31.明けて
ゴールデンウィークの残り数日。まるで抜け殻のようにただ課題をしてしーやつーの遊び相手をしていたら、あっという間に過ぎていった。
遂にやってきた登校日。学校に行きたくないと布団にしがみつくしーを叩き起こし、寝ぼけてトイレと言いながら風呂に入ろうとするつーを引き留め、お袋のお弁当作りを手伝い、親父と共に洗い物をしているうちに、いつも家を出る時間が来てしまった。
「……相変わらず、文章が短いなぁ……だいぶましになってきたけどさ」
立ち上げたスマホのメッセージアプリには、今朝来ていたメッセージ……「いつものところで待ってる」というシンプルなメッセージが表示されていた。これは、俺がこの3日間常に考え続けていた人──信濃さんからのものだった。
あれ以来──信濃さんを看病したあの日以来、信濃さんとは一度も会っていない。それどころか、メッセージアプリでのやり取りもしていない。何か用事があるときでもそうじゃないときでも、普段から俺から会話を始めていたので、当然といえば当然だ。だって、俺から話しかけていないのだから。信濃さんから話しかけてくることは、あまりない。
だけど、毎朝一緒に学校に行くのは日課になっていて。しかも珍しく信濃さんからメッセージが来ていて。その上で待ってるなんて言われてしまっては、覚悟を決めざるを得ないわけで。
お袋が作ってくれたお弁当を鞄に入れて、行ってきますと家を出る。エレベーターではなく、階段で。
一段一段下りながら、呼吸を整えていく。いつも通りができているのか、一段ごとに不安になりながら。
そして、一階。エントランス。
「……おはよう」
いつも通り、彼女はいた。眼帯を左眼につけ、表情一つ変えないまま壁に背を預けていた。両手にはカバーが掛けられた文庫本が握られていて、俺に気づいた彼女はその本を鞄にしまう。
いつも通りの涼しげな表情に、ほっと胸を撫でおろす。元気になったみたいで本当に良かった。
軽く手を挙げながら、彼女のそばへと歩み寄る。
「おはよう、信濃さん。体調、大丈夫?」
「大丈夫。もう元気……心配してくれて、ありがとう」
「そっか……よかったぁ」
安心して笑顔を浮かべていると、信濃さんは本をしまったばかりの鞄の中から、何やら小さな手のひらサイズの紙袋を二つ、取り出した。
そのうちの一つ……青色のリボンシールが貼られたそれを、俺に向かって差し出してきた。
「これ、伯父さんから。この前のお礼だって」
「そんな……わざわざ……って、これ……多くない?」
ぎゅうぎゅうのぱんぱんに個包装のお菓子が詰め込まれた紙袋。詰め込まれすぎて、紙袋がかなりのメタボになっていた。
甘いものは大好きだから困るものではないけど、その量には困惑せざるを得なかった。
「それで……これが、私から。この前のお礼」
俺の困惑を他所に彼女が手渡してきたのは、ピンク色のリボンシールが貼られた紙袋。先程のものは違って、かなりのスレンダー体型だった。
受け取ってみると、中には細長い箱が一つ、入っていた。信濃さんに目配せしてみると、頷いてくれたので遠慮なく中身を取り出す。
「これは……ボールペン?」
しっかりとした紙のパッケージに描かれていたのは、黒を基調としたシンプルなデザインのボールペン。赤青黒の三色が使えるらしい。
一目見ただけで、俺が普段使っている一本150円の三色ボールペンとは比べ物にならないほどいい品だってことが見て取れた。
「こういう時、何を渡せばいいか分からなかった。要らなかったら、他の人にでも渡して」
表情が、少し変わった。昨日見た、不安そうに揺れる瞳。落ち着きなく胸元のリボンを触る右手。
──あれ、ここまで分かりやすかったっけ。
そう思わずには居られないほど、今の信濃さんからは感情がこれでもかと読み取れる。
違和感こそ覚えたが、今俺がすべきなのはそれの究明なんかじゃない。不安を……おそらく、俺が想像している以上の様々な不安を抱えてここまでやってきた、眼帯少女の対応だ。
「要らないわけないよ。ありがとう、信濃さん。大切に使わせてもらうよ」
「……! ありがとう」
そう言って彼女は、確かに笑った。
僅かな変化だった。一般人と比べたら、微笑と言われるようなもの。でも、見た人が確実に笑顔を浮かべたと認識するくらいには、はっきりとした笑顔。
一瞬、呆気にとられた。その笑顔が、あまりにも自然で、可愛くて、綺麗だったから。
「……うん、やっぱりその顔がいいや」
結局、笑顔が一番なんだ。
怒りも苦しみも悲しみも、必要ないわけじゃない。その人の人生を豊かにする、大事な感情。なくなっちゃいけない、大切なモノ。
それでもやっぱり、笑っている人が一番かっこいいし、一番可愛いし、一番美しいし、一番強い。
だから俺も、口角を上げて見せる。これでもう、無敵なんだ。
「さてと! それじゃあ行きますか! もうすぐテスト週間だし、勉強頑張らないとね! 張り切っていこう!」
「当然」
元気よく、エントランスを出ていつもの通学路を歩く。俺が車道側、信濃さんが、建物側。
雲一つない澄み渡る青空が、俺たちの頭上にどこまでも続いていた。
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