第3章 アイランドセントラル学園

**第1幕**


夢を見ていた。

それは、過去の記憶。


私がまだ病気になっておらず、外で遊んでいた時の光景。

当時感じていた夏の暑さや草木の匂いが懐かしい。


あれから10年も経つのに、今でも思い出せる自分はすごいなと素直に感心する。


それは彼、浅田 雪(せつ)君との思い出。

彼の名前から、ゆきちゃんと私が呼ぶことを凄く嫌がっていたけれど、そんな彼の様子を見るのが凄く好きだった。


 笑顔を見せる私と仏頂面の彼、そして、彼のおじいちゃん。

 この記憶は間違いなく私の中で、大切な思い出として、私という人格を形成する一端を担う出会いだった。


 だからこそ、いつまでも、何度でも見ていたいと思うけれど、無情にもそれが私の記憶の中の形ないモノだといつも起きてから思い知らされる。


 その時の棘が刺さったような心の痛みは、ちくりと私の心に残滓のようにじくじくと残り続けていた。


「ゆき・・・ちゃん」


 見慣れた部屋の天井を眺めながら、目を覚ました。今まで見ていたものは、記憶の片隅に退散して病気による胸の痛みが目の前が現実であることを告げていた。


 近くのテーブルに置いてある薬と水を流し込んで、深呼吸した。しばらくしたら落ち着くはずだ。


 手の届く位置にあったということは、誰かがこの部屋に入ったのだろう。

 その答えはすぐに部屋の扉を開けて現れた。


「おはよ、さち。気分はどう?」


 軽く手を左右に振りながら、姉のみゆきが部屋に入ってきた。

 真紅のライダースーツに黒のパンツを身にまとい、髪を一房にまとめたポニーテールがよく似合っている。


「まだバッドだよ、お姉ちゃん。ちょっと、しんどい」


 私が指でバッテンを描くと、首を上下に振ってお姉ちゃんは近くの椅子に座った。


「そうか、無理せず横になっておきなさい。沙織さんも心配してたよ」


 沙織さんとは、我が家の家政婦さんだ。

 普段は優しいけど、私や姉が悪戯をしたときや使用人のドリルさんに対しては鬼のような形相で怒る、行動がハッキリしている人だ。


「うん、後でお礼いっとくね。お姉ちゃんもありがとう。最近忙しいんでしょ」

「いえいえ、どういたしまして。最近はちょっと野暮用が増えたからね。中々、来られなくてごめんね」


 今年で22歳になる姉は、難関高校を主席で卒業し、海外の大学へ進学すると飛び級で卒業したと聞いている。

 そんな姉が手こずる野暮用の話も聞いてみたいけど、今日は置いておこう。


「ねぇ、お姉ちゃん。時間まだある?この体調じゃVIWには入れないし、ちょっとお話し聞いてくれる?」

「うん、いいよ」

「ありがと、私がまだ病気なってときにね、男の子に会いに公園に行ってたときがあったの。さっきその子の夢を見てたんだ」

「へぇ、初めて聞いたよ。仲良かったの?」

「うん、周りの子と仲良く出来なくて、唯一、一緒に遊んだのがその子だったんだ。名前は『浅田 雪(せつ)』。私はゆきちゃんって呼んでたの」

「雪と書いて『せつ』と読むのは珍しいね。男の子にゆきちゃんは、同情するよ」


 お姉ちゃんがくすくすと笑った。

 上品な笑い方で私は、綺麗な笑い方だなぁと感心というか羨ましく思った。


「そのくらい親しく思ってたの。私にとって、初めてで唯一無二の友達だったから」

「そっか、その子のこと、好きだったの?」

「どうかな、好きってよく分からないから」

「その子と毎日でも会いたかった?その子といて居心地が良かった?」


1度、目をつぶり過去の2人で過ごした思い出を脳裏に浮かべて答える。


「うん・・・」

「その気持ち大事にしてね。恥ずかしがることはない。さちの心が感じた感情は間違いなくさちだけのものだから」

「そっか、ありがと。お姉ちゃん」


 にこっ、とお姉ちゃんが微笑んだ。


「その雪くんとは、最近は会ってるの?」

「んーん、私が家に引きこもるようになってからしばらく会いに来てくれてたんだけど、いつからか来てくれなくなって、、」


 私は、当時の悲しみを思い返した。


 それまで、少なくとも1週間に一度は会いに来てくれていたのに1ヶ月経っても来なかった。


 希望を持って待っていた時間の分だけ、来ないとわかった時の絶望は大きくてしばらく心に穴が空いたように考えることを拒否していた。


「それは、気になるね。せつくんに来れなくなった事情があったのかもしれない」


 お姉ちゃんは少し考えたあと、


「よし、せつくんは私が探しておくよ」


 意外な提案をしてきた。


「え、お姉ちゃんも忙しいのに悪いよ」

「そんなことあんたが気にしなさんな。何か進展があったら、連絡するね」


 話しは終わりとお姉ちゃんは、そそくさと部屋の扉へと向かい、廊下に出ると上半身を出した状態で私に手を振った。


「またね、さち」


 その言葉を残し、爽やかに去っていった。


〜〜翌日〜〜

 体調が回復し、いつも通りVIWのアイランドセントラル学園へ登校した。


「おはよー」


 私が教室の扉を開けて中に入ると、何人か反応してくれた。

 いつも真っ先に私のところに来てくれるハル子は、見当たらない。

 それにどことなく、いつもより朝から雑談をしている人が多い気がする。

 みんな数人のグループに分かれて、ヒソヒソと会話している。

 とはいえ、興奮しているからかこっそりした感じではなく、雑談のような声量になっている。


 今は、2週間後に迫った文化祭の準備を進めているため、浮ついたり感じになるのは理解できるけど、どうも雰囲気がそれとも違うように感じる。


 近くにいたクラスメイトの1人に聞いてみることにした。


「ねえ、みんなの様子が変だけどどうしたの?」


 彼女はウキウキした様子で近づいてきて、私の耳元に顔を寄せた。


「あのねあのね、内緒なんだけど」


 女学生の『内緒なんだけど』は、『明日からダイエット頑張る』と同じくらい信用がなく、その秘匿性の低さは薄皮一枚程度しかない。


「ハル子ちゃんが、他校の生徒に告白されてたらしいよ!」


 これがクラスがざわついてる理由か、、。


「そうなんだ、、。教えてくれてありがとう」


 教えてくれたクラスメイトにお礼をいって、もう一度周りを見渡してもやっぱりハル子はいない。


 授業の時間が近いため、ハル子へ連絡だけ行い、後で話を聞くことにした。


****


 ハル子からの連絡は、昼休みにきた。


『ごめん、今日は登校しないから17時にABCカフェで会おう。うちも聞きたいことがあるから』


『りょーかい』と返事をして時間外にお店の並ぶ街中に出てきた。


 ABCカフェは、行きつけのお店で学生向けに安価に飲み物を提供してくれる仲の良い老夫婦が営んでいるお店だ。


 アンティーク家具が並べられた店内は、落ち着いた雰囲気で安心できる。

 仮想空間内にカフェを出店しているのは、チェーン店が多いので個人が経営している珍しいお店だ。


 今は授業が終わった後の16時、もう少し時間があるので、お店を巡って時間を潰していた。


 この辺りは、商店が立ち並んでいて主に洋服や雑貨、カフェなどの若者が立ち寄ることを想定した店舗がおおい。ふと、お店を見ている中で見知った顔を見つけた。


「アインスくん、久しぶり!」


 スノウちゃんがNPCではなくなって以来、2週間振りに顔を会わせた。

 以前は赤色のパーカーを着ていたが、今日は同じ柄の黄色を着ている。こちらを振り返ると、にこりと笑顔を向けた。


「こんにちは、さちさん。私はドライと申します!アインスより、話を伺っております。申し訳ございませんが、本人ではございません」


 丁寧な口調で本人ではないと否定の言葉を頂いてしまい、困惑した。確かにプレイヤー名は、drei(ドライ)と表記されている。


「アインスくんではないんですね。ご兄弟の方ですか?」

「その辺りの説明は、アインスからさせた方が良いでしょう。ちょっと呼びますね」


 いうが早いか、手元で指2本を動かすとメッセージを送信しているようだった。

 5分ほどですごい駆け足で本人と思われる赤いパーカーを着たアインスくんがやってきた。


「さちさん、しばらく振りです。驚かせてしまったみたいですみません、、」


 息を切らせながら、現れたアインスくんが開口一番に口にした。


「大丈夫だよ、状況が掴めてないだけだから。えっと、兄弟じゃない、って聞いたけど、2人はどんな関係なのかな」

「彼は僕のクローンアバターと呼ばれる存在だよ」

「クローン、アバター?初めて聞いた」

「一般的にはあまり認知されていないシステムオプションだからね。クローンアバターは、一言で言えば自分の分身のような存在を作れる機能だよ」

「そうなんだ」


 ちらりとドライさんを見ると、ニコリと笑いこちらに会釈した。


「すごい技術だけど、NPCと同じなの?自由に動かれると怖くない?」

「その点は大丈夫。知識は共有してるけど、知能までは僕と同じではないから簡単な受け答えが出来る程度のことしかできない。彼らは、主にこのワールドの管理で人数が必要だから作ったんだ。実は僕の仕事がワールドの管理業務の請負なんだよ」

「おお、見た目によらず、すごいお仕事をしてるね」


素直な感想を漏らすわたしに、

「きみは相変わらず、何気に傷つくことをサラッと口にするね」

苦笑いして口にした。

「そうですか?」


 わたしがキョトンとした顔をすると、

「まあ、いいけど」と話を続けた。


「彼らがいると、何か気になったことを即時報告してくれたり、ログアウトした後、クローンアバターがみた知識も共有されるから助かるんだよ。8人いてドイツ語の数字になぞらえてacht(アハト)までいるよ」

「なるほど、みんな同じ名前にはしないんですね」

「流石に見た目も名前も同じでは、周りの人が区別をつけられないからね。ま、僕にとっても分かりやすくていいんだよ」


 それもそうか、どこに誰を配置したとかみんな名前が一緒だと分かりづらいしね。


「アインスくんのクローンアバターでスタンプラリーとかしたら面白そうだね。今度みんなに会いにいってみようかな」

「きみは、、突拍子もないことを思いつくな。色んなところに点々と配置してるから、会ったら声をかけてあげてくれ」

「そうします!あ、もう時間だ。アインスくんまたね」


 ドライさんとアインスくんに手を振って、その場を後にした。

 よく考えると、2人は同一の存在ならドライさんもくんなのかな、と、考えながらABCカフェに向かった。


****


 お店に入ると、すでにハル子は席についていた。わたしがお店に入ってきたことに気づくと、軽く手を振ってわたしを誘導した。


「ごめん、お待たせハル子」

「んーん、気にせんでええよ。うちも待ってないし」


 彼女の目の前に置かれているカフェラテが既に半分くらい減っているため、多少待っていたと思うけど臆面にも出さない。


「今日は来てくれてありがとね。あ、わたし、オレンジジュースお願いします」


 お店のおばあちゃんに注文して席についた。


「こっちこそありがとね。今日は普通に登校したん?」

「うん、体調も回復したから。ハル子はどこかに行ってたの?」

「ああ、ちょっと別のワールドに用事があって。今日はうちに聞きたいことがあるんだよね?」


 話を逸らすようにハル子が聞いてきた。率直に聞いてみることにした。


「うん、クラスでハル子が告白されたことが広まってたから、大丈夫かなと思って」

「あー、やっぱりそのことか。女の子の口の軽さは、羽毛並みやね」


 ハル子が、はは、と声を出して笑った。


「あ、一応、言っとくね。これ、内緒の話らしいよ、、」


 わたしがこっそりと言った仕草で口にすると、ハル子が吹き出した。


「もう、言いたいだけじゃん」


 2人して声を出して笑ってしまった。

 ひとしきり笑った後、2人して、しーっと指をたてて静かにしようと合図した。


「それで、どうするか決めたの?」


落ち着いたところで話を戻した。

ハル子は少し困ったような顔をした。


「断ろうかと、思ってる」

「そうなんだ、知り合いじゃないの?」

「ううん、街で何回か一緒に遊んだ間柄ではあるっちゃけど・・。うちは恋愛対象として考えてなかった」

「どうして?」


「現実の学校に通ってる人やったけん。うちには、荷が重いなって」


 わたしはその言葉に反応できない。

 ハル子が言っている意味が分からなかった。

 わたしの雰囲気を察してか、ハル子が言葉を続けた。


「さっちんに聞かれなかったから、あえて言わなかったけど、うちは現実では両足が動かんとよ。やけん、そんなうちと現実で会った時に彼がガッカリされるのが怖い。心に小さな傷が残るような気持ちになるんよ」


 言われて理解した。

 ハル子のいう荷が重いという意味。彼の思いに応えられないのじゃないかという不安を。


「うちら仮想空間の学校に行ってる子は、大なり小なり問題を抱えてここにいると思ってる。うちもそうだからなんとなく感じてるけど、さっちんもそうでしょ」


 わたしの抱える問題。

 確かにそのことを学校の誰かに話したことはない。それは、自分から言わない場合は聞かないという暗黙の了解に守られていたから、なのかもしれない。


「うちらは、今、現実に痛みを仮置きすることで現実から目を逸らせてる。その痛みを彼が目の当たりして、現実のうちが幻滅されたらと思うと胸が痛くなるんよ。それなら、いっそ初めから付き合ったりしなければこんな思いをしなくてすむから、、」


 ハル子の吐露は、ここで終わった。

 わたしは、なんとか返す言葉を、雲を掴むような思いで探してみても空を切るばかりで開いた口からは何も出てこなかった。


「ねえ、さっちん。どう思う?」


 ハル子の問いは、わたしならどうするかを聞いているのだろう。

 例えば、相手が雪ちゃんならわたしは、彼の気持ちに応えるだろうか。


 『荷が重い』


 ハル子の言葉がわたしの心に重くのしかかった。


**第2幕**


 カフェのテラス席に座ってオレンジジュースを飲みながら、行き交う人をぼんやりと眺めて物思いに耽っていた。


 今日はライブなどのイベントが無いからか、人通りはまばらだ。

 1ヶ月前にここで行われたカノンさんのライブとその後のやり取りを思い出すと、心が温かくなるのを感じる。


 改めて、ワンダーランドに来たのは他でもない2人に会いに来たからだ。


「お待たせ、さちちゃん」


 声をかけられて、顔を上げた。

 そこにはツバ付き帽子を被り、黒レンズのサングラスをつけたカノンさんと来栖さんが立っていた。

 カノンさんの手には、杖を持っている。


「いえ、こちらこそ、忙しい中お呼び立てしてすみません」

「いいよいいよ、ちょうど今は暇な時期だから」


 カノンさんが椅子に座ると、ぷらぷらと手を振った。


「それで軽くはメッセージで聞いたけど、詳しい話を聞いてもいいかな」

「はい、実は・・・」


 わたしは、昨日のハル子との会話のことを2人に話した。


****


 ハル子の質問に対する回答に窮したわたしの口から、


「いまは分からない、、。でも、わたしも考えるから時間を頂戴」


 そんな言葉がこぼれ出た。


「うん、なんかごめん。うちの問題なのになんか、重たい話になっちゃったね」

「ううん、わたしから聞いたから、そういえばわたしにも聞きたいことがあったんだよね?」


 あ、とハル子が思い出したような表情をした。


「そうそう、聞きたかったことがね。さっちんって、お姉さんいる?」

「え、うん、いるけど」


 ハル子の意図が掴めずに普通に答える。


「さっちんと瓜二つだったりする?」

「いや、わたしを10倍くらい綺麗にして、小顔にした感じ」


 ハル子が吹き出した。


「何それ、別人じゃん。少なくとも瓜二つではないのか」

「どうしたの?」

「今日、ニライカナイっていうワールドに行ってきたの。そこで占いしてる人に今回のこと相談してきたっちゃけど、そこでさっちんに激似の人を見かけたんよ。まるでさっちんがそのまま年齢を重ねたような風貌をしてた。前にさっちんのアバターは、現実の姿を模したものだって聞いたことあったから、それで」


 なるほど、それでわたしの姉なのかを確認したのか。


「聞きたいことは分かったけど、お姉ちゃんじゃないね。間違っても、お姉ちゃんはわたしが歳を重ねたような姿じゃ無いから」


 そっかー、とハル子が悩むような表情をした後に、「まあ、いっか」と話を終わらせることにしたようだ。


「偶然似てるアバターだったってことにしておこう」


 ハル子がうんうん、と首を縦に振った。


「あ、ちなみにPN(プレイヤーネーム)は、みた?」

「うん、確か、Ai(あい)」

「あい」


 思わず、その名前を復唱した。

 アインスくんのクローンアバターのことがあったからだろうか。

 自分と同じ姿をしたアバターというのが気になってしまった。当然わたしがクローンアバターを作った事実はないし、身に覚えもない。


 結局、その話もそこで終わりとなり、ハル子とはそこで別れた。


 帰り道にわたしは、ハル子の話を思い出して考えを巡らせていた。

 ハル子は、現実の自分の足が動かないことを『痛み』と例えていた。つまり、彼女にとってはマイナス点、汚点なのだ。


 それを彼に知られたときに足を引っ張ることになるのが怖い。そんな彼女の考えを否定することなんて、今のわたしには出来ない。


 そもそも、男性は本当に気にするのだろうか。誰か意見を聞いてみたい。


 わたしは、モニターを表示させてカノンさんと来栖さんのチャットへメッセージを入力した。


****


「、、というわけなんです」


 わたしの話がひと通り終わり、静かに耳を傾けていたカノンさんと来栖さんが顔を上げた。


 来栖さんが話しはじめようとしたところで、カノンさんがそれを静止した。


「さちちゃん、これは年長者としてのアドバイスというか、指摘、かな。先に伝えておくべきだと思うから、前提として話しておくね」


カノンさんが一度、言葉を区切って、


「さちちゃんの意見は、余計なお世話、かもしれないよ。この手の話は経験上、自分で答えを持っていて同意を求めているだけのことが多い。こうして、私たちに相談していること自体がその子にとって望むものではない、かもしれない。それでも、話を進める?」

「はい、わたしはハル子と約束したんです」

「さちちゃんは、真面目だねぇ。来栖、お願い」


 そこで来栖さんに話を振った。


「分かった。さちちゃん、僕も花音と同意見だけど、それを踏まえたうえで伝えるなら。現実の身体がなんらかの問題を抱えている場合、気にならないというのは嘘になるだろう。ただしそれは、将来を見据えている場合だ。その子が現実で会うことを想定してるなら、そこまで考えてるんじゃないかな」

「確かにあの子はそこまで考えてると思います」

「うん、だとしたら後はその子の気持ち次第になる。ここで、その相手の子が関係しそうだけど、実はそうじゃない。何故なら人の気持ちは変わるから。その子自身の気持ちが拒んでいる場合は、一緒にいてもいつか気持ちが変わってしまうことを恐れて、楽しくないはずだ」

「・・・」


 思わず無言になってしまった。

 確かにわたしは、そこまで考えてはいなかった。


「君は真面目だし、真っ直ぐだ。でも、それだけじゃいけない。理屈だけじゃなくて、その子の気持ちに寄り添った答えじゃないと、僕の言っている意味は分かるかい?」

「はい」

「よかった、さてここまで話すとその子が言ってることをそのまま鵜呑みにするしかなくなってしまうから、僕たちの話をしておこうと思って足を運んだんだ」


 そこでカノンさんの肩に来栖さんが手をおいた。

 すると、カノンさんがサングラスを外した。

 その目は、焦点が定まっておらず、わたしと視線が合っていない。


「カノンは、現実では目が見えていない。仮想空間では、脳に直接視覚情報が送られるから問題なく見えるけどね。だから、ライブをするときは仮想空間で行っている。そんな彼女と僕は、彼女の目が見えなくなってから交際を始めた。先日は、婚約もしたしね。それは、どうしてだと思う」

「来栖さんがそのことを踏まえても、カノンさんと一緒にいたいと思ったからですか?」

「うん、半分正解。1番は、カノンの目が見えないこともカノンの魅力であり、カノンの一部だと思ってるから」


 あ、とわたしの口から声が漏れた。

 カノンさんと来栖さんの関係の深さを改めて、気付かされた。


「花音と一緒にいることで、今の僕がある。花音が僕の可能性を広げてくれる。僕らの関係性はそんな感じだ。どうして、僕が花音と一緒にいることを選んだか、伝わったかな」


「はい」と首を縦に振った。

「よかった」と来栖さんが笑顔を見せた。


「ねえ、」とそこでカノンさんが来栖さんに不満そうな顔をして声をかけた。


「私、今の話初めて聞いたんだけど」

「それは、直接本人に言うなんて恥ずいだろ」

「言おうよー、直接。そういうところだぞー、私を不安にさせるの」

「そのくらい許してくれ」


 ポカポカと来栖さんを叩くカノンさんの姿に心がほっこりした。


「少しは参考になったかな?」

「はい、あとはわたしなりに考えをまとめてみます」

「そうか、頑張りな」

「はい!」


 わたしは、笑顔を見せて肯定した。


「よし、それじゃあ、私も仮想空間に入ってくるから一緒に遊ぼう、さちちゃん」

「え、でも、来栖さんは?」

「僕のことは気にしなくていいよ。これから、仕事に戻るつもりだから。花音をよろしくね」


 来栖さんが手を振り、仮想空間へ入るために2人で去ろうとしたところで、「さちちゃん」と呼ばれた。

 わたしがカノンさんに近寄ると、カノンさんが耳元に顔を近づけた。


「ありがとね、来栖の話を聞けて嬉しかった。多分来栖も、話す機会が出来てよかったと思ってるよ。大人は、中々本心を言うのが下手くそになるから、いい機会だったと思うの」


 それだけ告げると、わたしから離れた。


「10分後にまたこの場所でね」


 2人は笑顔で、この場を後にした。

 氷が溶けて多く水を含んで薄まったオレンジジュースをかき混ぜながら、わたしは来栖さんの話を思い出していた。


「魅力の一部、、か」


 来栖さんが、カノンさんに対して抱いている思いは2人の関係性からくるものが大きかったけど、何よりその考え方がとても参考になった。


 きっと、ハル子が感じているマイナス点も彼女の魅力の筈だ。あとは、


「どうやってそれを伝えるか」


 オレンジジュースを飲むと、水を多く含んで少し薄くて甘さが控えめな優しい味がした。


**新和20年9月20日**

例えば、ハル子とわたしがこの日に話をしてなかったら、きっとこの先に明るい未来はなかったのかもしれない。

そのくらい大切な日になった。


それは、お互いのことを知って、お互いの手を取り合うことができたからだろう。

わたしたちは、きっとこの日に本当の友達になれたんだ。


**第3幕**


 ハル子と話をしてから数日後に改めて、ハル子をABCカフェに誘うことにした。

 メッセージを送ると、前回と同じく時間外に会うことになった。


 幸か不幸か、顔を合わせる機会が少なかったので気まずくなるような事はなかった。


 それでも、ABCカフェに向かう道すがらと待っている間も緊張しているのが自分でも分かる。お店に入って頼んだオレンジジュースに、手をつけられていない。


「はー、、、」


 思わずテーブルに突っ伏して、大きなため息が溢れた。

 これまでの人間関係でここまで困ったことなんて無かった。

 ここまで踏み込んだ関係は初めてだ。


 人に嫌われるかもしれないというのは、こんなにも心にずしりとまるで重圧がかかっているかのような錯覚に陥るものなのかと思い知らされる。


 相手を大切に思うほどに、重たくのし掛かる。


「これが愛なのかな」


 ぽつりと呟くと、不思議と合点が言った気がした。友だちに対する愛情。きっと、わたしは彼女のことを友だちとして好きなんだ。


 しばらくテーブルに顔を押し付けていると、目の前に1枚のパンケーキが置かれた。

 顔を上げると、お店のマスターであるお祖父さんがそこにいた。


「わたし、頼んでませんが」

「この前と違って、答えを見つけた目をしとる。だが、不安は相手にも伝染する。不安が相手の心に溶け込む際の混入物としてシコリが残り、邪魔をする。不安なぞ、これを食べて忘れろ」


 表情を変えず、仏頂面で口にする励ましの言葉に少し笑ってしまう。マスターと会話するのは、今日が初めてなのに他人の気がしなかった。


「ありがとう」


 それを伝えて有り難くいただくことにした。

 ふん、と鼻息を1つしてマスターは厨房へ戻っていった。


 それからしばらく待っていると、ハル子がお店に入ってきた。この前と逆の立場で、わたしが手を振って彼女を誘導した。

 しかし、ハル子は少し戸惑っているようだった。いや、事実戸惑っただろう。その理由をわたしは知っている。


「さっちん、だよね。そのアバターは?」

「うん、わたしの現実そのままの姿だよ」


 わたしの言葉通り、今のアバターは現実の体型に白衣を着た病人の装いだ。


 最初にアバターを作成する際、身体をスキャンして現実によせて作ることが多い。

 その為に、最初に作成されるアバターは自分をスキャンしたものになる。だが、少し慣れたら直ぐに自分好みの姿でログインするようになる為、利用する機会は少ない。


 何より、本来わたしのような場合、特に敬遠するはずだ。


「今日の話をするなら、この姿が1番だと思ったの」


 わたしがはにかんで笑うと、ハル子は席に着いた。ハル子の表情が少し固くなった。


「ごめんね、突然でビックリしたよね」


 わたしの謝罪にハル子は首を横に振った。

 今のわたしの姿は、元のアバターに比べると背が低く、痩せ細り、腰まである髪を1本に纏めていて同じなのは顔だけだ。


 元気じるしの快活な女学生の姿から考えると、詐欺と言えるほどの変貌ぶりだろう。


「私の名前は、『橘 さち』。心臓の病で余命あと1年を宣告されている女の子です」


 え、とハル子の口から言葉にならない声が漏れた。


「薬で命を繋ぎながら、家から出られず部屋と家の中だけで過ごして、学校は仮想空間。普通に暮らしている人からしたら、それはそれは可哀想に見えるよね」


 自分に問いかけるように話をする。

 正直にいえば、そう思っていた時期も存在した。


「でもね、いまのわたしは、そんなこと思わないんだ」


 笑顔を見せて、ハル子に語りかける。


「だって、病気じゃなかったらハル子に出会えなかった。ハル子の気持ちに寄り添うこともできなかった。いまを一所懸命生きようだなんて、思えなかった」


 精一杯の想いを伝える。

 わたしが出した答え。


「ハル子、私ね、好きな人がいるの」

「うん、、」

「5歳のときに知り合った子なんだけど、どうもいまだに好きみたい。気づいたの最近だけど」


 はは、と照れくさくて笑えた。


「いつか会えたら伝えるんだ。好きって。その人が拒絶しても構わない」

「どうして?」

「後悔をしたくないから。失敗してもいい、でも後悔を残したままの人生なんてつまんないよ」


 ハル子は俯き、その表情は曇っている。


「これがわたしの答え。悩んでるなら、告白してくれた人のこと、好きなんでしょ?わたしはハル子に後悔して欲しくない」


 ハル子は悩んでいるようだった。

 そして、顔を上げた。


「ありがとね、さち。現実の姿まで見せてくれて。さちの気持ちは伝わったし、言いたいことは分かった。でも、」


 表情は曇ったままだった。


「うちはさちのように強くはなれないよ。やっぱり怖いよ。現実の学校に行ったことあるんよ。車椅子のうちを面倒くさそうに対応したり、特別扱いされるうちの陰口叩いたり、すごく嫌だった。手のかかるうちのことを周りはマイナスとしか思ってくれない」


 ハル子がおもむろに立ち上がると、


「うちは、ダメな子なんよ、、」


 走ってお店を飛び出した。


「ハル子、待って!!」


 静止したが、そのまま出ていってしまった。

 わたしも続きたいが、ちらりとマスターを見た。親指を立てた手をクイっとドアに向けて何度も前後させた。行け、と言ってくれてるのだと分かった。


「必ず戻ります!」


 それだけを伝えてわたしも飛び出した。


****


 外に出ると、周辺を見渡してみた。

 人通りはあるけど、ハル子の姿はすでにない。


 闇雲に走り回っても、見つけることができる可能性は低い。


「どうやって探そう、、」


 この時間から学校関係の友人をあたるのは難しい。いい案が思いつかない。

 悩んでいるところに、


「さちさん、どうしました?」


 アインスくんの声が耳に届いた。


「アインス、、くん」

「どうしたんですか?そんなにあわてて」

「大切な友達を探してるの。何処にいるのか分からなくて」


「なるほど」と口にして直ぐ様、メッセージモニターに指を走らせる。


「さちさん、僕に探し人の写真データを送信してください」


 わたしは事前に聞いていたアインスくんのアカウントに画像を送信した。

 すると、それを受信したアインスくんが何かのメッセージと共に連絡を行なっている。

 その内容は、わたしにも共有された。


『緊急依頼。クローンアバター全員、今送信した女学生の人探しを命じる。プレイヤーマップの利用も許可する。見つけ次第、連絡求む。』


 連絡を完了させると、アインスくんがわたしに向き直った。


「学生の帰り時間を過ぎている夜間に近い時間なので、比較的早く見つかるでしょう。見つかったら共有連絡があると思うので、僕も探しに行きます」


 言うが早いか駆け出した。

 あとでちゃんと、お礼をしよう。


 わたしも後を追うように自転車に乗って、心当たりを探し始めた。


 学校 公園 神社 海


 何処にもいない。

 普段みんなで行っている場所ではないことになる。少し離れた場所にショッピングモールがあるけど、こんな時間に行くとも思えない。


 悩んでいるところにメッセージが届いた。


『女学生の方見つけました。場所は・・』


 なるほど、と納得した。

 そこは、ハル子が通っているフットサル部の競技場だった。


****


 ハル子は、観客席からコートを眺めていた。


「ハル子、、、、」


 わたしが後ろから話しかけると、心底驚いた顔をしていた。


「さち!どうしてここが、、」

「人探しが上手な人に助けてもらったの」


 ちょっとチートに近い人海戦術だけど、嘘は言ってない。隣に座っても観念したように逃げる様子はなかった。

 コートには、現在誰もいない。

 仮想空間も夜になると暗くなる為、上空に設置された球体のライトがコートを薄く照らしている。


「ここに通ってる男の子に、告白して貰ったんだ。仲良かったし、嬉しかった。けど、踏み出せなかった」


 ハル子は目に涙を浮かべて、膝を抱えて顔をうずめた。


「彼が好きなのは仮想空間のうちだって思うと、現実のうちが彼と一緒にいる姿がちらつくんよ。迷惑をかけたくないって、思えて」


 その姿を見て、一言いわずにはいられなかった。


「ハル子は、勘違いしてる」


 目を見開いたハル子が私に視線を合わせた。


「迷惑かけていいんだよ」


 ハル子の右手を握る。

 普段みんなを引っ張ってくれる彼女に、彼女らしく前向きになって欲しいと願いを込めて。


「誰だって、出来ないことあるよ。今日だってわたし1人じゃハル子を見つけられないから、迷惑かけて頼った。でも、それでいいんだよ。出来ないことは頼っていいんだよ」

「でも、でも、なんて言われるか、、」

「もう、あーだこーだ言わない!」


 わたしがハル子の口元に人差し指を立てた。

 カノンさんは、これはありがた迷惑と言っていたけど、常套だ。わたしは、自分の意思を貫く。


「わたしがマラソンで困った時に手を貸してくれたのは、誰?」

「う、うち?」

「そう、打算があった?」

「そんなこと、考えてないよ」

「勉強で困ったときにハル子を助けたのは誰?」

「さっちん」

「そう、わたしが勉強を教えるのに嫌な顔をしなかったのはどうして?」

「マラソンで困ったときに助けた、から?」

「違うよ。ハル子が困ってたからだよ。助けてくれたから、助けるんじゃない。助けてくれなくても、わたしは助ける。わたしも助けてなくても、助けてもらう」


 ニヤリと笑ってみせた。


「ハル子はわたしが助けを求めれば助けてくれるし、ハル子が助けを求めればわたしは助ける。その男の子とも、そんな関係になればいいよ」

「なれなかったら?」

「わたしが一杯慰めてあげる。結局は、現実も仮想空間も本質は変わらない。ぶつかって話をしてみないとわからないと思うよ。相手にだってハル子に言えていないことあるよ。みんな一緒なんだよ」

「そっか、、、そうだよね」

「まー、分かり合えない相手もいるけどね。わたしは、親父とは一生分かり合えない自信ある。堅物、頭でっかち、分からず屋!」


 クスクスとハル子が口元をおさえて笑った。


「大丈夫だよ、お父さんともきっといつか」

「だといいけど、ハル子はどうするの?」

「うん、言ってみるよ。うちのこと」

「よし!じゃあ、頑張れ!」


 ニヤッと笑った。


「それはそれとして、、」

「ん?」

「余命あと1年ってほんと?」


 あー、と視線を逸らした。

 上手く煙に巻いたつもりだったけど、そうはいかなかったか。


「うん、残念だけど、ほんと。親父が現実で死んでも、仮想空間の中だけで生きていけるように準備してるらしいけど、それを承諾するかは検討中、って感じか、、な」


 そこまで言ったところでハル子が、号泣しながらわたしにしがみついてきた。


「いやぁ、、嫌だ死なないで、、、」


 改めて、わたしの口から聞いたことで感情が決壊したようだ。しばらくそのまま、ハル子を宥めて落ち着いたところで、わたしからハル子が離れた。


「ごめん、、」

「いやまあ、わたしもつたえて無かったし」


 お互いに謝罪をして、手を取り合った。


「うち、さっちんに会いに行く。現実で会いに行くよ。お金貯めて。それで一杯お話ししよう」


 「うん」と返事をして、2人で約束を交わした。

 そうして、2人にとって特別な日は終わりを告げた。


**3日後**


「おはよー」


 いつも通りに学校の教室へ足を運ぶと、再び教室がざわついているのが分かった。中心にはハル子がいる。なんとなく察しが付いていたので、また近くにいた女の子に「どうしたの?」と聞いてみた。


「あのねあのね、」

「うんうん」

「ハル子ちゃん、告白を断ったらしいよ」


 衝撃の話で思わずむせそうになった。


「こ、断った・・・、そうなんだ。ありがとう」


 教室を見渡すと、笑顔のハル子がそこにいた。


「ヤッホ、さっちん」

「この前の話の流れから、どうしてこうなったのか説明もとむ」

「いや、なんかねぇ。話をしてると、相手が北海道の人で将来を見据えると遠距離だけどしようがないかなとか思ってたら、なんかうちが会いに行く前提みたいな話し方をしてきてさー。なんか、一気に冷めちゃって」


 てへ、と舌を出すハル子。


「うちには、さっちんがいるから、もうさっちん一筋でええわと思って」


 ぎゅっとハル子が抱きついてくるのを引き剥がしにかかるも、周りからきゃーと黄色い悲鳴が上がる。


「告白を断ったのって、そういうことだったの」

「もう、それならそうと言ってくれたらよかったのに」


 と、周りから囃し立てる声が上がる。

 はぁ、とわたしの口から溢れるため息もわたしたち以外には聞こえなかっただろう。


 ま、いいかとハル子の満面の笑みをみるとそう思えた。


****


 後日、ABCカフェのマスターとアインスくんには改めて謝罪とお礼をした。

 ことの顛末を聞いた2人は、お疲れ様、と労いの言葉をくれた。


 そして、わたしは今後の方針を考えるのにあたってハル子から助言をもらった。


「ミライカナイの占い師さんいい人だったよ。今回も『自分が最も大切に思う人を選びなさい』って言われたし、さっちんも話を聞いてもらったら、どうかな?」


 占い師の腕はどうであれ、何かきっかけになればいいなと思った。


「ありがと、行ってみるよ。占い師の人の名前は?あとでワールドコードを送って」

「おっけい、名前は『コウ』さんだよ」


 ハル子の言葉に心がヒヤリと冷たくなるのを感じた。その名前は、母と同名だった。

 わたしを捨てた母と。


 あ、今のわたしの顔、ハル子には見せられないな。わたしの心に巣食う闇が顔を覗かせるのを感じた。


 ニライカナイでそんな闇と対峙することになることを、このときのわたしに知る由もなかった。

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