第17話 『美桜とエプロン』


 俺がトイレにこもっていると、近づいてくる美桜の足音が聞こえる。


「ごしゅじんさまー?」


「あー、ごめん、ちょっとお腹痛くなっただけ」


 トイレの中から返事をして、急いで出る。


「え、お腹痛いの? 大丈夫?」


「うん、大丈夫、出したらすっきりだ!」


 ……実際は何も出していないがウソも方便だ。とりあえずトイレにこもったおかげで俺の頭の中はスッキリとした。


「それならよかった!」


 美桜は無邪気な笑顔を浮かべた。

 その笑顔にほっとする。


「じゃあ、美桜、とりあえずご飯にしようか。部屋着に着替えて」


「やった! ご飯っ はーい!」


 美桜は声を弾ませて返事をすると、もう慣れた雰囲気で部屋着姿に変身した。


 その様子はいつも通りの無邪気な美桜という感じで、さっきの余韻は全くない。やっぱりアニメのマネをしてみたに過ぎないのだろう。



 さて、今日の朝は時間がなかったが、美桜にも多少身の回りのことを自分で出来る様になって欲しい。でないと困るのは美桜自身だ。


 まずは朝出来なかったレンジの使い方や食事の準備なんかを教えていきたい。


「よし、美桜くん、それでは夜ご飯を作ります。手を洗ってください」


「はーい!」


「よろしい。では、今日のメニューはカレーです。

まずは米の炊き方と電子レンジの使い方を覚えましょう」


「了解いたしました! ……もえきゅんがね、もえきゅんのごしゅじんさまにお料理作ってたの。美桜もごしゅじんさまに作れるようになりたいって思ってたから嬉しい!」


 タイムリーというかなんというか。美桜も料理出来る様になりたいと思っていたのならちょうどいい。それにしても俺に作りたいとは、何というか……くすぐったい気分だ。


「そうかー、それは嬉しいけど、まだ火は危ないからとりあえず米と電子レンジから覚えような」


「うんっ!」


 美桜は弾んだ声で返事した。


 今日のメニューのカレーは、あえてレトルトの予定だ。

 食材を買い揃えたり調理に時間がかかることや、覚える事が多くなる事を考えると、まずは米の炊き方とレンジの使い方だけに絞って美桜に教える方がいいと思った。


 一通り美桜に米の炊き方を教えて、米を炊いている間に俺はシャワーを済ませて着替えを済ませた。


 湯上がりにお茶を飲もうと冷蔵庫を開けた時、ちょうど炊飯器の音が鳴った。


「美桜ー、お米炊けたからご飯にしよう」


「はーい!」


 嬉しそうにやって来た美桜はエプロン姿。また変身したな。やる気満々か、可愛いやつめ。

 

 エプロン姿でキッチンに立つ美桜の姿はグッと男心をくすぐるものがあるが、すまん、あとはレンジで温めるだけの工程しかないんだ。と、少し申し訳なく思ったりもした。


「さあ、美桜くん、今日の夜ご飯はお手軽なレトルトカレーです。なんと温めるだけで食べられる優れもの!」


「おおー!」


 美桜は興味津々な眼差しで軽く拍手している。


「これ、本当は湯煎した方がいいやつなんだけど、まだ火は危ないから今回は電子レンジを使います。

封を切って……お皿にうつして……」


 興味津々の眼差しを向ける美桜の前で、俺はレトルトカレーを温めて見せた。しかし、見せるだけでは美桜が覚えられたか分からない。


「ところで美桜くん、今日のカレーはスペシャルです。トンカツを買ってきました。なのでカツカレーにします。さあ、美桜くんはレンジの使い方覚えたかな? これをあたためてください!」


 なので美桜に実践してもらおうとトンカツを買って来たのだ。


「はい! 先生!」


 手こずることもなく、今日の夜ご飯のカツカレーが完成した。


 ローテーブルに並ぶ二人分のカツカレー、そしてにこにこと嬉しそうな可愛い美桜の顔が俺に向けられている。


 はー、なんだよこれ、幸せかよ。ただのレトルトカレーがひとりの時より何倍も美味しそうだ。

 内心そんなことを思いながら、いただきますをして二人で食べた。



 夜ご飯を食べた後、少しくつろいで二人でテレビを見ていると、途中で美桜が寄ってきて、俺の肩に頭を乗せて来た。


「どした、美桜」


「んー、ごしゅじんさまが一緒にいるの嬉しいなあって思ったら、くっつきたくなった」


 そんなことを言う。


「ん、今日は寂しかったか?」


「うん。ごしゅじんさまがいつ帰ってくるか分からなかったから、美桜、眠いの我慢して待ってたのに、ごしゅじんさま帰って来た時美桜寝ちゃってたから……おかえりなさいませ出来なくて悲しかった」


「そうか……美桜、俺が帰ってくるまで起きてるつもりだったのか……」


 そのいじらしさに胸が熱くなる。なのに


「あ! 美桜、寝る約束してたのに破ろうとしてたのバレちゃった! ごめんなさい?」


 唐突にそんな事を言う。ああ、そう言えば、今朝、


『んー、何……特にしてて欲しいことはないかな。テレビ見るとかYouTubo見るとか寝るとかご飯食べるとか……適当にしててくれたらいいよ』


『テレビ……ゆーちゅ?? 寝るのとご飯食べるのは美桜、出来る!』


 そんな会話をしたっけ。


「あはは、それは謝るほどのことじゃないよ。俺が帰ってくるまでちゃんと待ってたんだから、それだけでえらい。でも、俺が帰ってくる時間が分かった方がいいだろうから、時計の勉強もしようか」


「とけい?」


「そう、これが時計。今は夜の9時くらい。そこから針がぐるぐる回って、これが朝起きる時間。これが…… お昼ご飯を食べる時間……そして、だいたいこれくらいになったら俺が仕事から帰ってくる時間」


 俺はそばにあった卓上時計の針をぐるぐると回して美桜に見せた。でも一度で覚えられるとも思えなかったので、お昼ご飯を食べる時間と帰ってくる時間だけ紙に書いて見せた。


 すると美桜はパッと晴れやかな顔をして


「じゃあ、美桜、明日はおかえりなさいませごしゅじんさまする!」


嬉しそうに意気込むポーズをして見せた。


「そうかー。俺も美桜が出迎えてくれたら嬉しい。楽しみに帰ってくるな」


 そんな、小さくて幸せな約束をした。




……

…………



「ところで美桜、言いにくい話なんだが……」


「え、なになに、こわい……」


 ほのぼのとした幸せの時間を壊す俺の前振りに怯える美桜。


「いや、何というか、美桜は……猫だったからたまにしか入ってなかったと思うんだが……」


「え?」


「人間は……まあ、だいたい、毎日入るんだ、風呂」


 そう、避けては通れない風呂問題。

 飼い主として美桜の頭を毎日洗ってやろうかとも思ったが、いかんせん、毎日あんな身体を風呂場で見るなんて、俺が耐えられる気がしない。


 かと言って、浄化作用使って毎日風呂入らせないのもどうなのだろう、と。女性として扱うべきなのか、猫として扱うべきなのか……正直俺一人では決めかねていた。だから本人に聞いてみようと思ったわけなのだが。


「え……そーなの? え、美桜昨日入ってない! え、美桜また猫に戻っちゃう!? やだやだやだ!!」


 途端に想定外に焦りだした美桜に少し笑ってしまう。


「いや、一日入らなかったからって猫にもならない。人間は人間のままなんだがな、その……美桜はどうしたい? 毎日風呂入るか、浄化能力を使ってたまにだけ風呂に入るか……ちなみにその、浄化能力ってのも普通の人間は出来ない」


「え!? あのきらきらりん気に入ってるのに!!??」


 きらきらりんとは、多分浄化能力の事だろう。


「まあ、美桜は猫耳があるからさ、毎日入るの大変だったらまあその、きらきらりんを日常遣いにしてもいいんだけど……一応、聞いておこうと思って」


 美桜は少し唸りながら考え込んだ様子を見せた。

そして


「ん……じゃあ、これは!?」


と、見せて来たのが美桜の左右の猫耳それぞれにシャボン玉のような泡がついている姿。


「え、もしかして、猫耳に水が入らなくなる的な?」


「そう! 猫耳バリアーだよっ これならお耳に水入らないからお風呂も平気!」


 なんと。そんな手があったのかと思う。やはりひとりで悩むより本人に聞いてみて正解だったか。


「おお、それなら安心だ。美桜ひとりでもお風呂入れるな」


「はい、先生! では、美桜、人間なのでお風呂入ってきますっ!」


 ……“人間” は、そんなシャボン玉みたいなの出せないんだがな、と思いつつ、美桜の場合は仕方がない。猫耳の部分だけ特別なのだから、そこだけ特別仕様にして人間と同じように生活する……それが一番いいスタイルなのだろうと思う。


 美桜はスタスタと風呂場へ行ってしまった。

 まあ、ひとりで入ってくれるのなら、俺も美桜の身体を見なくて済むので大助かりだ。


 と、安心しかけて大事な事を思い出す。


「美桜! ちょっと待って! 風呂入る前にタオルと着替え持っていって!!」


「え!? あ、はーい」


 ……あぶなかった……もう少しで全裸の美桜に鉢合わせしかねないところだった。

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