第5章 ニライカナイ(中編)

**1幕**


「わたしは、貴方だよ」


 目の前の女性の言葉に、わたしは顔をしかめた。


「意味がわかりません」


 当然だ。わたしは、1人しかいない。

 同じ顔をしているからといって、同意するつもりはない。


「もう一度聞きます。貴方はどこのどなたですか?」


 女性は、ふふふ、とわたしの言葉を一笑した。そのタイミングでわたしたちの様子に気づいたスノウちゃんが割って入ってきた。


「さち様、下がってください」

「驚かせるつもりも警戒させるつもりもなかったけど、そうだよね。突然話しかけられたら、警戒するか。うん、素直に謝るね。ごめんなさい」


 拍子抜けするほどあっさりと謝罪された。


「お姉さんの目的は、何ですかー?」


 静観していた歌絵が声をかけた。

 いつものゆったりした口調の中に相手を計ろうとする意思を感じる。


「私は、今の状況を変えたいと思っているだけだよ。当事者である貴方だけが知らない不公平と、現実を知ったときどうなるのかの興味も含めてね」

「今の状況?」

「ええ、貴方は疑問に思ったことはない?あまりに音沙汰が無さすぎる母親の存在に」

「……それはまあ、でも、そんなものかと」

「はは、達観しすぎだよ。仮にも余命が近い娘を普通は、放っておかないでしょ」

「そんなこと言われても、現実にそういう親がいるわけだし…。今更、そんな一般論を言われても、ムカつくだけだよ」


 そもそも、他人に言われたくはない。

 私が明らかな敵意を女性に向けると怯えた顔をして、びくりと身体を震わせた。


「べ、別に貴方を怒らせたいわけじゃないんだよ。ちょっと、ミステリアスな雰囲気をだそうとしただけだもん……」


 なにやら、目の前で肩をおとすどころが地に手をつけて落ち込み始めた。ちょっと可哀想に思えて、私も腰を落として声をかけた。


「えっと…、こちらこそ警戒心一杯で対応してごめんなさい。わたしも貴方を探していたので、話を聞かせていただけると嬉しいです」


 わたしの声がけに女性はガバッと顔をあげて、


「ほんと!私が教えられることは話してあげる。私も貴方と話したかったからね」

「それですよ、わたしのこと知っていたんですか?」

「勿論、待ってたよ」


 わからないことだらけだけど、まずは話を聞かないと始まらなさそうだ。


「分かりました、でも、ひとつだけお願いがあります」

「なに?」

「ここにいる全員で話を聞きに行ってもいいですか?」

「んー、わかった、いいよ。でも、話は私と一対一で聞いてから自分から話した方がいいと思う」

「どうして?」

「全てを伝えるべきか選べるから。選べる自由は、持っておいたほうが無難だよ」

「いや、みんなにも聞いてもらいたいんだ」

「君がそういうのなら任せるよ」


 女性は小さくため息をついた。話がまとまったので後ろを振り返り、みんなの方を向いた。


「ごめん、勝手に話をまとめちゃった。コウさんと歌絵も良かったら付いてきて欲しい」


 みんな初めからそのつもりだったのか、そこまで表情に変化はなく、頷いてくれた。


「さち、勿論付いて行きますよ」

「乗りかかった船だし、私も一緒にいくわ」

「2人ともありがとう」

「私には聞いてくれないのですね」


 どこか、むっとした声でスノウちゃんが横から声をあげた。


「ごめんね、スノウちゃんは付いてきてくれると思ってたから」

「勿論ついていきますが、それとこれとは別です」

「そうだね、スノウちゃんも付いてきてね」

「はい、どこまでも」


 当然と言わんばかりの言葉と態度に、心が温かくなって笑ってしまった。


「きみは眩しいね……」


 ボソリと呟くように女性が発したその言葉がさちの耳に届くことはなかった。


****


 そうして、5人で訪れたのが娯楽エリアから居住エリアへ向かう扉の前だった。

 そこは扉とは名ばかりに、ただ長い水路が続いているだけの場所。


 女性が徐ろに前に立つと、手を伸ばした。

 すると、空に手があたり5本の指と手のひらが光り、何か認証しているような様子が見られた。

 少し待っていると、目の前に扉ほどのサイズの水が競り上がった。


 女性が入るよ、言うと先導しようとした。

 そのタイミングで、『あ、そうだ』と口にした。


「私は、アイ、『新井 愛』よろしくね」


 それだけ口にして中に入って行った。

 わたしは愛を信じて、その背中を追いかけて水の中へ入っていった。


****


 水の扉の中は思ったよりすぐに終わった。

 水とは言っても見た目だけで濡れることはなかったので、映像だけのカモフラージュになっていたみたいだ。


 水を抜けた先には、別世界が広がっていた。


 これまでの煉瓦造りの家とは異なり、日本の住宅地のようにシンプルな作りの2階建住宅が立ち並んでいる。


 まるで現実世界のような光景に呆気にとられた。

 住宅が碁盤の目のように綺麗に並んでいるのは、あたかも日本の一般的な住宅街のそれだった。現実と違う点としては、家同士の距離が少し離れていて道路が広いところだ。


「ここにどのくらいの人が住んでいるんですか?」

「どうかな、正確な人数とか聞いたことはないけど、町レベルで人の交流があるくらいはいると思うよ」

「そうなんですね、ちなみに公園とかもあるんですか?」

「うん、どこかにあるはずだよ」

「そう、ですか」

「さち様?」


 スノウちゃんがわたしの様子がおかしいと思ったのか声をかけてきた。


「わたし、ここに来たことがあるような気がして。既視感があるの」

「その理由も思い出せるかもしれないよ。こっちが私の家だから来て」


 愛さんが自身のモニターを叩くと、リムジン

が現れた。中は、広々としていてシートも柔らかい。


 運転席はなく、わたしたちが乗ったところで自動でドアが閉まり、出発した。


「私が到着場所を指定すると、勝手に移動してくれるの」

「居住エリアでは、車も使えるんですね」

「車だけじゃないよ、希望したら人力車とかも乗れる」

「凄いけど、その気持ちはよく分からないです」


 苦笑する愛さんを横目に外を眺めていると、確かに多様な乗り物に乗った人が見える。


 ここは別世界だと改めて感じて、既視感を覚える自分に不安を覚えてきた。


「さて、ここにいるみんなは、全員居住エリアへ来たのが初めてと考えていいですよね?」


 愛さんの言葉に全員が首を縦に振った。


「じゃあ、いくつかの注意点と禁止事項を伝えておくね。破ると即退場の上、2度と足を踏み入れられないから気をつけて」


 それほど重たい罰が課せられる程の注意点とはなんだろう。


「まず大前提として、ここに暮らしている人の3分の1は生きている人間ではなく、クローンアバターまたは擬似アバターって呼ばれている AIとして作られた人格なの」

「クローンアバターって、本人の人格をコピーした知能を持たないアバターのことじゃないの?」

「一般的に流通している技術で作られたものはそうだよ。ただ、ここで使われている技術は外に出されていない。ある1人の天才によって生み出されて制限なく人格を生み出す技術によって作られた生きたAIと共存している世界。それがここ、ニライカナイだよ」

「1人の天才?」

「橘 コウ。VIWを作った開発者の1人で実質的な責任者であり、君の母親だよ」

「え?お母さんってそんなことしてた人なの?」

「知らなかったの?」

「うん、母さんと家でそんな話したことなかったし、離婚して会えなくなったし」

「言えなかった理由があったのかもね。とはいえ、そんな君の母親のお陰でこの世界は成り立ってるわけだけど、クローンアバターはその中でも際立って異質と言える技術なんだ。それは、ある特定の人の仮想空間内での発言、行動、表情をもとに感情まで予想再現し、その人の未来まで含めて創造することが可能になった」

「そんな大発明をどうして、公開しないの?」

「それは、やりたいことがあったからじゃないかな」

「やりたいこと?」

「あまり突っ込まないで。私も詳しくはないから。細かい話しはついてから別の人がしてくれるけど、このエリアにいる人、クローンアバターは誰かの亡くなった家族や恋人が多いわ」

「それが死者を生き返らせる研究ってことですか?」

「内容だけ聞くとそういうことになるんじゃないかな」


 母さんはどうして、そんな研究をしていたのだろう。答えは出なかった。


「クローンアバターは、自分が作られた人間だと知らない。だから、決してそのことを口にすることは許されない。これが大きなルール。ここで暮らす人がタブーとしていることだから、全員これを守ってね。クローンアバターの思考には一定の制限が設けられてるから、自分から気づくことはないけど、知ってしまったら存在自体を消去されるから」


 勿論、破るつもりはないので全員に視線を送って、みんな頷いた。


「よろしくね。あと、細かい注意点が2つ。1つ、勝手に私の家以外を動き回らないで。2つ、元の娯楽エリアに戻る時はもう一度同じ場所から戻る必要があるからこれも私に声をかけて。じゃあ、そろそろ着くから降りようか」


 ある家の目の前で車が止まった。

 そこは二階建ての真っ白な壁で作られたガラスなどがなくて中の様子が窺えないまるで外界との交流を閉ざすことを目的としたような家だった。


 特に周りには、他の住宅の姿はなく少し離れた郊外に作られていることがわかる。


 ただ、庭には家庭菜園が育てられて、カボチャやさつまいも、人参などが植えられていて家庭的な雰囲気も感じられる。


「話しは通してあるからみんな正面から入っていいよ」


 愛がそう告げると、自動で正面玄関のドアが開いた。わたしたちは揃って中に入ると、また自動的にドアが閉まった。


 中に入ると、玄関先は開けて吹き抜けになっている。靴を脱ぐ場所もなく、そのまま中に入っていいようだ。


「全く、こんな大人数の来客連れてきて…。歓迎するだけの準備もする気もないぞ」


 そう言って、目の前の奥の部屋から1人の男性が姿を現した。眼鏡に腰まである長い黒髪に白衣を身にまとい、目の下にクマを作っている。


「ああ、お前はさちか。それなら、相手をする気も起きるかもな」

「わたしのことを知っているんですか?」

「覚えていないか。俺は、アライ。VIWをお前の母親と作った1人だ」

「そうなんですね、実はこれまでにこの世界で会った方も含めてどこかで会ったことがある気がしていて…」

「…それはこの後話してやる。お前は自分の母親が何をしているのか知っているのか?」

「いえ、知りません」

「面倒臭いが話してやるよ。このワールドが生まれた成り立ちと俺たちの関係を、っておいそこにいるのはコウじゃないのか?」


 アライさんが指を指した先にはコウさんがいた。

 みんながコウさんに視線が向かう中で、困ったような顔をしたコウさんは、

「私は、5年前より以前の記憶がないんですよ。知能という点では、全てを忘れているわけじゃないんですが純粋に過去の記録がすっぽり抜けている感じです」


 加えて、「あと、指を指すのは失礼です」と、人差し指を立てて指摘した。


「ふん、ということは、自分が何者なのかも理解していないということか。ただ、コウと名前がついていることは無関係ではないと思うけどな。了解した、じゃあ、改めて教えてやるよ。ニライカナイとお前の母親について」

「お願いします」


 わたしたちは、アライさんに促されるまま、客間に通された。

 そこには高そうな調度品や時計、絵画などが飾られていて、長方形の分厚いガラステーブルを挟んで茶色と黄色を基調とした美しい柄の生地のソファが設置されている。


 未来を見た時に、見えた部屋に近い気がする。


 こちらの人数が多いため、正面のソファにアライさん、愛さん、コウさん、こちらにわたしとスノウちゃんと歌絵が座った。

 わたしたちの前にお茶がコースターに乗って置かれた。


「遡るのは、15年前からか。さち、お前が生まれた年だ。コウ、俺、ウッド、ハルカ、カナタ、カイ、そして、」


「シスター」


その名前が出た時、わたしの中で何かが繋がって行くのを感じる。


「この7人がVIWの開発メンバーだった」


 ごくりと生唾を飲んだ。

 緊張しているんだ。

 まだ、序盤なのにドキドキしてきた。


 わたしは、アライさんに視線を合わせて次の言葉に耳を傾けた。


 **第2幕**

2035年1月10日


「こらアライくん!どこに行くの!」


 スピーカーから、女性の声が鳴り響いた。

 そこは、さまざまなPCや測定用の機械やヘッドギアが並んだ研究室の様相をした部屋だった。中央にMRIのような大きな機械が2台あり、片方にだけ女性が横になっている。大型モニターに先ほど、大声で叫んだ女性のピンクの髪にラフな格好をしたアバターが写っており、怒りで眉間に皺が酔っている。アライと呼ばれた男性の姿は、ドアを開けてまさに部屋から出るところだった。


「どこでもいいだろ」


 その一言を残して部屋を立ち去った後、モニター内の女性が地団駄を踏んでいる。そんな女性を監視していた別の女性から声がかかった。


「カナタ落ち着いてください。キャラクターの表情がすごいことになってます」

「あ、ごめーん、ハルカ」


 怒りをあらわにしていたカナタという女性とハルカと呼ばれた女性は、瓜二つで髪の色だけが赤とピンクでわかりやすい違いだった。謝罪をしたカナタは、我に返り、周りを見渡した。


「で、アライさんが離席してどっかに行っちゃった感じ?」

「そうなの!信じられない」


 また、カナタの怒りが少し再燃し頬を膨らませて感情を露わにしている。その様子を見ていたもう1人の監視者である男性からも声がかかった。


「ちょうど、怒りを再現するテストにもなったな。良かった良かった」

「カイさん!ちっとも、良くないです!きー」


 カイと呼ばれた良い男性は、紺色の幾何学模様の着物を見に纏い、髪を後ろに1本で束ねて年上然とした落ち着いた風貌をしている。


「アライはこの時間、味噌汁休憩って決めてるみたいだからな。行かせてやれよ」

「カイさんはアライくんに甘すぎます」


 動作テストを引き続き行いながら、カナタは手足を動かし続けた。


「まあまあ、そうカリカリしなさんな。支援者も順調に増えてるし、後7年もあれば完成だよ」

「流石カイさん!」

「いや、みんなの努力あっての結果だ。あとは、今の時代にコウくんがいたことが大きいな」

「そういえば、コウさんどこ行ったの?」


 カナタがそこにいるメンバーの誰にともなく口にした言葉にカイが反応した。


「あの人は病院だよ」

「え、コウさんが病気!?」

「お前さん、あの人を怪獣かなんかだと思ってないか」

「だってー、あの人が体調悪くしたところ見たことありませんよ!」

「それには同意だけどな。だからじゃないけど、病気じゃないよ」

「え、それじゃ」

「おめでただよ」

「ええええー」


 カナタの叫び声が響き渡り、そこにいたものは一様に耳を塞いだ。


「カナター、うるさい」

「だって、コウさんって研究以外全然興味なさそうだし」

「そう言っても、7歳のみゆきちゃんもいるし、やることはやってるんだろ」

「カイさん、セクハラです」

「この程度もダメなのか・・・。ハルカちゃんは、厳しいなぁ」


 そんなやり取りをしながら、ハルカは自然と笑顔になっていた。


 ハルカ、カナタ、カイ、コウ、アライ。

 この時点では、まだ5人とその支援者が進めていたプロジェクト。


 VIWは、少しずつ形を成していった。


**2035年9月15日**


「みんな、コウさんの子供無事に産まれたらしいよ」


 ワァ、と研究室が歓喜に沸いた。


「いやあ、出産予定日の1週間前になっても研究室に通いつめるのを止めるのが大変だったな」

「あの人、本当に研究の鬼だよ…」


 一様に言葉が出るのは、コウをなんとか病院へ行かせて無事に出産させることができた自分たちへの賛美と安堵の言葉だった。


「あー、そして、コウさんがすぐ復帰するみたいだから赤ちゃんの面倒をみんなでみます」

「「マジ、、、」」


 みんなの声が重なった瞬間だった。

 その声に合わせたように、


「だいじょーぶ、だいじょーぶ!」


 バン!と、扉を開けてコウが姿を現した。


「何がっすか?」


 アライが冷静に質問した。


「うちの子はほとんど泣かないから、邪魔にはならないよ!さー、みんな研究だー!」

「答えになってないし、どうしてあんたはそんなに元気なんっすか」


 アライが化け物を見るような視線をコウに向けた。


「研究こそ人生でしょ。楽しもうぜ、若人」

「あんたもそんなに年上じゃないだろ」

「細かいことは気にすんな」


 ははは、と笑うコウの姿を面倒くさそうな顔をしながらも相手をするアライはどこか楽しそうにも見えた。


「で、子どもはどこにいるんですか?」


 ハルカが不思議そうに声をかけた。


「ああ、私じゃなくて…」

「母さん、さちが泣いてる」


 まさにコウが喋り始めたタイミングで、入り口を開けた人物から声がかかった。赤子を抱き抱えた女の子がそこに立っていた。

 女の子は、赤い髪を無造作に後頭部で1本にむすんでいた。

 黒のTシャツに赤いジャケットを羽織った女の子は、身長が140cm近くあり、むすっとした表情から小学校高学年にも見える。


「お、みゆき悪いね」

「生後1日の子どもを置いていかないでよ」

「みゆきがいれば、大丈夫でしょ」

「全幅の信頼を7歳児に置かないで欲しいのだけど…、大人に力では勝てないんだからね」

「大丈夫、私も勝てん」

「そこは頑張って、お母さん」


 そこで異議申し立てをするように、さちと呼ばれた赤子が大声で泣き出した。


「おっと、さちがお怒りだ」


 ガバッと、胸を出そうとした母親をみゆきが全力で止めにかかる。

 加えて、ハルカはアライの目を両手で塞ぎ、カナタが部屋の外にコウを連れ出した。


 しばらくして、コウがお腹が膨れて寝たさちとげっそりした表情のみゆきを連れて戻ってきた。


「何はともあれ、改めて私も戻って新しい体制で再スタートだな!みんな楽しくやろう」

「それはいいけどよ、この前言ってたワールド構築と権限周りの担当者どうする?」


 アライが言っているのは、VIWのワールド構築にあたっての土台の設計基礎や設定、どのような権限が必要でどのように振り分けるかなどを管理する担当者の話だ。これまでは、既存に存在する仮想空間の基礎テンプレートを使用してテストを行ってきたが、1から作り直す必要があるため、その話題を上げていた。


「それなら、もう連れてきてるぞ」

「は?」

「ほら、ここに」


 ぽんぽんとみゆきの肩を叩いた。肩を叩かれたみゆきは表情を、『むすっとした』から『イラっとした』へ変化させた。

 表情から察するに聞かされていなかったのだろうとカイはみゆきに同情した。何度もカイも経験済みだった。


「母さん、説明もとむ」

「頑張れ!」

「コウさん、その子7歳じゃなかった?」


 カイが念の為に確認として、年齢確認をした。


「そうだよ、オンライン学校だから小学校はここからでも通えるさ」

「いや、問題はそこじゃなくて…、そこも問題だけど」

「そもそも、システム開発、研究がそのチンチクリンにできるのかって話だよ!」


 アライにチンチクリンと呼ばれて、みゆきは眉毛をぴくりと上げた。

 それに対して、コウがみゆきの前に手を伸ばして静止した。


「この子はすでに高校生で学習する範囲は終えてるから、必要な勉強は私がマンツーマンでついて教えるよ。あとは、自分でなんとかするだろ」

「は?」


 アライが息を呑んだ。

 みゆきが優秀であることは、耳にしていたがそこまでとは思っていなかった。


「とりあえず、まだ時間もある。みんながみゆきに力不足を感じたら、私に言ってくれて構わないからそれからでいいだろ」


 そう言われてしまっては、総責任者であるコウに対して文句を言えるものはいない。自然と無言で同意する形となった。


「みゆきちゃん、これからよろしくね」


 カナタがみゆきに手を伸ばして握手を求めた。

 みゆきもそれに応じると、頭を下げた。


「それじゃあ、みゆきちゃんはなんて呼んだらいいかな?」


 みゆきが首を捻った。


「ここでは、仲間同士を呼ぶときの名前をそれぞれ決めてるんだ。大体は、名前だけどね。アライのように苗字で呼んで欲しい場合もあるし」


 話を振られたアライが首をそっぽを向けた。

 数秒の検討の後、みゆきは口を開いた。


「シスター、でお願いします」

「お、自分の名前と全く違うのきたね。どうして?」

「私は姉だから」


 なるほど、とカイは納得した。

 コウ、カイ、アライ、ハルカ、カナタ、シスター。


 これで6人が揃った。

 このとき、数秒で決めた名前を長く使うことになることをみゆきは、このときまだ、知らなかった。


**2037年12月31日**


「お、日が落ちてきたぞ。時間経過による天候、背景の変化もバッチリだな」

「あのー」

「ん?」


 何を気にしない様子のカイにハルカが声をかけた。


「どうして、私たちは年末まで開発してるんでしょう」

「そりゃ、総責任者があれだからだろ」


 指差した先には、笑顔でヘッドギアを被り、VIWの開発に没頭するコウの姿があった。現在は、AIによるサポートと音声認識、視線誘導による入力まで可能なため、手をほとんど使わずとも開発を行うことが可能となっている。コウの場合は、空いた手も含めて6画面同時操作も行なっている。


「無理してこなくても、いいんだぞ」

「あ、いえ、それは…」

「そんなに嫌なら、帰れ」


 2人の話にアライが後ろから割って入った。

 目にクマを作ってアライは、キツそうにしている。


「べ、別に嫌なんて言ってないでしょ!あんたこそ、何よその目のクマ。寝てないんじゃないの!」

「は、どうでもいいわ。お前には関係ないだろ」

「関係大有りよ、あんたのところでミスがあったら私の作業が増えるかもしれないでしょ」

「そんなチンケなミスするかよ」

「するかもしれないでしょ」


 2人の様子を見ていたカイが苦笑した。


「2人は今日くらい帰って、一緒に年越しでもしてきたらどうだ」

「「どうして、こいつ【アライ】と一緒に」」


 2人の声が重なった。

 素直じゃないハルカとハルカの気持ちに気づかないアライ。


 まだまだ、時間がかかりそうだ。

 そのとき、みゆきが3人に近寄ってきた。


「コウから、通達です。2人はうるさいから帰れだそうです」


 コウは相変わらず、ヘッドギアをつけてモニターに向かっている。

 中々、会話をする機会が作れないコウとのやりとりをこのようにみゆきを通して行うことがあった。


 ハルカとアライは、むむむと考えた後に荷物をまとめた。


「お前のせいで…」

「うるさいわね、送っていってあげるから私の車で帰るわよ」


 グイグイとアライの背中を教えて、2人は部屋を後にした。


「コウさんも周りのことを気にすることがあるんだね」

「いえ、さっきのは私の独断です。ダメでしたか?」


 その言葉にカイがぷっ、と吹き出した。


「みゆきちゃんも、強くなったね。コウさんに似てきた」

「褒め言葉として受け取ります。でも、ここではシスターです」

「ごめんごめん、2人のことを気にしてくれてありがとう」

「いえ、私は自分の研究がしたかっただけなので」


 みゆきは、そう言い残すと自席へと戻っていった。

 しばらくすると、思い出したようにさちが遊んでいる部屋へと足を運んだ。


 研究室と隣接している部屋を1つをさちのための部屋としている。

 そこには大量のおもちゃや勉強道具が置いてあり、壁には大量の落書きがされている。部屋に入ってきたみゆきの姿にパーっと表情を明るくした。


「みぅき!」


 ぎゅっと抱きついてきた妹をみゆきは優しく抱きしめた。


「1人でいい子にしてた?」

「うん、これ全部終わったよ!楽しかった!」


 さちの隣には、いくつもの算数やドリルなどがおいてある。それらは当初さちの暇つぶしのためにと誰ともなく持ってきたものだったが、気づけばさちは片っ端からそれらをこなして吸収していった。


 学習速度で言えば、みゆきを超えるかもしれない。


「いい子だね。もう少ししたら、お姉ちゃんも終わるから一緒に帰ろう」

「うん、じゃあこっちの図鑑読んで待ってるね」


 分厚い動物図鑑を手にしていた。

 その本は、開いたページの動物がホログラムで現れて見ることが出来るのでさちは特に好きな図鑑だ。


 その姿を見届けて研究室に戻ると、カイとコウが話をしていた。


「では、長時間のログインを想定して、居住可能なことを前提とした設計で進めますね」

「ああ、VIWは新しい楽園として住むことを目指す」


 それは兼ねてより母が口にしていた言葉だった。最近では、自分もそれを念頭に研究している。


「コウ」


 自分の母親とはいえ、同じ研究者としてここでは声をかける。


「はいはい、どうした?」

「そろそろ、さちと帰るけど、どうする?」

「私のことは気にするな」

「分かった」


 親子とは言え、みゆきは母に対して一緒にいたいというような感情はあまり無かった。


 でも、さちに対しては強く家族として寄り添い、共にいたいと思っている。


 みゆきは、カイに頭を下げると研究室を後にした。そして、さちがいる部屋に行くとさちの手を握り、研究施設を後にした。


 その道すがら、偶然、ハルカとアライの2人とすれ違った。バイバイ、と声をかけてくれるハルカに頭を下げて、アライが無言ですれ違うかと思ったとき、


「気ぃつかわせて悪かったな」


 声をかけられて振り返ると2人は通り過ぎた後で、その後ろ姿を追うだけとなった。


 全く、素直じゃないというか、気づいているなら言ってくれればいいのに…。


「みぅき?」


 さちが顔を覗き込んできた。


「大丈夫、いこ」


 改めて、さちの手を引いて歩き出した。


 このとき、みゆき9歳、さち2歳。

 普通とは違う生活だったけど、幸せだった日々。


 2人の苦難が始まるのは、もう少し先の話だった。


 **第3幕**

2038年4月11日


「ひゃっほー!!」


 コウが楽しそうに、バイクを爆速で乗り回している。速度は200km近く出ていて、暴れるように揺れる本体を見事に乗り回している。


 今いる場所は、後に娯楽エリアと呼ばれるようになる最も人が集まる予定の場所だ。様々な施設や山や川など、現実世界で娯楽として利用されている

オブジェクトを設置して、楽しむことに特化したエリアとなっている。


 まだ、フィールドには山や学校などの大きなオブジェクトしか設置してないので純粋に荒野のような広い広場を走り回れて気持ち良さそうだ。


「おい、その速度のバイクを乗り回せるのは今だけだからな。サービス稼働後に乗るなよ」

「おっけーおっけー」


 生返事で聞いてる気配のないコウを見ながら、ウッドはため息をついた。このバイクを本稼働後にシスターが乗り回して危険物として押収されるのはまた別の話になる。


 そんなコウを見守っているのはウッド、カイ、アライの3人だ。


「流石、完成度の高いバイクだね。助かるよ」

「カイや圭司の頼みだからな。俺も一肌脱いでやるよ」


 圭司とは、x社社長。つまり、さちやみゆきの父親のことだ。


「これで、ワールド内の移動手段は問題ないな。俺は先に戻る」

「あ、アライ!シスターに結合試験に入れるからワールドの共通設定とオブジェクトの設置を進めていいって伝えてくれるか!」


 ログアウト直前のアライにカイが、声をかけた。新井は軽く左手を左右に振って承諾すると、ログアウトボタンに触れてその場を後にした。


 研究室に意識を戻したアライは、まずは休憩に入ろうと横になっていたログイン用の機械から身体をもちあげた。ベッドと一体化した機械に横になり、頭にヘッドギアをはめてログインしている。これにより、脳だけでなく全身をスキャンしながら仮想空間へログインが可能だ。そのため、より正確に自身のコピーを仮想空間へ生み出すことが可能となっている。


 その辺りの細かい部分に関しては、専門外なので詳しくはわかっていないが、この技術だけでも特許を取れるレベルらしい。


 立ち上がったアライが、部屋を見渡すと今は誰もいなかった。

 今日はハルカとカナタが用事があって席を外していると聞いている。


 そのため、研究室にいるのはシスターだけのはずだ。

 シスターはコウに負けないほどの研究の虫で基本的にここにいることが多いはずだ。その彼女がいないということは、多分さちのところだろう。


 シスターは、さちのことを目に入れても痛くないほど可愛がっている。

 姉妹だから当たり前とも捉えられるが、その可愛がり方は母を超えていた。


 部屋を出ると、真っ先にさちのいる部屋へと向かった。

 とは言っても、歩いて10mほどでほとんど離れていない。


 ドアをノックして、中に入ると、案の定シスターの姿はそこにあった。

 2人で何やら、ゲームをして遊んでいるみたいだ。

 ファッションを変更することができるARゲームでベースとなる白いボディスーツのようなものを着ると視覚的にゲームをしながら変更することができる。


 きゃっきゃっと姉妹らしく、2人して笑顔で遊んでいる。

 アライには、心許せる家族がいなかったため、羨ましくも感じていた。


「シスター」


 声をかけづらいと感じるものもいるだろうが、アライには関係ない。特にこれは開発に関することだ。当然のように声をかけた。


「何?」


 さちの頭に軽く手を触れて、大丈夫とアピールするとシスターがこちらに冷静な表情で視線を向けた。


「結合試験に進めることになった。権限周りやオブジェクト関連の最終調整をしてくれ」

「わかった」

「みゆき、いく?」

「うん、ちょっと待っててね」

「うん」


 さちは、元気な返事をして今やっていたゲームの片付けを始めた。

 1人で続ける気はないという意味だろう。

 先に部屋の外に出ていたアライは、シスターを待ったのちに2人で移動を始めた。


「なあ」

「はい」


 アライの声かけにシスターが返事をした。

 相変わらず、妹の前以外は冷静で端的な返答をする。


「初めて会った時、チンチクリンとか言って悪かったな。今は頼りにしている」


 アライは、ずっと気にしていたわけではなかった。しかし、妹の相手をしながら大人顔負けの開発技術を見せるシスターに対して少なからず尊敬の念を抱いていた。


 そんなアライの言葉を受けたシスターは、普段は変化を見せない表情に驚きを見せた。目を見開き、口があいている。


「え、えっと、いえ、私も気にしていないので、大丈夫です。こちらこそ、いつもご迷惑をおかけして…」


 アライは普段大人顔負けに会話をする姿しか見せないから忘れかけていた。この子はまだ9歳なのだ。大人の男性に謝罪されるなんて経験は、初めてだろう。


「ちっ、悪い、そんな顔をさせるつもりはなかった。俺はお前を認めてる。そのことを伝えたかっただけだ」

「あ、ありがとうございます。こちらこそ、普段から生意気な口を聞いてすみません」

「んなことねえよ。誰もがお前のことを認めてる。胸を張れ」


 あの母親が常にそばにいるんだ。もしかしたら、シスターは自己肯定感が低いのかもしれない。アライは、シスターに対する認識を改めることにした。研究室に到着する前に、アライはシスターから離れて別の方向に歩き始めた。


「どこに行くんですか?」


 いつもよりも、柔らかい雰囲気の言葉でシスターがアライに聞いてきた。


「味噌汁休憩だよ」

「あ、はい。いってらっしゃい」


 まるで家族のような言い方で笑いかけ、手をふるシスターに軽く手を上げて振り返し後にした。アライは、幼い頃に母親に捨てられたため、家族の温もりを知らないで育った人間だ。だからこそ、家族の温もりを感じることには弱いのだ。


「くそ、もう少し、警戒心もてよな。俺みたいな人間の言葉ひとつであんな顔見せやがって」


 本人には、伝えることができない言葉を冷や水のように自分に浴びせて、少しざわつく胸を抑えた。アライにとって、家族は施設にいた友人や施設長だけだった。


 今思えば、当時1番仲の良かった同い年の女の子とシスターは似ているかもしれないと、アライは思い出していた。


 普段は表情を出さないのに、ふと拍子に見せる笑顔が印象的だった。シスターの笑顔を見せられて感傷的になったのかもしれない。


 休憩室に入ると自分の黒い柄のないカップを取り出して備え付けのサーバーへ設置して、味噌汁を選択した。


 家族は、アライにとっていわば禁句に近い言葉だったが、最近は少し変わってきた。それは、あの姉妹の姿を見ているからだろう。


 家族も悪くないのかもしれない。

 アライの口からふっと一息、ため息が溢れた。


2040年11月6日


 その日は梅雨の時期でもないのに、バケツをひっくり返したような雨が降っていた。研究室内に窓はなく防音設備が整っているため、帰り道の心配をする程度であまり気にしてはいなかった。


 3歳を超える頃には、さちは研究室に来ないで自宅で使用人と家政婦が相手をすることになった。


 自然と会うことも無くなり、あまり話題にもしなくなっていた。そんな折にその名前を耳にしたのは、さちたちの家政婦がなんとか平静を取り繕いながらコウへ電話の取次ぎを依頼する電話だった。


 用件を聞く必要があった為、そこで聞いた話では、さちが心臓の病気にかかって倒れたらしい。


 正直全然ピンとこなくて、危機感を感じなかったが、その日、緊急で集められた仮想空間での会議でことの重大さが分かった。


 集まったのは、VIWを一望できる大きな木の頂上の全面が木で作られたペントハウスのような場所だった。


 コウの遊び心で作られたその場所は、いわば秘密基地のようにワールドの地図には載せていない場所でアライたちが集まるときに利用することが多い場所だった。


 その場所に開発メンバー7人が集まっていた。話は伝わっていた為、察しがついているものは多かっただろう。メンバーが集まったことを確認したところでコウが口を開いた。


「さちが、希少疾患と呼ばれる症例の少ない原因不明の心臓病を患った。医者の見立てでは、もって10年らしい」


 結論から言ってしまうとなんと短いことだろう。たったそれだけで、さちの未来を言葉で表してしまった。


「VIWは公開まで1年を切った。すでにαテストがスタートし、認知も広がっている。完成に向かっていて、既にテスト的に新たなワールドを開発しているユーザーを現れている。自然とこのまま、本稼働に向かうだろう」


 その場にいる誰もが、コウの言葉に耳を傾け、そしてその言葉を受け入れる準備をしていた。例えば、開発チームからコウが抜けてさちの側にずっといる選択したとしても、このまま続けていけるだけの覚悟はあった。


 しかし、コウの口から出た言葉を予想を裏切るものだった。


「だが、私にはまだ開発者として母親としてやり残したことがある。ゆえにこのまま開発を続ける。開発の中でさちを助ける手段を探す」

「おいおい、本気かよ。私たちは科学者であって医者じゃないんだぞ」

「その医者が匙を投げたんだ。科学でその答えを探す。私が娘を助ける」

「具体的にどうする?」


 カイがみんなの気持ちを代弁して質問してくれている。重要なのは、どうするかだ。


「私はこれから3つの研究を進める。1つ目は、細胞レベルまで完全コピーしたアバターの作成。2つ目は、個人の思考や行動をもとに作成したアバターを未来の姿に成長させる技術。3つ目は、時間の流れとともにアバターを成長させる技術だ。研究に集中するから、取りまとめはカイにお願いしたい。研究成果は共有するから、上手く運営に活かしてくれ」

「それはいいが、そんなこと可能なのか。前代未聞だぞ」

「出来るさ、私を誰だと思っている」


 自信たっぷりの表情に誰もが魅了される。

 これまでもそうだった。コウの言葉には、それだけの力がある。


「それでその技術でどうやって、さちちゃんを救う?」

「単純だ。さちと同じ身体を持ったアバターを量産して、世界のあらゆる医療技術、薬、未来に予想されるものも含んで試す」

「待て!それは、倫理的に問題だろう。アバターとはいえ、数多の自分の娘を殺すことになるぞ」

「みなまで言う必要あるか?倫理感を守れば、さちが守れるならそうするさ」


 みんな一様に口をつくんでしまった。

 コウの覚悟は本物だった。こうなってしまったら、きっと止まらない。


「シスターにも1つ頼みがある。ニライカナイの南西に研究用のエリアを増設してくれ。内装は後で詳細は伝える」

「……分かった」


 シスターの心境も複雑なものだろう。

 あまり表情に出さない子だが、悲痛な面持ちをしている。今にも泣き出してしまいそうな表情にも見える。


「みんな、悪いな。あとは頼む」


 言葉通りその後のことを引き継いだコウは、わずか1年足らずで1つ目の研究を成功させた。


 その研究を活かして、亡くなった人をアバターで再現する事業をスタートさせた。


 さらにそこから、4年後ついに2つ目の研究を完成させた。


2045年10月20日


 アイが誕生した。

 正確には当時、まだ名づけるわけにはいかなかった為、その名で呼んではいなかった。


 さちの知識と知能を持ったその子は、あたかも自分がさちであるかのように振る舞い、行動していた。


 唯一違うのは、年齢がさちよりも10歳は年上であること。本人の記憶は、それまでの行動や思考パターンから擬似的に作られたものなので時々綻びや違和感があるみたいだが、気にはしていないようだった。


「ねー、アライさん。今日は検査の日でしょ。そろそろいこー」

「はいはい」


 アライはさち(アイ)に促されて、家から外に出た。そこはニライカナイの中にある居住区の住宅。


 さち(アイ)と管理役として任されたアライに与えられた家だった。本来であればハルカやカナタが適任なのだろう。しかし、2人はさちと仲が良かったこともあり、相手をするのが辛いと拒否した。


 自然とあまり関わりがなかったアライがやることになった。


 今日は研究エリアへ連れて行き、検査の日だ。定期的に連れて行って、経過観察をしている。


 そもそも、未来の姿のさちを作り出したのは、病気が治る可能性を確認する為らしく今はその確認をしている真っ最中だ。


 VIWはサービスが本稼働し、脚光を浴びている。カイ、ウッド、ハルカとカナタは、それぞれバタバタしており、研究エリアに行っているのはアライとシスターくらいだ。


 到着し、いつものように研究用のアバターへさち(アイ)を渡して、自分は研究室へ向かう。


 そこには、いつものように8のモニターを操り、無表情で視線と手を動かすコウがいた。


「きたぞ」

「ああ、アライ。いつもすまない」


 アライが来ると、くるりとこちらを振り返って笑顔を見せる。以前までのような研究が楽しいという雰囲気とは異なるどこか機械のような冷たい印象だった。


 普段では、この程度の会話で終わるが、今日は違った。


「被検体αロットi番のことだけど、処分することにしたよ」


 コウの言っている被検体とは、さち(アイ)のことだ。彼女は、ロット単位で毎回アルファベットの数だけアバターを生成しているため、そのような、呼び方をしている。


 そして、ここまでの実験で生き残ったのは、1人だけだ。


 飄々と笑顔で言ってのけるコウに狂気めいたものを感じる。


「おい、ようやく生き残ったアバターが生まれてその可能性を調査してたんじゃないのかよ」


 普段感情の起伏が少ないアライも看過できず声を荒げた。


「調査は終わった。だが、彼女が示した可能性は使えなかった。だから、リスクを考えて処分する。アライも助かるんじゃないか。今後、彼女と暮らすことで生まれるリスクや制約を考えれば、妥当な判断だと思うが」


 アライは、コウの目を見て気づいてしまう。

 コウの感情は、あえて彼女たち、作られたアバターを感情を持たない人形として扱うことでなんとか保とうとしているのかもしれない。


 だからこそ、彼女が下す判断も妥当なのだろう。だけど、


「ああ、お前の判断は正しいんだろうさ。でもな、お前の判断でも従えねえよ。例え生み出された命だとしても、大人の都合を子どもに押し付けて責任から逃れようとするんじゃねえよ。今のお前に言っても、分からないかもしれないけどな」


 コウは、変わらず笑顔を見せたまま何も反論もしなかった。


「じゃあな、アイツは連れて帰るよ。ここにも2度と来ない。ハルカたちにも伝えとく」


 手を振り、部屋を後にする。

 残されたコウに視線を送ったが、何も言わずにただ再びモニターに視線を戻していた。


 来た道を引き返すように廊下を歩いていると、ちょうどさち(アイ)が出てきた。


「アライさん、終わったよ!帰ろう」


 さち(アイ)が元気よく駆け寄ってきた。


「ああ」

「どうしたの?元気ないね」


 顔を覗き込むさち(アイ)の顔を見て、アライは決心を固めた。


「さち、今日大事な話がある。夜は家にいろ」

「うん、別に外に出る気もないし、大丈夫だよ」


 その日の夜、俺は全てを話した。

 号泣するさち(アイ)に謝罪して、アライは新しい名前を与えた。


 それは彼女を示すαロットi番からとって、アイ。そして、アライの名字をつけて新井 愛。


 それから、5年。

 アライは、現実と仮想空間を行き来しながら、アイと生活を共にして家族として生きていた。


****


 アライの話が一通り終わり、その場にいた全員が言葉を失っていた。


「ニライカナイは、当初から人が暮らすことを想定したような作りになっていたが、元の構想では、ここまで大掛かりになんでも設置する予定じゃなかった。さちが暮らすことを想定したのかもしれない」

「そうですか…」

「俺が知っているのは、これで全部だ。その後、コウがどうしているのかは聞いていない」

「分かりました…、その、シスターは姉なんですね」

「ああ、それは間違いない。知っているのか」

「はい、ずっと、私を助けてくれていた人です」

「過保護なアイツらしいな。お前のことを近くで見守りたかったんだろ」


 どうして、ニライカナイに近寄らせたくなかったのか。色々と分かってきた気がする。


「ありがとうございました…、情報が多くて一度整理したいと思います」

「そうだろうな、また、話したいことがあったら来るといい」

「はい…」

「すみません、言葉を挟んでもいいですか?」


 歌絵やコウさんが口をつぐむ中で、スノウちゃんだけは言葉を口にした。


「ああ、なんだ?」

「研究エリアへの行き方は、貴方ならご存知なのですか?」

「いや、以前まで使っていたやり方は中からの許可がないとダメだった。最近、カイが連絡を取ろうとしても返事がないらしいから無理だろうな」

「分かりました、他の手段を探します」


 それだけ口にすると、会話を終わらせた。自然とこの場はお開きとなり、みな部屋から出て行った。その中でアイに手を掴まれて、部屋に留まるように促された。


「座って」


 改めて、先ほどのソファに腰を下ろした。


「いままで、アライさんにも言ってなかったことが1つある。それは、私が生き残った理由。貴方が生き残る可能性。私はそれを、当時研究用のアバターから聞いたの」

「教えて…ください」


 本当は、頭なんてパンクに近かった。

 でも、この機会を逃してはいけない。

 すると、愛さんは自分の心臓を指さした。


「心臓移植。貴方のお姉さん、みゆきさんの心臓を移植する」

「……」


 ああ、神様って本当に意地悪だ。


「わたしは…、貴方を認めない。認めてしまったら…、わたしは、」

「うん、それでいいよ。分かるよ、だって形はどうあれ、私は貴方から生まれたんだから」

「うう…」


 愛を責めても意味がないことは分かっているし、事実も変わらない。でも、最後の希望の形が絶望だなんて辛すぎる。


 その後、合流したみんなと今日は遅いから、改めて集まって話すことにしたけど、ずっと意識が定まっていなかった。


 ニライカナイ、母さん、姉ちゃん、シスター…。


 それら全部が点と線で繋がって、見えた形がこんな結論なら見ないほうが良かったのだろうか。


 私は、何のために生きたいのだろう。

 例えば、お姉ちゃんの命を貰っても生きたい?


 ぐるぐると渦巻く思考に呑まれて、その日は眠ることができなかった。


 **第4幕**


 空を仰ぐと、薄い雲と青く染まった晴天。


 仮想空間での天気は、事前に半年分の予定情報と1ヶ月分の確定情報が公開されているのでスケジュールを立てやすくなっている。


 その為、この天気は偶然ではなく決められたものだ。未来がわからないドキドキがなく、決まった天気になるのは嬉しくも悲しくもある。


「でも、今日は晴れてよかった」


 待ち人のことを思いながら、わたしはつぶやいた。今、わたしがいるのは、アイランドにあるABCカフェの窓際のテーブル席。

 わたしは1日だけ間を起きたいとみんなに連絡をして、アライさんたちとの話を聞いた翌日、つまりは今日、ある人と待ち合わせをすることにした。


 ここで人を待つのは、2度目だ。

 そして、待っている人は、前回とは違う。


「さちちゃん、お待たせ!遅くなってごめんね」


 わたしは、声が聞こえた方を向くと、


「いいえ、カノンさんこそお忙しい中ですみません」


 鍔付き帽子を被ったカノンさんがそこにいた。


「今日は、夜までは時間があったから大丈夫だよ」


 カノンさんは正面に座って、アイスコーヒーを注文した。

 数分のうちに、店主のおじいさんが持ってきたアイスコーヒーがカノンさんの目の前に運ばれてきた。


「さて、こうしてお話するのは2度目だね」

「はい、突然のお誘いで来てくださって嬉しいです」

「力になれるときは、いつでも力になりたいから言ってくれていいよ」


 向けてくれた笑顔が眩しい。


「ありがとうございます。1人じゃどうしても、答えが出なくて」

「大切な悩みって言ってたけど、相談相手は私でいいの?」

「はい、変な言い方になりますが、大人の人でわたしの弱い部分を真っ直ぐに受け取めて下さると思ったので」

「それは、嬉しいかな。教えて、貴方の大切な悩み」


 わたしは、カノンさんの目を見てアライさんと愛さんの話を語った。

 お母さんのクローンアバターによる実験やそれによって生まれた愛さんの存在、姉の心臓移植でなら生き残れるという現実。

 そして、その姉がこれまで自分を側で支えてくれていたシスターであったこと。


 わたしが話をしている間、カノンさんは黙って聞いていてくれた。


「多分、姉は知っていたんじゃないかと思ってます。心臓移植の可能性のこと。そのことをわたしに知られたくなくて、ニライカナイに行かせたくなかったのかもしれないです」


 わたしは、言葉を区切って続けた。


「わたしは、このままわたしが思うままに行動を続けていいのでしょうか。わたしが思うままに行動し人を巻き込むことで、また苦しむ人が増えてしまいそうで、怖い・・・です。いっそ、わたしがいない方が・・・」


 そこまで言葉を紡いだわたしの口をパシッと、カノンさんの両手がわたしの頬を押さえて塞いだ。


「それ以上は、言わなくていいよ。口にするのは、君自身に失礼だ」


 わたしが喋る意思を失ったことを確認した上で、カノンさんは両手を離した。


「結論から言えば、さちちゃんのお母さんやお姉さんがどんなことを考えて、どんな行動を取ろうと、仮に今後周りの人が君の行動に触発されてどんな行動をとったところでさちちゃんには全く非はないし、関係しない。さちちゃんが思うままに行動して、好きに生きればいい」


 有無を言わさない目力と雰囲気でカノンさんは断言した。

 わたしが反論しようと口を開くのを察して、言葉を続けた。


「そもそもの大前提を間違えている。さちちゃん以外の人物は、全員さちちゃんの人生には関係ない。さちちゃんのためにとか、さちちゃんのためを思ってとか、そんなことは一切合切、さちちゃんには関係ない。ただ、その周りの人間が自分たちがやりたいから、やっているだけ。それぞれの判断で、自分の人生の時間を使ってやりたいことが偶々さちちゃんのためになっているそれだけなんだ」

「でも、愛さんやクローンアバターのみんなは、自分からそうなったわけじゃない!みんなわたしなんかを生き残らせるために、利用されているだけです」

「それも関係ない。その責任を負うべきは、さちちゃんのお母さんであってさちちゃんじゃない」

「そんなことは分かっているんです!でも、そうじゃない!わたしがこうしてここにいることが、わたしの責任なんです!」


 自然と、声を荒げていた。

 周りの人がチラリとこちらを見るのが見えた。


 少し落ち着いて、声を落とした。


「わたしがいることで、周りに迷惑がかかる」

「ちがう」

「わたしがいることで、悲しむ命が生まれてしまう」

「ちがう」

「わたしが生きたいって願うことで、誰かが苦しむ」

「ちがう」


「誰かがわたしの為に苦しむのはわたしが苦しむのより嫌です、、」


 それまで厳しい表情を浮かべていたカノンさんの表情が柔らかい笑みをこぼした。


「それも分かってる」


 自然と、涙がこぼれ落ちた。


「わたしはただ、自分が納得できる生き方をしたいだけなんです。なのにどうして、わたしの知らないところで、わたしが納得できないことで、わたしのことを解決しようとするのか。わたしには分からないです」

「それだけ、さちちゃんのことを自分ごとのように考えてくれてる人がいるってことだよ。それは誇っていいと思う。だけど、他人が勝手にやっていることまで首を突っ込んで支えて上げる必要はないんだよ。私だってそうだよ。今こうしているのは、やりたいからやっているだけなんだ」


 それだけ告げると、頭を撫でてくれた。


「考えすぎて、辛かったでしょ。私も経験があるから分かるよ」

「ごめん、なさい。わたし、答えが出ないことを聞いてるって、分かってるんです……。でも、」

「だから、気を遣わなくていいの」

「は、はい、ありがとう…ございます」


 やっぱり、わたしはまだまだ子供なんだと思い知る。

 カノンさんは、答えが出ないことだと分かったうえで、全てを理解したうえでこの場にいてくれているんだ。


 カノンさんと出会えてよかった。

 わたしの話を受け止めてくれる人がいてくれるだけでも、きっとわたしは幸せものだ。


「辛くても、それでも、さちちゃんは他人がやっていることまで背負うつもりなんだね」

「分かるんですか…?」

「分かるよ。出会ってからそんなに経ってないけど、さちちゃんは優しい子だから」

「いえ、そんなことありません。わたしはただ、自分が納得できる生き方をしたいだけなんです」


 わたしの言葉に、カノンさんは『そっか』と口にした。


「それなら、1つ1つ直接話して解決するしかない」

「それって」

「うん、お姉さんとお母さんと話をつけてきなさい」

「……はい」

「怖い?」

「はい、少しだけ」

「大丈夫だよ、話を聞いてる感じ2人ともさちちゃんのことを何よりも大切に思ってるから」

「…はい!」


 顔をあげて力強く返事をするわたしをみるカノンさんの表情は、向日葵のように綺麗で明るい笑顔だった。


「よし、じゃあ、私から力注入!」


 カノンさんが突き出した拳にわたしの拳を突き合わせた。


「頑張れ!」

「はい、ありがとうございます!」


 わたしは、目の前のジュースを飲み干すと、お金を置いて早速お店を飛び出した。


****


 残されたカノンは、1人、今のさちの話を思い出して思考をめぐらせていた。さちの母親の考えは行き過ぎていると思ったが、彼女にいうべきことではないと判断して言うのを控えた。


 加えて、さちにはあのように前向きな言葉をかけたが、今後さちが母親と言葉を交わす中で、どんな危険が及ぶかわからない。念には念を入れておくか。


 そこまで思考を整えたところで、うん、とカノンの中で1つの結論が出た。


 左手の親指、人差し指、中指を合わせた後、弾くように開くとモニターが画面上に現れた。


 連絡する相手を選択する。

 勿論相手は、来栖だ。


『花音、どうした?今日は用事があるから、夜間の予定を2時間ずらしたんじゃなかったか?』

「うん、こっちの予定は終わったよ。ただ、ちょっとお願いしたいことが出来ちゃった」

『分かった、これから合流できるか?』

「勿論、私もそのつもり」

『分かった、じゃあいつも通りワンダーランドで』

「うん、ありがとね」

『馬鹿、頼られることを嬉しく思わないやつはいないよ』

「ふふ、来栖も優しいね」

『『も』、てことはさちちゃん絡みか』

「よく分かったね」

『花音の交流関係の狭さを俺が知らないとでも』

「ぐぅ…」

『まあ、冗談はさておき、花音がやりたいことなら僕はいつでも全力でサポートするよ』

「流石、私のパートナー!」


 嬉しくなった花音から少し大きな声が出た。


「ねえ、来栖」

『うん?』

「私、さちちゃんにね。何も気にせず、頑張れって背中を押したの。だから、何かあった時の背中を守るのは大人である私の役目だと思うんだ。だから、力を貸してほしい」

『分かった、付き合ってやるよ。じゃあ、また後で』

「うん」

 目の前のモニターがパチリと閉じた。


 連絡が終わって、手元のアイスコーヒーを一口飲んだ。

 ここまで誰かのために何かをしたいと思ったのは、来栖以外では初めてかもしれない。


 自然と笑みが溢れる。

 誰かのことを思って行動するのは、嫌いじゃない。


 幸せを感じる瞬間とも言える。

 カノンにとって、数少ない大切な人ほど関係を大事にしたいのだ。


 荷物を持って立ち上がると、さちの飲み代と合わせてお金を置いて、

奥にいる店主へ声をかけた。


「ここに置いておきますね」


 店を切り盛りしているお爺さんの店主は、軽く手を振って答えた。

 カノンはそれを見届けて、店を後にした。


****


 店を出たわたしは、真っ直ぐに教会へと足を運んだ。はやる気持ちを抑えながら、足早に向かう。


 聞きたいことは山ほどある。

 伝えたいことは星ほどある。


 だけど、真っ先にやりたいことがあるんだ。


 普段と同じ、教会の木の扉が『ギー』となって開いた。

 中の景色は、いつもと変わらないものだった。


 左右に均等に並んだ椅子。

 十字架と祭壇、奥には綺麗なステンドグラス。

 そして、その前にはいつものように祈りを捧げる人物が立っていた。


 金髪で長身、そして力強い口調と雰囲気で憧れの存在だった。

 そして、今も。


 わたしは、一歩ずつ近づいて、目の前までたどり着いた。

 それを察して、彼女、シスターは振り返ってわたしを見た。


「おっそい、どんだけ待たせるんだ」


 その表情は、いつもよりも浮かないことは明白だった。


「待ってなんて言ってないし、勝手にわたしを置いてどこかにいったのはそっちじゃん」

「それはそうだが…」


 歯切れ悪く頭を掻く姿を見せるシスターが、珍しくてクスッと笑いが出た。


「初めて会ったときのこと覚えてる?」

「ああ、さちがここにきて不貞腐れてたな」

「そ、神様に文句言いに行ったら神様よりも頼りになる修道士様と出会っちゃった。あの時の言葉がわたしを支えてきた」

「さち……」

「今でも、わたしのこと最強だって信じてくれる?」

「当たり前だろ」

「そっか、なら……」


 わたしは、最後の一歩引いた距離からシスターの目の前にまで詰め寄った。わたしの身長は、シスターよりも頭ひとつ分低い。


 だけど、精一杯背伸びをして、その瞳を強く見つめた。


「わたしから、逃げないでよ!」

「!!」


 シスターが目を開いて、口が少しあいて驚いた表情をした。

 わたしがこんな大きな声を出している姿を見たことがないからだろう。

 構うもんか。言いたいことを言ってやる。


「わたしに黙って裏でこっそり動くことが私の為だと思ったの!?冗談じゃない。わたしのこと信じてないのは、シスターじゃない!」

「そのこと、カイから聞いたの!?」

「アライさんって人だよ」

「あんにゃろ……」

「わたしは弱いよ。話を聞いて、涙が止まらなかったし、逃げ出したくもなった。それでも、逃げ出さないって決めた!だから、ちゃんと言ってよ!シスターの口から聞きたい。お願い…」

「さち……、でも、さちが納得出来ることだけじゃないよ。悲しい選択を迫られることもある」


 喋り方がシスターから、お姉ちゃんのものに変わってしまった。それだけ余裕が無くなってしまったのだろう。

 わたしにとって、憧れだった2人が同一人物だったことは今更ながら驚きもあるけど、納得もできた。


「だーかーら、勝手に決めないで!わたしが聞いてわたしが決めたいの!」


 もはや、子供のわがままみたいになってきた。

 その様子を見ていたシスターの雰囲気が変わった。


「さちの気持ちもわかる。でも、辛い思いをさせたくないっていう姉の気持ちもわかってよ!なんでもかんでも、伝えればいいってもんじゃない。あなたに泣いて欲しくないんだ」


 ずっと、姉とシスターという殻を被っていた『橘みゆき』という人の内面が見えた気がした。


「そんなのお姉ちゃんが、わたしに話すのが怖かっただけなんじゃないの!」

「そうだよ!」


 煽ったつもりだったけど図星だったのか、即答で答えてきた。表情は、もうぐっちゃぐちゃ。強気な雰囲気はない。余裕なんてとうに消えている。


「ずっと側にいたかった。何よりも大事な存在だ。さちがどうやったら、幸せに暮らせるかだけがわたしの望みだった」


 ぎゅっと、抱きしめられた。こんな強い抱擁をこれまで受けたことない。


「お姉ちゃん…」

「いつかは伝えないといけないと思っていたけど、私に勇気が出なかった。さち、ごめんね」

「んーん、お姉ちゃん。ずっと、守ってくれてありがとう」


 抱擁を返して、2人で気持ちを確かめ合った。

 初めてお姉ちゃんとこんなに気持ちをぶつけ合えて嬉しい。


 聞きたいことは山ほどあった。

 伝えたいことは星ほどあった。


 だけど、1番やりたかったことをできたから、まあいいや…。


「お姉ちゃん」

「何?」

「お母さんを止めよう」

「やっぱり、そういう話になるか」

「うん、わたしが嫌だ。お母さんに続けて欲しくない」


 はー、と大きなため息をお姉ちゃんがついた。


「言い出したら、止まらないよな」

「もちろん」


 お姉ちゃんはポンと、わたしの頭に手を置いた。


「一緒に行こう」


 お姉ちゃんの言葉にわたしは、笑顔で肯定した。


***


 暗闇が空間を包むように、人気や物音の全てが吸い込まれるように静けさが広がっていた。


 その中で1人の女性が一心不乱に、視線移動とタイピングと舌を鳴らす音声認識で8台ものPCを同時に動かし続けている。


 その表情に感情は感じられず、自分の目的を果たすためだけにその場にいることがわかる。


 そんな中、1つのPCから甲高い音が鳴り響き、結果がモニターに表示された。それを見た女性の表情に初めて、感情が見えた。

 それは、歓喜と狂気が混じり合った笑みだった。


「やっと、やっと完成した!これで、さちが幸せになれる!!」


 その表情も暫くして、困惑に変わった。


「さち…、さちって、誰だ?」


 長い年月は、彼女の記憶を混濁させた。

 それは目的を見失う程に。

 ふらふらと立ち上がった彼女は、デスクの端に置いてあった1枚の写真を手に取った。


 そこには、女性と2人の娘と映っていた。


「そう、私は助けるんだ、あの子を」


 ふらふらと歩き出した女性の瞳には、光は灯らずただ入力されたシステムのように、身体を動かし始めた。

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