第33話 白髪ばぁばになって
私は今、64歳。髪は真っ白である。おろした前髪と横に流している髪は見事に白く、ヘヤクリームとマイナスイオンのホットブラシを駆使して、つやっとふわっとさせている。後ろは内側の髪がまだ黒いので短めに切っている。働いていたころは毎週末にセッセと染めていたので、見た目が様変わりしていることは自覚している。
顔が見えないのを良いことに書かせてもらうと、染め髪の私はかなり若く見えると自負していた。だから今、鏡のなかの自分は10も齢を取った白髪ばぁばである。
しかし問題なのは中身が変わっていないことだ。中身は恥ずかしながら30代位。
髪や服の趣味も変わらず、好き嫌いも同じ。人や物事への処し方も変わらない。物忘れ有り。新しいことはなかなか覚えられず、筋肉痛は2日後に出て、坂道はハァハァしてしゃべれないが、それでも中身は変わっていない。
これに気がついたとき、新入社員時代の上司の顔が浮かんだ。親会社から下りてきたその役員は毎朝、眉間に皺を寄せて高そうな茶碗でお茶を飲んでいた。(同僚は寿司屋の湯呑、見たことあるとしきりに言っていた) 私はお茶を飲むのにそんな難しい顔をしなくてもいいのにといつも思っていた。今の私と同じ齢のあの方はあの時、中身は30歳だったのだろうか? それなら面白いが、たぶん違う。
中身が変わらないのは私だけのことなのだろうか。子どもがいないので、おかあさん、おばあちゃんと呼ばれたことがない。仕事もずっとヒラで主任、班長、
中身が変わっていないとどうなるか。まだ経験はしていないが、席を譲られたらどうなるか? あ然呆然だが、我が見た目、白髪ばぁを思い出し、好意を無にしてはいけないのでお礼を言って座ろう。
窓口で順番に受付をしていて、私のところで明らかに
高齢者の介護施設で聞こえた「もう食べないのぉ、じゃ部屋に戻っておねんねしましょ」は、かなりムッとする。出された手を(できることならだが)振り払ってしまいたい。介護の苦労には頭が下がるが、タメ口、幼稚語はどうかやめてほしい。
私はおばあちゃん子だったから、高齢者に対してカタカナ語は使わず分かりやすくゆっくりと話すことが身についていた。席を譲ったり手を貸したりもする。それは私の数少ない長所だと思っていたが、30歳の心を持った白髪ばぁになった今、私の言動を不快に思った人もいただろうと思うようになった。心当たりもある。だんだんと不機嫌になるお客さまがいた。今になってようやくわかった。
今回、私は何を書きたかったのか。若い方が高齢者に席を譲ったり手を差しのべたり、言葉をかみ砕いてゆっくり話したときに、じいさまばあさまがキッとされたら、この話を思い出してほしい。その人の中身はまだ若いのだ。でも好意はきっと伝わる。少ししてから、高齢者の筋肉痛みたいに2日位経ってから、じわぁーと伝わる。そんな気がする。
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