第6話 スタンピード
翌朝、外から馬車の様な音が聞こえる。
それからあわただしい声とともに、ドンドンと扉を叩く音が聞こえた。
「ルカ先生! いらっしゃいますか! ルカ先生! 寝てるんですか! お願いです、起きてください! 大変です!」
そとから聞こえる声は、聞き覚えのある野太い男性の声。
冒険者ギルドのギルドマスターのおっちゃんだ。
俺は家の外で騒がしい声のする玄関に向かう。
「ギルドマスター、おはようございます。ルカ様はまだ寝ておりますがなんでしょう?」
「おう、カイルか、丁度いい、緊急事態なんだ。ルカ先生を至急起こしてくれ、この街の危機だ」
ギルドマスターの顔から察するに冗談を言っていない。
「……わかりました」
俺はギルドマスターをルカの家の客間に通す。
冒険者ギルドマスターと秘書さんと、護衛の人だろうか壮年の冒険者がテーブルに着く。
テーブルの反対側にはルカと俺が座る。
シャルロットは面倒くさいということで席に座らなかったが、さすがに何もしないのは気が引けたらしい。
セバスティアーナさんのエプロンを着るとお茶の準備を始めた。
「カイルにシャルロット、お前らがいてくれるとは話が早い。正直おまえらが宿にいないと知らせをうけたから焦ってたところだ。ここにいてくれてほっとしたよ」
ギルドマスターはスキンヘッドの頭からぽつぽつと汗を浮かべながら、その度にハンカチで拭っていた。
「さて、聞こうじゃないか。吾輩の惰眠の邪魔をしてまで、ということは余程のことだからのう」
ルカは毎日徹夜しているわけではない。
仕事がひと段落したら、自堕落に惰眠をむさぼるのが彼女の趣味でもある。
それを邪魔する者は誰であろうと許さない。
それを知っているのだろう、ギルドマスターの頭の汗は止まらない。
しかし、彼は流れる汗にかまわずに話を続ける。
「どうやらスタンピードの予兆があるんです」
ギルドマスターが言うにはこうだ。
最近マンイーターの動きがおかしい。
マンイーターは千頭単位の群れで生息している。
普段は誇大な森の中にいるため、群れを追い出された個体がたまたま人里におとずれて被害をもたらす、そういう習性の魔物だ。
群で暮らす彼らは森の中の魔物の中でも序列は比較的高い。外敵などいないはずだが。
しかし、最近のマンイーターはよく人里に現れるのは俺も感じていた。
「たしかに最近、マンイーターの討伐依頼が増えてましたね、それと関係が?」
「ああ、そうだ。カイルはまだここに着て浅いからしらないだろうけど、マンイーターはレアな魔物なんだよ。
それこそ年に数回、群れからはぐれて偶然ここまできた個体がほとんどだ。
だが、先日は5体の集団が森を抜けてここまできた。5体も揃ってはぐれるか? 高い知能を持ってる魔獣が? それは有り得ないんだよ。
つまり奴らは、集団で意思をもってここにきた。人間は彼らにとっても強敵で、負けると知ってもここにきた、つまりどういうことだ?」
ギルドマスターのテンションは上がっていく、汗はすっかり引いて、いつもの熱血漢なおっちゃんに戻った感じだ。
魔物を語らせるといつだって熱い、いつもの冒険者ギルドのマスターだ。
「回りくどいのう、ギルド長、つまりあれか? 森の王者であるマンイーターの集団は逃げた。ではなにから? そう言いたいのだな? そんなの決まってるじゃろ。
マンイーターよりも強力な魔物が奴らの住処を奪ったのだろうが?」
ギルドマスターは一瞬だまりこんだ。が、隠してもしょうがないといった感じで話を続けた。
「はい、学者や歴戦の冒険者との協議の結果、そう結論がでました。ですからこうしてルカ様に報告とその助言をいただきたいと思う次第です……」
いつも熱いギルドマスターがルカを目の前にすると急にしぼんでしまう。この二人の間で何かあったのだろうか。
ルカは、すこしイライラしながらギルドマスターに対峙している。
「たしかにその魔物が何奴かは知らんが、早急の問題としては、逃げ延びた数千のマンイーターが雪崩のように押し寄せるということじゃな」
「はい、先日カイル達が狩った五匹は先遣隊の一部でしょう。我々としては、近いうちに本体が押し寄せてくると懸念しておりまして」
「ふむ、敵の戦力は?」
「はい、偵察から戻った冒険者の報告によりますと……、おっと、そうでした。
それよりも極秘に私の元にセバスティアーナ殿の伝書鳩が手紙をよこしておりましてな。
それによると『マンイーター100匹、体力のある大きな若い個体が先遣隊として、おそらく三日後には森を抜けるでしょう。遅れて、一週間ほどで群れの本体1000匹が到着するでしょう。
ルカ様はどうしますか? 逃げるなら信号弾を上げてください。――追伸。伝書鳩をルカ様の屋敷に送っても絶対に見ないでしょうから、あて先はギルド長様にしました。私は全力でそちらに向かいますが間に合いません。この情報でより良き判断を。~セバスティアーナ』
ということでして。実際ギルドの偵察部隊も似たような報告を送って来ましてな」
「さすがはセバスちゃんだ、よし、我々は三日の猶予を得た。いきなりスタンピードに出くわせば我らの命はなかっただろう。
さてギルド長、首都ベラサグンからは援軍は?…………無いか、その頭から噴き出す汗を見ればわかるよ。で、なんの縁もない異国の元辺境伯である私に泣きついたということか、え? タコ助よ!」
場の空気がピリピリしている。
しかし、ギルドマスターとルカはなんか顔見知りな感じがするんだよなぁ。ルカは初対面の人にはそれなりに紳士的な対応をしていたし。
それに、ギルドマスターはタコ助と呼ばれても、まんざらでもないというか、むしろ嬉しそうな感じが……。
「ひ、ごめんなさい。首都ベラサグンの援軍は到着まで最短で二週間掛かるのです。それに、このタラスの駐留軍は100名ほどの屈強な騎士がおりましすし。
我が冒険者ギルドも数十名のつわもの達に、そうだ、ここにラングレン兄妹もいますぞ!」
それでか、俺達が逃げたとおもってルカの所に泣きついたのか。
俺達が居ればなんとかなると思ってたんだろうか。
無理だよ。1000匹のマンイーターはさすがに無理だ、先に知ってたら逃げてたと思うよ。
俺は何とも言えない表情でギルドマスターの問いをはぐらかす。
「ふむふむ、駐留軍の騎士が100名か、それは心強いが。
しかしのう。この場にタラスの領主がおらんが? 勝手に騎士団をつかってもよいのかのう?
…………ちっ!
ええい! 回りくどい! お前は昔からそうじゃ! はっきり言え! このデコ助やろう!」
ルカが怒るのは無理もない。
どうもギルドマスターは終始、言葉のどこかに後ろめたい感情を漂わしている。
ルカは手に持ったティーカップを床にたたきつけた。
陶器の割れる音が響く。
ちなみに、ティーカップにはシャルロットが淹れたお茶が入っていた……正直、不味かった。
ルカは余程のことがない限り食べ物を粗末にしない。つまり余程のことがあったのだろう。シャルロットのお茶は余程のことだったのだ。
まあそれはそれだ、後でセバスティアーナさんにお茶の淹れ方を教えてもらおう。
ティーカップの割れる音とルカの剣幕にギルドマスターはいよいよ萎縮してしまい。タコ助なのかデコ助なのか突っ込みすらできない状況だった。
「はひぃ、ごめんなさい。タラス総督は既に逃亡。指揮権はうやむやで、騎士団長は爵位の無い物の下に着くつもりはないとのことでストライキを。
冒険者たちも、領主が見捨てた土地を助ける義理はないと。
もう、どうしたらいいか、ルカ姉さま! お助け下さい! このデコ助、いやタコ助、もうどうしようもなく、ルカ姉さまに頼るしか、この身はルカ様に捧げます。
なにとぞ、何でもします。どうかあの時のように私を踏みつけてくださ――」
「――あいわかった。それ以上は言わなくてよい。さてと。そうだな、スタンピードに対しては取るべき策は二つしかないな」
「守れるなら守る、無理なら逃げる。ですね」
シャルロットは得意げに言った。これは俺が言ってた言葉なんだけど。
たしか両親のよく言ってた言葉だったと育ての親が俺に教えてくれたっけ。
でも、その言葉にルカは満面の笑みを漏らす。
「そのとおり、冒険者の常識だな。ではさて、ここからは全体としての視点から、いや元貴族の吾輩の意見を言えば、そうだな、どっちの策が最終的に損失がないかだ。
逃げても、追撃を喰らって全滅したら意味がない。
逆に全力で戦って半分でも生き残ればそれが勝ちだ。幸いこのタラスは迷宮都市だ。街の周囲には頑丈な石壁があり、砦として機能しておる。
だから支配者としてはここで戦って死ねと命令しなければならない。随分オブラートに包んだが、どうだ? 支配者とは度し難い生き物だろう?」
俺はルカの冷徹だが確かな判断に息を呑んだ。正直、今でも逃げた方がいいと思っているが、最終的な損失……か。
何も言えない俺を察したのかギルドマスターが話を続ける。
「いえ、辺境伯は正しいです。だから、ワシら冒険者はそれにすがるのです。どうか支配者としてタラスを救ってください」
ルカはギルドマスターの返事を聞くと。
「今回だけじゃ……。 よし、ではまず反抗している騎士団長にあわせろ。指揮権について話がある。
……騎士団長はたしか……、ひょろがりの……、って! お前のダチじゃっただろうが! ち、はめられたのかのう、まあいい、吾輩に二言はない、それにこの街は気に入っておる。全力で対処しよう」
そう、ひょろがりの騎士団長とは、今俺たちのテーブルの前にいるギルドマスターの隣の席に座っていた護衛の冒険者だった。
ルカ……、ちょっと変装したくらいで知人を見間違えるなよ。
たしかに、普段甲冑に身を包んだ騎士が私服になると案外わからないものかもしれないが……。
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