第4話 アンラッキーを主張する菜々

 「アンラッキーだったよ」

とボケ菜々ななはぼやく。

 泣くのはもう済ませたらしい。

 妹の梨々りりによると、その赤点のテストが返って来るたびにぼろぼろと涙を流し、家で悲嘆ひたんに暮れていたという。

 「地理と日本史で、地理のほうが難しいなんて、ふつう思わないじゃない?」

 何を根拠に!

 日本史も地理も、暗記量も多ければ思考力も問われる科目じゃないか。

 ボケ菜々のぼやきは続く。

 「英語なんか、五課まではしっかり勉強してたのに、勉強してない六課と七課からいっぱい出るしさ」

 菜々とはコースが違うのでよくわからないけど、後ろのほうが難しいんだから、ここは、そっちのほうが重点的にテストされると考えるべきところだ。

 要するに。

 平たく言えば「ヤマがはずれた」のだ。

 しかし。

 ヤマがはずれてもある程度の点数は取れろ、と思うし。

 ボケ菜々のことなので、おそらく「ヤマの張りかた」に多大な問題があったのだ。

 それを「アンラッキー」などと言えば、ラッキーの神様が怒る。

 くわばらくわばら、と、ボケ菜々のかわりに唱えておいてあげよう。

 でも、それは言わずに、わたしは、梨々からの情報を活用して、

「それで」

と言う。

 「楽器演奏禁止令が出たんだって?」

 親から、部活はやめるように、少なくとも赤点から回復するまで中断するように、と厳しく言われたらしい。

 補習七科目になれば、それはあたりまえのことだと思う。

 でも、菜々は、それでひと晩泣き通し、翌日、顔も洗わない髪もとかさないというぼろぼろの姿で登校し、さらにぼろぼろになって帰宅し、帰宅してまた泣いた。それが親に対してある種のストライキの効果を持ったらしい。

 「期末はがんばる。期末では絶対に平均点以上の上位に入る点数を取る、って、約束して。梨々も応援してくれて、それで、禁止は中止になった」

 「禁止は中止」というのも、ボケ菜々的なへんな表現だ。

 で。

 その出来のいい妹梨々自身の説明によると。

 「応援」というより、激怒する両親に向かって、姉が小学校の体育で平均台から必ず落ちていた話、ドッジボールではいつも最初に当てられて外で泣いていた話、一輪車に乗ろうとして必ずひっくり返っていた話、ふた桁の足し算二十問解くのに一時間以上かかった話などを援用し、姉は、だれに何を言われても、その都度、克服できないと思われていた困難を克服してきた、と説得したのだ。

 たぶん、泣くばっかりで自分では何の説得もしなかった姉にかわって。

 でも。

 わたしは悲観的にならざるを得ない。

 なぜなら、その梨々という妹からの情報によると

「でも、期末でも点数が平均を下回ったら、部活は辞める、って約束したんでしょ?」

 しかし。

 ボケ菜々はとてもさばさばとした表情で言った。

 「そのときはそのとき」

 そして、あの判断力を奪う微笑で、わたしを見る。

 「親に、もう一回延ばして、って言えばいいんだよ」

 つまり、次は「二学期の中間では平均以上の点数を取るから」で嘆願たんがんするつもりだろう。

 そんなのが通用すると思っているのが、甘い。

 決定的に、甘い。

 そして、菜々は笑顔で得意げにわたしに言った。

 「だいたい、期末までそんなアンラッキーが続くわけないよ」

 その決定的な甘さのにじみ出たいい笑顔で言った!

 わたしはボケ菜々に対してツッコミたい。

 続くわけあるわ!

 ボケ菜々の「アンラッキー」判定に問題があるのだ。

 自分の見込み違い努力不足すべて含めて、ボケ菜々は「アンラッキー」と言っている。

 そうであるかぎり、見込み違い努力不足のせめて半分くらいはなくならないかぎり、アンラッキーは消えない。

 でも、わたしは、それを冷厳に指摘することはせず、

「ま、期末はがんばりなよ」

と言うだけにとどめた。

 その決定的に甘い笑顔をもう少し見ていたかったから。

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