第2話 告知の日
無職になって家にいる。記憶力が確実に落ちている。テレビを見ながら夫と話す。芸能人の名前が出てこない。ほらあのドラマに出ていた、と言うが、ドラマのタイトルが出てこない。こういう時は思い出すまで頑張る方がいいと健康番組はいうが、頑張って思い出すほどのことでもないよね、と笑いあう。
そういえば、かつてこれだけは決して忘れてはいけないと思ったことがあった。
とても些細なことなのだが、あの時、私は強く思った。忘れてはいけないと。
あの日、母の病室からは山が見えた。雲が低くたれこめた灰色の空の下に、雲より少しばかり濃い色の山が見えた。母は何も言わずにベッドにいた。私は何か言おうと思ったが、言葉がみつからず微笑んでみせた。もうすぐ父が主治医との話を終えて戻ってくる。二人で話すよりも、誰かがいてくれる方が楽という気配がすでにあった。
母は幸いにも身体の痛みを訴えることはなかった。だが、病は静かに、そして確実に母の自由を奪っていった。一年ほど前、机に茶碗を置くときに、気を付けていてもガチャンと音をたててしまうと言ったのが始まりで、物をよく落とすようになり、半年後には足がもつれて転びやすくなり、転ぶと一人で起き上がれなくなった。何回かの検査の後、脳の萎縮がみられますねと言われたとき、私たちは治らないのではないかと思い始めていた。
父はなかなか戻ってこなかった。治療法があるのか、これからどうなるのか、母は何ができなくなって、私は何をしなければならないのか。母の心配から自分の心配へと思いは移っていった。なんとかなる、なんとしても母を守る、そういった強い思いは浮かばず、父を待つ母の心を思いやるでもなく、私は目の前に現れた暗いトンネルをみていた。
コホ、コホン。咳をしたのは私だった。数日前から風邪をひいていた。熱もなく、時折絡む痰で無意識に軽い咳がでる程度のものだった。母の枕元に丸椅子を引寄せて座っていた私は、咳をしたときに母に背を向けた。その背に母の手が触れた。
思うように動かなくなった手を肘から起こし手の甲で微かに触れたのだ。母は私の背をさすろうとしたのだと理解したとき、私の中にある何かがこのことを一生忘れてはならないと言った。徐々に動きが悪くなり、おそらく間もなく動かなくなる手で、自らは絶望の淵にありながら軽い風邪咳の娘を気遣った母を、これからいかなることが起ころうとも忘れてはならないと思った。
母は治療薬のある疾患の可能性を否定され、運動機能を司る小脳が徐々に委縮していく難病だと告知された。それから18年、仕事を辞めた父と父が手配したヘルパーさんたちに支えられて生き抜いた。
母が逝って20年が経つ。父ももういない。私は二人が生きた年月を覚えている。
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