30.変容
「ありがとう、奏くん。無茶を言ってしまったね」
「いえ……このくらいどうってことないですよ。あの状態の咲さんをほっとくのは心苦しいですし」
「そうか……咲は?」
「ぐっすり寝てます。相当しんどかったんでしょうね……少し話したら、寝ちゃいました」
お昼前。俺は信濃家のリビングにあるテーブルについていた……目の前には、用事を済ませて帰ってきた賢治さん。
余程急いだのか、帰ってきた時は汗だくだった。俺の言葉に安心した賢治さんは、酷く安心したように気を抜いていた。
「……そうか。良かった……知っているかもしれないが、咲はそんなに身体が強くなくてね……よく体調を崩してしまうんだ」
「そうだったんですか……」
そんな素振りが体育に参加しないって事くらいしか見ていなかったが、賢治さんが気を揉むくらいには深刻な問題なのだろう。
本当に、その現場に立ち会えて良かった。そういう意味では、彼女が体調を崩したのが今日だったのは不幸中の幸いだっただろう……信濃さんからすれば、それどころじゃなかったのだろうが。
賢治さんから出されたお茶をぐいっと飲み干す。多分、ちょっといい値段のお茶パックを使った麦茶だ。香ばしさが違う。
「とりあえず、スポーツドリンク飲ませて食べたいって言ってたゼリーを食べさせました。薬はまだです……すいません、看病らしい看病出来なくて」
「いや、十分だよ……言い訳になってしまうが、仕事が忙しくて咲が体調を崩した時に中々傍に居てやれなくてね……君が居てくれて本当に良かった」
改めて、ありがとう。
そう言って深々と頭を下げる賢治さんは、どこからどう見ても父親の姿をしていた。
慌てて頭を上げてもらう。俺は当たり前のことをやったに過ぎない。
「……その、一応聞かせて欲しいんだが……君は、咲のなんなんだ?」
「友人です。それ以上でもそれ以下でも無いですよ」
嘘偽りの無い言葉だが、賢治さんは俺の事を値踏みするかのような目線を一瞬寄こしてきた。
しかし、本当に一瞬だけ。直ぐに人の良さげな優しい瞳に早変わり。
少し肝が冷えたが、何も間違ったことは言ってないので胸を張る。男は度胸だ。
「そうか……いやすまない。咲には友人と言える友人が居たことが無くてね……疑ってしまった」
「無理もないですよ。大切な娘さんですもんね」
「…………娘、か。咲がどう思ってるかは分からないけどな」
どこか寂しそうに、微笑む賢治さん。
その苦しそうな表情が、先程まで俺の目の前で大泣きしていた信濃さんに被る。
やはり、血の繋がりを感じる。それが直接のものでなくても、確実に信濃さんには賢治さんと同じ血が流れている。
「俺から見たら、賢治さんはどう見ても娘想いの親ですよ」
「ありがとう、そう言って貰えると嬉しいよ」
「……それじゃあ、俺はこの辺でお暇しますね。お茶、ありがとうございました。咲さんのこと、お願いします。あ、これ……今日咲さん用に作ったお弁当です。悪くなっちゃうんで、お昼にどうぞ」
反応から見て、相当彼の中で凝り固まっているのだろうと予測できたので一旦引く。
信濃さんを幸せにするのなら、彼の心中も改善しなければならないだろう。だけどそれは、また別の機会だ。
鞄の中から信濃さん用のお弁当箱を取り出し、机の上にことりと置く。立ち上がり、ぺこりと一礼。そのままリビングから出ようとする。
「──聞かないのかい? 私たちの……咲の、昔のことを」
「聞きません」
最後に、賢治さんから声を掛けられたので、振り返って一言。
「それは、咲さんが語ってくれるまで、俺からは聞きません。咲さんが語らないなら、俺は一生知らないままでも大丈夫です」
少しだけ変容した決意を残し、俺はリビングを後にする。
靴を履き、お邪魔しましたと言い残して、信濃家を後にする。その足で階段を使い、自分たちの家へ。
「……ただいまー」
「あれ? かな兄お帰り! 早かったね! 信濃さんとのデートは?」
「信濃さん体調崩しちゃってさ。家まで送り届けてたんだ」
とたぱたと、奥からしーがかけてきたのでふんわりと抱きとめる。こてんと首を傾げるので、頭を撫でながら答える。
そっかー……早く元気になるといいね! とにっこりと笑ったしーを引き剥がす。
「さて、と……時間も出来たし、ちょっと勉強してくる。飯は……弁当処理するから、呼ばないでくれ」
「そう? 分かった! おかーさーん!」
そのままキッチンへとかけていったしーを見送り、洗面台でしっかり手洗いうがい。ハンドソープたっぷり、うがい薬しっかり。
新しいタオルで手を拭き、その足で自分の部屋へ。
暗い部屋に入り、扉を閉め……ベッドにダイブ。
枕に顔を埋め、思い切り息を吸う。
「かっこつけすぎだおれのあほおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっっ!!!!!!!」
悶えた。
転がりまくった。
ベッドボコスカ殴った。
シャツを脱ぎ捨て上裸になった。
もう一回ベッドに飛び込み、手足をバタバタさせた。
「なんなん!? なに急に抱き締めてるん!? 順序もへったくれもあったもんじゃないじゃん! いくらなんでも色々すっ飛ばしすぎじゃし、紳士的じゃないじゃろ!? 流石にあやし方子供向けすぎじゃん! 相手同い年だぞ!? しーやつーじゃ無いんだぞ!? 調子乗りすぎじゃあほー! こんなの漫画の中の主人公だけで十分なんじゃぼけぇ! 俺は黒澤奏! どこにでもいる普通の男子高校生なーんーよ! 身の丈にあった接し方せぇやマジで! 信濃さんは俺の彼女でも恋人でも伴侶でもないんじゃあほぉ!! 嫁入り前の娘さんに何してんじゃぼけぇ!!!」
「うるせぇ!!! やる事やって後悔してるんじゃないよこの天然たらしクソボケ兄貴!!!」
俺の魂の叫びは、ブチ切れたつーの怒号が聞こえてくるまで続いたのだった。
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