第31話 運がいいとか悪いとか
我が家のトイレには、座ると目の先30センチのところに日めくりカレンダーがかかっている。正確にはカレンダーではない。なんせ2022年に買ったものだから。パナソニックの創業者 松下幸之助氏の日々の言葉が1日から31日まで書かれている。それを月にウチでは年にも関係なく毎日せっせとめくっている。
珠玉の言葉ばかりなのだが、今回紹介したいのは「自分は相当運がいい」である。添えられた言葉は「今ここにこうして育ち生きている、それだけでも相当運がいい」とある。(※ご参照)
小学校に上がった
祖母はいた。車道を1本隔てた小さな商店街の手前の店にいるのが見えた。
「おばぁちゃん!」と叫び、私は祖母だけを見て左右も見ずに車道に飛び出した。
「キィィーー」ものすごい音だった。急ブレーキをかけたオレンジ色のタクシーが私の肩先5センチのところで止まった。時も止まったかのようだった。商店街の人が皆、こちらに顔を向けていた。気がつくと、祖母が私をかかえて運転手さんに頭を下げていた。歩道に上がってからも店の方へ何回も頭を下げていた。祖母は私をきつく抱いていたが、その指が小刻みに震えていた。
誰もがこんな経験があるのではないか。あとちょっと、ほんの少しで大変なことになってしまう経験が。わずか0コンマ何秒の違いで私はもちろん、祖母と運転手さんの人生も変わっただろう。「今ここにこうして育ち生きている、それだけで相当運がいい」のだ。
親ガチャなどという不愉快な言葉が出てきたが、どこに生れ落ちるかによっても人生が変わって来る。ユニセフのサイトで、学校へも行けずに炎天下の砂漠を1日中歩いて水汲みをする子どもの話が載っていた。
道は荒れ日差しを遮るものはなく人さらいや動物の危険もある。家族全員の命の水はずっしりと重たい。だが、水汲みは子どもの仕事だという。サハラ以南のアフリカ諸国で330万人の子どもが水汲みをしている。苦労して運ぶ水も野ざらしの水だから、細菌や動物の糞尿が混ざっている。汚れた水で下痢をし脱水症状を起こして、年間30万人の乳幼児が亡くなっているそうだ。
かつてモンゴルから来た力士が日本で驚いたことを聞かれて、蛇口をひねると水が出ることだと応えた。横綱にまでなった力士たちは首都ウランバートルの出身とのことだが、彼は遊牧民で実家の住所はないという。彼自身はだいだいわかって家族の元に帰れるそうだが、彼の家族の取材はできない。日本のマスコミが訪ねていくことはできないからだ。
運がないな悪いなと思うことがあったら、我が家に向かってひとり草原をゆく大きな背中を思いたい。今この時も水を汲んでいる子どもたちの姿を、その茶色に濁った水を思うのは心が痛い。この現実を拡散するとか、わずかでも井戸を掘るための寄付をするとか、自分にできることをやりたいと思う。
そして親ガチャなどと
※『2022年版 日々のことば 松下幸之助「希望」』 PHP研究所 24日
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