④三人の幕引き

 自分の倍はある体格をした生徒が、目を回しながら膝から崩れ落ちる。

 上里は伝説の鍛冶職人が打った名刀を、必要以上に振り回して鞘に収めた。

「――スチャ」

 敢えて効果音まで口にする。ここまでやってこその妄想なのである。

 後ろからドアの開閉音が聞こえた気がして振り返ると、パソコンを抱えた仲間の姿が目に飛び込んだ。

「おぉ一瀬! さすがは頼れる親友よ! 上手くいったか!」

「まぁな。そっちは派手にやったみたいだな」

 床で伸びている大勢の腑抜けを、散らかったゴミのように見渡している。

「相撲部がボスラッシュしてきてさ。いや~大変だったけど、やりがいはあったよね」

 頭の後ろで手を組んで、わざとらしく首を鳴らす。

「『悪魔』は倒した。となると残りは……」

「『小悪魔』の方だな」

 二人は揃って渡り廊下に目を向ける。もう一人の仲間の状況が、気がかりだった。

 そのときふいに、放送室のドアが勢い良く閉じる。素っ頓狂な声を出す上里。

 一瀬は必死の形相でドアノブに手をかけたが、それが開くことはなかった。

「くそ、やられた! あいつ、予備のCDを隠し持ってたんだ!」

 出し抜かれたと言わんばかりに息を荒くしているが、上里の方は打って変わって冷静だった。頭の中で、焦る必要はないと囁いているのだ。

「ありゃ~マジか。でも俺の神様は平気だって言ってるぜ」

「何が平気なんだよ! 音楽が流れるんだぞ! そうだ! 今すぐ咲良を避難させないと!」

 逸る一瀬を地べたに縫い付けるように、それは突如として始まった。


 荘厳な音楽が尾鳥高校全域を覆うように、至る所にあるスピーカーから流れる。


「……音楽が流れてる?」

 それは三階渡り廊下にいる暮林の耳にも届いていた。聞いたことのないメロディ――いや、早朝と似たようなメロディが延々と流れている。その旋律はとても不可解で、まるで喜怒哀楽は一切込められていない、暴力的なものだった。

「先生、すぐに音楽を止めて下さい!」

「無理よ。一度流れた以上、今の私にできることなんてないもの」

 泣き腫らした目元を袖口で拭いている。

 嘘を吐いているわけではないようだ。

 当惑した暮林は三階に視線を移した。

「マジかよ……」

 青いネクタイ・リボンを提げた生徒が、こちらを凝視しながらぞろぞろと歩いてくる。

 その足並みは妙に揃っていて、視線だけは暮林をマークしていた。

「腑抜けが来ます! 先生何とかして下さい!」

「腑抜け?」

 一体何人いるんだ。上里が倒した人数以上じゃないか。一人で相手できるわけがない。

 ぐるぐると言い訳が脳内を駆け回り、暮林は頼みの綱の新堂に縋る。

 とうとう暮林は腰を抜かした。

 二年生集団の先頭の一人が、小走りになって怒号を浴びせてくる。

 予想だにしない事態が生じたのはその直後だった。

「――新堂先生泣かしてんじゃねーぞ!」

「ぐえあっ!」

 我ながら情けない悲鳴と共に、自慢の肉体が吹き飛んでいたのだ。

 ドロップ・キックだった。

 暮林は無論、新堂までもがその展開に驚愕していた。自分に何が起こったのか、理解するには少しの時間が必要だった。先輩である二年生はプロレス技をかまし、新堂のとなりにいる暮林の位置を奪うようにして、その場に仁王立ちしたのだ。

「どういうつもりだ後輩? 新堂先生が来ないから様子を見に来たら、こんなところで何やってんだよ?」

 先輩は表情を鬼のようにしている。演技しているようには見えない。

 ということは、彼は腑抜けではないのだろうか。

「いえ……僕はただ説得を……」

「生徒が先生を説得するようなことがあんのか? それと先生が泣いていることに何の関係がある?」

 怒りを剝き出しにした生徒に続くように、その後ろで様子を見守るクラスメイトらしき生徒が呟いている。

「真希先生かわいそう……」

「女性を泣かすなんて人としてどうなんだか……」

「ああいう人間にはなりたくないね……」

 何を言っているんだ。俺はこの事件を解決するために全身全霊を尽くしたんだ。

 これではまるで悪党呼ばわりではないか。そんなのあんまりじゃないか。

 暮林は納得ができずに立ち向かおうとしたが、新堂がそれを遮るように口を挟んだ。

「大丈夫。私の方は何ともないから……目にゴミが入っただけよ」

「本当ですか先生? 隠さなくてもいいんですよ? 俺たちはみんな味方ですから!」

 クラスメイトが当然のように頷く。

 新堂はその反応を見て、また涙を零しそうになった。

「ああっ、先生! ――おい後輩、マジでお前ぶっ殺す!」

「先輩たちが泣かしてるんですよ!」

「本当に大丈夫だから……。教室で待ってて……すぐにホームルームにするから」

 大丈夫。そう何度も口にする新堂を見て、クラスメイトもさすがに信じることにしたのか、大人しく教室の方向へ帰って行った。

 二人きりになって、ようやく暮林は余裕を取り戻した。

「どういうことですか、これ? なんでみんな元に戻ってるんですか?」

 音楽は未だに流れ続けている。であれば、彼らの行動は腑抜けとして相応しくない。

「多分これは解除の方だと思う。坂本君に念のため作ってもらうように頼んでおいたの」

 新堂は目元を拭くのも忘れて、教室へと向かっていくクラスメイトを眺めている。その様子は心底嬉しそうに見えた。

 暮林は胸を撫で下ろした。

「そういうことですか。じゃあ、僕の仲間が上手くやったってことですね」

「へぇ、友達が多いのね」

 暮林は音楽に集中してみて、あることに気付いた。これは早朝の音楽とは、似て非なるものということだ。あれが負に振り切った音楽であることに対し、これはベクトルを反転させたような正の音楽に感じるのである。現に校内に流れる音楽は、暮林に安らぎを与えていた。

 しかしながら、ここでゆっくりと鑑賞している場合ではない。暮林は廊下の方に足を向けたが、新堂は未だ茫然自失になっていた。

「先生、どうしたんですか?」

「これってどういうことなのかな。なんでみんな暮林君に怒ったんだろう」

「腑抜けじゃないのに?」

「そういう表現はやめてって言ってるでしょう? 私の大切な生徒なのよ」

 生徒を侮辱されているような気がしたのか、新堂は不快そうに、だが弾んだ気分で一歩を踏み出した。クールな印象を持つ暮林にとって、こんな表情を見るのは初めてだった。

「なら、新堂先生を慕っているからでしょう。普通に好きなんですよ、先生のこと。音楽とか関係なく、ね」

「そっか……」

 戸惑いを隠すために、気取った言い回しをしてみる。

 新堂は覚悟を決めたように、力一杯に顔面を拭った。

「ねぇ暮林君、さっきのキック痛かった?」

「どうしたんですか急に」

「いやぁ、結構堪えてそうに見えたから。保健室まで連れて行きましょうか?」

「別にあれくらい慣れてますよ。その代わり先生は、僕の名前を広めておいて下さい!」

 渡り廊下を去る二人の背中を押すように、一陣の風が吹き抜けた。



「催眠状態はこれで解かれた。校内にいる人間は直に元に戻るはずだ」

 放送室の前で呆然としていた二人は、男子生徒の声で振り返った。

 どういう風の吹き回しなのか。わざわざドアを閉める必要はなかったはずだ。

 一瀬はまだ信用し切れていなかった。

「本当か?」

「論より証拠。その辺の教室でも覗けば一目瞭然だろう。僕の音楽に酔いしれているはずさ。ただ、今流れている曲は試作段階のものだ。気を失ってる生徒の催眠は、さすがにこいつで解くことはできない。パソコンを返してくれ。最後まで完成させたらもう一度流す」

「……」

「二時間もあれば終わる。信用してくれ、今日中に全員戻すよ」

「わかった」

 一瀬は男子生徒が初めて自分の目を見たように感じて、大人しくパソコンを渡した。

 表情には仄かに明るい様子が灯っている。

「後輩風情が、僕に説教をするなんてね。いつの間にか僕も落ちぶれたもんだ」

 男子生徒は勝手に先輩風を吹かせると、勇んでコール教室の方へ足を向けた。

「だったらやってやろうじゃねーの。僕の力で、みんなを黙らせてやるさ。今度は正攻法でな。それでいいだろう?」

「はぁ……そうすか」

「君はそれすらもどうでもいいってか。本当に、舐められたもんだよな」

 格好つけて背中で物を語ってくる。

 呆れた顔を返事にする一瀬。そのとなりでは意気揚々としている男の姿があった。

 聞こえないはずの銃声が聞こえたような気がして、直後、男子生徒は都合良くその場に転んだ。無様な格好で気絶までしている。

「おい上里! お前、何やってんだよ!」

「いやいやいや! 『何こいついい空気出してんだよ』ってなるだろーが普通! ちゃ~んと悪魔にはトドメを刺しとかないとな!」

 当然のような面構えをしている。

 口ではそう言うが、本心は物足りなかったのだろう。上里にとって、『悪魔』を自分の手で下して、ようやくハッピーエンドなわけだ。

「まあ、そうだな。それくらいのお仕置きは必要だな」

「ははっ、そうだろう! そうだろう!」

 荘厳な音楽に混ざるようにして、上里の高らかな笑い声が校舎に響いた。

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