第38話 半年先の旅行に夢馳せて

 「いいかぁ、家に帰るまでが遠足なんだから気をつけて帰るんだよ。では解散!」私は赤いリュックを背負い、手にはガリ版刷りの遠足のしおりを握りしめていた。


 思わず「ガリ版刷り」と書いて、若い世代にはわからないだろうなと思った。私の小学校時代の遠足の話だから、昭和40年代かな。ヤスリ板のうえにロウ引きの紙を乗せて、鉛筆ではなく鉄筆てっぴつでガリガリと書く手製印刷。コピー機が気軽に使われるまでは主流だった。青焼きって呼ばれる印刷機もあった。手弁当とかちゃぶ台返しとかも伝わらないらしい。昭和は遠くになりにけり…だ。


 伝わらない話を書こうと思ったわけではない。半世紀振りに遠足の夢を見たものだから、夢を見たのも心当たりがあるから、それを書こうと思った。最近の私は、毎日セッセと、遠足のしおりのごとく旅行計画を小さなノートに書き込んでいる。旅行は半年先、桜咲く3月から4月にかけて。まだずっと先であるが、私はもう、毎日が楽しい。


 何をセッセと書き込んでいるかというと、宿泊先の部屋や設備、食事内容、移動の列車やその時間、周辺の観光地やお食事処、歴史とまではいかないけれどさきの大戦で戦禍にあった土地か、それとも土地で昔の街並みが残っているとか、食事処では営業時間やメニューにレビュー、混む時間まで、毎日飽きずに調べている。


 東京で働いていたときは1泊か2泊ではあったが、よく旅行に行っていた。写真も動画も沢山撮ったが、見返すことはあまりなく、思い起こそうとしても「あぁあそこ行ったね」くらいで細かいことはあまり覚えていない。仕事を辞めてからは年に1度、少し長めの旅行をすることにした。半年にわたる執拗な準備と、帰ってからも旅行の話が数カ月ずっと続く。勉強ではろくにしなかった予習と復習をすれば、思い出がしっかりと刻まれるのだ。


 桜咲く季節に旅行を…と書いたが、昨今の気候変動では開花時期は読めない。世界情勢もきな臭く、半年後に旅行を楽しめるかはわからない。我が家の経済情勢もちょうど65歳からの年金通知が来る頃だから、旅行より老後の貯蓄となるかも知れない。おまけに住民健診もあるから、再検査で上京となったりして…。


 それでもいいのだ。実現できるかわからなくても、思い通りにいくかわからなくても、半年後にこうしようと計画して毎日セッセと調べている今がとても楽しい。


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