第47話 『分岐点』

 ……たしかに引っ越しを決めた時はわくわくしたのになあ。



 正式に引っ越すことが決まった時、お兄に連絡しようと思った。


 でも、今更電話して嫌がられたらって思うと急に怖くなった。


 お兄と私は本当の兄妹じゃない。お兄が出て行くと決めてそれ以来帰ってこなかった事を思うと、私との関係なんてお兄の中では終わった事なのかもしれない。


 会いたいのは私の方だけ……そう思うと、怖くて電話できないままズルズルとその日を迎えてしまった。


 こんなんだから……ちゃんとした友達も出来なかったんだろうな。


 引っ越して来てからのメッセージだってそう。分からないこと多すぎて、頭の中パンクしそうで、誰かに教えて欲しいけど、友達いないし、パパには気を遣ってばかりで聞けないし、お兄なら……って思ったけど、


挨拶の途中であんな終わり方したのに、今更助けてなんて……


 そんなこと思ってたら、いつの間にか正座してずーっと文章打ち込んでは消してを繰り返してて、結局、送ったのは“お兄、助けて” それだけ。


 既読ついたけど返事はなかったから、そうだよなー、そんな都合よく助けてくれるわけないよな……そう思った。



 あーあ。せっかくお兄、来てくれたのにな。


 私はいつも思ってる事の半分も行動に移せない。


 思っている事をそのまま口にする事もうまく出来ない。


 本当に、生きることに向いてない。




 ……そんな事を考えながらふと窓の外を見たら、お兄が歩いているのが見えた。


 あの可愛い人と手を繋いでいる。


 なーんだ。やっぱり彼女なんじゃん。


 お兄……あんな顔して笑うんだ。


 私の前では、あんな風に笑った事なかったなー。


 

 お兄が選んだ人だから、あの人は可愛いだけじゃなくて、きっとすごくいい人なんだろうな。


 お兄はすごく優しくてかっこいいから……


 彼女くらい出来て、当たり前だよなあ。


 そんな事を考えてると、いつの間にか泣いてた。


 私は何回お兄に失恋するのだろう。


 ……自分が、いやになる。





……

…………



 カンカンカン……と美桜とふたりでアパートの階段を登る。

 階段を登り切ったところで、俺の部屋の前に人影が見えた。


 そこにいたのは凛だった。



「え? 凛? どした」


 少し気まずいなと思いつつ声を掛ける。


「あ、お兄ちゃん。おかえりなさい。あの……渡せてなかった引っ越しの挨拶の品と……その、これ、近所の焼き菓子屋さんのお菓子。おいしいって不動産屋さんが言ってたから、買ってみた。彼女さんと……食べて」


「え?」


 ……なんだろう、この違和感。“お兄ちゃん” なんて、呼ばれたことないのに。


「あ……彼女さん……だよね、さっき手繋いでるとこ、見ちゃった。後、いろいろ、ごめんなさい!!」


「ええっと……」


 どうしたんだろう、突然お兄ちゃん呼びされて、あんなに俺を貶してばかりだった凛がしおらしくて、なんで……こんなに弱々しいのだろう。なんで……今にも泣き出しそうなのだろう。


 俺は凛に対して、もっと、強気なイメージだった。口が悪くて、自分勝手で……。


 そんな凛が、何を謝りたいのか。俺にはさっぱり分からない。


「……いっぱい反省したのに。肝心な時にうまく喋れない。ごめんなさい。こんなんだけど……お兄ちゃんの妹でいても……いいですか」


 ただ、確かなのは、今目の前にいる凛は弱々しくて、ふるふると泣き出しそうだと言うこと。


「えっと、どした、凛。凛が妹なのは親が離婚しない限りは変わらない事だろ? 多分あの二人、離婚とかしなさそうだし、大丈夫なんじゃない?」


「え、えと……うん。それなら、よかった。あ、あの! お兄ちゃんにメッセージとか……送ってもいいのかな」


「え? 別にいいけど。むしろ困った時に俺に聞くために隣に引っ越して来たんだろ? テレビの配線も繋げられないくらいだもんなー。なんかあったらメッセージくらいして来たらいいよ」



 俺の言葉に、凛は泣きそうな笑顔を見せた。


 あんな顔の凛を見たの……はじめてだった。





 その日の夜、美桜が作ってくれた夕食を食べ終わった頃、凛からメッセージが届いた。


 それは画像付きのメッセージで。


 赤いチャーハン?? そう思ったら


“オムライス、自分で作ってみたけど、卵ぐちゃぐちゃになっちゃった(絵文字) 昔お兄ちゃんが作ってくれたオムライス、美味しかったなー! 本当はすっごく嬉しかったのに、あの時は酷いこと言ってごめんね!”


 いつの話だよと思いつつ、俺の中のわだかまりが少し綻ぶような気がした。そして少し嬉しくて、むず痒い。だから


“ヘタクソー笑”


 そう返信しようとして、ふと思った。俺が口が悪いと思っていた凛の言葉の数々は……もしかして、凛の中ではこんな感覚だったのだろうか?


 本気で野次るつもりではなくて、悪気もなくて、気を許している相手だからこそ冗談で貶すじゃれあいのような言葉。まあ、それにしてはキツかったけど。


 思えば凛は……父親にはいつもいい子に振る舞っていたし、俺の母親の前ではどちらかと言うと片言の敬語で、あまり喋らなかった。


 ……もしかして、俺……嫌われていたんじゃなくて、凛なりに心を許されていたのか??



 そんな事を思いながらメッセージのやりとりをしていると


”いつまでもお料理こんなにヘタクソだと、誰もお嫁にもらってくれないね笑”


 そんな言葉を送ってきたから、


『ずっとひとりだったら俺がもらってやるよ』


そんな言葉が、ふと忘れていた記憶のように頭の中に浮かんだ。


 ……今は美桜がいるからそんな事思うはずがないのに。


 美桜と出会わなければ、たぶん俺はずっと独り身で、そんな事を思っていたのかもしれないな、なんて、少し思うのだった。




 そして夜、また凛からメッセージが来た。


”今日は、テレビの配線繋げてくれてありがとう。凛、テレビないと寂しくて死ぬとこだった! でも、彼女さんとの時間邪魔しちゃったから、ごめんなさい。お菓子渡す時、言えなかった。彼女さんにも……ごめんなさいって伝えて欲しいです。おやすみなさい”


 ……あいつ。俺にとってはテレビの配線如きと思っていたけど、凛にとっては大ごとだったんだなと思う。それだけ必死だったのか。人それぞれ、価値や大切なものは違うしなあと思う。


 

 凛は……本当の妹ではない。俺が知り合った時にはすでに思春期真っ最中で、それなりにひとりの女性だと思っていた。


 けど……もしも本当の妹で、生まれた時から一緒に暮らしていたら、もしかしたら何かが違っていたのかもしれない。


 もしくは今の美桜の様に、知らないことがたくさんあると分かっていたら、色々教えてあげようと思っていたかもしれない。


 そう思うと……俺は凛の事を、ちゃんと知ってはいなかったんだなと思った。


 ……せっかく隣に引っ越してきたんだし、これからはもう少し、凛の知らなかった面も知れたらいいな。


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