第27話 『スカウト』
「あ、ああ、さっきの……こんなところで会うなんて、ご自宅、この辺りなんですか?」
先程の女性と思わぬところで会ったので、なんとなくそう聞いた。他意はない。
「あ、いえ、ちょっとこの辺りに用事があったもので。用事も済んだので買い物してから帰ろうかなとたまたま寄ってみたんです」
「ああ、そうでしたか。こんな偶然もあるんですね、びっくりしました」
そう、たまたまの偶然が重なったと思う。たまたま今日は美桜に早く会いたくてスーパーに寄らずに帰ったからこんな時間にスーパーに来た。
そして一緒に来ることになった美桜がたまたまオシャレすると言ったから俺はスーツのままで来た。
多分俺がいつも通り仕事帰りにスーパーに寄っていれば会うことはなかっただろうし、家に帰ってから来たにしてもいつもみたいに着替えていれば服装も違って俺だと分からなかっただろう。
たまたま、こんな偶然もあるものだなと思っていたら、後ろからスーツの裾をツンツンと引っ張られるのを感じたので振り向いた。
「ん、どした、美桜」
「……ごしゅじんさま、この人は?」
「ああ、さっき電車でたまたま一緒だった人だよ」
「そーなんだ……うん、ごしゅじんさまからしてた匂いと同じ匂い……」
俺がこそこそと美桜と話していると、女性がまた話しかけて来る。
「あら。可愛いお嬢さん。彼女さん?」
「あ、いや、親戚の子です。彼女ではありませんよ」
なんとなく、当たり障りのない事を言おうとそう言った。こんな可愛い美桜が俺の彼女だなんて、そんなおこがましい事言えないと思って否定した。
「そう、本当に可愛いわ。どこか事務所に入ってるの?」
「えっ」
声を掛けられた美桜はあたふたしている。
「あ、いえ、すみません、この子、人見知りで……」
「あら、ごめんなさいね、急に話しかけてしまって」
「いえいえ……」
「なんだか今日は初対面なのに、あなたにたくさん話してしまって……。私、こういうものなの。ちょっとスタイルのいいモデルさんを探してて。もし興味があったら連絡もらえないかしら」
そういう女性に名刺をもらった。
美スタイル研究家
ファッションデザイナー
liliy 代表 桐沢 玲奈
080-****-****
「あ、ご丁寧にありがとうございます。頂戴いたします」
名刺の肩書きを見て、道理でスタイルが良くて綺麗な人だと思った。
しかし、美桜がモデルのスカウトを受けるとは、当然と言えば当然か。先日買い物に行った時でさえ通りすがる人達に、モデルか、インフルエンサーかと羨望の眼差しを浴びていたのだから。まあ、モデルにしては美桜は少し背が低い方ではあるが。
美桜は美桜で俺と女性——桐沢さんとのやり取りにキョトンとしている。
桐沢さんは、そんな美桜にも笑顔を向けると、
「急に呼び止めてごめんなさいね。じゃあ、もしも興味があったらご連絡ください。失礼します」
感じのいい会釈をして去って行った。
「美桜、モデルだって」
「もでる?」
「んー、美桜が可愛いって事」
「ごしゅじんさまも美桜可愛いと思う?」
「そりゃもちろん」
「ほんと? へへ、嬉しい」
美桜はモデルのスカウトをされたことよりも俺に可愛いと言われた事を喜んでにこにことしている。
そんな美桜の様子を見て、俺は桐沢さんからもらった名刺を美桜に渡す事なく名刺入れにしまった。
美桜は見た目こそモデル並みだが、仕事をするにはまだ時期早々だ。それよりも、まずは身の回りのいろいろな事を教えてあげたいと思う。
そんな事を考えつつ、先程手に取りそびれた卵を手に取り、そういえばこないだ美桜が卵料理作ってくれたなと思い出す。
「なあ、美桜、こないだのプリンうまかった。また作ってくれるか?」
「えっホント? うん! また作るっ」
美桜の屈託のない笑顔を見て、もうしばらくは美桜を独り占めしていたいなと思ってしまう。
「それは楽しみだ。そう言えば、目玉焼き作ってみたいって言ってたっけ。明日の朝、一緒に作ってみるか?」
「えっうん! 美桜やりたい! 美桜が目玉焼き作れるようになったら、ごしゅじんさまに朝ごはん作ってあげる!」
え、そんなの幸せ過ぎでは? 想像するとやばい。朝からこんな可愛い美桜がいて、俺に朝ごはんを作ってくれるなんて、絵に描いたような幸せじゃないか。
俺は、ただ、美桜が美桜自身のために自分の身の回りのことを出来るように教えてあげたいと思っているに過ぎないのだが、美桜は美桜で俺に何かしてあげたいと思うことがモチベーションとなっているのなら幸せなことだ。
思えば美桜は仔猫の頃、最初に俺を見た時から俺に懐いていた。それは生まれたての雛鳥がはじめに見た人を親鳥と思い慕うのと同じ原理なのかもしれない。
たまたま俺が最初だっただけ。ただそれだけの理由で美桜は純粋に俺に懐いているのだろう。
さらにいえば、幼い子供が、大きくなったら父親のお嫁さんになりたいと願うそれと同じ。
俺は俺で美桜の面倒を見ると決めた以上、美桜が巣立つまでは育ててやらなければと思う。
いつか巣立つ日が来るかもしれないその時は、美桜が俺を慕う気持ちは、恋ではなかったと思うのだろうか。
そう思うと少し寂しくなるが、今は考えないでおこう。
「じゃあ、明日はピンクい丸いやつも入れるか?」
「あ! ハム! うん! ハムも入れる!」
恐ろしく記憶の定着が早い美桜が巣立つのは実はすぐ先のことかも知れないと思いつつ。
「じゃあ、明日の朝ごはんはハムエッグだ!」
「やったー!」
今はこの短い約束を噛み締める。
「あとは、食パンと、イチゴミルクにしようか。最近野菜が少ないからカットサラダと……」
数日分の買い物を終え、美桜と家路に着いた。
家に着いて着替えを済ませたが、まだ寝るには早い。それに素うどんしか食べていないので物足りない。
「美桜、さっき買った苺食べるか?」
「うん! 食べるー!」
「じゃあ、苺洗ってヘタ取るから手伝って」
「あいあいさー!」
美桜は元気に答えながらエプロン姿に変身した。
つくづく便利な能力だなあと思う。
まあ、苺のヘタくらいちぎればいいのだが、せっかくなので果物ナイフでも使わせてみようかと取り出した。
「じゃあ美桜ちゃん、果物ナイフ使ってみようか」
「あ! 包丁! やってみたかったやつ!」
「まあ正確に言えば包丁はもう少し大きいんだけどな。苺洗ったらヘタのところ切ってみよう」
苺のヘタを切るくらい、初歩の初歩。料理とも言えないレベルだが美桜は嬉しそうだ。
洗ってヘタを切った苺をお皿に並べてローテーブルへと運ぶ。
美桜は少し得意げな顔なので、褒めておこう。
「美味しそうに出来たなー!」
「へっへー」
美桜は褒められてるんるんである。
「よし、じゃあ食べよっか。いただき……」
「ますっ!!」
美桜はうどんの時に言われた言葉をちゃんと分かってますとばかりに、少しドヤ顔気味の笑顔を浮かべながら大袈裟に手を合わせていただきますをした後、苺に爪楊枝をさして、口に運ぶ。
その途端。
「んっ!! すっぱああああい!!!!」
梅干しでも食べたかのように目をぎゅっと瞑って舌を出し、顔一面で酸っぱい時の顔をしている。
「ん? そんなすっぱいか?」
俺も食べてみたがむしろ程よい酸味と甘味でおいしかった。
「美桜…… 苺もイチゴミルクみたいな甘い味がすると思ってた」
それを聞いて納得した。アイスで食べた苺味もイチゴミルクも、どちらも加工された甘い味付けになっている。それのパッケージで美桜は苺と言うものを知ったので、苺自体の味もそれに近いものだと想像していたのだろう。
あの甘さを想像して食べたなら、果物の生の苺はさぞ酸っぱく感じたことだろう。
「あはは、これが本物の苺の味だ。しかーし、これをかけるとどうでしょう」
俺は苺と一緒に買っていたコンデンスミルクを出してきて、『これ、かけて食べてみ』と美桜に渡す。
美桜は狐につままれたような不思議そうな顔をしながらコンデンスミルクをかけ、パクりとそれを口にした。
「んんっ!! おいしーいいい!!」
さっきの酸っぱそうな顔が嘘のように、ぱっと嬉しそうな満面の笑みになる美桜の百面相に、俺の顔も和んだ。
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