美桜の妹

第29話  『ファーストキス』



 仕事を終え帰ろうとすると、外は土砂降りだった。

 空はどんよりと暗い雲が立ち込め、遠くで雷も鳴っている。


 あー傘忘れたなあと、駅前のコンビニで傘を買い、急いで電車に乗った。


 ふと、昨日会った桐沢さんはいるかと車内を見渡してみたが、……さすがにいるわけないか、と空いた席に座る。


 昨日はたまたま俺の家の最寄り駅付近に用事があったと言っていたので、多分そのために電車に乗っていたのだろう。


 俺は駅に着く前から降りる準備をして一目散に降りてしまったが、もしかしたら桐沢さんもその後に同じ駅で降りたのかもしれない。


 昨日はなんとなく接する時間が長かったが、たまたまが重なっただけ。


 名刺までもらったが、美桜は現状モデルをしようと思えるほど世間の事を知らないし、ましてや猫耳があるのだ。それを見られるリスクを背負ってまでするはずがない。


 つまり名刺先に電話することもない。


 もう会うこともないのだろう。


 考え事をしていると、あっという間に最寄り駅に着いた。昨日は電車が止まって帰るのが遅くなった分、余計早く感じるのかもしれない。


 電車を降りるとさらに土砂降りになっていた。

 さっきまでは遠くで光っていた雷もずいぶん近く、空はビカビカとしている。


 うわー、これ、傘の意味ある? と思うほど、ビニール傘を差していてもびしょ濡れだ。

 おまけに激しい雨で視界も悪い。


 これは帰ったら風呂場直行だなと思いつつ歩いていると、ドドーンと大きな雷が落ちた。


 うわーでかい音。これは近くに落ちたな。


 そう思いながらふと道路の方に目をやると、大通りのど真ん中に猫がしゃがみ込んでいる。


 雷で足がすくんでしまったのか、その場から動く気配はなく、車はシャーシャーと水溜りを切る音を立てながら次々と猫を避けて通り過ぎていく。


「あぶないな……」


 さすがにこの土砂降りで視界も悪い中、道路の真ん中に猫がいるのは危ないと思い、俺は車が途切れた隙を見計らって猫を拾い上げた。



 猫は雷にびっくりして硬直しているのか、それとも行き交う車に驚いて動けなくなってしまったのか、びしょ濡れのまま小刻みに震えていて一向に俺の手から降りようとはしない。


 咄嗟に助けてしまったが……どうしたものか。


 すぐそばには美桜を拾った大森猫國伝公園がある。そこまで連れて行こうかとも思ったが、動けないままでいるこのびしょ濡れのままのこの猫を置いて帰るのもなあと、少し気が引けた。


 家に連れ帰って雨宿りがてら体を乾かしてやろうか。家に帰ればこないだまで猫だった美桜もいる。美桜に猫の気持ちを聞いてみるのもいいかもしれない。そんな軽い気持ちで、そのまま連れて帰る事にした。



——

————


「ただいまー、美桜ー」


 猫を抱きながら片手で玄関を開けると、すぐ目の前にはタオルを持ち、猫耳を垂れさせ半泣き顔の美桜が待っていて、


「おかえりなさいごしゅじんさまっ!!」


言いながら俺の腰に抱きついて来た。


「どうした美桜、そんな顔して」


 美桜は俺に抱きついたまま俺を見上げて


「お外ビカビカ光ってドンドンうるさいから美桜怖くて。ごしゅじんさま早く帰って来ないかなって待ってた」


 半泣き顔の理由はそれかと頭をポンポンと撫でる。


「そうか、美桜も雷怖かったか。俺帰って来たからもう大丈夫」


「うん。……ところで??」

 

 美桜は俺に抱きついたまま、俺の腕の中にいる猫を見つめ不思議そうな顔を浮かべる。


「ああ、道路で動けなくなってたから連れて帰って来た。びしょ濡れだし、乾かしてやろうかと思って」


「え、そうなんだ……あれ? この子、しゃべった?」


「え? しゃべった? 何も聞こえなかったけど……」


「そっか、気のせいかな」


「ん、まあ気のせいだろ。とりあえず俺もびしょ濡れだしこの猫とシャワー浴びてくる。美桜も今俺に抱きついて濡れたところ、乾かすか着替えるかしろよ?」


「はーい」


 さてと。猫の分と俺の分のタオルと俺の着替えを持って風呂場へと向かう。


 猫を風呂場に入れたところで猫はブルブルと身震いをして、風呂場の隅に体を寄せるとまた蹲って固まった。


「なんだ、お前びびりだなー。ほら、シャワーかけるぞー」


 話しかけながらそっとお尻の方からシャワーのお湯をかけていく。猫はそこから動かないものの嫌がる様子もなく、おとなしくシャワーを浴びせられている。


「お前、シャワー浴びるのはじめてか? あったかいだろー。よしよし。雷怖かったかー」


 猫は相変わらず喋ることはないので俺の一方的な独り言になっているが、構わず話しかけながら先に猫をシャワーで流して軽く水気を絞ってやった。


 すると猫はまたブルブルと身震いをして体についた水分を飛ばす。

 ‪ブルブル! と体を震わせると、次は右手、右足と水気を振り落としていった。


 ひととおり猫は自分の水気を飛ばし終えるとまた壁際に寄って身を寄せるので、タオルで包んで拾い上げる。


 そのままタオルで拭き取ってドライヤーで乾かしてやった。


 途中、ドライヤーの音にびっくりしている様子だったが、縮こまりながらもその場にじっとしているので比較的苦労せず乾かすことが出来た。


「よしよし、こんなもんかー? がんばったなー。

おー寒。じゃあ、俺もシャワー浴びてくるからここで待ってて」


 猫を脱衣所に待たせて俺はシャワーを浴びる。


 すりガラス越しに猫の姿が見える。暴れることもなくそこにいて、すりガラス越しにこちらを見ているようだった。


 なんか……この家に猫がいるのも不思議な気分だなと思いながらシャワーを終えて、自分も脱衣所に立つと身体を拭いていく。


 猫はせっせと毛繕いをしていたが、俺の身体が拭き終わると足元にまとまりつきながら、ゴロゴロと喉を鳴らし始めた。


「なんだ、お前、人懐こいな」


 抱き上げるが逃げようとはしない。猫は俺に抱かれたまま俺に体を擦り付けてくる。


 そのまま猫を連れて部屋の中にいる美桜のところまで戻った。


「ごしゅじんさま、おかえりなさーい」


 すっかりいつも通りのにこにこの笑顔を浮かべる美桜は、そう言いながら俺に近づいてくる途中で、


「え??」


突然驚いた顔をして立ち止まった。


「どーした? 美桜」


「え、え、ごしゅじんさまは聞こえない??

"おねえちゃん!!”って、このが」


「お姉ちゃん?」


 腕の中にいる猫を見るが、鳴いた素振りはない。ただ、美桜を見つめている。

 

 美桜も元猫だから、通じるものがあるのだろうかと様子を見ていると。


「ごしゅじんさま……このが、美桜のことお姉ちゃんって言う。この子は美桜の妹だって」


「え?」


「おねえちゃんだけ人間になってズルイって。私もなりたいって」


「……にわかには信じがたいが……美桜は人間になりたいって強く思ってたら人間になってたんだっけ」


「うん。人間になりたい。人間になりたいって何回も念じてたらなった」


 二人の会話を俺の腕の中で聞いていたその猫は、目を瞑って難しい顔をし始めた。


「え、もしかして、念じてる?」


と猫を眺めていると、突然


——ポンッ


 俺の腕の中にいる猫が、女の子の姿になって俺を押し倒す形でそこにいた。



「え!?」

「え!?」


 俺は女の子に押し倒された格好のまま、美桜もその様子に驚きながら声をあげる。途端


「やったー! サンも人間になれたっ!」


 俺に覆い被さる女の子は嬉しそうな声をあげると、そのまま俺にぎゅっと抱きつきキスをした。

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