陰陽師の棲まう國──沈丁


 ふ、と引き摺られるようにして意識が浮上する。まだ瞳の裏が眩しく、チカチカしているような感覚があって、ごしごしと目を擦りながらアキラは目を開いた。


「ようこそ。陰陽師の棲まう国、沈丁へ」


 どこか仰々しい仕草で、ハルがアキラの方を振り向いて軽く一礼をする。ふわり、と小さく舞った風によってサクラのあしらわれた羽織が浮かび、ゆっくりと元の形へと戻る。先までいた国では、到底浮くようなハルの羽織も、沈丁ではまるで普遍的な衣服へと早変わりする。アキラの住んでいた国ではレンガ造りの家が当たり前であったのだが、沈丁ではレンガ造りの家なんていうものは一つもない。石畳の道に、道沿いに立つのは蝋燭によって火の灯された石灯籠。空中に箒で飛んでいる人も見受けられず、使い魔がふよふよと飛んで店売りをしている様子も一切ない。そう、まるで、魔法なんてもの最初から存在しないような、そんな国。

 魔法のない世界、そんな初めての出会いに圧倒されてしまって声も出ないアキラに、ハルはくすりと笑って再び前を歩き始める。


「随分とまァ、小さいが。居心地は保証できる」

「……ほんとに、本当に、魔法がないんですね」


 感動した様子の、キラキラとまるで子供のように瞳を輝かせるアキラに頷いて、ハルは己の周りを飛ぶ式神を懐にしまう。先まで後ろを歩いていたキュウも、この国に危険という危険は存在しないと判断したのだろうか、アキラの腕の中にひょいと戻ってきた。


「やはり変化のないことだ、この国は」

「来たことあるのか?」

「……前に少し、であるが」


 言いにくそうにそれだけ告げて閉口する。何か言いたくないことでも過去あったのだろうか。不機嫌そうに尻尾が下を向いて揺れている。アキラがくるりと辺りを見渡すと、どうやら目立っているようで、木製の柵で囲われた窓から何人かが顔を出しているのが見える。じぃと観察されているように思えて緊張してしまったアキラは、懐に戻ってきた温もりを抱き締めた。


「視線は気にするな。皆、新しい人間が珍しいだけだ」

「新しい人間?」

「あぁ。この国に最後に来た人間は、確か……四百年前であったか」

「四百!?」


 あまりに規格外な数字にアキラは驚き、大きな声を放ってしまう。四百、四百年とは下手をしたら一つの国が一つの歴史を作ってしまうことが出来るような長い年数の筈である。だ、というのに。まるで当然かのように語られる数字に、陰陽師という存在の不可思議さを感じ取ってしまい、アキラはただただ驚くことしかできなかった。


「四百年は、随分早い方だ。魔法が発展していく度に、陰陽師の才能を持った人間は生まれにくくなる……お前のような妖怪が出てこない限り、死人は出ないために構わんのだが」


 ちら、とキュウを見遣ってハルは告げる。千年もの間が空いてもおかしくないらしい。だからこそ、少し──否、かなり強引にハルはアキラをこの国に連れてきたのだろう。魔法という常識に囚われて、その陰陽師としての才能が潰れてしまわないように。


「は、弱いのが悪いのであろ。二千と少しを生きておる爺だというのに、世の条理すら知らぬのか」


 侮るような笑みを浮かべてキュウは言い捨てる。世の条理、だとか弱いのが悪い、だとか。そんな言葉なんて一切気にならない程に、キュウの告げた新たな事実がアキラを射抜いた。


「二、千……!?」


 先程から、数字を叫んでばかりいる気がする。けれど、確かに聞き間違いでないのならば。キュウはハルを二千年以上生きている爺だと、そう称したのだ。


「陰陽師としての才能に、確と目覚めてしまえば寿命という概念が無くなる。俺は確かに古参ではあるが、数百歳なんてザラだ。妖怪に寿命云々があるかは測りかねるが、そこな狐も俺以上に生きている」

「不老不死になる……ってこと、ですか?」

「不老というのは言い得て妙だな。陰陽師として最盛期の肉体から変化はなくなる。あっても、髪が伸び、爪が伸びるくらいだ。しかし、不死というのは違う。ただ寿命の概念が無くなるのみで、殺されれば死ぬ」


 もしかしたら、とんでもない存在と対話しているのかもしれない、だなんて自分を棚に上げてアキラは絶句する。寿命が無いだなんて、そんな魔法の根源にも触れるような存在、今目の前に居なければ眉唾物まゆつばものだと吐いて捨てていただろう。魔法世界では、寿命の研究というのは禁術として制限されている。他人でも、己でも、人間の身体を使うなどという研究は非人道的であると政府が禁じているのだ。


「驚いているようだが、お前もやがてそうなる」

「あ……」

「素質があるのに加え、至近距離でそこな狐の妖力に充てられたのだ。身体の性質が、陰陽師に敵するものに変化しかかっている」

「妖力?」

「……説明していなかったか。妖力というのは妖怪の持つ力。また、それに対抗できるのは陰陽師の持つ霊力のみ」


 ハルは、懐から別の式神を取り出して息を吹き掛ける。すると、式神は一人でに動き出してふより、ふよりとアキラの周りを舞い始めた。


「霊力は攻撃の手段にも成り得るが、こうして物に命を与えることも可能」

「魔法で言う、魔力のようなものって思ってもいいんですか?」

「取り敢えず今はな。あと、魔力と霊力は、同じヒトの中で共存しないことだけ覚えておくといい」

「共存しない……とは?」

「既に魔力の宿っている身体に、霊力というものは宿らない。また、逆も然り」

「あ、だから魔力無しのヒトに陰陽師の素質があるんですか?」

「その通りだ。及第点をやろう」


 新たなことを学ぶということは楽しい。いつの間にか、さっきまで気になっていた視線の数々も意識の中から消えてしまって、ハルの話に聴き入っていた。


「陰陽師については……マ、後で嫌になる程説明を受けることになるだろう」


 話を無理矢理に区切ったハル後ろを、まるでカルガモの子のように着いていく。ハルがどこに向かっているのかは分からなかったが、今までの自分とは違う自分になれるようなそんなワクワクするようなところであるのは確かであった。

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