③悪魔と小悪魔

「ねぇ、質問に答えてよ。ゆっくりしている余裕はないんじゃないの?」

 暮林は、新堂の過去とそこから生まれた問いに対して、どう答えればいいのかわからないでいた。否定できるだけの確固たる根拠などない。

「それとも暮林君は、誰かを嫌いたい? 誰かと争いたい? 平和は必要ないと思う? 私が目指しているのはそういう『愛のある平和』なんだよ」

 無垢な笑みが心を刺してくる。新堂はそれが正論だと信じて疑っていないようだ。

 目を逸らそうとしていた現実に――新堂に向き直る。

 信じて疑わない。それは暮林にも通ずることがあった。

 信念だ。生きている時間こそ負けているが、暮林にもやはり信念がある。

 それを正直にぶつけるしかない。 

「僕は誰かを嫌いにはなりたくありません」


「誰かと争うことも嫌です」


「でも、それすらなくなったら、僕はその方がもっと嫌だと思います」

 何度も息を吸って吐いてを繰り返し、間違いのない言葉を紡ぎ出す。

 嘘のない言葉をぶつけていく。

 新堂は明らかに顔を顰めた。

「意味がわからないんだけど?」

「誰かと仲良くなるには、一度は嫌いなところを探さないといけないと思うんです。争いをなくすなら、悪いところを認め合わないといけないと思うんです」

「……」

「そうやってぶつかって拗れて、いつの間にか修復して――。そうやって関係ってものは築かれていくんじゃないですか?」

 新堂は俯いた。

「その過程をすっ飛ばして、いきなり好きになったり、上っ面で仲良くなったりなんて、そんなのただの嘘っぱちですよ」

「……」

「僕は正直、今の先生のことは嫌いです。でも好きになりたいとも思っています。理解したいと思っています。そういう感情は、先生からしたら嘘っぱちに感じますか?」

「暮林君はそうかもしれないよ。でも世の中は、そんな風にできている人ばかりじゃない。誰かが腰を上げないと、コミュニティは簡単に崩壊する」

「僕もそう思います」

「……私は正直に話してるんだよ!」

「なら先生は、どうして僕たちを放っておいたんですか?」

 暮林は勢いに乗せて、咄嗟に思い付いた質問を投げかけた。

 新堂は水を掛けられたように熱を冷ましている。

「本当は自分の計画を止めて欲しかったんじゃないですか?」

「止めて……欲しかった?」

 それは新堂の話を聞いて、そして自分で熟考した上で気になったことだった。思えば新堂は、早朝から従順でない存在には勘付いていたようだった。それなのに暮林たちを捕まえようとはせず、昼食でそれが確信に変わってからも、手を打っては来なかった。

 これはあくまで可能性の一つである。

 もしかしたら、新堂は過去の出来事を重ねていたのではないか。

 過去のいじめと――現在の行いを重ねていたのではないか。

 自分の行いが完全な正解ではないと、心のどこかで思っていたのではないか。

 その考えは間違っていなかった。

「そうだよ……私は止めて欲しかったんだよ……」

 新堂は膝から崩れ落ち、目に溜まるものを誤魔化すように空を仰いだ。

 だが、それで感情が治まることはなかった。

「止めて欲しかったんだ……」

 ダムが決壊する。

 そこにクールな新堂の面影は微塵もなく。

 ただ一人の、苦悩に苛まれた女性の姿があった。

 子供のような泣き声が響き渡る。

 悲しみの上に怒りが重なって、その上に悲しみが重なるような、ぐちゃぐちゃになった泣き方だった。

 暮林は新堂の気が済むまで、静かにその場で待つことにした。



 放送室に立て籠もった男子生徒は、二曲目の催眠用音楽を完成させ、それをCDにコピーさせたところだった。

「……よし、あとはこいつを流せば、あの馬鹿どもは終わりだ」

「そうはさせない」

「誰だ君は? なんでここに居るんだ?」

 自分以外の声に驚いた生徒に、一瀬は鋭い目つきを向けた。

 今しがた通った窓を固く閉じる。これで二人きりで話し合うことができる。

「そんな質問に答えるために体を張ったんじゃない。あんた、自分が何をしているのかわかってるのか?」

「何のことを言っているのかわからない」

「しらばっくれるなよ。あんたが音楽を流したっていう証言があるんだ。『悪魔』の正体はあんただってな。今朝と同じことをするつもりか?」

「また、悪魔かよ。意味のわからないことを……」

「やっぱりその声はさっきの放送と同じだ。答えろ。大勢の人間をおかしくさせたのはあんたか?」

 止まらない追及に生徒は逡巡したが、しどろもどろになって情けない声を出した。

「僕はただ、新堂先生のために……」

「つまり、新堂先生に頼まれてやったって言いたいのか? 咲良がおかしくなったのは本望じゃなかったと?」

「……」

 今度は沈黙を決め込んでしまう。こんな人間が先輩だとは到底思えない。

 一瀬は血が逆流し始めていることを実感していた。

「はっきりしてくれ。あんたの葛藤なんてどうでもいいんだよ」

「ははは……どうでもいい、か。そうだよな。僕がやろうとしていることなんて、君たちにとってはその程度の感想なんだろうな」

「認めるのか? あんたは自分の意志でやったんだな?」

「ああそうだよ」

 開き直ったようで、目つきをがらりと変える。

「けど、だから何だって言うんだよ。仕方ないだろ。僕を除け者にする方が悪いんだ」

 沸々と怒りがたしかなものになるのを感じる。

 一瀬はこれを、最後の弁明として聞くつもりだった。

「新堂先生がこの計画を頼んできたとき思ったね。面白いって。喜んで協力することにしたよ。僕を馬鹿にする人間なんて全員狂ってしまえばいいんだ――」

 うなりを上げた拳が顔面にめり込む。一瞬にして生徒は吹き飛んでいた。

「だから言ってんだろ。あんたの葛藤なんてどうでもいいって」

 尻餅をついて頬をさする無様な姿を一瀬は見下ろした。

 猫に追い詰められた鼠のように、体を震わせている。しかしながらこの生徒には、これっぽちも反撃の余地は見えなかった。

「あんたはそうやって怖気づいていればいい。音楽のデータは削除する」

 起動中のパソコンを手当たり次第に操作していく。一瀬も趣味でパソコンを弄ることが多いのだが、この生徒のパソコンのウィンドウには、それとは倍以上のソフトやフォルダがずらりと並んでいた。背景がデフォルトのままなのが目にチカチカする。

「諦めたんなら、どこにデータがあるのか教えてくれないか? 他人の個人情報を盗み見る趣味はないんだよ」

「適当に検索にかければいいじゃないか……」

 項垂れた生徒が、消え入りそうな声で呟く。

 一瀬は遠慮する必要はなさそうだと考え、エクスプローラーを開き、検索ボックスに 『*・wav』と入力してエンターをした。

 ローディング画面が表示され手持無沙汰になる。

「そういうところじゃないか?」

「はぁ?」

「なんで妨害してこない? パソコンを奪い返そうとは思わないのか?」

 生徒は一瞬顔を上げるが、図星を突かれたのかまた項垂れた。

「パソコンを持って、放送室に逃げ込んで、援軍を呼んで――。そこまでやって、最後の最後に一発殴られておしまいか?」

「手は尽くしたよ……。喧嘩で君に挑めというのかい? 体力には自信がないんだ」

「そうかよ」

 所詮は時間潰しに質問しただけだ。一瀬は画面に表示された音楽ファイルをざっと確認すると、すべてのデータを一斉に削除し、ゴミ箱の中も空にした。

「データは消した。CDも破壊した。パソコンは念のため預かっておくぞ? みんなを元に戻した後、問題ないと判断したら返してやるよ」

「勝手にしてくれ……」

「俺だったらもっと足掻くけどな。惨めでも、何とかして目標を達成する」

 正面から向き合って声を掛けるが、生徒は顔を上げなかった。

「残念だよ、先輩」

 放送室を後にする一瀬。

 男子生徒は後ろ姿を一瞥すると、ブレザーのポケットに手を伸ばした。

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