第13話 木は歩けない

 私達が暮らしている3階建てのアパートの横に小さな公園があった。ブランコと砂場、絵本から抜け出たようなカラフルな滑り台がある児童公園。と書いたのは今は更地になってしまったから。新築工事はまだ始まっていないが、ここには新しい棟が建つそうだ。


 公園の端に小さな木があった。公園脇の道からいつも見ていた木である。幹の太さは直径30センチほど、高さは3メートル弱の常緑樹。見事に1年中、深い緑の葉をサワサワと茂らせていた。葉が落ちて枝ぶりが露わになった記憶がない。台風の後もひとり、いや1本だけ、何かありました?という顔でスックと立っていた。


 なんという種類の木なのか知らない。気にしていなかった。だから公園に重機が入るのを見たときも、ほんの少しだけ、あの木も切ってしまうのかなと思っただけだった。翌朝、木はなかった。根こそぎ掘り起こしたのだろう、砂地になっていた。


 海が近いので浜辺へ散歩に出かける。珊瑚の欠片でできた白砂の浜である。そこにも草木がある。素足で歩けぬほどの暑い砂のうえに茎を伸ばし、緑の葉がフサフサと薄むらさき色の小さな花までつけている。照りつける日差しと潮混じりの風のなか、彼らはずっと命をつないでいる。


 木は歩けない。偶然、種が落ちたその場所で生きていく。歩けたら、時には木陰で休みたいだろうし、公園の木もここなら!と思うところまでトコトコ歩いていけたら新たな住宅のシンボルになるだろう。


 木は話せない。ようやく卵からかえった海ガメの仔は海を目指して歩くのだが、浜側に人の手による光があると海とは反対方向に歩き出す。浜につたう草木のなかをガサガサと必死になって。そのとき草木が話せたらいい。

 海はこっちじゃない。ほら波の音がする。振り向いてごらん。月の光で水面みなもが光っている。おかあさんガメはね、波が届かないところまで必死に上がってきて何時間もかけて深い穴を掘って君たちを産み落としたんだ。どうか海へ、大海原へ泳ぎだすんだ。そしていつの日かここへ還ってきて…と。


 公園の木は私に何を語っていただろう。仕事の行き帰りにそそくさと歩く私に、時にとぼとぼと下を向いて歩く私に。

 急いで生きてなんになる…小さなことにつまづいて落ち込むな…とか。いやいや、木は私なぞ見ておらず、ただひたすらに命をつないでいるだけだろう。人来ぬ山の奥でも満開の桜が咲き、人愛でることなく散ってゆくという。命尽きるまで毎年。




 

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