第32話 市民権を得た?ひとりごと

 これを読んでくださる有り難き方々。残念ながらまだ少ないのだけれど…この人、見たことあるって方いるんじゃないかな? 新宿の地下街、サブナードをひとりごとを言いながら歩くおばさま。髪や服から察すると、どこかでちゃんと働いていそうなのだが(なんせ仕事帰りに頻繁に見かける)、ひとりごとなんて生やさしいものではなく、かなりの音量でがなり立てる。早口だが日本語として聞きとれる。変であるのは確かに変なのだが宇宙の彼方にいくほど荒唐無稽ではなく、固有名詞バンバンの怒りの発散である。


 西武新宿線のなかで向かいの座席に座ったこともある。仕事終わりに夫と待ち合わせ、すいている普通電車のはじっこ3人席に座った。すいているはずで急行、準急が先に出てなかなか発車しない。私たちは眠くなりうつらうつらしていた。そこへ突然、「しょう油無いの、しょう油!」と鋭い声が。 目を開けると彼女が向かいの席に陣取り、右手に割った箸を握りしめ左に寿司の折詰を持ってひとり叫んでいた。彼女だと認識する0コンマ5秒前に私はしょう油は給湯室の戸棚にある、と思った。これで「お茶無いの!」と叫ばれたらホームの自販機に走っていたかも知れない。下僕しもべ体質だな、私。


 なぜ急に彼女のことを思い出したかというと、最近のスマホ族はこれに似ていなくもないからだ。いまだガラケイの私はガラを耳に当てて話す。電話は自然と声が大きくなる。迷惑をかけ周囲が振り返ることもあるが、ガラが耳にある私は電話かと思うだろう。だが、最先端のスマホ族はブルートゥースのヘッドセットなるものを使っているらしく(理解できていない)、スマホどころかマイクもコードも見えない。作業服を着たお兄さんがいきなり怒り満タンの声で「遅い!待ってんだよ」と叫ぶ。あわてて道をゆずる。そうかと思えば若いお姉さんがいきなり笑い出す。幸せそうでいいけれど、ひとりなのに怖い。怖いよね。


 掲示板に「夏真っ盛り!盆踊り大会」のチラシがあった。久しく行かないけれど、子どものころは祖母がお盆にはご先祖さまが帰ってくるから、元気で暮らしている姿を見てもらうんだよって送り出してくれた。特定の宗教は持たないが、亡くなった身内や友人が空から見ていてくれる気はする。遺影に手を合わせ、心のなかで語りかけていたのだが、最近読んだ本のなかに意外なことが書いてあった。守護霊は心が読めるが、他の霊は声に出さなきゃ伝わらないって。えっそうなの、じゃあ聞こえる声で言わなくては。


 よくひとり暮らしの方がテレビにつっこみを入れたり、さぁご飯にしよう、とかひとりごとを言ったりするらしいが、私もそうすればいいんだと気がついた。堂々と大きな声でひとりごとを言おう! 何をつまらぬことを書いていると思う方がいるだろうが、私が心の奥でずっと恐れていることは老後のひとり暮らしなのだ。


 今は夫と二人、おかげさまで幸せに暮らしているが、この先、もし夫が先に逝ってしまったら…といつもどこかで怯えている。人づきあいが苦手な私はひとりぼっちになって、話す相手が誰もいなくて1日言葉を発しない、1日どころかめったに話さない。いらっしゃいませも言わない不愛想な店で、お釣りをもらうときにありがとうと言うだけになってしまうのではないか。


 話せばいいんだ。ひとりで話す。ジャーナリング(書く瞑想)とかいう心に浮かんだことを紙に書いて心のモヤモヤを整理するっていうのがあったけれど、書く代わりにひとりで話そう。苦難に陥ったときには、いつも私の味方でいてくれたあの人なら言うであろうことを想像してひとりで話そう。いつも冷静に先を見通していたあの人だったら言うであろうことをひとりで。私と違って自分の力で強引に人生を切り開いてきたあの人なら言うであろうことを…ひとりで話そう。


 サブナードおばさまの向こうを張ってひとりでしゃべり倒す…ちょっと怖いかな。



 









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