第41話 『浩太の過去』


「ふー。美桜、ありがと。部屋戻ろっか」


「うん!」


 少し落ち着いて、部屋に戻った。



 

 別に妹に久しぶりに会っただけ……大したことはない。人によってはそう思われることかもしれない。


 だから俺もそう……思えたならよかったのだが。


 義理の父親からの電話が少し、俺の心の傷をえぐったまま、じわりじわりと侵食していた。


 兄貴が死んでからもう十年くらい経つのに……今だに言われるのか、”お兄ちゃんに似て” って。



 俺には、二つ上の兄がいた。成績優秀、スポーツ万能、顔も良くて、優しくて頼りになり、人望もあり、モテる。


 だから俺が幼い頃は、純粋に自慢の兄貴だった。そんな兄貴がいる事が嬉しかったし、俺も兄貴みたいになりたいと憧れた。


 けれど、小学校高学年くらいになってくると、それが少し劣等感へと変わって来た。


 顕著だったのがバレンタインデー。俺にチョコを渡してくる子はみんな、「直接は恥ずかしいから、お兄ちゃんに渡して欲しい」と言うばかり。

 

 俺の机に名無しのチョコが数個入っていたが、言われなくても兄貴に渡してくれと言う事だろうと、俺はそのまま開ける事なく兄貴に渡していた。


 俺はさほど成績もスポーツも秀でるものはなかったし、顔が怖いと言われるから、人が寄ってくることもなく、人望もなくモテることもなかった。


 だから言われるのはいつも、“あの鈴宮くんの弟”。


 俺だって鈴宮なのに。


 あまりにも言われるから中学に入ってから悔しくなってきて、俺は勉強を頑張るようになり、スポーツは万能とはいかないものの、個人で出来る陸上だけは自主練を重ねてタイムを伸ばしていた。


 けれど、それでも言われるのは“さすが、鈴宮くんの弟” 。俺の頑張りは、“あの” から“さすが” になっただけで、結局“鈴宮くんの弟” から抜け出せないでいた。


 それでも、コツコツと頑張っていれば、そのうち俺でも何か認めてもらえるのではないかと、そんな淡い期待を抱いていたのだが。


——俺が中学二年の時、兄貴と実の父親は……事故で死んだ。


 兄貴がスタメンで出る試合へ、父が運転する車で向かっている時だった。居眠り運転のトラックに正面からぶつかられ……帰らぬ人となった。


 兄貴はその試合で活躍を期待されていた。全国優勝がかかった試合だった。だから、その事故はあまりにも衝撃的なものとなり、その後……しばらくずっと、語られる事となった。


 母親も、愛する夫と自慢の長男が突然帰らぬ人となった事で、喪失感がすごかった。母親の中で信じたくなかったのだろう。


 だから……俺に二人の影を見るようになった。いくら俺が頑張って努力しても、“さすがお父さんの子供” “お兄ちゃんに似て来た"


 俺が兄貴の歳を追い越せば、流石に俺を見てくれるかなと思ったが、“お兄ちゃんも生きていればきっとこんな感じだったのね、もっと……すごかったのかしら”

 

 俺は兄貴が生きている頃には何一つ越えられなかったから。もうずっと、そのまま……越えられることはない。


 そのうち母親は仕事がさらに忙しくなり、俺は一人の時間がどんどん増えて、そのうち、母親に恋人が出来て、俺は一人でも大丈夫よねと言われるようになり……


 “どうせ俺なんか、頑張っても誰も見てくれない、認めてくれない、存在価値はないのだ“


 多分、心のどこかでそう思うようになってしまった。


 高校に行ってもやはり言われるのは“あの鈴宮の弟” そんな呪縛から抜け出したくて、大学は地元を離れることにした。


 どうせ、妹にもさほど必要とされていないとは思っていた。けど……それでも一応は気にかけていた。なのに


『……お兄なんて大っ嫌い!! 早く出てけ!! もう二度と顔も見たくない!! あーうざいお兄がいなくなってせいせいする!!』


 流石に……あの言葉はショックだったんだ……



……

…………



「ごしゅじんさまー! ねぇねぇ、美桜ねー、またごしゅじんさまにお手紙書いたんだよー! 見て見てー!」


 屈託のない美桜の言葉が聞こえる。


「ん? なになに、見せて」


 いつまでも過去を引きずるわけにはいかない。俺は今……確かに幸せなんだから。


 気を取り直して美桜が書いたと言う手紙を見る。


 美桜は、文字の練習がてらたまに手紙を書いてくれる。最初の頃はえんぴつを握る時点でつまづいていたので、なかなかに苦労したが、最近はいろいろと書けるようになってきた。


 そんな美桜が書いた手紙は……


『ごし ゆじんちま すきすき だいすき すきすきす きすきすきすきすきすき』


…………美桜め、子供か?


 なんだよ、これ、最後の方とか、キスしたいみたいになってるじゃん。なんだよ、もう、またキスしてやろうか。


 はー。可愛い。可愛いわ。この子。


 なんかもう、ちょっと無理かも。抱きしめたいし、キスしたいし。もう……いいかな、我慢出来ない。


「美桜ー、ここ、”さ” が ”ち” になってるぞー?」


「あっれー?? 間違っちゃった? 書いてたらどっちが正解かわかんなくなっちゃうんだもん。えへ」


 にこにこしながら照れてる美桜が可愛い。


「美桜ー、あとさ、これだと”す” と“き” の練習ばっかになるから、他のも書こうなー?」


「えーだってさ? なんか、気持ちが溢れて来ちゃったんだもーん。すきすきすきーって思ってたら、ちゅーしたくなっちゃった」


……だから後半きすきすになってるのか? どんな偶然だよ。全く……はあ、もう、無理。


「美桜のせいで、俺もキスしたくなったんだけど?」


「えっ」


「ダメか?」


「美桜……猫のお耳あるよ?」


……美桜はまだ、猫の耳があるからダメだと思ってて。どんだけ、純粋……

 

 そんな純粋さを汚したくなくて、俺はずっと我慢してたんだけど……なんか、もう、無理。我慢の限界。


「んー? そーだなー。じゃあ、美桜は猫の耳がある間は、キスしたくない?」


「え! え! していいなら、したい! 美桜……ほんとはずっとがまんしてた」


……やっぱり、そーなんだ。美桜……俺とキスしたいと思ってたんだ。


 ちょっと嬉しくなった俺はもう止まらなくて。


「美桜、おいで」


 俺は美桜に向かって手を開いた。すると美桜も俺の腕の中に入ってきて、俺に抱きついた。


 美桜はちょっと赤い顔をしてて。照れながら、ちらりと上目遣いになってはまた恥ずかしそうに目を伏せる。そんな美桜がやっぱり可愛くて。


「美桜、こっち向いて?」


 俺の呼びかけに顔を向けた赤い顔した美桜の唇に

俺は激しめにキスをした。


……ああ、だめだ、やっぱり美桜の唇、すごい柔らかくて気持ちいい。このまま……食べたい。


 俺の理性がぶっ飛びそうになった時。



————ポコン


 そばに置いてた俺のスマホが鳴った。


 なんだよ、邪魔するなよ。そう思いつつ画面に目をやると。


”お兄、助けて”


 短い凛からのメッセージ。


 え、何、何かあった? まさか……言ってたストーカーに部屋がバレたのか?


 短すぎる急なメッセージが、逆に俺の不安を煽った。


「美桜、ごめん、ちょっと、妹の様子見てくるわ。悪いけど、部屋で待っててくれる? 誰か来ても絶対部屋に入れないで」


「え、うん……わかった」


 一気に寂しそうにする美桜の頭を優しく撫でて、俺は凛の部屋へと向かった。


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