第44話 『凛の過去』
……
…………
あーあ、お兄、行っちゃった……
あの可愛い人のいるところに帰るのか……
お兄は否定したけど、彼女……じゃ、ないよね?
やっぱりお兄のこと忘れられなくて、せっかく引っ越してきたのに。
やっぱり私は妹でしかないのかな。
お嫁さんになりたいのに。
お兄、全然覚えてないんだもん、ひどいなー?
お兄と出会ったのは、私が中学の時だった。
ママは、私を産んだ頃から病気がちで、ずっと入退院を繰り返してたけど、私が幼稚園児だったころ、他界した。
そこからパパと私の二人暮らし。
パパは私を溺愛してて、過保護だった。
欲しいと言えば大体のものは買ってくれたし、習い事もたくさんさせてくれて、父子家庭だったけど何不自由なく育ったと思う。
側から見れば、だけど。
本当は、寂しかった。
でも、そんなこと言うとパパが悲しむから、喜ぶ顔を見せるとパパが喜んでくれるから、私にプレゼントを渡すときのパパの顔が好きだったから、いろんな物をねだった。
そんな事をしても、心の隙間は埋められないのに。
それでもパパが家にいる時くらいはいい子でいようと、いつも明るく振る舞っていた。
パパも私も家事出来ないから、部屋の中はいつもぐちゃぐちゃで、自分でもなんとかしようとするけど、片付け方も分からなくて。
現実逃避したくて、ピアノばっかり弾いてた。
でも、コンクールで受賞する様になった頃、ピアノの音がうるさいと近所から苦情が来るようになって、嫌がらせをされるようになった。
そしたら急に、自分が夢中になってる事はやってはいけないことなんだって思っちゃって、一気に熱が冷めちゃって。
夢中になってたことが急につまらなくなると、途端に何もない空間に取り残されているような感覚になって。
すっかりやることもなくなって、やりたいこともなくなって、なんで生きてるのかなーなんて考えてたら、食べるのもめんどくさくなってた。
そんな時、パパが再婚した。
ピアノの件でご近所さんとも微妙な関係になってたし、学校の友達もうわべだけの友達だったから、
引っ越すことは全然よかったんだけど……
中学三年で転校して入った学校が、進学校に進む子ばかりがいる頭のいい学校で、クラスのみんなも今までの学校の子達と雰囲気が全然違いすぎて、全く馴染めなかった。
うわべだけでも話し相手がいるって、楽しかったんだなーなんて思って部屋に篭ってたら
「凛ー、ご飯作るけど、何がいい?」
部屋のドア越しに話しかけてきたのがお兄だった。
なんでだろうね。その時の私、その言葉に涙が出たんだ。
パパは忙しかったから、こっちから話しかけないと話すことなんてほぼなかったし、誰かがご飯作ってくれるなんてことも、記憶になかった。
だからって、出来たばかりのお兄ちゃんにそんなことで泣いたなんて恥ずかしくて。
「えーもう、うっさいなー今漫画読んでていいとこなんだから邪魔しないで」
そんなこと言っちゃって。なのにお兄は
「え? ああ、ごめん。じゃあ適当に作ってまた声かけるわ」
怒ることもなく、優しくて。
「凛ー出来たぞー。一緒に食うか? 部屋で食べる?」
“一緒に食うか” って言葉が、また嬉しくて。
でも、一緒に食べてたら嬉しくなっちゃって、にやにやしてるのバレたくなくて、一人喜んでるのが恥ずかしくて。
「ねーなんで野菜炒めなのー? 野菜きらいなんだけど」
そんなこと言っちゃって。なのにお兄はやっぱり優しくて。
「お前育ち盛りなんだから野菜も食べないとだろー? 何が好きなの。作れるものなら次作ってやるよ」
けれど、家庭料理なんて食べた記憶がない私は料理名なんて思いつかなくて、咄嗟に
「オムライス」
そう言ったら、本当に次の日オムライス作ってくれた。
そしたらもうそれが嬉しくて嬉しくて。にやにやが止まらなくなっちゃって。恥ずかしくなって
「えー卵破れてるじゃん! あー! ピーマン入ってる。嫌いなんだけど!」
そんな事を言ってしまった。
それでもお兄は怒る事はなくて、
「おまえなあ、卵で巻くの難しいんだぞ? ピーマンは刻んで来てやるから、ほら、食え」
やっぱり優しくて。次の日からのご飯は、野菜が細かくなってた。
一緒にゲームやってみたら、お兄めっちゃ強くて、それがもうめちゃめちゃ……かっこよくて。だんだん……自分がお兄に恋してる事に気付いて、恥ずかしくなって。
「えーお兄強すぎてキモい。キライ」
好きだと悟られたくなくて、反対の言葉を言ってしまった。
どんなに私がそんな事を言っても、お兄はなんだかんだ私を気にかけてくれて、毎日ご飯作って一緒に食べてくれるのが嬉しくて。
嬉しいとつい、暴言を吐いてしまうのに、それでもそばにいてくれるお兄の存在が、私の中でどんどん大きくなっていった。
お兄が高校三年生になると、受験勉強でお兄は部屋に篭っている事が多くなった。それがちょっと寂しくなって、お兄のそばにいたくて、お兄の部屋に行ってただ漫画読んだりしながらお兄の部屋で一緒に過ごしてた。
そんな夏の終わり頃。お兄が……事故にあって入院した。
心配だし会いたいしで、私はよくお兄の病室に会いに行っていた。
お兄は痛み止めの点滴をずっとしてて、寝てたりぼーっとしてる事が多くて。
そんなある日。寝てるお兄のベッドに突っ伏して私もいつの間にか寝てしまってたら、ぼーっとしてるお兄に頭を撫でられていた。
場所が病院だったからなのか、お兄が弱ってる時だったからなのか、その時の私は素直になれた。
だから……
「お兄が家に居ないと寂しいよ……」
そう言った。するとお兄は
「そうか、ごめんなー。俺でも家に居たら嬉しいか?」
そんな事を言うから。
「当たり前じゃん。お兄居ないと寂しいよ。お兄とずっと一緒に居たいよ。だから……大きくなったら凛をお嫁さんにして」
そう言ったんだ。
そしたらお兄は
「えー? 凛にはもっとふさわしいやつが現れるだろ。でも、まあ……俺はどうせ彼女とか出来なさそうだし、このまま彼女出来なくて、凛も大きくなった時にそう思ってたら、いいよ」
そう笑いながら言うから、ちょっと真剣なんだぞって伝えたくて
「じゃあ、約束ね」
そう言って、お兄の唇にキスをした。
お兄は全然いやがらなくて、
「あーあ。俺なんかにキスして。もったいないなー。凛は可愛いのに。俺にはもったいないよ」
そう言いながら、優しく頭を撫でてくれた。
普段お兄が頭撫でてくれることなんてなかったから、嬉しくて、
「凛は……お兄が好きだもん。ずーっと好きだもん。大好きだもん」
その時は素直にそう言えたんだ……。
それなのに。
お兄が退院してしばらくしてから、お兄が進学のために家を出てひとり暮らしをすると聞いた。
その途端、ずっと一緒に居たかったのは私の方だけだったんだと、突き放された気がした。
失恋した気持ちと、お兄に会えなくなる寂しさと、見捨てられたような悲しさで……
「え、お兄出てくの? ……お兄なんて大っ嫌い!! 早く出てけ!! もう二度と顔も見たくない!! あーうざいお兄がいなくなってせいせいする!!」
私は人生で一番、心にもないことを口にした。
それくらい……ショックだったんだ。
後で知った話。お兄は脳検査では異常なかったけど、事故のショックで事故の前後一、二週間分くらいは、記憶が抜けたままになっているらしかった。
じゃあ、私のファーストキスは?
せっかく素直になれた、私の告白は?
全部なかったことになってる悔しさで、私はそれ以来お兄が出て行くまで、お兄と顔を合わせられなかった。
でも……さすがにひどいこと言っちゃったと、後で反省した。だから、次に会う時は素直になろう、そう思ってたのに。
お兄は大学に進学してから、家に帰って来ることはなかった。
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