第19話 『美桜のわがままと、眠れない夜』


 無意識に美桜と間接キスのし合いみたいになってしまい、腹の中がむず痒くなったが、俺はそれを美桜に悟られたくなく、わざと空気を変えるように美桜に話しかけた。


「よーし! アイスを食べたら歯磨きだ! 人間はちゃんと毎日、朝晩、歯磨きするんだぞ?」


「え! そうなの!? 美桜もする!!」


 美桜は相変わらずと言った感じで、俺と間接キスをしたなどと言うことには微塵も気付いていないようだ。俺ばっかりドキドキしてるのも、なんか……悔しい。


 いや、しかし、そこに悔しがってる場合じゃない。俺はちゃんと美桜を育ててやらなくては、それが俺の使命なのだ。


「じゃあ、洗面所行こっか」


「うん!」


 美桜用に買った新しい歯ブラシに歯磨き粉を乗せる。


 ん、いや、待てよ、歯ブラシは新しいけど……歯磨き粉はいつも俺が使ってるやつ。……これも一種の間接キスか?


 そんなバカみたいな事を考えていると、美桜は何も気にしていない様子で歯ブラシを口に含んだ。


 いやいやいや、そうだよ。歯磨き粉くらいで間接キスとか、俺どんだけ拗らせてるんだよ。こんなんフツーだ、フツー。むしろキモい、俺キモいわ。


 はー……美桜の唇、柔らかかったな……


 そこまで考えて、俺の思考回路がバグって来ていることに気付く。


 はー、まいった。美桜の世話係りとしてちゃんと育ててやりたい気持ちと、美桜を女として見てしまう自分がせめぎ合っている。


 ちょっと別のこと考えて意識を逸らさないと。

美桜を泣かせる事だけは避けたいのだから。


 そう思いながら美桜を見ると、歯ブラシを咥えたまま困り顔をしている。

 

 歯ブラシの使い方が分からないようだ。しかも歯磨き粉独特のスースーとした味に慣れないようで涙目になっている。


「美桜、大丈夫か?」


 声を掛けるが美桜は涙目のまま首をブンブンと振った。口の中で増えるハッカの効いた泡をどうしたらいいのか分からなくなっているらしい。


「ははっ、ごめん美桜、ちゃんと教えてからさせればよかった。吐いていいよ。ほら、これで口ゆすいで」


「んっ、うう…….」


 涙目のまま美桜は口の中の泡を吐き出すと、俺が渡したコップの水で口をゆすいでいる。


「大丈夫かー?」


「う……美桜、これ苦手……美桜、人間なれない?」


 悲しそうに言う。そんな美桜が子供みたいでたまらなく可愛い。


「美桜は初めてだったもんな、歯磨き粉。びっくりするのも仕方ない。明日は辛くないやつ買ってきてやるから」


「うん。人間って難しい……」


「大丈夫だ。美桜。俺が磨いてやろう。ほら、ここに頭置いて」


「んう?」


 俺は床に座ると膝に美桜の頭を置くように促す。


「ほら、口開けて。奥歯から磨いていくぞー」


 美桜は俺の膝枕で俺を見つめながら口を開けて声はなくこくんと頷いた。

 歯磨き粉はつけずに歯ブラシだけで美桜の歯を磨いていく。


「んー、んー」


「苦しい? もう少しだから我慢して」


「んっ!」


「よし、これでおしまい。口ゆすいでいいよ。こんな感じで全部の歯をブラシで擦るのが歯磨き。自分でやるのに慣れたら全然平気になるから大丈夫!」



 美桜は洗面所で口をゆすぎながら小さな声で『うん』と頷いた。



「じゃあ、美桜、歯磨きも終わったし布団敷きに行こうか」


「はーい」


 なんとなく美桜の返事が元気ない。歯磨きは苦手だったのかもしれない。


 うーんと少し考えて、


「あ、美桜、まだ寝るまで少し時間あるから面白い動画でも見よっか」


「え? なになにー見るー!」


 俺の提案に少し元気にして見せた美桜とお笑い系の動画を見ることにした。


 テレビに映し出したサブスク動画を見ながら二人で並んで見る。



 二人で大笑いしながら見てた。

 美桜がうちに来る前も、眠れない日は何となくひとりでお笑い番組見て笑っていたけど、美桜とあーだこーだと言いながら見ている方がなんとなく楽しいなあと俺も和んだ。


 しばらくテレビを見ていると、美桜がこっくりこっくりと船漕ぎをし始めた。どうやら眠くなったらしい。


「美桜ー眠い? 寝るか? 俺はここで布団敷いて寝るから美桜はベッド行って寝ておいで」


 そう声を掛けるのだが


「えー、やだ。ごしゅじんさまと一緒がいい。美桜もここで寝る」


 わがままを言い出した。

 本当に今にもここで寝てしまいそうだ。


「あーもう、仕方ないなあ」


 俺は美桜をお姫様だっこしてベッドまで連れて行く。そしてそーっとベッドに寝かせた。


「ほら、床で寝るよりこっちの方がよく眠れるから」


 そう言って頭を撫でたのだが、今日の美桜はやけにわがままで


「んー! やだ。美桜、ひとりでお留守番寂しかったもん。やっとごしゅじんさま帰ってきて嬉しいのに、またひとりなんてやだ。夜中目が覚めたときひとりなのやだ。さみしいのやだ。怖いのやだ。やだもん」


 俺に抱きつきながら少し泣きそうな声でそう言った。


 うーん……困った。正直、俺は美桜の泣き顔に弱い。泣いてほしくない。出来たら笑っていてほしい。けれど……同じベッドで寝るのもいかがなものか。


 いやしかし、昼間のお留守番、俺が仕事とはいえいつ帰って来るかも分からず待っていて寂しかったのは本当なんだろうな。なんせ俺の枕を抱きしめて眠っていたくらいなんだ。ここは美桜が寝るまでくらいは添い寝してやるべきか?


 むしろ、俺がダイニングに布団を敷いて寝たところで昨日みたいに夜中に起きて俺の布団に入って来るのではないか。だとしたら、そもそも別々に寝る意味がない気もする。


 それならいっそ、最初から一緒に寝てやる方がいいのか?


 そこまで考えてたら、考えるのがめんどくさくなってきた。俺の悪いクセ。考えすぎると途端にめんどくさくなってその場の流れに流されてしまう。



「んー、まあいっか。美桜ひとりでお留守番頑張ったもんな。今日は一緒に寝るか」


 気付いたらそう返事してしまっていた。


「うんっやったあ」


 美桜も満面の笑みで俺に抱きついた。


「じゃあ、寝るぞー、美桜。電気消すな?」


「うんっ」


 美桜の返事を聞いてから電気を消した。

 仰向けで眠る俺の左腕に抱きつきながら美桜は俺の腕に顔を擦り付けて甘える仕草をしている。


 う……やばい、しまったこれ。俺、このまま……寝るの? 寝れる? これ。


 こんな可愛い子に俺のベッドの中で抱きつかれて甘えられて……ああ、左腕に柔らかい感触が、あたる。



 俺がひとりドキドキバクバクとしている間に、すーすーと一定のリズムを刻む寝息が聞こえてきた。

しかし俺に抱きつく腕は緩まることもなく。


 俺は身動きすることも出来ず、ただただその幸せな拘束にドキドキしながら天井を見つめていた。



 あーあ。せっかくお急ぎ便で布団買ったのに。初日からこれかー。俺の意思弱ー。


 こんな可愛い子に甘えられて手も出せないとか、俺って軟弱……。


 いやいや、違う。俺はただの世話係だし! 責任を全うしているだけだし!

 むしろ手を出さない俺、偉い!


 決着のつかない自問自答をしたまま時間が流れていく。自問自答し過ぎて疲れた頃、よし、俺も寝るかと思った。


 美桜もすっかり寝入ったようだしと、そーっと俺の左腕に抱きつく美桜の柔らかな拘束から抜け出し、美桜に背を向けた。


 一緒のベッドにいる事を考えないで、このまま横を向いて寝よう。そうしよう……。そう思いながら目を閉じた時


「んう…… いっちゃ、やだ……」


 美桜の寝言が聞こえたかと思ったら


 美桜は美桜の方に向ける俺の背中に抱きつくと、そのまま抱き枕を抱くように全身で俺の身体に抱きついた。


 う、そだろ……


 俺の背中全体に美桜の柔らかさが伝わる。

 美桜に抱きしめられ俺の胸の前に美桜の手がある。

 俺の足が……美桜の足で柔らかく拘束されている。


 もはや抜け出そうと思えないくらい、完全に抱きしめられていた。



 こんなのむしろ、さっきよりヤバいじゃん……


 俺の心臓はさっきよりもバクバクとうるさくて、悶々とした気持ちはさらに昂っていて。寝るどころではない。


 俺はただの抱き枕。俺はただの抱き枕。


 よく分からない呪文を唱えながら、眼はガンガンで。眠れない夜を過ごした。



 

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