第6話 2人のミチヨお嬢様
或る日、小さな包みが届いた。白地にグレーの花が描かれた包装紙から察すると、香典返しのようだが、差出人に覚えがない。ご不幸に遭われた方を忘れてしまったのか…もう一度、名前を見る。
ミチヨさん? 私の姉の名もミチヨである。あぁわかった。先月、訃報を聞いた叔母の娘さんだ。結婚されて叔母の苗字は継がれていないが、名は姉と同じミチヨ。ミチヨお嬢様がもう1人いたのだ。
叔母は母の妹、ゆえに2人のミチヨは従妹同士である。母の兄弟姉妹はなんと12人、母は七女、叔母は九女である。時は大正中期から昭和にかけて、産めよ増やせよの時代で、子沢山でお国から表彰されたそうだ。表彰されてもお金はない。両親は八百屋のかたわら、さつまいもの壺焼きをやって必死に育ててくれたそうだ。
さて、ミチヨという名だが、母の昔話に頻繁に登場する。
母たちの一軒長屋の高台にお屋敷があって同じ年頃の女の子がいたそうだ。その子がミチヨさん。漆黒の前髪をきちんと切り揃え三つ編みを両脇に垂らして、その毛先には赤いリボンが結んである。藍色のジャンバースカートに柔らかそうな桃色のボレロをはおり、ピアノを弾いていた。母には見たことも触ったこともないものばかり、夢のような世界だった。
時は流れ、母となった姉妹はともに生まれた我が娘にミチヨと名付けた。ミチヨお嬢様への憧れがいかほどのものであったかがわかる。母は、娘ミチヨの髪を編んでリボンをつけ、自ら生地を選んで縫いあげた服を着せて、あのころ流行りだったオルガン教室に通わせた。
幼いころの母の服はすべて姉たちのおさがり、洋裁の授業の時は姉が縫った服をほどいて持って行った。…大きな机にね級友が持ってきた生地が並ぶの、きれいな色が広がるのよ、しるしを付けて裁っていくんだけれど、その間は何もやることがない…母はそう言っていた。のちに治療のすべがない病で長患いをする母だが、娘ミチヨをさずかり、ささやかではあるが幸福な時があったのだと思う。
母姉妹が憧れたミチヨお嬢様は、どのような人生をおくられたのだろうか。
かつての東京市牛込区天神町。母と同い年であれば16から20の齢に戦禍に見舞われた。理不尽な戦争から混迷の世を生き抜いていく…お屋敷のお嬢様の身の上にもさぞや、ご苦労があったこととお察しする。お目にかかりたかった、母の物語を聴いてもらいたかったと思う。
混迷の世は今も続いている。母は逝ってしまったが、母が私たち娘に託した思い、運命を受け入れつつもどうかどうか幸せに暮らしてほしいという強い思いは、2人のミチヨさんと私のなかに確かに残っている。
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