第39話 恥ずかしい、を忘れない
鏡を見るたび思う。白髪ばぁば。我、老境に入れり…である。今はなるべく長く働いて年金受給を遅らせることが好ましい時代だから、「いい歳をしてみっともない」と言われることも少なくなったように思う。それは良いことだし、歳を意識せずにやりたいことをやればいいとは思う。しかし…である。やはりいい歳をしてみっともないことはある。いい歳というのはそれなりの年月、世の中を見聞きして分別があるという意味である。
食料品を買いに出た。島は荷が来る日が決まっているので、入荷後の店はかなり混む。加えて混雑の原因はレジにある。この店の主、80代のじいさまがひとりでゆっくりとやっている。1人につき3分はゆうにかかる。レジ待ちは十数人、幅の狭い商品棚の間に並ぶ。ふと見ると行列の最後にカゴが2つ置いてある。カゴを先に置いて品を取ってきてはカゴに入れるという場所取りだ。70代かと思われるおばさま2人がフットワーク軽く往復している。
私達の買物も終わり列に並ぼうとすると、まだ同じ場所にカゴが2つ。列は進み前が空いている。夫はカゴを前へずらせて後に並ぼうとしたが、私はずんとカゴの前へ出た。「いいよ、場所取りなんてずるい」と言いかけたところにおばさま2人。私は黙って前を向いた。列はなかなか進まない。おばさま達は住民健診の予約の話をしている。8時ちょうどに電話するともう話し中だから10秒前にかける…なんて話。頭も身体もしっかりしている。
列が進んだとき、私の足におばさまのカゴが当たった。キッと後ろを振り向いた私を気遣うように夫が自分の横に来るよう手招きした。夫の顔を見ながら私は後ろに聞こえるように言った。
「カゴを足で蹴っているのかなって見たの」
おばさまは「そう、足でずらしているの。へへへ」と隣のおばさまに笑いかけた。
重いカゴを手に持たず下に置いている人は多い。なんせ待ち時間が長いから。だが、食べ物の入ったカゴを足で蹴るのを指摘されてもどこ吹く風。二人の話は止まらない。
ようやく私達の前のお兄さんの番になったが、値を読みながらレジを打つ、じいさまの手が止まった。袋入りのムキエビをむんずとつかみ、お兄さんの目の前に。
「値段がついていないじゃないか!」
背中が丸くなったじいさまが背の高いお兄さんを、下から
お兄さん、言葉が出ない。何をすごまれているのか、理解できないのだろう。
「はぁー」と大きくため息をつきながら、じいさまはレジを離れ魚売場へ。
並ぶ面々もため息。後ろのおばさま達、話を止め、なに、なにまた?とざわめく。
夫が苦笑いをしながらお兄さんに言った。
「こらえてつかわさい」
戻ってきたじいさま、何を言うかと思ったら、
「ほかのは値段がついていたじゃないか! これだけついていないんだ。
なんでついていないのを持ってきたんだ!」
「はぁ、すみません」とお兄さん。
呆れてものも言えぬ私の前で、夫はお兄さんの肩に軽く触れながら、
「あなた、いい人だねぇ」
お兄さんは爽やかに、というかなんというか、ようやく笑顔を見せて、
「ありがとうございます」と言った。
いくら競争原理が効かぬ小さな島の店とはいえ(不愉快な対応をされてもここで買うしかない)、じいさまはその長い人生でほかの店も見てきただろうに、客商売とはいかなるものかを知らないのか、皆が文句を言わぬからとて、ここまで増長するものなのか。齢を重ねると、あなたが悪いと教えてくれる人はいなくなるのだから(言っても無駄だから)、自分で気づかないと恥ずかしい。いい歳してみっともない。
これを書いたからには、私も気をつけないと恥ずかしい。みっともない、よね。
それともうひとつ。カゴに入れる前に値札が付いているかを気をつけなきゃ、ね。
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