第9話 こんにちはぁ攻撃

 立ち止まると突き落とされそうな駅の階段を足早に降り、黙々と職場へと向かう群れのなかにいた私達は、40の齢に縁あって島に移住した。

 島での通勤は徒歩15分。満潮になると流れだす川沿いの道を行く。長年の習慣で足早の私を小学生の男の子が通せんぼした。「蟹がいるよ、ほら」と得意げな顔を向ける。茶色の小さな蟹がカサカサと動いている。蟹の名も知らないが、男の子の名も知らない。この人なつっこさ、誰にでも話しかける。


 私は親から「知らない大人と口を聞いてはいけない」と言われて育った。1963年に吉展よしのぶちゃん誘拐事件が起こった。初の報道協定が交わされるも最悪の結果となった事件である。吉展ちゃんは私の1つ年上、事件は2つ先の区で起きた。そのせいで当時の親は人様には挨拶なさい、ではなく、口も聞くなと教えた。


 さすがに島暮らしの今は知らない人にも会釈をする。いきなり話しかけることはできないが。島の子は誰にでも挨拶する。明るく大きな声で。最初は自分との違いに驚き、その驚きは好意的なものであったが、段々と雲行きが怪しくなった。いつもではない、時々だが。


 子ども達は自転車やキックボードが大好きだ。数人で群れて歩道をならんで走る。時には伸ばしたままの釣竿を手に持って、かなりのスピードで走る。私達は怖いので思わず車道に降りる。その刹那、彼らは言う。「こんにちはぁ」いつもと変わらぬ明るい声で。…心がざわざわする…せめて(歩行者を車道に降ろしていけないが)せめて言うならば「すみません」だろ。先生がそう教えているのだろうか? どんなときでも「こんにちは」? ゆずってもらったときも? 迷惑をかけたときも? 私達はこれを…こんにちは攻撃と呼んでいる。


 或る日、歩道の前方に保育園の子ども達が大勢いた。先頭に先生がいて信号のない道路を渡る練習をしている。2人ずつ手をつなぎ、大きな声で「右見て左見て、もう1回右見てぇはい!」と渡っている。車はほとんど通らない。1組、2組と無事に渡るのを見ながら、私は近づいて行った。3組目「右見て左見てもう1回右見てはい」で2人が走り出た。その瞬間「あぶない!」と私と先生が声を揃えて叫び、走ってきた車も「キキィ」と叫んで止まった。


 怖かったよね、事故にならずに本当に良かった。昭和のおばちゃんは「信号が青でも運転手の顔を見てから渡るんだよ、怖いんだからね、気をつけるんだよ」とうるさくうるさく言われて育った。ちょっとなつかしい…。「右見て左見て」は「開けゴマ」みたいな言葉じゃないからね。

言葉に心を、魂を込めよ。我が国は言霊のさきわふ国。

 








 

 

 

 

 

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