第26話  『嫉妬』


「え! 女の人の匂い? ……ああ、あの人か」


 電車の中で隣で座っていたあの女性だ。確かにいい匂いがしていたし、隣に座っていた時間も長いので匂いが付いてしまったのだろう。


 けれどそうとは知らない美桜は泣きそうな膨れっ面で


「ごしゅじんさま、その人といたから遅かったの?」


「いや、違う。違わないけど違う。電車が止まっちゃって、たまたまその時隣に女の人が座ってたんだよ。ただそれだけ」


「ほんとにほんと?」


「うん、本当に本当。これでも美桜に会いたくて急いで帰って来たんだぞ」


 焦る俺に、美桜は安堵の笑みを浮かべて


「そっか。ごしゅじんさま、お疲れさま」


また俺に抱きついた。


 俺は抱きつく美桜の頭を撫でながら


「美桜ちゃん……もしかして、嫉妬した?」


聞いてみるものの


「しっと?」


美桜はキョトンとしている。嫉妬という言葉を知らないようだ。


「んー、もしも俺が他の女の人とデートとかしてたら、美桜はいやな気持ちになる?」


「えっそれはやだ。やだやだやだ。美桜はごしゅじんさまの専属だから、ごしゅじんさまも美桜の専属がいい……だめ?」


 少し美桜が涙目だ。


 ちょっと涙目で必死な美桜が可愛くて、笑ってしまう。


「そっかー美桜、ヤキモチ妬いたんだー。可愛い。

心配しなくても、俺は美桜だけいてくれたらいいよ」


 そう言って美桜の頭を撫でた。


 考えてみれば、美桜にとってはたったひとりの頼れる人間なんだよな、俺は。それがもしも他の人に取られたら……そう考えれば不安になるのも仕方ないか。そう思うと、“嫉妬” とは違うのかもしれないな……


 思い直した自分の考えに、胸がチクリと傷んだ。


 けれど、俺は美桜が好きで、美桜も俺に懐いてて、充分じゃないか。むしろこれ以上、何を望むと言うんだ。贅沢だな、俺。


「ごしゅじんさま?」


 俺が美桜の頭を撫でながら神妙な面持ちをして考え込んでいたので美桜がきょとんとしている。


「ん? あ、ごめん、ちょっと考え事してた。今日の夜ご飯何にしようかなーって」


 また、適当なウソをついて誤魔化す俺。


「夜ご飯? そんな真剣に考えてたの?」


「ああ、何にしたら美桜は喜ぶかなーって」


「え? 美桜はねえー。いちごミルクがまた飲みたいです」


 相変わらず無垢な美桜らしい答えだ。


「それは食べ物じゃないからダメでーす」


「えー。じゃあ、いちご!」


「それは果物だからダメでーす」


「んー! じゃあ、アイス!」


 必死に答えるくせに全然夜ご飯らしいものが出てこなくて笑ってしまう。


「あはは、美桜、さっきからご飯じゃないものばっか。じゃあ、さっさと食べてデザートでも買いに行くか?」


「おでかけ?」


「うん。今日はスーパーへ行こうか」


「うん! ごしゅじんさまとならどこへでも!」


 美桜は元気よく答えた。

 よかった。やっぱりいつも通りの美桜だ。


 さーて、何があったかなーと、冷凍庫の中を確認する。美桜に早く会いたくて買い物行かずに帰って来てしまったが、今から買いに行ってては食べるのが遅くなってしまう。


 さっさと家にあるもので今日は済ませて、明日の分も含めてゆっくり美桜と買い物する方が、明日も買い物せずに帰って来られていいと思った。


「お、美桜。冷凍うどんがあった。これでい?」


「冷凍うどん? アイスになってるの?」


「違う。違わないけど違う。まあ、いいや。食べたら分かるな」


「うん!」


 俺はささっと冷凍うどんを調理して、ローテーブルへと運んだ。


「美桜ー出来たぞー」


「え、もう出来たの? はやーい!」


「それが冷凍うどんのすごいところだ!」


「うん、おいしい!」


「おいこら、ちゃんといただきますした?」


「あっ忘れてたあ」


「こいつめ。ほら、ちゃんといただきますするぞー」


「はーい。いただきますっ」



 ……何気ない会話が幸せだなあと思いながら、美桜と食べた素うどんは、いつもよりすごく、美味しく感じた。




「よーし、美桜、お買い物行くぞー!」


「はーい! ねえ、美桜、新しいお洋服着てもいい?」


「ん? そういえば届いてから着てなかったな。いいよ、着ておいで」


「うん! 美桜ね、あのワンピースのやつ着たいの! お姫様みたいなやつ!」

 

「それは楽しみだ。じゃあ俺は……エスコートしなきゃだからスーツのまま行こうかな」


 

 着替えを済ませて来た美桜は、本当にお姫様のようだ。……とは、やや俺の欲目が入っているかもしれないが、肌が白くてスラッとしていて、やはりちゃんとした服装をすると、人目を引く華やかなオーラがある。


 服を選びに行った時、美桜は小柄な背丈と胸の大きさから着られるワンピースがなかなかなかったのだが、これは胸元が編み上げになっているのでサイズ調整ができ、美桜にも綺麗に着られるものだった。

 襟元と袖口にはふわりとフリルがあしらわれていて、優しい色合いも合わさって、美桜によく似合っている。


 こんなオシャレしてスーパーというのもどうかと思うが、まあしばらくお出かけの予定もないし、新しい服を着てみたい気持ちも分かるのでよしとしよう。


「美桜、帽子忘れないで」


「あっうん!」


 美桜の猫耳を隠すためにキャスケット帽を被せる。ん……? 美桜の耳、少し小さくなった? いや、気のせいか……


「じゃあ、お姫様、行きましょうか」


 俺は美桜に手を差し出して執事っぽく振る舞う。


「うん!」


 美桜はそんな俺の手を取って嬉しそうだ。



 スーパーまでは家から徒歩10分ほど。ちょうど最寄駅のそばにあるのでかなり使い勝手がいい。普段からよく仕事帰りに寄っているスーパーだ。


「さーて、明日の弁当の食材と……夜ご飯は何にしようかなあ……」


 買い物カートを押しながら美桜とスーパーの中を歩く。美桜は、見たことない食材たちに興味津々だ。


「美桜ー。どした? 食べたいものでもあったか?」


「んっごしゅじんさま、これって……いちご??」


「ああ、そうだな、いちごだ。本物見るの初めてか?」


「うん。いちごミルクに描いてあったのしか知らないから、本物ははじめてみた」


 なるほど、そうか確かに。いちごなんて誰でも知っていそうなものだけど、美桜にとってははじめてなんだな。


「いちご、食べてみるか?」


「うん! 食べてみたい!」


 考えてみれば、美桜は食べたことがないものばかりなんだなあと思う。俺が公園で世話してた時はなんの疑問もたず仔猫用のキャットフードだったし……


「美桜、俺の家来るまでは何食べてたの?」


「んー? なんかカリカリした茶色いやつ」


「そうか、うん。苺買って帰ろうな」


 普段俺ひとりなら苺なんて完全にスルーする食材だが、今の俺は違う。美桜に食べさせてやりたい。どうせ買うならと、そばに陳列されていたコンデンスミルクも一緒にカゴに入れる。



「ねー、ごしゅじんさま? これ食べたら臭くなる?」


「ん?」


 なんだ納豆でもあったのかと美桜が指差す方を見てみれば、そこにあったのは白菜。


「これって、はくさいって書いてるんだよね? 葉っぱが臭いの? 歯が臭くなるの?」


「ああ、白菜か、はは、違う違う。それは野菜の名前だ。臭くなったりはしないから大丈夫だ」


 白菜食べたら歯が臭くなるなんて、まるで幼稚園児並みの発想だなと思いつつ、なんだか美桜との買い物はいつもと違って新鮮で楽しい。


 なんとなく白菜もカゴに入れ、そうだ卵がなかったなと、安くなっているたまごパックに手を伸ばそうとしたところで、女性から声を掛けられた。


「あ、あれ? さっきの……電車の人ですよね」


 目の前にいたのは、先ほど電車で隣に座っていた女性だった。

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