第32話 『サンの、嫉妬』
ラーメンを食べ終えると、美桜がまたいつもみたいに眠そうにしている。お腹がいっぱいになると眠くなるようだ。まったく……美桜らしいと言うかなんと言うか。
「美桜……シャワー浴びといで」
「ん、わかったあ」
美桜はぼんやりとした顔のまま返事をすると、シャワーを浴びに行った。
……部屋にサンと二人きり。……どうしたもんか。
まあ、さすがにもう突然キスしてくる事もないだろう。
と、思ったのだが。
「ねぇ、コータ」
俺を呼びながらサンは俺に抱きつくと、そのまま俺を押し倒した。
「え、ちょ、サン!?」
突然俺の全身に柔らかなサンの重みと熱が伝わる。
「……おっきい声出さないで」
サンは俺を押し倒したまま俺の耳元でそう囁いた。
……一体なんなんだ。美桜に、気付かれたくないと言う事か? いや、それは俺も同意見だ。せっかく泣き止んだ美桜をまた泣かせたくなどない。
「な、なに」
俺は小声でサンに話しかける。
するとサンも俺を押し倒して抱きついたまま、俺の耳元で小さな声で話し始めた。
「サン……コータのこと好き。コータがお姉ちゃんの事好きなのは分かったけど……やっぱりお姉ちゃんばっかりコータと一緒にいたの、嫉妬しちゃう」
そんな事を言うサンの吐息が俺の耳にあたり、くすぐったい。
「え、あ、その……」
俺も何か言おうとするが、あまりに予想外の出来事に言葉が思いつかない。ただ、突然のことへの驚きと、女の子に押し倒されて抱きつかれているという事実、そして美桜がいない間にという罪悪感で、なんとも言えない緊張感が走っている。
「今は、コータがお姉ちゃんを好きでもいい。でも、サンがコータを好きなのは、許して欲しい」
サンが言う言葉はもっともだ。人が人を好きになるのは仕方がない。その気持ちを否定する事など出来ない。とは、思う……
「ん、ああ、わかった。わかった、けど、俺……サンの気持ちには応えられないよ?」
けれど、あやふやな態度もサンを傷つけると思って、はっきりと断ろうとそう言った。のだが、俺の言葉にサンはムッとした顔をして
「……うるさい。バカ。そんなハッキリ言わないでよ。嫉妬しちゃって……おかしくなりそうなんだから」
眉を顰めて顔を歪め、泣きそうな顔になりながら、……再び俺の唇を奪った。それはさっきよりも激しく強い……
「!?」
動揺する俺に物怖じする事もなく、サンは感情を押し付けるように、俺の唇にサンの柔らかいそれをさらに強く深く重ねる。……そして、突然深くて長いキスをされ酸素を求めた俺の唇が少し開いた隙に、サンの柔らかな何かが……俺の唇の中へと入って来た。
ちょ、待って、サン、激しすぎ。
心の中ではそう思うのに、俺は唐突すぎる出来事に思考が追いつかない。声を出す事も突き放す事も出来ず、ただただされるがまま、ただただ、俺の唇とその中の、柔らかくて熱い感覚と刺激に、脳みそが掻き回されている気がするだけ。
……遠くでドライヤーの音がする。美桜がシャワーを終えたようだ。ヤバい、このままでは美桜が来てしまう。
「ちょ、サン、美桜が、来る」
そう言うだけで精一杯だった。思考は回らないし、呼吸も苦しい。……明らかな、酸欠。
しかし俺の言葉にサンはハッとした顔をすると、慌てて俺から離れ、
「ご、ごめんなさい」
俺に謝った。
「……サン……こーゆーのは、良くない」
俺もやっと出る声でそう言った。
「……分かってる。だから、ごめんなさい。でも……あんまり嫉妬させること言わないで。サンだって……ダメって分かってる。でも、自分でもわかんないくらい、嫉妬しちゃって抑えられないんだもん」
サンは涙を浮かべながら俯いてそう言った。
「ただいまー」
そこへ何も知らない美桜がシャワーを終えて帰った来た。
「ん、おかえり、美桜」
俺は出来るだけ平静を装って美桜を出迎える。
けれどサンは美桜に背を向けたまま何も言わない。後ろ姿ながら、涙を拭いているように見える。
「あれ? サン、どした? 何かあったの?」
そんなサンを心配して美桜が話しかけた。
するとサンはクルッと振り向いて、ニコッと笑っい
「うううん。なんでもないっ。あんまりにもラーメン美味しかったから、お姉ちゃんこんなの食べてたんだーって、ちょっと、羨ましくなっちゃっただけ」
そんな事を言った。
そんなサンに美桜は何かを察したのかそうでないのか、
「ラーメン? うん。美味しかったね。ラーメンも美味しいけど、他にも美味しいものいーっぱいあるんだよ。美桜ね、こないだごしゅじんさまにプリン作ったの。美味しいって言ってくれたから、今度サンにも作ってあげるね」
無垢な笑顔でそう言った。
するとサンは今にも泣き出しそうな顔をして、美桜に抱きついた。
「お姉ちゃん、ごめんなさい。大好きっ」
そんなサンを美桜は抱きしめ
「ごめんなさい? どしたの、サン。美桜もサン好きだよー」
屈託のない笑顔でサンを撫でるのだった。
たぶん、美桜は美桜で、ひとりでシャワーを浴びながら、いろいろ考えていたんだろう。
美桜だって、数日前までは猫だったのだから。サンに同調する部分はあるのだろう。ましてや血の繋がった姉妹なのだから……
さて、困った。こんな可愛い二人に好きだと思われて。俺は美桜が好きだけど、それを言うとサンは嫉妬心でまた暴走しそうだし。あまりサンを刺激する事は避けたいと思う。
俺が二人を眺めながら困った顔をしていると、それを見た美桜が口を開いた。
「あ、そろそろ寝る時間だー。ごしゅじんさま明日もお仕事だしね、サンも歯磨きして寝よっか」
すっかりお姉ちゃん風を吹かせている。
「はみがき?」
疑問符を浮かべるサンに美桜は答える。
「うん、歯磨き。人間は朝と夜するんだよ。歯磨き粉は、ごしゅじんさまの辛いから、美桜のを貸してあげるね。ほら、洗面所行こ」
美桜はサンを連れて洗面所へと向かった。
「美桜ー、洗面台の引き出しに新しい歯ブラシ入ってるから。サンにそれ渡してあげて」
「はーい!」
少し距離のある美桜へそう言うと、そのまま遠くからする女子二人のきゃっきゃとした声を聞きながら、俺に少しの間だけひとりの時間が訪れたことにほっとため息を漏らす。
そして自分の唇に触れながら、サンの唇の感触を思い出していた。
……正直、悪い気はしなかった。サンの唇は柔らかくて、抱きつく身体はふわりとあたたかくて、……気持ちいいとすら思った。けれど、キスの相手は美桜が良かったと思う。美桜と……したかった。ましてや俺の、はじめてだったのだから。
今まで何度も美桜とキスする流れはあったのにと思う。そして、美桜としかする気は無かったのになと思う。まさか、こんな唐突に……しかも男の俺の方が奪われる側になるなんて、思わなかった。
そこに残念に思う気持ちを胸の奥に引っ込めて、歯磨きから戻る二人とすれ違いながら、俺も洗面所へと向かった。
歯を磨きながら、ああ、もうこんな時間かと思う。何だか今日はあっという間だった……
そこまで考えて、ハッと大事なことに気づく。
え? 寝る時間? え、寝るの?
俺の部屋で、美桜とサンと俺の三人で?
俺の家にはベッドと布団……その二組しかない。
どーやって寝る?
どの組み合わせで?
……俺はまだまだ一波乱ありそうな予感に、身震いをした。
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