8.朝一番最初に会う友人
朝7時半。
いつもより明らかに早いこの時間に、びっしり制服を着込んでスマホ片手にマンション入口前に仁王立ちしてる男子が一人。
──俺である。
「......早く来すぎた」
一緒に登校しようと約束した次の日。6時というあまりにも早い時間に目が覚めた俺。二度寝を決め込もうにも完全に眼が冴えてしまっていた。結局母さんと一緒に朝食と俺の分の弁当の作成を手伝い、一通りの準備を終えたのが7時25分。
結果、いつもよりも圧倒的に早い時間に家を出てしまった。当然、そんな時間に家を出たのだから、待ち合わせ場所に相手が来ているわけ無い。
つまり、絶賛待ちぼうけ。
「はぁ……暇だ……」
ぼそりと呟き、誕生日に買ってもらったワイヤレスイヤホンを装備。見た目の良さが3上がって、注意力が2下がった。
壁にもたれかかり、お気に入りの曲を詰め込んだリストを再生。これ聞いとけばとりあえず大丈夫。
「……おはよう」
「へっ……」
貧弱なノイズキャンセリングを貫通して聞こえてくる声。慌ててイヤホンを外して顔を上げると、そこにあった仏頂面。
「お、おはよう信濃さん。どうしたの? まだ待ち合わせ迄時間があると思うんだけど……」
「こっちのセリフ」
「それ、は……はは、なんか早起きしちゃってさ。やることもないし、早く来ちゃったんだ」
ここで、「女の子を待たせるわけにはいかないだろう?」なんて言っても良いかもしれないが、恐らく信濃さんにはこれっぽっちも響かない気がしたので、正直に言うことにした。
そう、と素っ気なく答えた信濃さんは、そのまま振り返ってマンションの入口へ向けて歩き始める。出発するということなのだろうか、慌ててその背中に追いつき、隣に並ぶ。彼女の顔が見えるように、右側に。
「そ、そういう信濃さんは? なんで早く来たのさ」
「……悪い?」
「そんなわけないよ。ただ、もし俺が時間ギリギリに来たら、信濃さん待ちぼうけだったよ?」
そこまで話したところで、それまで前を見てこちらをちらりとも見てこなかった信濃さんが、初めて横目で俺に視線を向けた。
「黒澤くんなら、絶対に10分前には来る。待たせるくらいなら、私が待ちたい」
それだけ、と言い切った信濃さんは、再び前に向き直る。
──いくら何でも、俺のこと信じすぎやしないか?
少し……いや、かなり信濃さんのことが心配になる。もしあの朝信濃さんの手を取ったのが、下心満載の人間だったら? 悪意を巧妙に隠せる人間だったら?
ありえない、なんてことはありえないのがこの世界。
自分で言うのも変な話だが、俺でよかった。
「そう……ありがとね。でも、このままだと結構早く着いちゃうね……着いたらどうする? 授業の予習でもする?」
「昨日の夜やった。本読む」
「そっか……偉いね、きちんと予習して」
「別に」
相変わらず、お世辞にも会話が弾んでいるとは言えない。初日の信濃さんと比較すればこれでも弾んでいるが、世間一般の友人同士の会話としては落第点もいいとこだろう。
これでいい、と言われればそれまでだ。実際信濃さんが現状それ以上を望んでいるとは思えない。
だけど、折角早起きして待ち合わせまでして一緒に登校しているんだ。もう少しコミュニケーションしたい。
「そういえばさ、明日休みじゃん? 休みの日は何かしてるの?」
「図書館に居たり勉強したり。明日は図書館に行く予定」
「それさ、俺も一緒に行っていいかい?」
「……構わない。けど、きっと、つまらない」
意外だった。少し思考したとはいえ、許可が下りるとは思わなかった。てっきり、昨日のように嫌な顔をするものだと思っていたのだから。
心の中で小さくガッツポーズをしつつ、しーやつーに向けるような柔らかな笑顔を浮かべて見せる。
「大丈夫。休日に友達と会って何処かに行くってのが目的だから、それがどこでもいいんだよ」
「…………そう。なら、明日。十時にマンションの入口」
「りょーかい。じゃあさ、ついでに連絡先交換しない?」
「構わない」
すっとスマホを取り出す信濃さん。透明のケースに入った、特にアクセサリーもついてなければデコレーションもされていないシンプルなデザインのそれ。
俺もスマホを取り出し、立ち止まって作業すること数十秒。
通話アプリの一番上に、新しく追加された『信濃咲』という名前の友達。
「よし、これでおっけい。ありがとね、信濃さん」
「構わない」
高校に入ってから初めての友人である信濃さんは、高校に入って初めて連絡先を交換した人にもなった。
まだまだ寂しい画面の電源を落とし、ポケットに仕舞い込む。高校卒業までに、これがどれだけ増えるのだろうかと期待を膨らませる。
そこで、仕舞ったばかりのスマホがピコンと音を立てた。ごめんと一言断ってから、スマホの電源を入れ直す。
──思わず、笑ってしまった。
「……こちらこそ、よろしくね、信濃さん」
「……スマホで返信して」
ぷいっとそっぽを向く信濃さん。その手には俺との会話履歴の残った通話アプリの画面が開かれていた。
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