お嫁さんになりたい
第15話 『お嫁さんになりたい』
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朝。左腕に覚えのある柔らかな温かさを感じながら目が覚めた。
「またか……」
俺は昨日、美桜をベッドで寝かせて床で寝た。それなのに。
……また、床で眠る俺に抱きつきながら美桜が寝ている。しかもベッドからご丁寧に掛け布団を持ってきてだ。
寝室とダイニングを仕切る開き戸は、ここを通りましたと言わんばかりに人ひとりと布団が通れるくらい開いたまま。
その隙間からは掛け布団がなくなって寒々しい姿になったベッドが見える。
はあ……
お陰で俺は夜中に寒さで起きることはなかったが。違う、そうじゃない。俺がわざわざ床で寝た意味がないじゃないか。
そう思うのに。俺の左半身に温もりを寄せる美桜は、怒る気にもなれないほど純粋無垢な顔で眠っている。
こうも距離が近いと、手を出したくなるのは仕方がないことで。
「美桜ー起きてー」
俺は美桜の頬をむにむにと軽く摘みながら声を掛けた。
「んー……」
美桜はまだ目を覚まさないが、声を掛けられた反動でさらにぎゅうっと俺に抱きつく。
「う……」
なんだよこいつ、抱きつくくせに全然起きないじゃん。可愛すぎるんだけど。
寝起きのキスがしたくなるのはこういう時なんだろうなと思いつつ。
いや、ダメだろ。俺と美桜はそういう関係じゃないし。
例えば、幼い娘と添い寝する父親はキスなんてしないだろう。いや、するか?
例えば、グラビアアイドルを撮影中のカメラマンは、キスなんてしないだろう。そうだ、しないしない。
俺の中で、“しない理由”を探して自制する。
俺は……美桜がいる事も、美桜にされてる事も、心臓が痛みはするが別に嫌なわけじゃない。むしろこんな可愛い子がそばに居るなんて、俺得だと思う。
けれど、もしも俺が歯止めが効かなくなって男の欲を美桜にぶつけてしまったら、俺しか頼る者がいない美桜の居場所を奪うことになってしまうかもしれない。せっかく会いに来てくれた美桜を傷付けてしまうかもしれない。それはどうしても避けたいのだ。
出来るなら平穏に、美桜が笑って暮らせる生活をさせてやりたい。そんな風に思う。
「はあ……人の気も知らないで可愛い寝顔浮かべて……」
美桜に布団を掛け直し、布団から出る。
もう少し寝かせておいて、俺は仕事に向かう準備をしようと思ったのだ。
「ん……あれ?」
なのに。俺の温もりがなくなったせいか、美桜が起きた。
「おはよう、美桜。お前また夜中起きてたのか」
「ん、ん? うん。起きたらごしゅじんさまいなくてさみしかったけどみつけたからまたねた」
まだ少し寝ぼけているようだ。
「……そうか。今日から俺また仕事だからさ、昼間はお留守番してて欲しいんだけど、出来る?」
本当は夜中一緒に寝たらダメなんだぞと言おうとしたが、寝ぼけてる美桜に言っても意味がなさそうなのでやめといた。むしろ……ネットで新しい布団を注文してるけど、それが意味のないものになりそうなことの方が不安だ。
「え? お仕事? 美桜ひとり? ……お留守番って何すること?」
「んー、何……特にしてて欲しいことはないかな。テレビ見るとかYouTubo見るとか寝るとかご飯食べるとか……適当にしててくれたらいいよ」
美桜は“お留守番” の意味が分かっていないのかもしれないが、どちらにせよ家で時間潰しながら待っていてくれればそれでいい。
「テレビ……ゆーちゅ?? 寝るのとご飯食べるのは美桜、出来る!」
「よしよし、寝るのとご飯食べるのが出来たら充分だけど、それだと美桜もヒマだろうから、テレビとYouTuboの使い方を教えてやろう」
「はい! 先生!」
美桜はまた『敬礼』のようなポーズをして元気に返事をした。
……ひと通りテレビやYouTuboの使い方を教える。テレビ一台あればYouTuboもサブスクも色々見られるのだから便利な時代だ。
美桜は、文字は書けはしないが多少は読めるらしい。難しい漢字は読めないので、おそらく小学低学年レベルくらいなら読めると言った感じだろうか。
追々文字も教えてやりたいなとは思うが、ひとまず今日のところは留守番しながらテレビで時間潰すくらいなら困らないだろう。
後は……美桜と、ついでに俺の昼ご飯だな。
出来るだけ箸を使わなくて、温めなくても良くて、美桜が一人でも食べやすいもの……よし、サンドイッチにするか。
朝ごはんを作りがてらサンドイッチを作った。
「美桜ー、お昼ごはんここに置いとくから。お腹空いたら食べて」
「はーい」
美桜はさっき教えたばかりのYouTuboをいじりながら返事をする。よしよし、ちゃんと使い方覚えたみたいだ。
「じゃあ、朝ごはんにするから一回テレビ消して」
「はーい」
ふと、俺の言葉にすぐにテレビを消した美桜は、素直だなと思った。
“えー、お兄うっさい。今いいとこなのに邪魔しないで。別にゆーつぼ見ながらでも食べれんじゃん”
無意識にそんな妹の言葉が脳裏に浮かんだが、美桜の可愛い笑顔に癒されながら頭の隅に追いやった。
美桜と朝ご飯を食べて、軽く片付けて身支度をする。時間があるのでなんとなくいつもより丁寧に髭を剃る。
こんなに朝に時間のゆとりがあるのはいつぶりだろう。
「美桜ー、じゃあ、そろそろ仕事行くから。お留守番よろしくな。ピンポン鳴っても出なくていいから」
「え、あ、ごしゅじんさま、待って。やっぱりちょっと、寂しいから……」
言いかけた美桜に
「ん?」
と振り向いた途端、抱きつかれた。
う、わ、不意打ち……!
「ちょっとだけ、もうちょっとだけ」
名残惜しそうに美桜は俺にぎゅうっと抱きついている。
するとふわっといい香りが鼻腔を擽る。
「あれ? 美桜、昨日あの後風呂入ったのか?」
美桜は昨日あのまま寝てしまって風呂には入っていないと思ってたが、明らかに湯上がりの女性のようないい匂いがするのだ。
「ん? んーん。美桜ひとりで入れないから入ってない。でも、夜中ごしゅじんさまにこうしてた時にごしゅじんさまいい匂いしてたから、美桜もお揃いしたいなって思ってたらきらきらーんってなって美桜もいい匂いなった」
……ん? なんだ? つまりは浄化作用的能力があるのか? いや、それよりやっぱり美桜、夜中俺に抱きついてたのか。…………。
にしても一緒に寝て、朝ご飯一緒に食べて、出勤前に玄関で抱きつかれるとか、まるで新婚みたいじゃないか。
「ん、そうか。まあそれならいいんだ。じゃあ、お利口にしてるんだぞー」
抱きつく美桜の頭をぽんぽんと撫でてから離れようとした時
「ねえ、ごしゅじんさま。美桜、いってらっしゃいのちゅーしたい」
美桜がとんでもない事を言い出した。
「え、え!? どこでそんなこと覚えた!?」
「え、さっき、ゆーちゅぼってやつで」
一体何見てんだよ。YouTubo弄ってるなとは思ってたけど。
「そうか……。でも、そーゆーのは、夫婦になった二人がするものだから出来ないなあ」
適当に言い訳をしてやんわりと断った。すると美桜は猫耳を下げて残念そうに言う。
「えー。そうなの? じゃあ、美桜、ごしゅじんさまのお嫁さんになりたい! 猫の耳なくなったらお嫁さんにしてくれる?」
「んー、そうだな。その時美桜がまだ俺のお嫁さんになりたいと思っていたらいいよ」
無碍にも出来ずそう返すと、美桜はなんだか嬉しそうな顔をして
「ほんと? じゃあ美桜がんばるー!」
そう言った。
美桜が俺の嫁? そんなの幸せすぎるんだが……
そう思いつつ、いつか美桜の猫耳がなくなった時、その時は俺のところにいる理由はない。
その時、果たして美桜は本当に俺の嫁になりたいなんて言うんだろうか。いや、そんなわけないよな。俺なんか……
少し寂しくなって美桜を抱きしめたくなった気持ちをグッと堪え、
「じゃあ、いってきます」
美桜の頭をぽんぽんと撫でるだけにして、俺は仕事へと向かった。
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