35.勉強会
なんだかんだありながら、開催された勉強会。
リビングのテーブルに四人で座り、黙々とペンを動かす。俺と信濃さんが隣同士、しーとつーが対面に座っている。
約束通り、俺は英語の文法書を開いている。根本的な文法があやふやだから英文も読むのに苦労しているんだ、という信濃さんのご指摘の元、文法の問題を必死に解いている。
なお、大前提として単語は覚えておいてという話を事前にされていたので、今日までに範囲内の単語は頭に叩き込んで来ていた。暗記自体は苦手ではないが、暗記という行為自体はそんなに好きじゃない。
「単語が分からなくて読めないのは、論外……最悪単語が分かれば、話のニュアンスは分かる」
「なるほど……ちなみに信濃さんは、どれくらい覚えてるのかな?」
「さあ? でも、この単語帳に載ってる単語なら分かる」
そう言って信濃さんが鞄から取り出した単語帳には、『大学入試頻出3200』の文字が。
つまり、信濃さんは単純計算で3200語は暗記しているということになる。
そんな馬鹿な、と信濃さんから単語帳を受け取った俺は、適当なページを開く。赤シートで意味の方を隠して、信濃さんに見せる。
「えーっと……これは? 読み方が分かんない……」
「jurisdiction。管轄、司法権、裁判権、支配、権限」
「はい、疑ってすいませんでした」
完敗です、とハンズアップ。なるほど、統一模試百位以内の実力か、これが。
なんで俺の周りの女子は勉強面で凄いんだろう。それなりにできる自信はあったのだけれど、こんなものを見せられたら心が折れそうだ。
大人しく文法書に向き直る。嘆いたって仕方ない、やるしかないんだ、結局。
「咲さん咲さん! ちょっといいですかっ?」
「何」
「この問題なんですけど……どうしても答えが合わないんです!」
「見せて…………ここ。符号が変わってる」
「え? うわっ、ホントだ……」
「よくあるミス。だからこそ注意。一個間違えたら確実に失点する」
「はいっ、ありがとうございます!」
すっかり信濃さんに懐いたしーは、目の前の席ということもあり積極的に質問を投げかけていた。ケアレスミスだったとしてもきちんと答え、アドバイスも残す信濃さんは中々様になっている。
あんなに会話すること自体を嫌っていた人とは思えない変化だ。人の成長というか、変化は早いものだ。
「……あの、ところで信濃さん」
「何」
「その……近く、ないっすか?」
「……そう?」
「はい、その……近いっす」
隣の椅子に座る信濃さん。その距離が、明らかに近い。
俺がペンを持った腕を机の上に置いたら、彼女の腕に当たってしまいそうになるくらい近い。なんなら、何回か当たった。そのたびに謝っているが、彼女は距離を離そうとはしない。
これが制服姿だったら、多少意識するくらいで済んだだろう。しかし今、彼女は黒澤奏特攻であるワンピース姿。
もうね、よくないっすよ。こんなん。俺、男子高校生。俺、DK。
「でも、栞さんと紬くんは、もっと近い」
「あれはあの二人が特殊なんです。双子だし」
「仲がいいのね」
「ほんと、仲がいいんすよ」
左利きのしーと右利きのつー。
利き腕が外になるように二人が座るので、本当にお互いぴっとりくっついて勉強している。その隙間、紙一枚すら入らないくらいの圧倒的密着。
「この方が落ち着きますから!」
「……まぁ、それは、そう、ですね」
にひー、と笑いながらつーの肩に頬をほっぺすりすり。照れながら、しかしまんざらでもない様子でそれを受け入れていた。
その言葉通り、二人は本当に常に一緒にいる。家にいる間はトイレと風呂以外……それこそ、布団の中まで一緒だ。間違いなく、世間一般の双子と比べても仲が良すぎる二人だ。
そんな距離感がおかしい双子と比べたら、俺たちの距離なんて三千里。
ただし、ここで重要なのは比較ではなく俺の心情である。ちょっと、落ち着かない。
「だから、気のせい」
「そう、かも……知れないですけどね?」
「気のせい」
「いやあの、あれと比べたらって話で、一般的にはこの距離感は」
「気のせい」
「あの、しなのさ」
「気のせい」
「…………」
「気のせい」
「ハイ……」
ごり押しされた。
普段の信濃さんからはあまり感じない圧を感じた。こちらに一切顔を向けないので、眼帯姿しか見えないのもまた圧を感じた要因だろう。
そこまで言われてしまえば、もう俺から言い返すことは何もない。大人しく目の前の英文に向き直る。
「……しー、言いたいことあるのかもしれないけど、絶対にだめだからね」
「えー、良いと思うけどなぁ、ちょっとくらい」
「だーめ。もし言ったら、今日一緒に寝てやんない」
「分かりました! お口チャックします!」
「……なんなの、君たち」
そんな俺を見て何か言いたそうにそわそわするしーを、つーが宥める。
その内容を問いただそうかと一瞬考えたが、二人が仲良く勉強し始めたので言及するタイミングを逃してしまった。
のけ者にされた感は否めないが、それにつっかかる気は失せてしまったので、大人しく勉強に戻ることにした。
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