知性の行方
入河梨茶
ルリエの場合
ルリエは勉強の合間、スマホでネット小説を適当に読む。
ただの気分転換でありただの暇潰し。だから物語の起伏だの紆余曲折だの登場人物の繰り広げるドラマだの心情だの文章のうまさだのに興味はない。バカでも読めるくらい簡単な文章の、ひどい目に遭わされた主人公がすごい力でやり返すような、他と区別もつかないくらいシンプルな話で構わない。やり返す時、できるだけ悪役が悲惨なことになればいい。
数分読むと、勉強に戻る。学年一位を維持するのもなかなか大変なのだ。
今日の分の勉強を終えた十時半、ルリエはまたスマホを弄る。
ふと思い立って、普段あまり見ない占いアプリを覗いてみた。
「こっちもアンラッキーは7か……」
ルリエの好きな数字は7だ。なのに今日、よく見るアプリやテレビの占いでは、ことごとくアンラッキーな数字を7としていた。
何か、嫌な気分になる。
そして十時三十七分、メッセージが届いた。
相手はキャラコ。ありえない相手からのメッセージ。
二年B組で、ルリエはキャラコへのいじめに手を染めていた。
別に自分の意志でしたいわけじゃない。グループのリーダーの意向でしかたなくだ。
中一まではどんなクラスでも中心人物だったルリエだが、この春に転校してきたリーダーには敵わなかった。あいつもキャラコに負けず劣らず変な本名だけど、名前を呼ぶと本気で怒るからグループメンバーはみなリーダーと呼んでいる。
生まれついての金魚のフンみたいなサナエはともかく、体育会系でリーダー気質なジュンコもあいつの子分になったのは不思議だ。ルリエと違って本気で心酔してるみたいだし、あのリーダーには迫力というかカリスマみたいなものはあるのかもしれない。
手下になるのは屈辱だったけれど、まあ、将来的なことを考えればこれもいい経験と割り切っていた。何をさせられても全部リーダーのせいだと思えば、ロボット気分でキャラコにどれほどひどいいじめでもすることができた。
それに、いつまでも屈服しないキャラコをいじめるのは次第に楽しくもなっていた。さっさと節を曲げてリーダーに降参すればいいのにとバカにしつつ、いつまでも壊れることのないサンドバッグを叩き続ける気持ちよさもあった。
そんな相手が自分にメッセージを送ってきた。どういうことか。
無視したいところではあったが、リーダーはサナエが発狂して転校して以来――下手するとそれ以前、ケイとミネコがよくわからない大怪我で入院して以来――、警戒心を強めている。おかしなことが起きたらすぐ報告するようにと言っていて、これは明らかにその「おかしなこと」だ。
ルリエはメッセージを読むことにした。
*
隠して仕掛ける意味も、直接に接触する必要もないから、メッセージで済ませます。私、あなたのことはあいつと同じくらい嫌いで声も聞きたくないし。
このメッセージを送った二分後、あなたの知能は低下する。継続期間は最低でも五年。力を込めるから、下手したら十年くらい。
すでに得たものは失われない。中学二年の一学期に学年一位だった、それくらいの学力は残る。でもこの先五年から十年、それ以上に成績が伸びることはない。
中学三年で勉強することも、高校で勉強することも、行けるとは思えないけど大学で勉強することも、他の学校で勉強することも、何も覚えられず身につかない。応用が利かないからこれまでに得た知識を活かすこともできない。
他人をいつも小馬鹿にしてきたあなたが、これからは他人に小馬鹿にされながらどんな人生を送るのか。たぶん直接見られないとは思うけど、陰ながら楽しみにしている。
*
キャラコからのメッセージを読んで、ルリエは鼻で笑おうとした。
だけどそれはうまくいかず、つい何度も読み返してしまう。気づけば宣告された二分は過ぎていた。
ルリエはさっきまで解いていた数学の問題集を見た。
何が書いてあるかはわかる。とてつもないバカになったわけじゃない。今まで解けていた問題もすらすらわかる。
でも。少し先のページを開くと、これから習うものがわけのわからない難しさになっていた。すんなり解けるはずの基本的な問題が、解く道筋を思い浮かべるのも困難になっていた。
致命的な状況に直面するのが怖くて、ルリエは問題集を閉じる。そしてスマホを手に取った。
さっきまで読んでいたネット小説を読む。すらすらわかる。
あんなのキャラコの嘘なんだ。あたし、別にバカになってなんかいないんだ。
自分にそう言い聞かせた。
そして遅ればせながら、リーダーに連絡しなければいけないと気づく。
メッセージアプリに言葉を綴った。
――あたしキャラコにバカにされた
――あなた本当にルリエ? どういうこと? キャラコが何をしたの?
――ちがうバカじゃないあたしバカじゃない
キャラコがルリエに変なメッセージを送ってきて不穏なことを告げた。でも自分は別にバカになってしまったわけじゃない。それだけの内容を説明するのになぜか手間がかかる。
ルリエが文面を悩んでいるうちに、焦れたようにリーダーが言う。
――埒が明かない。電話で訊くから待機してて。
最初の字、「埒」ってなんて読むんだっけ。
待機しているが、ルリエに電話はかかって来なかった。
トイレかな。寝ちゃったのかな。
こうなる前なら容易に想像できたであろうこと、リーダーがキャラコに襲撃を受けているであろうことに思い至らない。
ルリエは自分も寝てしまうことにした。
知性の行方 入河梨茶 @ts-tf-exchange
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