第2章 ワンダーランド
**新和20年8月10日**
これから、何かある度にこうして日記を書く事にしました。
気持ちの整理とわたしの希望である未来のわたしに向けて、
想いを綴りたいと思います。
昨日はワンダーランドというワールドへ初めて行ってきました。
そこは、わたしの学校がある港町のアイランドから北に向かったところにあって、なんと現実と繋がっているワールドでびっくりしました。
そこで、ワンダーランドを作った来栖さんとアイドルのカノンさんと出会い、わたしが答えを出すうえで大切なことを教えて貰いました。
また、会いたいなと思います。
**第1幕**
様々な姿をした沢山の人が視界に所狭したと行き交っている。
人の数もさることながら、忠実に現実の建物や場所を再現されていて普段外に出ることが出来ないわたしは、気持ちが高揚した。
頭上に表示されている名前も、現実世界の人には表示されていない。
現実世界では名前を聞くまでわからないため、それに配慮した対応だと思う。
今日は、シスターの提案でワンダーランドというワールドにアイドルのライブを見に来ていた。シスターとスノウちゃんとの待ち合わせは13時だけど、ワクワクしすぎて11時に到着。
ライブをするのは、カノンさんという10年ほど前から活動しているアイドルで、ずっと大好きだった。
特に数年間の活動休止していたときは、心配したものだ。そんな彼女を直接見れるとあっては、じっとしていられなかった。
とはいえ、待ち時間まではまだ時間があるのでブラブラして待つしかない。
「すごいなー、カノンさん一色だ」
辺りの電光掲示板もお店なども、カノンさんのグッズや映像で溢れている。そこにいる人もカノンさんが過去のライブで使用衣装を模したものを着ていたり、ペンライトや全身が光る素材の服を纏っている人もいて、ライブは夜に行われるが、既に一体となって盛り上げるような空気感がそこにはあった。
ウキウキした気分で辺りを見渡しながら歩いていると、周りに忙しなく視線を送る人物がいることに気がついた。誰かを探しているのか、途中の脇道にも入って、すぐに出てきた。
眼鏡を付けて緑色にボーダーの入ったシャツを着た男性で悩むような表情を浮かべて頭掻いていた。頭上には名前が表記されていない。
まだ、時間に余裕があるので、声をかけてみることにした。
「こんにちは!何かお困りですか?」
わたしの言葉に男性はしばし、逡巡した後、声を潜めた。
「この写真の女性を探しているんだ、見てないかな?」
と、宙にモニターを出した。
わたしはじっとその写真を見て、心臓が跳ねた。
「カ、カノンさん!・・・いえ、見ていないです」
思わず大きな声が出たのを自分で口を抑えて続けて答えた。
その答えに男性は肩を落として、去ろうとした。
この人が誰なのかはわからないけれど、どうしてもこのままこの人を放置することができないと思ってしまったわたしは、
「わ、わたしも手伝わせてください!」
頭で考えるよりも先に口がそう言っていた。
何よりも、楽しみにしていたライブが中止になるような事態だけは、避けたい自分がいた。
わたしの言葉を聞いて再び、男性は考えるようなそぶりを見せて、
「君の名前は?」
「さちです」
「僕は佐伯 来栖。申し訳ないが、協力をお願いしてもいいかな?」
「はい、頑張ります」
それから暫く、周りに視線を送りながら一緒に歩いていた。
カノンさんを見つけることが出来ないまま、15分ほど経過していた。アイランドよりは狭いとはいえ、1万人が入るドームを中心とした半径1kmほどの広さがある為、なかなかに広い。
「いないですね、いきそうな場所に心当たりとかないですか?」
「結構思い当たる場所は回ったからね、、、。よし、考え方を変えてあっちから出てきてもらおうかな」
「え、そんな方法が?」
「そんな難しい話じゃないよ。そうだね、まずはそこのカフェで話でもしようか」
というわけでカフェに入って、来栖さんはコーヒー、わたしはオレンジジュースを頼んだ。彼の目の前には、現実のコーヒーがわたしの目の前には仮想空間の架空のオレンジジュースが並んで置かれた。
「えっと、いただきます」
わたしは遠慮がちに飲む始めた。
「遠慮しなくていいよ、迷惑をかけているのはこちらなのだから」
「ありがとうございます。あの、カノンさんは、どうしていなくなったんですか?」
「それは、分からない。気分で行動することがあるからね」
「そうですか、、、」
「時間は大丈夫かい?」
ちらりと時計を見ると、11時45分を指していた。
「はい、まだ、時間はあるから大丈夫ですよ。それにしても、現実と仮想空間がこんなにも自然に繋がるのはすごい技術ですね」
「へー、さちちゃんは、テクノロジーとか興味あるの?」
「興味あります、自分が知らないことは特に」
「いいね、その知的好奇心が高いの好きだよ」
ニコリと笑いかけられてドキッとした、とした瞬間、背後からぞくりと悪寒を感じて振り返るがそこには雑踏だった。
「大丈夫かい?」
来栖さんから話しかけられて、再び前を向いた。
「大丈夫です、何か悪寒がして」
「あー、それはいい傾向かもしれない」
「??」
「いや、こっちの話。このワールドは、僕にとって思い入れがあるから興味を持ってもらえたならうれしいよ」
「来栖さんは、このワールドのこと詳しいんですか?」
「うん、僕が作ったからね。このワールドの管理人も僕だし」
こともなげに言ってのける来栖さんの表情は、変わらず穏やかだ。
「すっごいですね、どんな仕組みになってるんですか?」
「うん、この場所は、上半分だけの半球のように天井を透明な壁が覆っているんだ。その壁から微弱な電波が出ていて、この島の中にいる人やものを細かく読み取って、仮想空間へ通信、その情報を再現してる。逆に仮想空間の情報も、現実世界に反映されるようにしてるからまるで一緒に同じ場所にいるような感覚を味わうことができる」
「な、なるほど、すごいですね。こちらで壊れたものは現実では、どうなるんですか?」
「いい質問をするね、ちょっと手を出して」
言われるがままに手を伸ばすと、来栖さんの手に触れることが出来た。
「現実世界の僕も、君の手に触れることが出来ている。これは、新しい技術でね。映像を投影するかのように、質量をもった物体を再現することが出来る技術を、このワールドがある島全体に設置してるんだよ。島の根幹やドームの重要な部分以外は、同じ素材で作ってあるから、仮想空間で壊れたものは現実でも同様に壊れるようになっている」
「すごいです、感動しました!あ、そろそろ、手を離してもいいですか。ちょっと、恥ずかしいです」
触れ合っていた手を離すと後ろからドンと大きな音がした。
振り返ると、周りの人も一様に視線を送っており、そこに潰れてひしゃげた缶のようなものから、飲み物が飛び出していた。
「よし、そろそろ行こうか」
来栖さんに付いて、カフェを後にした。
少し歩いていると、ゲームコーナーのあるエリアが見え始めてきた。Eスポーツの有名な人が来ているらしく賑やかだ。
キス&エンジェルという会社とコラボしたと広告している。有名な若手女性社長が経営している会社だ。
希望した人がゲーム用のユニフォームを身に纏って有名人の選手と路上で試合をしている。俊敏な動きで攻撃を読み合う試合展開は、見応えがあって見惚れていた。仮想空間のアシスト機能を利用して身体を動かすものが多く派手だから面白いと聞いたことがあった。確かに心が躍るのが分かる。
そんなことを考えていたわたしの視界が突如として暗転した。
「!?」
びっくりして、言葉にならない発声が口から出た。
口を塞ぐものを付けられた。声が出なくなった。
その後、足場を失い、浮いている感覚と共に、腹部に圧迫を感じながら、移動を開始したのが分かった。
状況を理解するまでに時間を要したが、どうやらわたしは誘拐されているようだ。身体をよじってみたが、びくともしないし声も出せない為、大人しくしていることにした。
しばらく、待っているとどこかで降ろされて地に足をつけたことを感じた。
「逃げないでね、今から質問することに素直に答えて」
女性の声だ。
「しゃべれるようにしちゃうとログアウトしそうだから、首の上下左右で答えてね。いい?」
首を上下にふった。
「貴方と来栖は、、、お付き合いしてる?」
予想外の質問に、いやいやいやと脳内で否定しつつ首がちぎれそうな程左右にふった。
「ほんとにー、さっきあんなに親密そうに手を握り合ってたのに。じゃあ、今日会う約束をしてた?」
握り合ってないですー、と心の声で叫ぶも届かず。再び、首を横に振る。
「むむむ、ほんとか嘘か分からない。やっぱり、顔を見ないと駄目だなぁ」
言うが早いかわたしの視界を塞いでいたものが取れて、視界が開けた。
目の前には、予想通り目隠し帽をかぶった女性が座っているわたしに視線を合わせるように屈んでこちらを見ていた。
「もう1回質問、来栖とお付き合いしてる?」
『ふるふる』と首を横にふる。
「今日会う約束してた?」
『ふるふる』と再度、首を横にふると、女性はため息をついた。
「嘘ついてないなぁ、そうだ。わたし読唇術できるから、しゃべらなくていいから口パクで答えて!」
と、わたしの口をふさいでいた布を外した。
口が使えるようになったわたしは、真っ先にある質問をすることにした。
『カノンさんですか?』
わたしの口パクを見た女性の表情が固まった後、後ろにバックした拍子に壁に衝突、頭を抱えたことで帽子が落ちた。
名前を伏せる効果があったであろう帽子が落ちたことで、頭上にプレイヤーネームが表示され、『KANON』という名前が表示され、若干目が泳いでいるカノンさんの表情があらわになった。
**第2幕**
カノンさんのことを知ったのは、わたしが7歳のときだった。
病気の発症後で部屋にこもって、徐々に思うように動かなくなっていく身体に気持ちが負けそうになっていた時期だった。
そんなわたしの支えの1つとなっていたのが、音楽、特にカノンさんの元気で楽しい気持ちが溢れるような曲が大好きだった。
ひまわりが咲いたように弾ける笑顔が素敵で、仮想空間で行われる過去のライブを追体験できるイベントに何度も参加した。
そんな、わたしの大好きなカノンさんが、現在目の前にいる。
カノンさんはわたしに自分のことを言い当てられたことに狼狽しているみたいだけど、わたしにとってそこはさほど重要ではなかった。
例え、わたしを誘拐した人物がカノンさんだろうと、目の前にカノンさんがいるという事実のほうが圧倒的に重要なのだ。
わたしは自由になった身体を前進させ、カノンさんの手を握り言った。
「カノンさん!大好きです、大ファンです」
よほど予想外だったのか、カノンさんの表情が再び固まった。
わたしは手を握る力を緩めることなく、言葉を続けた。
「ずっと、過去ライブ見てきました。今日、初めて間近で見られるのを楽しみにしてたんです!」
ここにきてカノンさんは、ハッとした表情をした。
わたしが言っていることを理解して、また来栖さんとのことが勘違いだったことを察してくれたみたいだった。
「ありがとう、あの、ごめんなさい。わたし勘違いして」
「いえ、何も気にしてないです!」
「少しは気にしたほうがいいと思うけど、、」
あっけらかんと言い放つわたしの反応に、若干カノンさんが引いている。
流石になにも気にしてないは、言いすぎたか。本心だけど。
「細かいことは気にしないタチなんです。それよりも、大好きな人に会えた感動の方が大きいので」
「あなた、優しい子ね。名前を教えてくれる?」
「さちです!」
「さちちゃん、改めてごめんね。わたし来栖のことになると周りが見えなくなるから、、」
「そういえば、どうして来栖さんとわたしのことを勘違いしたんですか?」
「それは、、」
言い終える前に、わたしとカノンさんの間に割って入るように人影が滑り込んできた。
「この人から離れてください!」
スノウちゃんが普段聞きなれない大きな声をあげてカノンさんを威嚇した。カノンさんはそれを見ると、わたしたちを一瞥して何処かに去っていった。
その後、スノウちゃんを追って現れたのはシスターと来栖さんだった。
来栖さんの頬が赤く腫れている。
「場所を移動しよう。この馬鹿が何したのか状況を説明する」
シスターが話すのを聞きながら周りを見渡すと、街の横道の何処かなのか、街灯がなくて昼なのに薄暗い。
私たち4人は、個室が使えるラウンジへ移動した。
「こんの馬鹿は、あんたを囮してカノンを誘き出したんだよ。何してんだか、、」
来栖さんが正座させられているのがシュールだ。
「二人は、お知り合いだったんですね」
ふと沸いた疑問が口から出ていた。
「ああ、こいつが大学院生だったときの教授を私がしてたんだよ。いまはやってないけどね。今回も、そのつてでチケットを貰ったわけだけど、どうしてこんなことになってるのか解説どうぞ」
シスターから話をふられた来栖さんが、えー、と言いづらそうに話し始めた。
「昨日、教授、いえ今はシスターでした。シスターに本日の予定確認のために、ROUTE(連絡用アプリ)を使って連絡しましたよね。そのときの、やりとりをカノンに見られてしまいまして。誰と何を約束したのか勘繰られまして、軽い口論のすえに『君には関係ない』と言ってしまい・・・」
シスターが頭を抱えた。
恋愛関係に疎い私でも分かるレベルで、かなり禁句なのが分かる。
「来栖、8年前あの子とのことで苦労したのもう忘れてたのか・・・」
「いえ、その、忘れたわけではなかったのですが、つい、、」
「相変わらず恋愛には、からっきしなんだな。で、彼女が不貞腐れたままいなくなって困り果てたところにこの子が現れたから、優しさに甘えて仲がいい雰囲気を装って誘い出そうとした。だけど、気づいたら連れていかれていて、私と合流する時間になったから、今度は私に助けを求めたと。さちが私の連れなのは、事前に言ってたからね。迷子用のアプリを事前に入れといてよかったな」
来栖さんの言葉を引き継いで、シスターが経緯を語った。来栖さんが黙っているところを見ると、正解らしい。
私が来栖さんに話しかけたのは、偶然だったけど、スノウちゃんが助けにはいってくれたのは、偶然じゃなかったんだなと納得した。
「被告人、ギルティ。スノウ、そいつ処刑で」
スノウちゃんが笑わずに近づくのが怖い。
「ストップストップ、2人とも冗談やめて。わたしは大丈夫だったんだからいいじゃん」
笑うわたしにシスターが頭を小突いた。
「来栖のことは半分冗談としても、あんたはもうちょっと警戒しな」
「うん、ごめんね」
心から心配そうな表情を浮かべるシスターに謝った。
「兎にも角にも、カノンを探す必要があるが、どうする?」
シスターの言葉に来栖が口を開いた。
「僕1人でもう一度探してきます。多分、近くにはいると思うので」
うーんと、思考している中でふと思った。
「カノンさんって来栖さんのこと、大好きなように見えるのですが、お二人は付き合ってるのですか?」
「えっと、そうだね、そろそろ7年くらいになるかな」
「長いですね・・・、普段からカノンさんに好きとかそういった気持ちを伝えたりしてますか?」
「え、それって必要ある?付き合ってるのに?」
目が点になった。鳩が豆鉄砲を食ったようとはこのことだ。
「来栖、前にもいったけど、恋愛は理屈じゃなくて感情でやりな・・」
「はい・・・」
「で、でも、問題点がはっきりしましたよ!カノンさんに来栖さんの気持ちをぶつければいいんですよ。来栖さんもカノンのこと好きなんですよね?」
「それはもちろん」
「なら、きちんと口に出しましょうよ。気持ちは、いわないと伝わらないこともありますよ」
わたしのような、子どもから言われるのは嫌だろうなと思ったが、来栖さんは笑って首を縦に振ってくれた。
「さて、やらないといけないことは決まったとしても、どうやって花音を見つけるかだな」
「それなら、簡単だと思います。カノンさんは、来栖さんが大好きだからカッコいい姿を見せたらいいんですよ」
わたしの提案にシスターがニヤッと笑い、来栖さんが青ざめて、スノウちゃんが無表情でうなづいた。
「さー、次のチャレンジャーの登場だ!チャレンジャー、来栖!」
来栖さんが仮想空間のアバターに姿を変えて登場した。
Eスポーツのゲームのユニフォームを身にまとっている。
相手は、有名なEスポーツ選手、名前は鈴丸王(キング)というド派手な名前の人だ。9年ほど前から続く格闘ゲーム、『フルアトラクティブ』シリーズの現在の『フルアトラクティブ3』まで常にトップランカーとして上位プレイヤーとして君臨し続けている。
「先輩、久しぶりですね。こう言ってはなんですが、何してるんですか?」
2人は知り合いらしく親しそうに鈴丸選手が話しかけた。
「あの2人は大学院時代の先輩後輩なんだ。よく鈴丸の練習相手を来栖がやってたらしい」
気づくと隣にシスターがいた。
懐かしむように2人を見ていた。
「みなまでいうな、花音絡みだ」
鈴丸選手が吹き出して笑った。
「2人とも相変わらず仲が良さそうで良かったっす。でも、今はそんなことを抜きにして久々に楽しませてください!」
鈴丸選手がステップを踏みながら、両手を交差させる構えをとった。
「お前の練習相手させられてたの、何年前だと思ってんだ。加減しろよ」
来栖さんも左腕を下ろして、右腕を胸元に上げる構えをとった。
そして、対戦がスタートした。
最初は推され気味だった来栖さんが、鈴丸選手の動きを先読みし始めて、互角に戦っている。全国のトップランカーと渡りあっている来栖さんにびっくりする。というか、さっきまでシスターに怒られている姿を見ていたから、複雑だ。
カノンさんが、来栖さんのことが大好きならこんな姿を見逃す筈がない。
わたしとシスターとスノウちゃんが周りを見渡してカノンさんを探す。
人が増えてきて探しづらくなってきた。それでも、試合をしてる2人を見るとしたら場所は限られている。
試合終盤になっても見つけられない。
やっぱりいないのかなと顔を伏せたところで、肩に手を置かれた。
「久々に見たなぁ、来栖兄が戦ってるところ。ありがとね、あと、私たちのせいで迷惑かけてごめんね」
顔をあげるとそこには、誰もいなかった。
でも、確かにカノンさんだった。
周りを見渡してわたしが見つけたのは、
「おーっとここで意外な人物が飛び入り参加だー!」
実況のボリュームが上がる。
「みんなごめんねー、ちょっとこっちの人に私用事があるから。鈴丸くんもごめんね」
スピーカーから出力されたかのように声が広がる。
その声に合わせて、鈴丸選手が手をふって後ろに下がるのが見える。
更に衣装を着替えたカノンさんが円形の対戦ステージに立った。
来栖さんとカノンさん、昨日からすれ違っていた2人が顔を合わせた。
「花音、あの・・」と声を上げた来栖さんに。
「一発」
ちょいちょいとカノンさんが肩を指さした。
言われるがままにカノンさんの肩にこぶしをあてる来栖さん。
その瞬間、カノンさんの右ストレートが来栖さんの右頬をクリーンヒットした。
吹っ飛ぶ来栖さんと盛り上がる観客。
来栖さんが立ち上がると、そこには笑顔でこぶしを構えるカノンさん。
「一発は、一発。一方的なのは、見た目が悪いじゃない」
処刑宣告をするカノンさんが殴った右頬は、偶然にもシスターがはたいた箇所と同じだった。
**第3幕**
仮想空間での痛覚について、正確な数字はあくまで仮説だが、約5分の1と言われていて死んでしまうような痛みは発生しないように上限が調整されていると聞いたことがある。
その分、衝撃が強くかかるようになっていて、派手な見た目ほどの痛みはないので仮に数メートル近く人の体が飛んだとしても、身体的なダメージはそれほどではないはずだ。
どうしてそんなことをわざわざ思い出しているかといえば、目の前で吹っ飛んだ来栖さんも大丈夫だろうと思いたかったからだ。
カノンさんの右ストレートが直撃した来栖さんは、驚きもあるのか数メートル先に吹っ飛んで起き上がっていない。
「ほら、来栖、起きて!まだ終わってないよ」
カノンさんが煽るように声を出して、観客が呼応して声をあげる。
その声を聞いて、来栖さんが起き上がると勢いよくカノンさんの元に向かっていき、拳を振り上げて、途中で止めた。
けれど、その拳に向かってカノンさんが頭突きをする。
反動で後ろに倒れ込みそうになる来栖さんにカノンさんが言い放つ。
「真面目にやって。これはゲームなんだから、私を攻撃して」
「できない、僕は花音に伝えたいことがあるだけだ。だから・・」
「なら、そのこぶしに乗せて言ったらいいじゃない!こんな風に・・」
ふー、っと息を整えてカノンさんが真っ直ぐに右の拳を突き出した。
脇を締めて、キレイなフォームで拳を突き出していることから、普段から何か格闘技をやっているのかもしれない。
攻撃と共に、カノンさんの声が響く。
「来栖なんて大っ嫌いだー!」
ギリギリで来栖さんが避けた。
続けて、右を戻しつつ渾身の左の拳を突き出す。
カノンさんの目に涙が溢れてきているように見える。
「私をいつも不安にさせる!」
今度は右手で受け止めるが、弾かれてよろけた。
それを見たカノンさんが飛び上がって、蹴りを入れる。
「どうして、私だけを好きって言ってくれないの!?」
残って左手で受け止めるも、後ろに勢いよく下がった。
「私ばっかり、言葉に出して、馬鹿みたいじゃん・・・」
瞳から涙をこぼすカノンさんに、周りの観客が来栖さんにブーイングを行い始めた。
「おーーーと、これは飛び入りの来栖選手に野次が飛び始める。歌姫の悲痛な思いに女性陣から、批判の言葉が飛んでいるぞー。さあ、来栖選手どう応える」
これまで一貫して、防御に徹して何も言ってこなかった来栖さんが言葉を発した。
「僕は恋愛は苦手だ。想いを言葉にすることが苦手だ。君のように歌にすることもできない。だから、、、恋愛をやめる」
ガヤガヤと周りから声が上がる。
来栖さんがカノンさんの前で手のひらを前に出すと、そこに小さな箱が収まった
「僕の人生は、きみがいたからここまでこれた。これからもずっと、きみと一緒に生きていきたい。花音、僕と結婚してくれ」
その場の空気が、時が止まったかのように、しんと静まりかえった。
来栖さんの言葉は、何度も考えてきたものだと分かるほど、ハッキリと気持ちが伝わってきてあとはカノンさん次第だ。
みんなが見守る中、カノンさんが言葉を紡いだ。
「わたしが来栖に恋したのは、18年前。それから1度もその想いが変わったことはない。これまでも、そしてこれからも死ぬまで一緒にいる。さっきの言葉、取り消しなんてさせないんだから」
カノンさんの表情に笑顔が戻った。
周囲から割れんばかりの拍手が巻き起こった。
「なんとー、飛び入り参加の2人は恋人同士でしかも公開プロポーズ!その1人が本日の主役の歌姫なんて、ビックリとショックで俺っちぶっ倒れそうだぜー!でも、幸せなら、OKだー!」
実況もテンション上げ上げだ。
ゲームのほうは、タイムアップで両者負けになってるけど、これはどうみても両者勝ちだろう。
安心して天を仰ぐように顔を上げると、そこにはどこまでも続く青空があった。
「雪ちゃん、元気かな」
かつて一緒に現実世界の空を仰いだ友だちのことを思い出した。
あの時、感じた眩しさや暑さ、草木が枯れたような匂いを今は感じることができない。
***
その後、当日の主役と管理者が揃って不在だったことから、見つかった2人は怒られながら連れていかれた。
わたしたちは、その姿を黙って見送り、また3人で集まった。
「さて、改めて私たちも見て回るか」
シスターの言葉でスノウちゃんと3人で歩き始めた。ライブまで時間があるので、改めて散策する。
バタバタとカノンさんを探し回っていたので改めて周りをみると、宙に浮かぶモニターや空を走る列車などお祭り騒ぎでみんな楽しそうだ。
「ここは、さちがイメージする未来の1つの答えなんじゃないか?」
シスターがわたしに周りに視線を送りながらいった。
「仮想空間にいながら、現実と同じ空間を共有できるこの場所は理想ともいえると思うけど」
「そう、、ですね、でも、理想とは違うと思います」
「へえ、そうなのか」
「うん、だって現実はこんなに楽しいことばかりじゃないから。ここは、現実と繋がってはいるけど、現実じゃない。似ているだけの違う場所だよ」
はっきりと答えるわたしの言葉を聞いて、シスターが安心したような顔をした。
「そうか、なら、まだ答え探さないとな」
「うん、よろしくね」
わたしが笑顔で答えると、
「話しはまとまりましたか?それでは、私はクレープが食べたいです」
と、手を引いてスノウちゃんが前を歩き始めた。それから、クレープや綿菓子などの食べ歩きから遊び歩いて夜はカノンさんのライブで人生で1番感情を爆発させて盛り上がった。
幸せな1日が終わりを告げる、、筈だった。
「それで、どうしてこーなってんですかー?」
岩でできた露天風呂で、上半身の冷たさと下半身の暖かさが絶妙な気持ちよさを生み出している。
人生で初めてかつ仮想空間で初めて入る温泉は、存外に気持ち良くて力が抜けた。
そこには、わたしとシスターとスノウちゃん、そしてカノンさんがいる。
ライブが終わった後、当初はそのまま解散する予定だったけど、来栖さんの計らいでワンダーランドに併設されているホテルに泊まることになった。
急遽決まったので一度ログアウトして、書き置きをしてから帰ってきた。
「私がね、もっとさちちゃんと話をしたかったから来栖にお願いしたの」
バシャバシャと温泉の中ではしゃぎながら抱きついてきた。大好きなカノンさんに抱きつかれてドキドキしてしまう。
隣でみてるスノウちゃんが、どこかムッとしているようにみえる。その姿をみたカノンさんが、わたしたちから距離少しとって頭を下げた。
「改めて、今日は本当にごめんなさい。私の勘違いでみなさんに迷惑をかけました」
「というよりも、来栖の馬鹿の余計な一言のせいだろ。スノウは少しヤキモチを妬いてるだけだよ」
ぷいっとスノウちゃんがそっぽを向いた。
「はは、スノウちゃん、心配かけてごめんね」
スノウちゃんの手を握って、頭を下げた。
「あまり、無茶をしないでください」
スノウちゃんが心配そうに眉間に皺を寄せた。心から心配してくれたんだな、理解した。
「うん、ごめんね。でも、困ってる人がいたら助けると思う。それだけは、絶対に」
スノウちゃんが諦めたようにうなづいた。
「さち様の性格は、よくわかりました。私がいつでも、あなたを助けます。さち様が答えを出すまで付いていきます。友だち、ですから」
表情は変わっていないのに、どこか恥ずかしそうにしている。頬が紅潮しているのも、温泉のせいだけではないと思う。
「スノウちゃん、ありがと」
また、少しスノウちゃんのことが分かった気がして嬉しかった。
「2人の関係が羨ましいな、私とも友だちになってくれる?」
カノンさんの言葉にわたしは、首を縦にふって応えた。わたしの周りには、こんなにもわたしのことを思ってくれる人がいる。
そのことを感じることができてよかった。
***
「今日は、迷惑かけて、恥ずかしい姿まで晒してしまって申し訳ない」
今日何度目かになる謝罪とお辞儀を受けた。
こんなに何度も、となると恐縮してしまう。
「もう、いいですよ。結果的に、ライブは大成功でわたしは幸せな時間を過ごせましたから。ありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとう。きみは大人だね、改めて自分が恥ずかしくなる」
来栖さんはそういって頭をかいた。
今いるのは、ホテルのロビー。
入り口には煌びやかに装飾が施された龍をかたどった置物があり、フロントは全て人型のロボットがやりとりしてくれる。
4人がけのソファが3つほど備え付けられている。
部屋は女性部屋なので、来栖さんとカノンさんから、改めて話しがしたいと申し出を受けてここで会うことにした。
「来栖は、大人にならなくていいよ。そのほうが私は安心する♪」
「それは駄目だろう、、」
2人が楽しそうに話しをする姿が嬉しい。
「それで話ってなんですか?」
「ああ、ごめんごめん。シスターからきみの境遇を聞いてね、何か力になりたいと思ったんだ。僕たちが力になれる事があればだけど」
「それは、すごく嬉しいです。ありがとうございます。じゃあ、ひとつ聞きたいことがあります。おふたりにとって、『生きる』とはなんですか?」
2人は顔を見合わせて、ニコリと笑った。
そして来栖さんが、
「花音と、大切な人と共にいることかな。僕らは共にいるから、ここまで来れた」
その言葉にカノンさんも幸せそうな笑みを浮かべた。2人は互いがいることで幸せを感じることが出来るんだ。
「素敵です。なら、もうカノンさんが悲しむようなことしないでくださいね」
「耳が痛いな、気をつけるよ」
来栖さんが苦笑いした。
こうしてわたしのワンダーランドでのできごとは静かに終わりを告げた。
大切な人がいる幸せ。
それを知ることが出来た。
わたしが、答えを見つけるための最初の出会いだった。
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