろうか、とアキラが見つめているとどうやら準備が終わったようで、ミツが問うてきた。


「沈丁に来る間に、妖怪の成り損ないは見たか?」

「見てないです。いるってことは聞いてたんですけど……」

「なるほどなァ。耐性が高すぎるのもまた不便ってわけか」

「此奴の周りには並大抵の妖怪は寄って来ぬ」


 納得した様子のミツと、何やらを知っているようなキュウが話しているが、どうやらアキラの体質の話をしているらしい。首を傾げていると、キュウが腕の中から飛び降りて部屋の中を徘徊し始めた。


「お前に妖力の耐性があるってのはあちらさんにも分かるわけだ。それに、近くに大妖怪である九尾もいるだろ? そりゃあ妖怪も寄ってこねェし、チャンネルを合わせる必要も無かったってわけだ」


 そう告げるミツに手招きされ、アキラはミツのすぐ横に置かれた座布団の上に腰を下ろす。陶器のように白い肌をした手がアキラの手を掬い、手を柔く繋ぐ。綺麗な顔をした女性に手を繋がれる経験なんて全くないアキラは、驚いてミツの瞳を見上げた。初雪が如く白い睫毛によって影を落とされた色素の薄い瞳が、アキラを射抜く。


「目をつむって」


 慌てて瞳を閉じる。瞳を閉じたことによって感覚がもっと強くなり、繋がれている手からどちらのものかもわからぬ脈拍が伝わって来た。


「霊力を流す。身体を廻る感覚をしっかり覚えろ」


 どうしてか言葉を放ってはいけない感じがして、アキラはこくりと頷いた。繋がっている手にじィ、と集中すると脈拍と共に伴って何かじんわりと温かいものが伝って、心臓に向かってぐんぐんと温かさが募っていく感覚が積もる。どくり、どくり。大袈裟なまでに心臓が鼓動を奏で、息が詰まるように脳がぼんやりと思考をすることを放棄し始める。


き止めようとするな、身体全体に流せ」

「呼吸だと思え、手足から順に流れるように」


 ミツの落ち着いた声を聞きながら、心臓に溜まった温かなものを右手、左手、右足、左足と辿らせるように意識しながら深呼吸をする。暫く深呼吸を繰り返していると、脈拍が段々と正常なものに戻っていき、ぼぅっとしていた思考の霧も風の吹き通るように冴えていく。最後に深く息を吐くと、ミツの手が解かれてアキラの身体の中で霊力の流れがゆっくりとしたものに変わった。


「上出来だ」

「あ、りがとう、ございます……」


 何度か咳が喉からこぼれ落ちる。すでに満身創痍にも近いアキラの様子に機嫌の良さそうな表情を載せて、ミツは式神に淹れさせておいた茶を煎餅の乗った皿の横に置いた。


「よく出来たな、下手すりゃ霊力が溢れて心臓が破れる荒技だったが、流石アイツの見込んだ才能だ」

「荒技すぎませんか!?」

「危なかったら私がどうにかするつもりだったからな。不安要素は一欠片もねェよ」


 ケラケラと笑うミツに、アキラは安堵の息を思いっきり吐く。かなりの荒技だったが、確かにアキラの身体の中には霊力が巡っている感覚がした。今まで潜在の中にあった霊力が無理矢理に引き摺り出されたのだろう。疲労感はすごいが、どこか達成感があった。


「ほら、来たぞ」


 アキラが手足の温かさに慣れようとしていると、ミツが二人の座っている向かいを指差す。何が来たのか、と思って顔を上げると、向かいの誰も座っていなかった座布団の上に、ちょこりと着物を身に纏ったきちりと揃えられた黒髪の少女が座っていた。


「お久しぶりね、ミツ」

「おう、久しぶりだな」

「貴女が此処に来るなんて珍しい。そちらの方が関係しているの?」

「まァな。新人だ、よろしくやってくれ」


 ミツにぽんっ、と背中を押されてアキラは慌てて頭を下げる。


「アキラ、です。初めまして」

「えぇ、私とは初めましてね。私は座敷童子ざしきわらしというの」


 名前ではない、何かの総称のような呼び名に首を傾げる。座敷童子と名乗った少女は、見た目の割に大人びた顔をして、湯呑みに入ったお茶を飲んでいた。

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