第4章 ニライカナイ(前編)

***中幕***


 ある日の昼下がり。

 時間が空いたので、アイランドの教会へ足を運んだ。


 これまでの経験上は、3回に1回はシスターに出会えているので、少しの期待を抱きながら教会の扉を開いた。


 そこには、スノウちゃんだけがいてシスターの姿で掃除をしていた。

 仮想空間の施設内はゴミや埃が溜まることはないが、磨くと透過率が上がり、ピカピカするため、箒とちりとりはないが雑巾は存在する。


 豆なスノウちゃんは暇さえあれば、椅子や床の掃除をしている。


「こんにちは、スノウちゃん。今日は1人?」

「さち様、こんにちは。質問の回答はイエスです。シスターは、出かけております」


 そっか、そっかと適当な椅子に座った。


「シスターも忙しいそうだよね。どこ行くのか聞いてる?」


 スノウちゃんが目を閉じて、無言で首を左右に振ると、反動で純白の髪が跳ねるように揺れた。1本ずつきめ細かく綺麗な髪をしている。


 わたしも暇だったので手伝うことにした。

 手持ちに入れてある雑巾を1枚実体化して、バケツに入れると水を含んで少し沈んだ。手に取ると、ぎゅっと力を入れて絞り、スノウちゃんが拭いていない逆から拭き始めた。


「ありがとうございます」


 ボソリとスノウちゃんが言ってくれた言葉に、


「いいよ」と、一言で答えた。


 しばらく、2人で掃除をした後に周辺を見ると、ピカピカに輝いて見えた。うんうん、とわたしはうなづいた。


「ちょっと休憩しよう」


 スノウちゃんがうなづいて、わたしの隣に座った。

 両手を膝の上において、そのまま動かなければ人形のようにも見える。


「なんか、落ち着いて話すの久しぶりだね」

「そうですか」

「うん、そうだよ。ワンダーランド以来かなぁ」

「いつも、さち様は忙しそうです」

「そうかなぁ」

「そうです」


 表情は変化が見られないが、心なしか寂しそうにも怒っているようにも見える。


「ごめん、今日はこのまま話でもしよう。なんか話したいことある?」

「そうですか、では、シスターとさち様の関係についてお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「え、わたしとシスター?」

「はい、とても親しい間柄に見えるのでいつからの付き合いなのか、それが気になりました」

「あー、そうだね。そんなに特別な話でもないけど、時間潰しにはちょうどいいかも、わたしとシスターが出会ったのは、5、 6年くらい前かな。わたしの両親が離婚した後くらい」


 教会の左右に並ぶ椅子の先頭に横並びで座り、わたしは十字架に視線を送りながら、独り言のように語り始めた。


****


 当時のわたしは、分かりやすくグレていた。

 友達なんて、作る気力もなく1人で過ごすことが多かった。


 6歳で心臓病を発症し余命10年を告げられ、8歳で両親が離婚。現実では自宅から出られず、学校は仮想空間。


 未来なんてないし、夢を見る気もない。

 世界はこんなにも残酷で、無慈悲なものだ。


 そんなことばかり考えていたときに、教会に偶然通りかかった。神様に一言文句を言うつもりで中に入ると、光が降り注ぐのを感じた。


 実際にはそんなことはないはずだけど、ステンドグラスから注ぐ光がわたしを照らしているように思えたのだ。


 両サイドにシンメトリーに並ぶ椅子の中央を堂々と前進すると、正面に祭壇と十字架が厳かに来るものを待ち構えていた。


 わたしは、祈るでもなく、頭を垂れるでもなく、ただ立ち尽くした。睨みつける先に神と呼ばれる存在がいると、このときは信じたかった。恨みつらみをぶつけたいという意味で。


 しばらく、立ち尽くしていると背後から、声をかけられた。


「祈りはしないのかい?」


 一瞬、求めていた神が現れたのかと期待したが、そうではなかった。振り返るとそこには、修道服を着た長身の金髪美人がいた。


「残念だけど、神様は信じてないの」

「なら、どうしてここに?」

「神様に文句の一つでも言いたくなったの」


 わたしの言葉に修道服を着た女性は肩をすくめた。


「謝ってほしいくらいだよ。こんな人生を与えてごめんなさいって」

「分かりやすく不貞腐れてるね。人それぞれ色んな人生がある」


 分かったような口ぶりの女性に内心苛ついた。


「自分の死が確定されてるとしても?」

「そうだな、人間誰しも死ぬことは決まってる。それが遅いか、早いかの話だ。だからこそ、大切に日々を過ごさないとな」

「そんなの、偽善だよ。自分が可哀想じゃないから分からないんだよ」


 わたしのことを知った人は口々に言っていた。可哀想に、って。可哀想可哀想可哀想。


「もしかして、お前自分が可哀想とか思ってるの?」


 キョトンとした顔で女性はわたしに問うた。


「だって、みんなが言うから」

「それなら、勘違いだ。周りの人間がいくら可哀想なんて口にしてもお前だけは決して自分を可哀想だなんて思って卑下するな。お前は、人と変わらない。可哀想だなんてことはない」

「そうなの?」


 今度はわたしがキョトンとする番だった。

 次の言葉を彼女に自然と求めていた。


「当たり前だ。お前だけは自分が最大限最強と信じてあげないといけない。世界で自分は1番幸せで、1番最高で、1番可愛くて、世界は自分自身なんだって」


 女性の言葉にわたしは、二の句が継げなかった。だって、そんなこと無理だって思えてしまうから。わたしの雰囲気から女性は、思っていることを感じ取ったのか言葉を続けた。


「なんだよ、自信ないのか。なら、お前が自分のことを最強だって信じられるまでわたしが信じてやるよ」


 『それでいいだろ、な?』と告げるように口にする言葉は、今のわたしの心には温かすぎて、


「ほんとに、本当に、信じてくれますか、、?」


 涙が、決壊したダムのように溢れて止まらなくなった。


「約束する」


 女性の修道服にしがみついて、顔をうずめた。女性は面倒臭そうなため息をこぼしながらも、頭をポンポンと撫でてくれた。


 落ち着いたわたしは、何度も何度も確認した。


「約束したからね!絶対だからね」

「いいから帰れ」


 今度こそ、面倒臭さを隠すことなくしっしっと手を前後に振ってわたしを追い払った。


「酷い!また、来るからね!」


 そう言い残して、外に出たわたしの足取りは軽かった。


 わたしが1番だって、まだ信じることは出来ないけど、わたしのことを信じてくれる人がいる。


 そのことが、わたしはそれだけで、わたしを好きでいいのだと思えた。


 翌日から連日通い詰めて、女性を困らせたことは言うまでもない。


「そういえば、お姉さんのことなんて呼べばいいの?」

「ん?まぁ、見たまんまでいいよ。お姉さんって柄でもないし、シスターとでも呼びな」

「分かった、これからもよろしくね。シスター」


 それから6年が経過した今も、シスターはわたしのことを信じてくれている。そんなシスターをわたしは信じてる。


****


「こんな感じかな」

「なるほど」


 スノウちゃんに話を聞かせて改めて考えると、初めて会った相手の言葉をすんなりとよく信じたなと感心する。

 純粋だったな、と過去の自分を可愛くも思う。


「そこからお二人は、関係を深めてきたのですね」

「深めると言う程何かしたわけじゃないけどね。一方的にわたしが引っ付いてただけだし」


 シスターは主にわたしのわがままを聞いてくれている側だった。


「そういえば、シスターのことをわたしはあまり知らないなぁ」


 一緒に過ごした6年で、人となりは分かったけど、過去のことは何も知らない。

 気にならないといえば、嘘になるがそんなのは問題じゃない。


「どうしてスノウちゃんはわたしたちのことが気になったの?」

「いえ、お二人を見ているとわたしもその隣に立てるのか気になったもので」

「なに言ってるの、スノウちゃんも友達なんだから初めから一緒に立ってるよ」


 スノウちゃんの身体をギュっとすると、少しだけスノウちゃんの身体に力がこもるのを感じた。


「そう、、なんですね。それなら良かったです」


 ほんのりと頬が紅潮しているのが可愛い。

 肌が白いので余計に際立っている。

 伏し目がちに目を逸らして、より強く抱きしめたくなる。そんなときに教会の扉が勢いよく開いた。


「帰ったぞー」


 会社帰りの中年男性のような発声と共にシスターが帰ってきて、スノウちゃんとのスキンシップを中断させられた。


「なんだ、さち来てたのか。祈りは済ませたか」

「うん、大丈夫」


 わたしは、神様には祈らない。

 わたしが祈るのは、1人だけだ。

 その相手にわたしは、今日も笑みを浮かべて幸せだと伝える。


**第1幕**


 母親との思い出の中でもっとも記憶に残っているのは、小さな頃に風邪をひいたときだ。


 手を握り、「大丈夫だ、ママが付いてるからな」と声をかけてくれる姿は母親然としていた。


 それが何歳だったのかは記憶が定かではないけれど、心臓病に侵されてからは会うのが週に1回程度になったかと思ったら気づいたら両親が離婚して母親は姉と何処かに行ってしまった。


 父親は仕事に没頭し、使用人の沙織さんと執事の怒離留(ドリル)だけが私の育ての親だった。


 幸いにも良い出会いもあって、今は人生に悲観せずに生きているけれど、母親だけは許せずにいる。


 何故と、問われると自分を置いて出て行ったことが起因しているが、本質はそこじゃない。


 きっと私は、母を愛していたのだ。

 そして、同じだけ愛を求めていた。


 その反動が憎しみとして、内面に現れた。

 そのことを意識したとき、私は悔しさを感じた。嫌いだと口にするほど、自分が母を求めていることを思い知ることになるからだ。


 母を求めるほど、愛を求めるほど、憎しみ、苦しむ。まるで呪いのようだ。


 大丈夫だよ、とまた言ってほしい。

 初めは、こんなささやかな願いだったはずなのに。


****


 ニライカナイに行きたいとシスターに告げた時、珍しく反対された。


「あそこは、きな臭い噂が多い。研究施設があって非人道的な研究をしている噂がある。どうしても、行かないといけないか?」


 シスターは、基本的にわたしの意見に賛成してくれるため、これまではこういった形で意見が割れることが稀だ。


 ただし、わたしの気持ちは固まっているため、引くつもりはなかった。


「どうしても気になることがあるの。わたし1人でも行くよ」


 大きなため息をシスターが吐くと、頭をかいて指を1本立てた。


「1つだけ約束。ニライカナイは、居住エリア、娯楽エリア、開拓エリア、研究エリアに分かれている。この娯楽エリア以外には、絶対に近づくなよ。分かった?」

「うーん、、わかった」


 渋々了承したけど、どうしても必要となったらそのときは、またそのときに考えよう。


「それじゃあ、行こうか」


 わたしの掛け声に2人はうなづいて、【ワールドアウト】と口にする。


 ワールドの変更か、個人部屋への移動かを選択するポップアップが表示されて、ワールドの変更を選択する。そして、初めていくワールドの場合はコードの入力が必要となる。


 ワールドへ入室する際、以前入室したことがあれば履歴が表示されるのだが、わたしは先日不自然な点に気づいた。


 ハル子に聞いたログインコードを試しに入力して表示された履歴には、わたしが7歳、8年前にログインした時の履歴が最後に記録されていた。


 それ以前にも、5歳からログインした跡があった。勿論、わたしには全く記憶にない。

 幼かったわたしが、1人で行ったわけがない。


 父親か母親が連れていったのだろう。

 その理由を知りたい。

 そのことが、母親と同じ名前の占い師と関係しているかもしれない。


 わたしは、『ニライカナイ』と表示されたスクリーンをタップした。


****


 目を開いて最初に見た光景は、眩しいほど澄み渡った青空だった。外かと思ったが、天井が透明な素材で出来ているだけでそこは室内のようだ。


 無数にある簡素な作りのベッドに横になっていた。カプセルの半分を切り抜いたような形をしていて、縦に長い大きな円柱型の建物の中で浮いていた。


 身体を起こして見下ろすと、かなりの高さで降りる方法を検討していたところ、自動で降下を始めた。


 足がつく位置まで移動したところでベッドから降りた。出口は1箇所しかない為、迷いなくその部屋から出た。


 ベッドがあった部屋から外に出ると、そこはロビーのような場所だった。


 白を基調とした明るい部屋に、これまで行われたであろうイベントの写真や映像が展示されている。

 誰もが笑って楽しそうだ。


 窓はなく外は見えない。


 ソファがいくつか準備されており、人を待つことも出来るようだ。今は4人ほど座って談笑している。


 正面には、受付のようなカウンターがあり、受付を担当していると思わしき2人の女性が左右のカウンターに1人ずつ静かに笑顔を見せて立っていた。


 シスターとスノウちゃんの姿は見えない為、まずは受付で話を済ませることにした。


「こんにちは、ニライカナイの入り口はこちらですか?」

「はいはーい、こんにちは!その通り、ようこそニライカナイへ!こちら、受付担当しておりますのが、ハルカと」

「カナタです!」


 もう1人の受付の人が明るい声で挨拶をくれた。2人は双子のように似ていて、髪の色が赤かピンクかの差しか見た目では分からない。

 2人とも髪をツインテールにしていて、白と青を基調とした制服に、首にはリボンを巻いている。


 リボンの色も髪の色と同じだ。


「初めまして、さちと申します」

「さち様ですね、VIW(ビュー)のIDを確認しました。既にニライカナイへワールドインされたことがありますね。説明は不要でしょうか?」


 事前に分かっていた事だけど、改めて言われると驚いた。わたしはこのワールドに来たことがあるんだ。この人たちなら何か分かるかもしれない。


 まずはワールドについて聞いてみよう。


「わたし昔来たときのこと覚えていなくて、改めてこのワールドのこと伺ってもいいですか?」

「承知いたしました。こちらをご覧ください」


 目の前に50型テレビほどのサイズの映像が出現した。映像は、ニライカナイ全体を映し出したものとなっている。


「ニライカナイは、死後の世界、つまり天国をイメージした空に浮いている島がコンセプトとなっております。ワールドの端に行って外を眺めていただけると分かりやすいです。現在いるのがごちらの娯楽エリアの中心近くです。こちらは、ワールドインされたどなたでも、ワールドを楽しんでいただくことが可能です。ワールドの中心より、南西をご覧いただきますと、居住エリアがごさいます。こちらは、エリア内に住宅を購入された方のみが立ち入ることが出来る場所となっています。その為、さち様は娯楽エリアのみお楽しみ頂けます。余談ですが北西の方角は、現在開拓中のエリアですので関係者以外は入ることが許されておりません。ここまで宜しいでしょうか?」

「はい、続けてください」

「承知しました、更に娯楽エリアに拡大したものがこちらです」


 モニターがズームされ、長方形の形をした娯楽エリアが全体が表示された。


「時計回りに学校、運動場、オフィス街、コンサート会場、美術館、アミューズメント施設、ホテル、ショッピングモール、遊園地など様々な施設が並んでおります。各施設へは、エリア内を流れている川で繋がっております。川の上を船が定期的に運行してますし、水陸両用バイクを借りて走ることもできますよ!ここ中心地周辺は新たにワールドインされた方を案内するためのお店が沢山ありますので、是非ご活用ください。これがお店のマップです」


 転送されてきたデータが私の手元のモニターに映し出された。確かに周辺にレンタルバイクやワールドナビゲーションのお店など、様々なお店があるようだ。


「ありがとうございます!2点お伺いしても、いいですか?」

「はい、どうぞ!」

「1つは占い師のコウという人物をご存知ないですか?」

「占い師のコウさんですね。はい、固有の店舗を持たずに占いをされているようです。ショッピングモールやアミューズメント施設、オフィス街など様々な場所で姿を確認されているみたいです。何処にいるのかこちらでも把握出来ていないため、ご了承ください」

「ありがとうございます!あと、ひとつは、変なことを伺うのですが、わたしの顔に見覚えはありませんか?」

「と申し上げますと、私たちとさち様がお知り合いではないかという問いでよろしいでしょうか?」

「あ、いえ、どちらかといえばわたしと近しい顔をした人物を見たことがないか、という質問になります」

「承知しました、その問いに対する回答はノーです。申し訳ございませんが、私たちは存じあげません。ご期待に添えずすみません」

「いえ、いいんです。わたしも変なことを聞いてごめんなさい。これで全部です」

「承知しました、ではさち様のニライカナイでのお時間が良いものとなりますように行ってらっしゃいませ」


 2人に促されて、わたしはお店から外に出た。


 さちが出た後の店内では、ハルカが大きな溜息をついた。


「なんとか、バレずにすみましたね」

「ええ、答える義務はないとはいえ少し心が痛みます」

「あの人からの希望ですし、本人も知らない方が幸せでしょう」

「どうでしょうか、私にはどちらとも言えないです。少なくとも、彼女は自分でたどり着くだけの力があるように感じます」

「そのときは、受け入れるしかないでしょう。私たちがあと出来ることは見守ることだけです」


 さちが出て行った出入口を眺めながら、優しく悲しげな視線を向けた。

 彼女の手元の写真には、ハルカとカナタを含む8名の男女とその中に混じる幼少期のさちの姿が映っていた。


 **第2幕**

 建物の外に出ると建物の前は広場になっていて、広場を囲むように茶色の煉瓦造りの建物が並んでいた。見える建物は概ねお店が並んでいて、多くの人が行き交い活気が溢れている。


 顔をあげると、どこまでも続く雲と真っ青に

彩られた空が広がっていた。


 遠くには、青々と木々が生い茂る4、500mほどの高さの山や遠目にも4階建てはある大きくて綺麗な学校、その他にも色んな施設も視認できる。基本的に平面な地形であるがゆえに遠くまで見えやすいが、このワールドはかなり大きい。


 少なくとも、住居が設けられているワールドでしかも独自にエリアが区切られているのはここくらいだろう。


 周りを見渡していると、後ろから肩を叩かれた。


「ようやく出てきたな。説明ちゃんと聞けたか?」


 シスターが手の指を前後に動かしながら、ニヤッと笑顔を見せて話しかけてきた。隣にはスノウちゃんもいる。

 2人は既に話を聞いて外に出ていたのだろうか。


「うん、ちゃんと聞けたよ。シスターも聞いたの?」


 首と手を左右に振って否定した。


「私は以前に来たことあるから、いらないんだ。スノウは、知ってたんだっけ?」

「はい、私は事前に書籍や話などで情報を得ていました」


 2人とも説明を聞かずに先に出て、待っていてくれたみたいだ。もっと、細かく聞こうかと思っていただけに話を深掘りしなくて良かったと安心した。


「2人とも、待たせてごめんね。行こうか」

「気にすんな、それで何処に向かうんだ?」

「うん、コウっていう占い師がいるらしいんだけど、まずはその人に会いに行こうと思う」

「コウ、、」

「そうだよ、知り合い?」

「いや、知らないよ」

「そっか、その人ならわたしの悩みを何か知ってるかもしれないと思ってるんだ。まずは探してみよう」

「さちの悩みって仮想空間で暮らすことか?」


 わたしは首を左右に振ると、シスターとスノウちゃんへわたしが小さい頃に来たことがあること、コウとはわたしの母親の名前であること、そしてハル子がみたわたしそっくりなプレイヤーの話をした。


「んー、なるほどな。でも、それだけでそのコウという人物が関わっているかは分からないぞ」

「うん、それは分かってる。だから、空振りだったらそれはそれでいいの。気になることを心のしこりとして残したくないの。ぜーんぶすっきりさせて、笑顔でいたいから」


 2人にニコッと笑って見せた。


「私はさち様が仰るならその通りついて行きます」

「分かったよ、私も付いていくから、まずは足の確保とコウという占い師の居場所を探すところからだな。順にこなそう」


 いうが早いか移動を開始したシスターの後をわたしとスノウちゃんは追った。


****


 ワールドインのポイント周辺は、活気が溢れている分だけお店も多い。


 目的のお店もすぐに見つかった。

 バイクのライトに目が描かれた看板が目印のそのお店は移動に使用するバイクのレンタルを行っている。


 お店の中に入ると、小太りで体格のいい丸い鼻が特徴的な鼻からマリオみたいな髭を生やしたオジサンがレジに暇そうに立っていた。


 お店の中にはさまざまな二輪車が所狭しと飾られていて、見た目が派手なものから、小さいものまである。


 入ってきたわたし達に視線を向けずに手元を見ていたオジサンは、シスターが目の前まで来たところで初めて顔を上げた。


「よ、久しぶり丸太のオッチャン」

「おめえも随分ぶりじゃねえか。もう来ないと思ってたぜ。それと、丸太のオッチャンはやめろ。周りが真似するだろうが」


 オジサンの名前を見ると、ウッドだったので納得した。


「この子たちと私の3人分、準備して欲しい」

「なんか希望はあるか?」

「違法改造して時速200kmまで飛ばせるやつまだある?」

「ねえよ、お前がぶっ飛ばして押収されたままだよ!まだ懲りてねえのかよ」


 なにやら、物騒な会話が聞こえた気がするが気のせいだと思っておこう。

 オジサンは、わたしとスノウちゃんのほうを向いた。


「おまえさん達は希望があるか?」

「はい、二輪より四輪を運転してみたいです!」

「身を守れる武器を備えたやつはないでしょうか?」


 オジサンが頭を抱えた。


「全員、口閉じて外で待ってろ!」


 わたしたち3人は、お店からグイッと外に押し出された。


 残された店内に残ったウッドは、1つため息をこぼした。


「全く、親子でよく似てやがる」


 手近においてあった赤いバイクを手に取り、軽く指でなぞった。


****


 「馬鹿どもこれを持っていけ」


 大中小といった感じの体のサイズにあった二輪車が3台目の前に並んだ。シンプルな外装で白いラインがバイクの先端から後方にかけて引かれているだけだ。


 色はご丁寧に、青赤黄の3色なので信号機みたい。バイクと称しているが、現実世界で眼にする自動二輪車とは形状が違う。


 それがバイクにあるハンドルがない代わりにモニター付きの操縦桿が付いている。画面を覗くとニライカナイのマップが表示されている。


「これって、レンタル料おいくらですか?」


 わたしがオジサンに聞くと、ふん、と鼻息を出した。その拍子にマリオのような髭が軽く揺れた。


「どうせ、過去のプレイヤーが残していった遺物だ。タダでやるよ」

「それは嬉しいですけど、何か申し訳ないです。何かお手伝い出来ることはないですか?」


 わたしの言葉にオジサンは、静かにわたしの頭に手を置いてわしゃわしゃと撫でた。


「ガキが余計な気を使わなくていいんだよ。気持ちだけ貰っといてやる」

「わかりました、オジサン1つだけ聞いてもいいですか?」

「なんだ?」

「コウっていう、占い師の方知りませんか?」

「コウ…、直接会ったことはないが最近その名前を聞いたぞ」

「ほんとですか!?」

「ああ、つい先日からこの辺りを拠点に活動している歌絵(うたえ)って名のプレイヤーが会いにいくって言ってたな。どうも、そのコウってやつは同じ場所にいないらしいぞ。何か知ってるかもしれんぞ。すぐ近くの水仙て名前の飯屋で、よく食事してるらしいから行ってみたらどうだ?」

「そうしてみます!ありがとう」

「この程度のことに礼なんぞ言ってないで目的果たしてこい」

「うん、いってきます」

「ああ…、行ってこい馬鹿娘」

「もう、馬鹿馬鹿酷いよ」

「なあ、丸太のオッチャン」

「あん?」


 シスターがオジサンをバイクに跨り、声をかけた。顔だけを左斜め後ろにいるオジサンに向けた。


「あんた、研究エリアに行ったことあるかい?」


 オジサンが眼を細めて、意図を読み取るような表情見せた。数秒の間をおいて、


「ああ、あるぞ」


 簡潔に返答した。


「そっか、ありがと。悪かったね、変なこと聞いて」

「身体に気いつけてな」


 2人は交わした言葉は、少なかったけど言葉の裏にあるやり取りがあることは雰囲気から感じられた。


 モニターで水仙を検索して、設定すると自動でバイクが動いて移動を始めた。


 振り返ると、オジサンはお店に入るところだった。わたしは、見てないことはわかっていたけど、手を振って別れを伝えた。


****


 しばらくバイクが自動で走った後、目的のお店の目の前に着いた。


 驚くべきことにこのワールドにあるバイクはお互いの位置や速度など全てをネットワーク管理されている。


 一切の衝突なく最短ルートで到着できるように設定されていて、運転要らずでただ乗っているだけでいい。マニュアル運転も可能だが、レースなど限られたタイミングだけらしい。


 お店は和食の雰囲気で、暖簾があり横開きの扉だ。ガラガラと扉をあけると中に入った。


「らっしゃいませー」


 お店の人のよく通る元気な声が響いた。

 中から、ツインテールの可愛らしい風貌の若い女性が顔を出した。


「すみません、歌絵さんという方を探していまして、店内にいらっしゃいますか?」

「歌絵ならここにおりますよ」


 店員さんが自らを指差した。


「えっと、店員さん自身がそうなんですね。てっきりお客かと思ってました」

「ここの唐揚げが美味しすぎて思わず弟子入りしちゃってー」


 てへ、と言った顔でベロを出した。


「お客様なら早よ座ってもらいな」


 中から、より大きな女性の声が響いた。

 はいはーい、と怯むことなく歌絵さんは返すと、


「まあまあ、皆さん、ご飯食べていってよ!私も仕事中だから終わったらお話ししましょ」


 ビシッ、と敬礼をして中にたたたーと駆け出していった。

 忙しない人だけど、面白い人だなと感じた。


「とりあえず、腹を満たすか」


 シスターの言葉で近くにあるテーブル席に座ると、わたしたち3人はメニューを見始めた。


「改めて、初めまして!椎山 歌絵です」


 本名で自己紹介をされたのは、仮想空間に来て初めてだ。歌絵さんは、慣れた雰囲気で、ちなみに、と言葉を続けた。


「皆さんは本名じゃなくてよかですか。私は現実も仮想空間も分けて考えてないだけなんで」


 歌絵さんの言葉に、なるほどと合点がいった。それは、歌絵さんのアバターが通常誰もが行っている現実の自分よりもよく見せようとする修正した後を感じないからだ。


 着替えた歌絵さんは、黒髪のツインテールに赤と緑混じったリボンをつけて、緑のパーカーに赤いバックパックを背中に背負っている。


 今はお店の中の座席の一画を借りて、話をしている。


「わたしはさちです。こちらの長身の金髪美人がシスターで、こちらの白髪の可愛い子がスノウちゃんです」


 わたしの紹介に2人は、まあいいか、と若干諦めたような顔をした。


「さちさん、シスターさん、スノウさん、ですね。覚えました!それで本日は私にどのような用件で?」

「はい、わたし、コウさんという占い師の人を探していまして。最近歌絵さんが、会おうとしていたことをバイク屋の店主さんに伺って詳しい話を聞きにきました!」


 ぽん、と手のひらに拳を叩いて、なるほど、と歌絵さんが口にした。


「それはそれは、納得です!確かに私会ってきましたよ!むしろ、今は私しか分からないかもですね」


 うんうん、と納得した様子だった。


「私しか分からない?」


 思わずわたしが言葉をおうむ返しすると、歌絵さんがはい、と頷いた。

 徐ろにわたしたち3人が見えるように、宙にマップ画面を表示させた。


「コウさんがいる場所はここです!」


 ポンと指をさすと、マップの一点が点滅した。そこは、ニライカナイ北部にある山の頂上だった。


 わたしは大事なことを忘れていたことをここにきて思い出した。ハル子は、体力お化けだった。


 **第3幕**


「せーかいは、せーまいー♪せーかいは、おーなじー♪せーかいは、まーるい♪ただひーとーつー♪」※1


 軽快なリズムで私が大好きな歌を口ずさむ。

 子どもの頃、お母さんに教えてもらった曲だ。


 世界というものを意識していなかった頃の私は、この歌を聞いて思った。


 世界とはなんだろう?

 大好きなお母さんがいる場所?

 この青空が続く果て?


 分かんない分かんない分かんなーい♪


 世界が狭いかなんて、分からない。

 世界が丸いかなんて、分からない。

 世界が1つかなんて、分からない。


 だから、家を出た。

 だから、世界を旅した。

 そして、仮想空間に辿り着いた。


 私は歌絵。

 歌は、サウンド。

 絵は、シーン。


 私の名前は世界と同じモノで出来ている。

 私の大好きな名前だ。


****


「あるこー、あるこー、私は元気ー♪歩くの大好きー、どんどんゆーこーおー♪」


 草木が生い茂る山の中で、歌声が響き渡る。

 跳ねるような爽やかな声は、歌い手が如何に楽しく歌っているかを物語っている。


「おーい、ちょっと待ちな」


 歌い手である歌絵は、シスターに声をかけられて初めて後方の同行人が付いてきていないことに気づいた。


「あ、ごめんなさい!さちさーん、スノウさーん、大丈夫でっすかー?」


 走って2人のところまで降りてくると、さちに手を差し伸べてきた。スノウちゃんにはシスターが。


 そもそもの話だが、VIWでの体力、スタミナの概念は現実の身体を元に初期値が決定し、あとはVIWの中で鍛えたらその分増えていく。


 その初期値は、どれだけ現実の身体が貧弱だとしても最低限普通の生活が送れるくらいには設定される。


 それだけでも、私にとっては助かることなので忘れていたが、基本的に私の体力は限りなく最低値、小学生低学年レベルなのだ。


 そんな私が山を登れば当然こうなる。

 もう少し鍛えておけば良かった。


 スノウちゃんは、私よりも体力はあって額に汗する程度だが、純粋に筋力が足りていないようだ。


「さちさん、ほら、もうすぐ休憩地点ですよ。そうだ、歌うのはどうですか?ほら、あるこー、あるこー、私はげんきー!」※2

「あ、る、こー、あ、る、こー!」


 わたしも歌絵さんの声に合わせて、歌ってみた。初めはキツかったが、自然と楽しくなって

、気づくと休憩地点へ到着していた。


「お疲れ様でしたー、休憩しましょー」


 休憩地点には、屋根のついた木のテーブルがいくつか並んでいた。わたしたちはそこに並んで座ると飲み物を出した。


「あと、どのくらいで着くんだ?」


 シスターが歌絵さんに聞くと、


「30分ほどです。ゴールが見えてきましたね!あ、あの景色、いいですね。素敵です、ちょっと描いてきます」


 そう答えて背中のバックパックからキャンバスを取り出すと、たたたと駆けていき風景画を描き始めた。


 わたしは、グッタリとテーブルに突っ伏してその様子を見ていた。特に表情を変えず、景色を眺めるスノウちゃんに思わず、


「スノウちゃんは意外に体力あるんだね」

「私は、時間があるときにトレーニングしているので」

「真面目だねぇ、、」


 わたしの様子を見ていたシスターが徐ろに立ち上がった。


「野暮用で15分ほどログアウトしてくる。戻ってきそうになかったら、そのまま先に進んでくれ」


 分かったと手をぷらぷらと振ると、シスターはログアウトして姿を消した。


「ねえ、スノウちゃん、このワールドのこと調べたって言ってたけど、知ってることだけでいいから教えてくれる」

「はい、良いですよ」


 手のひらをすっ、と横にふるとモニターが出てきた。ニライカナイの全体図とそれぞれのエリアを指し示している。

 これは受付でみせてもらったものとほぼ同じだ。


「ニライカナイというワールドは、仮想空間に永住を求めて生まれたワールドです」

「居住エリアがあること?」

「はい、見てください」


 スノウちゃんが居住エリアと娯楽エリアを行き来するための扉を示した。


「居住エリアと娯楽エリアを繋ぐ扉は、娯楽エリアの南西部分にありますが、そのすぐ近くにショッピング施設が多く併設されています。これは、居住エリアの方が買い物を楽にするためでしょう。そこから、各施設へ繋がる船も出ていますし、私たちも頂いた水陸両用バイクがあればどこにでも行けます。基本的に居住エリアで暮らす人の為の構造になっています」


 確かにスノウちゃんのいう通りだろう。こうして地図上で存在している施設を見ても、可能な限り現実にある生活の中で利用する施設を揃えている。


「ただし、そうなると、疑問に残るのがこの開拓エリアと研究エリアの存在です。研究エリアは居住エリアの更に奥に存在し、開拓エリアは研究エリアからしか入ることが出来ません。一般には、研究エリアでは各エリアの調整や施設の変更を行うことが主な目的と言われています。ですが、実はもう一つ噂されていることがあります。それが、」


「死者をクローンアバターとして蘇らせる研究をしている、というものです」

「死者を蘇らせるって。死んだ人を再現するってこと?」

「はい、眉唾ではありますが」

「そっか、シスターが言ってたきな臭い噂の話とも関係しているかもね」

「そうだと思います。なので、シスター様のおっしゃる通り、この娯楽エリア以外にはあまり近づかないほうが得策です」


 スノウちゃんからも釘を刺されてしまった。

 でも、わたしは。


「あのね、」

「おっ待たせしましたー」


 横から、勢いのあるやまびこが聞こえそうな声量が飛び込んできた。

 歌絵さんのスケッチが終わったようだ。


「早かったですね、歌絵さん」

「はいー、私描くときは、ぱぱぱーっとイメージのまま描いてあとで色塗り清書するんですよ」


 なんとなく、下書きだけで終わらせたという意味と捉えた。


「シスターさんはいらっしゃらないですね。待ちますか?」


 シスターがログアウトして、20分ほど経過していた。

「あと、20分くらい待とうか」


 そうして、追加で20分ほど待ってみたが、シスターが戻ってくることはなかった。


****


 戻らなかったシスターを除く3人で残りの山を登り切って、遂に頂上に辿り着いた。


 あれから、再び歌絵さんの手を借りながらなんとか息も絶え絶えに登り切ることが出来た。


 歌絵さんが息切れしてないのは、わたしの中では人外の域に見えた。


「眺めが良くて、達成感が最高ですね」


 ニコニコして嬉しそうだ。


「そういえば、歌絵さんはどうしてコウさんのところへ来たんですか?」


 んー、と口に指を添えて考えた後に、


「ちょっとズルしてわたしの未来を知りたいなと思いまして」


 今までの雰囲気から外れた妖艶な笑みを浮かべた歌絵さんがそこにいた。そして、歩きながら言葉を続けた。


「私、ずっと世界を知る為の旅をして世界中を巡りました」


 頂上の森が開けた場所に一本の見上げても頂上が見えない大きな木があった。そこに向かって更に歩を進める。


「そして、ここ仮想空間に辿り着いて、世界を遂に知ることができました」


 大きな木に手を当てて、コンコンとノックをするように叩いた。


「さちさんも見つけられるといいですね。貴方の答えが」


 すると、大きな木に扉が生まれ、勢いよく開くとわたしとスノウちゃんだけが吸い込まれるように中に強い力で取り込まれた。


 一瞬見えた歌絵さんは、元の屈託のない笑顔で手を振っていた。


****


 中に入ると、そこは全面が木でできたペントハウスのような場所だった。ニライカナイの遠くまで見通せる場所で、テーブルや椅子、足場も全て木でできている。


 4人ほどが座れる円形のテーブルに1人の女性が座っていた。白のタートルネックに、黄緑色のロングスカートを着て、白髪混じりの茶色の髪にはカールがかかっている。


 その姿は、さちが知る姿よりも多く歳をとっているように見えるが、間違えもしない。


「ママ……」


 言葉を失ってしまった。

 いざ、目の当たりにすると思考が感情の置いてけぼりを食ってしまう。


 そんなわたしの姿を目にして、先に言葉を紡いだのは相手の女性だった。


「ごめんなさい、私は貴方の母親なのか分からないの」

「え……」

「私は、自分のことを名前以外覚えていないの」


 そう言って女性は、申し訳なさそうに困ったような笑みを浮かべた。


引用:

 ※1:「It's a small world」 レーベル:ポニーキャニオン

※2:さんぽ レーベル:スタジオジブリレコード


 **第4幕**


「私は、自分のことを名前以外覚えていないの」


 女性はそう確かにそう口にした。

 女性の申し訳なさそうな表情を目にしながらも、わたしの胸中が荒れるのを感じる。


 足元から力が抜けて一歩後ろに下がった。


 母本人だからと言って、何か話をできると思っていたわけでもない。それでも、何も覚えていないと言われるのはきつかった。


「わたしのこと、全く身に覚えがないですか?」

「ごめんなさい、初対面だと思ってるわ」

「そうですか……」


 わたしがよほど、落ち込んだ顔をしていたのだろう。女性はニコリと笑いかけてくれた。


「そんなに、落ち込まないで。まだ、自己紹介もしてないのだから。これからお互いのことを知ればいいわ」

「すみません、確かに初対面で失礼しました。わたしはさちといいます。彼女はスノウです」


 スノウちゃんがペコリと丁寧に頭を下げた。


 言動や雰囲気は母と似ていないけれど、確かにその姿は母そのもので優しさが心にじんわりと沁みた。


「ご丁寧にありがとう。私はコウです。お二人のことを聞く前に、私のことをまずは話してもいいかしら?」


 わたしが首を上下に振って応えると、ありがとうと感謝の言葉をコウさんが口にした。


「さっきも話をしたけど、私は一度記憶を失って自分のことが分かっていないの。私の記憶があるのは、5年ほど前からよ。気づいたら街中に立ってたのよ。文字通り、直立不動でね。左右を見ても、場所も人も見当つかないしビックリしたわ」


 あっけらかんと話す姿は、楽しそうだ。


「だけど、それはそれとして受け入れようって決めたの。とりあえず、分からないことばかりなら分かることを増やしてから考えようってね。だから、それからこのワールドを巡って情報を集めて、占い師を始めた。この場所もその中で見つけたの。このワールドの5箇所の何処かを入り口にすることが出来るから、隠れ家のように使えるから楽しかったわ」

「結構お茶目なんですね」

「私、人が一杯来るのは苦手なのよ。だから、場所は特定せずに1人ずつ来られるようにしたの」

「なんとなく、分かります」

「気が合うわね」


 コウさんがクスクスと笑みを浮かべた。

 自然とこちらの緊張もほぐれてきて、話しをもっとしたくなる不思議な雰囲気を持った人だった。


「そんなわけで紆余曲折を経て今があるってところかしらね」

「ザックリとまとめましたね…」

「おばさんの苦労話を細かく聞いても、つまらないでしょ」

「そんなことは……」


 ぺし、と優しいデコピンをコウさんにされた。


「気を使わなくていいから。さちさんも目的があってここに来たのでしょう。貴方のことを聞かせて」


 デコを軽くさすりながら、わたしは諦めて話すことにした。


「分かりました。わたしはアイランドというワールドのアイランドセントラル学園に通う15歳の学生です。現実では心臓の病気で余命が1年もない状態です」

「それは、大変な思いをしているのね」

「いえ、それでも父からこのまま病気で死なずに、仮想空間で生涯を終える道を示してもらって選択で悩んでいるところなんです」

「どちらにしても、貴方にとって大きな問題ね」

「そうですね、それでも選択肢があるだけマシなんだと思っています」


 この言葉は本心だ。

 親父には言えていないが、今回の提案に対して感謝している部分も少なからずある。


「色々と悩んでいる中で、学園の友人があなたに会いに行ったと聞きました。それでわたしの答えを探すのに何か鍵になるんじゃないかと思ったのと、純粋にコウさんが母かと思いまして……」

「そのことはごめんね。学生ってことはハル子ちゃんの友達?」

「あ、そうです」

「なるほど、ハル子ちゃんの友達か。あの子はその後元気にしてる?」

「はい、凄く元気にしてますよ。つきものが落ちたかのように」

「それは息災で何よりだ。じゃあ、さちさんはこれからのことを知りたいってことかな。スノウさんのほうはどう?」


 話を静観していたスノウちゃんが青い瞳でコウさんを見つめた後、静かに口を開いた。


「私はただの付き添いですので、さち様の目的が達成されたらそれでいいです」

「あら、優しいのね」

「いえ、さち様の願いが叶うことがわたしの望みです」

「スノウちゃん、なんか恥ずかしい」


 真顔で言い放つスノウちゃんの迷いのない言葉にわたしは、嬉しいけど恥ずかしくもなった。


「仲がいいのね。素敵だわ」

「なんか、ここまで言ってもらうと。わたしが申し訳なくなっちゃうなぁ」

「さち様がそのような感情をもつ必要はありません。あくまで私個人の問題です」

「いや、まあ、そう言われてもね」


 スノウちゃんがよく分からないと言った表情を見せた。首を軽く傾けてキラリと光る青い瞳がまるで人形を連想させて、とても可愛らしく見えた。


 思わず抱きしめたくなってしまう。


「じゃあ、さちちゃんだけでいいっていうことかな?」

「そ、そうですね」


 危ない危ない、なんとか理性で保った。

 後で、撫で撫でさせてもらうことにしよう。


「2人の考えは分かったわ、じゃあさちちゃんの未来を見せてもらおうかしら。手を握ってくれる?」


 コウさんはつけていた手袋を外し、右手をわたしに差し出してきた。


「その手を握ればいいんですか?」

「ええ、私は素手で相手の手を握ることでその人の未来に起こり得る可能性の1つを見せることが出来るの。あくまで、可能性だから外れることもあるわ」


 仕組みはさっぱりなのでとりあえず、手を握ることにしよう。


 わたしは差し伸べられた手をギュッと握った。そして、しばらく手を握ると視界がぶれて自然と目の前にイメージが流れてきた。


 それは断片的なものだった。

 1つはわたしに似ている顔の女性と2人で高そうな調度品のある客間のような場所で話をしている。女性の話を聞いているわたしは、どこか悲しそうだ。

 刹那にわたしの声が聞こえた。

『わたしはあなたを認めない……。認めてしまったら…』

 そこでプチりとシーンが途切れた。


 次はわたしがシスターに何かを詰め寄っている姿。切羽詰まったような雰囲気を感じる。わたしは、大粒の涙を落として弱々しくシスターの胸を叩く。その姿に胸が締め付けられる思いがする。

『ちゃんと言ってよ!シスターの口から聞きたい!お願い…』

 そこで再びシーンが途切れた。


 最後はわたしの家の前だ。

 大きくて厳かな雰囲気の趣のある2階建てで奥行きがあり20部屋はある広い家、バスケットコートほど広い庭、花壇、入り口に父の趣味の2体のシーサー。

 外に出られないわたしは、しばらく目にしていなかった光景だ。

 そこで呆然と立ちすくんでいた。

『そっか……、やっと分かったよ。わたしが家から出られなかった本当の理由が…』


 ここまで見たところで、パチリとイメージが消えてわたしの手を握るコウさんがわたしの瞳に映った。


「コウさん……、今のは?」

「さちさんの身にこれから起こるかもしれない未来の断片よ。でも、ツギハギだったわね。他の子はもう少しはっきりと見えるのだけど」

「今のが」

「全体的に気になる点が多かったけれど、さちさんの言っていたご自身に似ている女性と対面している姿があったわね」

「はい、もしかしたら近い将来出会うことがあるかもしれないですね」

「ええ、時系列に並んでいるはずだから最初に来るはずよ」

「分かりました」


 ここまで話を進めたところでスノウちゃんがちらりとコチラを見ているのが目に入った。真顔だけれど、所作から気にしているのが分かる。


 わたしが見た3つの光景について、かいつまんでスノウちゃんに説明した。どれも断片的で細かい説明は出来なかったけど、イメージは伝わったみたいだった。


「結局、どうすればいいのかまでは分からなかったなぁ」

「それなら、居住エリアに向かってみてはどうかしら?」


 「居住エリアに?」と、わたしは首を傾け、おうむ返しで聞き返した。


「ええ、あの内装からお店には見えなかったし、このワールドで会うなら家である可能性が高いわ」

「なるほど、そうかもしれないですね」


 コウさんの言葉に納得し、わたしもその方針でいこうと考えた。


「さち様」

「うん、シスターにも相談しないとね」


 スノウちゃんが発したのは一言だったけど、意図は伝わった。

『娯楽エリアを離れるのは、約束をたがえることになるが、大丈夫か』ということだろう。


 確認するつもりだけど、止められたところで行かないということはない。ここまで来たんだ、前に進みたい。


「よし、コウさんありがとう」


 わたしはコウさんに笑顔をみせて、お礼の言葉を口にした。


「どういたしまして、それで居住エリアに行く当てはあるの?」

「今のところは、ないですね」

「大丈夫?よければ、相談できそうな人を紹介するけど」

「え、コウさんって交友関係あるんですね」


 わたしの言葉を聞いたコウさんがわたしの頭にチョップをした。


「私をここに引きこもってる根暗な人と勘違いしてないか。そりゃ交友関係の1人や2人や3人くらいいるよ」

「あ、3人しかいないんですね」


 追撃のチョップを受けた。

 痛くないけど、なんとなくわたしは自分のデコを撫でた。

 コウさんは先ほど外した手袋を再度つけて、わたしたちの背後にある扉へと足を運んだ。


 コンコンと扉を叩くと、再び自動的に開扉された。

 入室した時と同様に身体が扉の中へ引き寄せられて薄暗い滑り台のような坂を滑り降りると、再び大きな木の下に飛び出した。


「と、と、と、と、……いたた」


 わたしは着地に失敗して尻餅をついた。

 スノウちゃんとコウさんは、上手に着地したようだ。


「ここは元の場所みたいだね」


 辺りを見渡すと、変わらない山の中の開けた景色が広がっている。少し離れた位置に、赤いバックパックを背負った歌絵さんが絵を描いて鼻歌を歌っていた。


「歌絵さーん、戻ってきましたよ」


 手を振って声をかけると、歌絵さんがこちらを振り返り、ニコリと微笑みかけた。


「さちさん、ヤッホ!おっかえりなさーい!なんかいいことありましたー?お、コウさんもいるじゃん、乙乙です!」


 元気いっぱいに手を振る歌絵さんは楽しげだった。わたしはというと、とても元気がでる心境ではなかった。


 考えてもしょうがない事が多いけど、思考の端をノイズのようにチラついて不快な余韻を残していく。

 戻らなかったシスターのことも気になる。


 わたしは不安を抱えながらも、前に進むことにした。


 **第5幕**


 風を切る音、水を弾く音が入り混じった音が耳に届いた。雑音とは違って、自然の音は耳障りがいいので心地よく聞こえる。


 左右を見渡すと、並んでいる木々が残像を残して視界から消えていて、自然と遠くに見える景色に視線を送ってみるが、特に目的もなければ思うこともない。


 視線をバイクに戻すとモニターに目的地まではあと90分はかかる想定となっている。このまま、黙ってバイクの動きに身を任せているつもりだった。そんなときに、


「おかーをこーえーゆこーよー!くちーぶえーふきピューピュー」


 わたしの背後から楽しげな歌声が響いている。2人乗りで後部座席に座る歌絵さんがわたしの腰に手を回して、身体を左右に揺らしている。ピューピューの部分を口を尖らせて鳴らす音は、鳥の鳴き声のように澄んだ耳触りのいい音だった。


「口笛、上手ですね」


 背後の歌絵さんにわたしは、少し首を傾けて声をかけた。


「うふふー、一杯練習したんですよー」


 得意げに語る歌絵さんは、にんまりと口角を釣り上げて嬉しそうだ。


「今度、わたしにも教えてください」

「いつでも、いいですよー。さちさんとは、もっと仲良くなりたいですし」

「そう言ってもらえると嬉しいな」


 思わずわたしの表情が崩れた。

 わたしの周りは、直接的な好意の言葉を言ってくれる人が多すぎる。

 悩みも自然と忘れてしまいそうになる。


「さちさんは、自分のことをもちっと高く評価していいと思いますよ。少なくとも、ここにいるみーんなさちさんの為に行動しているんですから」

「ん、ありがとう。歌絵さん」

「いーえ、歌絵でいいですよ」

「じゃあ、わたしもさちで」

「ふふ、じゃあ、遠慮なく、さち、と呼びますね」


 2人で笑い合って、自然と心が軽くなるのを感じた。そんな折、目の前のモニターが唐突にマップから通信モニターに切り替わった。


『そこでいちゃついてるお二人さん。念の為にこれからの動きをおさらいしておくよ』


 自動運転で走るバイクのモニターに、無表情だが何処か不満そうなスノウちゃんとやれやれといった様子で困り顔のコウさんの顔が映し出された。


「はい、よろしくお願いします」

『まず今向かっているのは、マップの左下のショッピング区画にある朝日という飲食店だ。現在はマップ北の山の裏を川下りで山を降っているから、後70分くらいで着くと思う。そこにいるカイさんを今回紹介する。失礼がないようにね。エリア管理をしている結構偉い人だから』

「分かりました」

『カイさんの権限で無事に居住エリアに入れることになったら、確かシスターさんだっけ?その人と話して先に進む、ってことでいいかな?娯楽エリアから居住エリアへの扉の前までは私も案内するから』

「はい、十分です。ありがとうございます」


 結局、シスターは現れなかったのでメッセージだけ送って移動することにした。コウさんに協力して貰う以上どうしても順番は逆になるけど、後からでも大丈夫だろうと判断した。


 シスターはなんだかんだ言って折れてくれるはずだ。


『じゃあ、もうちょっと長旅になるけど、また何かあれば通信しましょう』

「分かりました」


 モニターの映像が消えて、元のマップに戻った。なんだかんだそろそろ山から降りそうだ。


「そーいえば、さちは未来を見た結果どうでした?その結果で向かってるわけですけど」

「あー、えと、」

「ふむふむ、良かったとは言えそうにないですね。さちにとってはバッドフューチャーといったところでしょうか?」

「……」

「ま、そういうこともありますよねー。でも、捉え方次第で変わるかもしれないですよ」

「捉え方?」


 バイクの川下りが終わり、山を降りてそのまま街の川につながっているので引き続き、走り続ける。バシャバシャと響く音を耳にしながら、歌絵の言葉を待った。


「うん、たとえば、誰かに裏切られるような未来だったとして相手がそれを率先してやったのか、悩み抜いたうえでどうしようもなくやったのかなんて私達には分からないですよね?」

「うん」

「じゃあ、相手がどうしようもない状況だとしたら事前にどうにか出来るかもしれないですよ」

「そう…だね」

「モノの例えだからその通りはならないかもですが、分からないなら都合よく解釈すると未来がかもしれません」

「でも、そう簡単に割り切れないよ」

「さちは、真面目ですね。でも、頭が固いともいう」

「それは……、まあ、理解してる」


 ストレートに言われると、思わずちょっとムッとしてしまう。クスクスと歌絵が笑った。


「あはは、ごめんなさい。お詫びに私が見た未来を教えてあげます。私は、沢山の人に看取られながら死ぬ未来でした。多分、年齢は30代前半くらいかな」

「そんなに早く……」

「そ、やっぱりそういう反応になりますよね。でも、私は嬉しかったんです。だって、私が満足そうな表情してたし、沢山の人の記憶に私を残すことが出来ていたから」

「沢山の人の、記憶…」

「そう。さち、私たちは繋がりで生きているんですよ。1人1人の人生なんてちっぽけだから、誰かに自分が残した足跡の続きを歩いて貰って、その人の人生に自分の足跡が繋がるです」

「難しいこと考えてるんだね」

「そうでしょうか、とってもシンプルですよ!私たちの人生は、別々じゃなくてみんなで一つ、全て繋がってると考えてください」

「え??」

「つまりですね。私たちがいるから世界が存在するし、世界があるから私たちがいる。私たちはみんなで1つ」


「『世界は私たち自身』ってことです。これが世界の真理」


 ビシッと答えを言い放つ歌絵は満足そうで

どこか誇らしげでもあった。わたしも歌絵が言いたいことが伝わってきた。彼女が自分の死ぬ未来でも、嬉しかったのもなんとなくうなづけた。


「さちを待ってる未来は、恐ろしいものかもしれない。でも、1人じゃないですよ。大丈夫」

「うん、ありがとう」


 まだ、不安は残るけどそれでも前に進むことに迷いは無くなった。


 気付くと、目的地に近づいていた。

 わたしたちは自然と周辺を確認し、上陸できる場所を探していた。


****


 水路を走るという行為は、よく考えられているなと思った。バイクのオート制御による非接触の仕組みとも相まって歩行者も走行車とも全く接触をすることがない。


 一見して遠いはずの距離も気づけば最短距離で到着していた。


 現在地はニライカナイ、娯楽エリアの南西にあるショッピング区画だ。


 ここでは文字通り、買い物をしたり食事を取ったりして楽しむことができるいわばモール街のようにお店が立ち並んでいる場所だ。


 町全体が西洋をイメージしたレンガ作りでありながら独自のアレンジを加えられている。


 それがモールの中心に横幅がバイク2台分ほどの水路が伸びているのと、水路が2階まで繋がっており、全ての移動をバイクで行うことができることだ。


 水による湿気を気にする必要がないのが、仮想空間の特徴と言えるだろう。


 なので、わたしたちも目的のお店までバイクを走らせてモール街の真ん中から辺りを眺めていた。


 ワールドインを行った地点も活気が溢れていたが、こちらも負けず劣らずに人通りが多い。


 加えて、何処となく富裕層が多い印象を受けた。身に纏っている衣服や雰囲気から、裕福な人がもつ余裕のようなものを感じる。


 そして、2階の少し奥まった場所にある真っ白な暖簾が下がっているお店の前でバイクが停車した。


 降りてバイクを収納すると、ほぼ同タイミングで到着したスノウちゃんとコウさんも同様に降りてきた。


「お疲れ様、ようやく到着したわね」


 んー、と、身体を伸ばしながらコウさんが口にした。


「久々に、長旅だったわ。さて、ここのお店で働いているのが私の知り合いで居住エリアの管理をしている人よ。彼なら、居住エリアへの移動権限をいただけるはずだから、お願いしましょう」

「はい、よろしくお願いします」


 わたしが返事をすると、コウさんを先頭にお店の中へと足を踏み入れた。


 内装は、イメージ通りの和風でカウンターや掘りごたつの座敷があり、壁には掛け軸や風景画などが飾られている。


 パッと見てお客はおらず閑散としている。食事する時間とは少しずれているからかもしれないが、人気をあまり感じない。


「カイさん!いらっしゃいますか?」


 コウさんが言葉を投げかけると、しばらくした後に中から1人のガタイの良い緑色の着物に袖を通した少し強面な感じの良い男性が現れた。


 男性はコウさんを見るなり、おお、と意外そうな声を上げた。


「久しぶりやないか、コウさん!しばらく顔見らんかったから、どっかでぶっ倒れてないか心配しとったんじゃ」


 ははは、と大声で笑うカイさんと呼ばれた人物はとても嬉しそうだ。両の腕を袖に入れて仁王立ちしているポーズがよく似合っている。


「貴方の私に対するイメージがよく分かりました……!そのことは後ほど追求するとして、本日はお願いがあってきました。この子達に居住エリアへの入場許可を与えてくれないかしら?」


「ほー」と、カイさんが声を上げた。


「よろしくお願いします」と、わたしを合わせて頭を下げる。


「そいつはまた、珍しい相談に来たね。目的は?」

「この子に会いたい人がいるんだ」

「呼べばいいのではないのか?」

「容姿しかわからないの、直接会って確かめたいからどうにかできないかしら」

「そういうことか」


 カイさんは、チラリとわたしに視線を送った後に小さくため息をついた。


「残念だが、君たちのお願いを聞くことはできない」

「な……」


 コウさんの息を呑む声が聞こえた。


「どうしてですか」


 私も狼狽えて聞かずにいられなかった。


「それは彼女に聞いてもらったほうがいいかもしれないな」


 その言葉と共に奥から1人の女性が姿を現した。

 特徴的な金髪長身に修道服姿の女性。

 わたしの知る限り、そんな姿のアバターをしている人物は1人しかいない。


「どうして、あなたがここにいるの?シスター」


 わたしの目に映るのは、現実なのか疑いたくなる。

 だって、その人物はわたしの絶対的な味方のはずだ。いつだって、わたしを信じてくれる存在だった。


「わかるだろ、あんた達をこの娯楽エリアから出さないためだ。そういう約束だったろ」

「嫌だ、わたしは居住エリアへ進む」

「なんの為だ。さちの最終的な目標は、答えを出すことだろう。なら、どうして、わざわざこんな面倒なことをする必要がある。このワールドじゃなくても果たせるだろ」

「心にしこりを残したくない」

「そんなわがままなら、聞けない」

「これまでもそうだったよ。わたしのわがままだった。でも、一緒についてきてくれた」

「今回は……ダメだ」

「シスター、わたしは、気になることも禍根も残して、後悔をしたくないんだ。お願い」


 数秒、考える間が生まれた。

 それでも、シスターが考えを変えることはなかった。


「ダメだ、カイには私から決して居住エリアへの入場許可を与えないようにお願いした。諦めろ」


 シスターが踵を返して話は終わりと中に戻っていった。

 残されたのは、わたしたちとカイさんだけだ。

 カイさんは、腕組みをしたまま、こちらへと向き直った。


「というわけなんだ、君たちよりも彼女が先に来てお願いされた。加えて、彼女には借りがあってね。コウさんとも、親しくさせてもらっている中ではあるけど、今回は彼女を優先させてもらうことにした。申し訳ないが、お引き取り願いたい」


 言葉を失っているわたしをスノウちゃんと歌絵が手を引いてくれた。

 視界の端でカイさんがコウさんに何かを手渡し、会話しているのが見えたが、今のわたしに考える余力は残っていなかった。


****


「さてー、どうしましょうかね」


 歌絵の声が右隣から耳に入ってきた。

 聞こえてはいるのだが、思考停止状態のわたしは返事をすることができなかった。わたし達が今いる場所は、元のショッピング区画の噴水広場だ。


 ひとまずそこでスノウちゃんとわたしと歌絵の3人で腰を下ろしていた。コウさんは、少し席を外すと言って、この場を離れている。


 通常考えれば、別な方法を模索して先に進もうとするべきだろう。

 そう分かっているのだけど……。

 ふと、頬を誰かの両手で挟まれて俯いていた顔が無理やり正面を向かされた。そこには、スノウちゃんの顔があった。

 相変わらずの無表情で笑顔を見せてくれることはないけれど、少し悔しそうな感情が見えた気がした。


「さち様、否定されても前に進むのではなかったのですか?」

「スノウちゃん」

「私は貴方がやりたいことに従います。でも、それは貴方の望みであって欲しいと思っています。だから、例えそれが、誰かに否定されたことであっても、間違いだとしても、私は貴方の望みであればどこまででもついていきます」

「どうして、そこまでしてくれるの…?」

「それが私の感情だからです。貴方が教えてくれました」

「……ありがとう」


 改めて、わたしが1人でここにいるのではないと気づかせてくれた。

 シスターの考えは理解できないし、今はわたしの思いの通りにさせてくれないこともわかった。でも、諦めるのは早い。

 わたしは、わたしのやりたいことをやるんだ。


「そーですよ、さち。私も一緒に考えます」


 歌絵がわたしの手を握って笑顔を見せてくれた。


「2人ともありがとね。よし、もう一度調べてみよう!」


 3人で心を一つにしているところに、


「あらあら、私を仲間はずれにされると悲しいわ」


 コウさんが戻ってきた。


「ごめんなさい、つい勢いで」

「いいえ、元気になったみたいで良かったわ。ちょうど情報が入ったから、話しておくわね」


 コウさんが私たちの前で手のひらを広げてそこには居住エリアへの入室方法と書かれた画面を表示させた。


「居住エリアへの入室については、3つのやり方があるらしいわ。1つは住居を購入すること。これは、現実的に無理ね。人気すぎて新規住居は予約が一杯でキャンセル待ちの状態だから。次点が管理者の許可を得る。これもダメになったから最後が、居住者の承諾を得る。これしかないわね」

「ちなみにですが、コウさんと歌絵にあてとかは……?」

「……」


 2人とも黙ってしまった。


「すみません」

「いいのよ、正直住居に住んてる人って少数派な上に自分から口にしたりしないから仲良くなるのは中々難しいのよね」

「私はそんなこと考えたこともなかったのでー」

「じゃあ、まずは居住エリアの人と知り合うところからですね。人が集まりそうな場所をいってみよう」


 うん、と4人でうなづいてバイクを手持ち画面から取り出そうとしたとき、


「おやおやおや、お困りみたいだねぇ。手伝ってあげようか?」


 背後から突如話しかけられた。

 気を抜いていた。だって、物事は順序どおりに進むと思っていたから。


 ましてや上手くいかなかった直後だ。


 今、わたしの視界に入っているものを正しく認識できているのかを疑いたくなった。わたしの目の前にいる人物は、わたしの面影を残した瞳、口、鼻の高さ、わたしが実は気にしている目の下の小さな傷、髪の長さは伸びて肩口まである。


 同じではない、一緒ではない、けれど、別人ではないとわたしが感じてしまっている。


 黒の革ジャンにジーパン、その服装はまるでお姉ちゃんのようだった。わたしは、ようやく言葉を紡げた。


「あなたは誰?」


 ん、と一瞬キョトンとした表情を見せた後にははは、と笑った。


「面白いことを聞くねぇ」


 その笑った姿はいつぞや写真で見た、


「わたしは、貴方だよ」 


 わたしそのものの表情をしていた。

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