9.持つべきものはなんだろう


「それで? 昨日はどうだったのよ」

「別に君が期待しているような事は無いよ……まだ知り合って三日だしさ」



 三時間目の体育。体操服に着替えるために更衣室に来た俺に話しかけてきたのは、昨日放課後に話しかけてきた木谷くんだった。

 俺に話しかけてくる数少ない人間の一人。若干居づらさを感じていたがこれでだいぶマシになった。


 着替えを先に終わらせていた木谷くんは、スマホを弄りながら適当に会話を振ってくる。邪推されるのもめんどくさいので、事実を端的に告げながらちらりと彼に目を向ける。

 バレー部に早速入部したという木谷くん、やはりかなり背が高い。目測だが、軽く180センチは超えていそうだ。全運動部男子が望みそうである。正直俺も羨ましいって思ってる。


 俺の回答に、木谷くんは一切信じていないといった感じでにやにやと笑顔を浮かべていた。



「またまたぁ。実際、黒澤くんと信濃さんのこと、皆どんな関係なのか気になってるんだぜ? 昨日あんな騒ぎも起こしてたし」

「巻き込まれ事故なんだけどなぁ……聞いてたでしょ? 困ってた信濃さんを助けただけ……それで仲良くなっただけだよ」

「ふぅん……で? 信濃さんってどんな子なの?」



 どんな子。


 あまりにも抽象的な質問に少し考えながら、ジャージのファスナーを上げる。サイズ合わせで着てから久しぶりに袖を通したが、若干大きい。頼むから成長してくれよ、俺の肉体。目標、175センチ。

 体育館シューズを持った俺は、そのまま木谷くんと共に更衣室を出る。



「優しい子だよ。口下手なだけで気配りもできる。ぶっきらぼうなところもちょっとあるけど、慣れれば案外話してて楽しいよ」



 率直な感想はこんなところ。少なくとも、第一印象が良くないだけで、一度話すようになってしまえば普通に仲良くできると思う。


 最大の問題は、その「一度話すようになる」のハードルがあまりにも高いことぐらいだ。俺だって初日のあの事件が無ければ今でも邪険にされていただろう。

 誰とも知らない男子相手だと、昨日のような反応になるのだ。相当難易度が高いだろう。



「──へぇ、お前が噂の黒澤か」



 背中から投げられたそれは、聞いた事の無い女の子の、中々にドスの利いた声。



「……えっと、どなたでしょうか?」



 振り返ったそこに立っていたのは、あまりにも目立つ金髪の少女。ここの校則が緩いから許されているのだろう。

 一度見た顔なら忘れない俺が知らないということは、別のクラスなのだろう……昨日の昼休みにも見ていないけど、恐らく北中の卒業生で間違いないだろう。



「四組の赤嶺瑠璃あかみねるり。察しの通り北中出身。ああ、勘違いするな? アタシは信濃には一切興味ないから、心配しなくていい」

「あ、あぁ……えっと、どうも? それで……何の御用で?」



 見れば、彼女も体操服姿。体育は三組四組の合同だという話は聞いていた。他に女子の姿は見えない。

 赤嶺さんは俺の顔をじっと見たかと思うと、ふむ、と勝手に納得したかのような声を出す。



「なあに、あの信濃が興味を持ったヤツってのがどんなのか気になってな……見た感じ、女殴らないタイプの優男って感じだな」

「女を殴る人は優男なんかじゃないでしょ。そもそも……俺と信濃さんが仲良くなったのは、偶然だよ」



 ニヤリと、ニヒルな笑みを浮かべる赤嶺さん。これまであまり関わりのなかったタイプの女の子だな、と身構える。



「偶然、ねぇ……アンタさ、相当お人好しだな。無視しても良かっただろうに」

「それこそ論外だね。余計なお世話と言われても、やらなかったら絶対後悔してた」



 少しだけ、自分の声色が意図せず冷たくなってしまった。


 俺にとってどうしても譲れないし変えられそうにない部分だ。ここを捻じ曲げるとなると、それこそ自分自身の否定になってしまう。


 優しい人になりたいんだ、俺は。例え相手が俺のことが大嫌いな人であっても。


 俺の言葉を受けて、赤嶺さんは一瞬目を丸くしたが……すぐに満足そうな笑顔を浮かべていた。



「いやあ、今時居るんだね。こんな少年漫画の主人公みたいなヤツ……嫌いじゃないぜ?」

「そりゃあどうも……俺もできることなら嫌われたくなんかないからね」

「無理だろ。アタシ以外の北中出身は、アンタにいろいろと思うとこがありそうだしな」

「勘弁してよ……」

「ま、なんかあったら、話しぐらいはしてやるぜ?」



 んじゃ、邪魔して悪かったな……そう言い残した赤嶺さんは、鼻歌交じりにその場を後にした。

 謎の緊張感から解放された俺は、小さくため息を吐く。中々の威圧感を持つ子だったな、なんて考える俺と、信濃さんの中学生時代を知ることができるじゃん! と浮かれる俺が居た。



「黒澤くんや......よくあんなのと真正面から会話できるな......俺小便チビりそうになったぞ?」

「男子高校生、よく耐えた......普通にいい人だったじゃない。俺は俺の事を好意的に見てくれる人のことが好きだよ」



 だからと言って俺の事を嫌う人を嫌うかと言われれば答えはノーだけど。

 だって、優しい人になりたいから。



「......北中、めんどくさそうだな」

「まぁ......俺は信濃さんと仲良くするだけだよ」

「呼んだ?」



 本日二度目の、背中から投げかけられる声。今回はきちんと聞き覚えのある声だった。

 振り返ると、何故かまだ制服姿のままの信濃さんが、何冊かの本と筆記用具を持っていた。何処か面倒くさそうな雰囲気を醸し出している。



「呼んだわけじゃないけど......信濃さん、なんで制服なの?」

「参加しない」

「あー......なるほどね」



 ううん、反応しずらいな。片目の状態で運動するのが危ないという話なのだろう。だが、触れられない。


 と、どんな反応をしようか考えていたのだが、信濃さんが紡いだ言葉は俺の予想とは違うものだった。



「身体、弱いから。動くと色々痛い」

「へ? 大丈夫なの?」

「動かなければ問題無い。先行く」



 それだけ話した信濃さんは、颯爽と立ち去っていく。

 取り残された俺と木谷くん。



「......なぁ、もしかしなくても、信濃さんって、なんかとんでもないもの抱えてる?」

「間違いなくね......どうにかしてあげたいんだけどなぁ」

「......相談くらいなら乗るぜ?」

「......ありがとう」



 厄介なのに絡まれたな、と言わんばかりの哀れみの目線を投げかけてくる木谷くん。

 別に気が重い訳では無いのだけど、それでもその優しさが身に染みるようだった。




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