②三人のクライマックス

 開放型の渡り廊下には、東棟と西棟の合間を抜ける風が、力強く吹き荒んでいた。

 その風の向こうには、髪を靡かせる女性の姿がある。

「ああ……この騒ぎは君たちのせい? 今度は説得しにでも来たの?」

 新堂は作ったような笑みをこちらに向けた。

「先生が間違ったことをしようとしているのなら。もしそうなら、俺はそれを何としてでも止めます」

「じゃあ間違ってなかったら見守ってくれる?」

 意味深な言い方をする新堂に、暮林はたじろいでしまった。新堂を説得し、その企みを阻止する。頭の中ではわかっているはずなのに、もう一歩が踏み出せなかった。

 まるでその妄想は絵空事だと笑われているような気がして。

 作ったような表情は、言葉を紡いだ。

「少しだけ昔話をしてもいいかな?」

「そう言って時間稼ぎをしても無駄です! すぐにこんな真似はやめて下さい!」

「そんなに長くならないからさ……ね?」

 ペースに飲まれそうになる。これも策略の一部なのだろうか。

「私を知った上で、それでも君がやめろと言うのなら、そのときはみんなを元に戻すわ。決めるのはそれからでもいいでしょう?」

 いつかの職員室で見たような一教師としての台詞。そこには暮林が想像していたような悪党としての姿は重なっていなかった。

 しばらく考えた末に、暮林は平然として返した。

「……わかりました」

「ありがとう。私、暮林君のそういうところは好きよ」

 念を押すように見つめてくる。

 沈黙を貫く暮林を受けて、新堂は静かに口を開いた。

「実は私、ここの卒業生なの。でもあまりいい思い出がなくて……。いつからだったのかな。容姿を理由にいじめられるようになったの」

 何年か前の出来事を掘り起こすように遠くを見つめている。卒業生という事実に対して、さほど驚くことはなかったが、いじめという言葉だけは引っ掛かった。暮林にはどうも、新堂がそれをされそうな人間には見えなかった。

「男子に気に入られようとしてるとか、単に目立とうとしてるだけとか。毎日のように女子からは罵詈雑言を浴びせられて、白い目を向けられて……。そんな日々が続いてた。文句を言ったら喜ぶだけだから、言い返さないようにしてたんだけど、そうしたら今度は男子にセクハラまがいのことをされるようになってね。物を盗まれることもあったのよ」

「誰かに相談はしなかったんですか?」

「家族には迷惑を掛けたくなかったかな」

「先生は?」

「したよ? さすがに窮屈過ぎたからね。でも、取り合ってくれなかった。お前は自分から意見を言わないから、周りが面白がってるだけだって。しまいには見た目がいいからって調子に乗ってるんじゃないか、だってさ。馬鹿みたいよね。それを言われて誰かに相談する気も失せちゃったわ」

 暮林は想像する。

 自分じゃ経験できない世界だが、少ない知恵を絞って新堂の深層を探ろうとする。

 そうして、仄かに暗いものを感じ取る。それは暮林には知り得ない感情だった。

「……だから復讐するってことですか?」

「違う。そういう表現は好きじゃない。私はただ、あのとき得られなかった青春を取り戻したいだけ。誰かを貶めたり、破壊衝動があるわけでもない」

「じゃあどうしてこんなことを?」

「自分が学校の中心になりたいからよ。文字通り私が『中心』になるの。自分が周りから矢印を向けられ、その上で自分が全員に矢印を向ける。矢印が交差したり、亀裂が入ることもない。すべてが私を中心に回る、平和な学校生活を送りたいの」

「……」

「誰かが誰かを嫌うこともない、争いのないコミュニティ。そんな学校があったら素敵でしょう?」

 暮林はその問いに、咄嗟に答えることができなかった。

 だから質問に質問で返してしまう。

「本心からそう思っているんですか?」

「ええ。それが理想郷なのよ。みんなが笑っていられる本物のね」



 一瀬は自分へのダメージを顧みずに、何度も体を打ち付けていた。

「駄目だ! 上里! このドア、びくともしないぞ!」

「いいから急いでくれ。こっちも持ち堪えるので精一杯なんだ」

「って言ってもなぁ!」

 小窓の向こうに男の姿が見える。あれが上里の言う『悪魔』――すなわちこの事件の黒幕というのだろうか。何やらノートパソコンで作業をしている。

「一瀬の彼女をおかしくさせた張本人なんだぞ。もっと本気になったらどうだ」

「……そうだな。たしかにお前の言う通りだ!」

 こんなことにならなければ、今日だって泉と昼食を共にしていたはず。一瀬はありったけの怒りを全身に巡らせて、もう一度体当たりをかました。

 上里の言うことを疑うつもりはない。であれば、自分は何としてでも男の企みを阻止しなくてはならない。これ以上、ここで遊んでいる場合ではないのだ。

「そうだ、鍵!」

 一瀬はとなりにある職員室に駆け込んだ。大抵の教室の鍵はここにあるはず。

 室内をぐるっと見渡し、壁に掛かっていないか確認する。――ない。もしや、どこにあるかもわからない鍵のために、引き出しを片っ端から開けるしかないのか。

「クソッ! 時間がない!」

 目に飛び込んだ掛け時計が急き立てる。そんな時間があるわけもない。事態は急を要するのだ。

 一瀬は右往左往しながら窓に近づいた。窓の外には、雨除けのための小さな屋根がせり出ており、校舎の壁に一列に並んでいた。

 顔を出して放送室の方を確認する。屋根伝いに行けば侵入ができそうだ。

 手にはじっとりと汗が滲みだしているが、断じて高さに臆したわけではない。

「一か八か行くしかないな!」

 自分を鼓舞するように声を張り上げた。

 誤って手を滑らせないように、慎重に体を外に出す。

 静かに吹き抜ける風が、一瀬の体温を浚っていく。

「……」

 さすがに死ぬことはないだろうが、ここは二階だ。落ちた場合の衝撃は想像に容易い。一瀬は背中をぴったりと着けて、放送室の窓を目指した。

 こんな風に危険なことをするのはいつぶりだろう。ふと、少年時代の記憶が蘇る。あのときは上里の馬鹿に毎日のように付き合わされていた。覚えているだけでも、何度か死にそうになった記憶もある。

 ただ、今となってはそれも良い思い出として整理ができている。一瀬は幾分か気持ちが落ち着いた。

「ねーねー、そんなところで何やってるの?」

 極限状態の心理を撫でるように声が届く。視線を下げると、いつかの公園で遊んだときの少年が興味津々に見上げていた。

 寄りによって、言い逃れのしにくいところを見られてしまった。

「野良猫が……屋根に居てさ、落ちたら危ないと思ってな……」

「猫? どこにいるの?」

 咄嗟に思いついた言い訳を、少年は深く追及する。

「さっきまでそこに居たんだけど……あれ、いないな?」

「……?」

 要領の得ない回答に、今度は首を傾げてしまう。

「お兄ちゃんも、木登りの人と同じで高いところが好きなんだね」

「え?」

「でも、そこは危ないよ。落ちたら死んじゃうよ」

「ああ、そうだな……」

「気を付けてね! ばいばい!」

「おう、そっちもな……」

 少年は勝手に得心がいったようになると、そのまま曲がり角を折れてしまった。ランドセルに太陽の光が反射する。そう言えばすでに下校の時間なのだ。

「俺もあいつらと同類なのかな……。まあ、急がないとな」



「――ちぃ、まだなのか一瀬ェ!」

 上里のスナイパーライフルが煙を巻き上げる。

 けたたましい轟音は上里の脳内にだけ響き、上里にだけ愉悦をもたらしていた。

「……うおっ! なんだ!」

 いつの間にか背後を取られていたのか、一人の腑抜けが覆い被さる。

 その顔面は酷く焼けていて爛れ落ち、眼球は零れ落ちそうになっていた。

「くそ、離しやがれ……!」

 クリーチャーのような呻き声を上げる人型の何かが、馬乗りになって襲い掛かる。口と思われる穴からは、粘り気のある液体が滴っていた。その口が上里の首元を狙う。

「そう簡単にはやられねーぞ!」

 どこからともなくサバイバルナイフを取り出し、チーズのように柔らかい頭に突き刺す。クリーチャーは溺れたような声を上げると、赤黒い液体を吹き出して崩れ落ちた。

 ほっとひと安心する。この緊張と緩和が、この上なく好きであった。

 次の獲物が渡り廊下の奥に現れる。しかも今度は集団だ。

「ははは! いいぜぇ! まだまだ付き合ってやるよ!」

 上里はどこからともなく手榴弾を取り出し、ピンを抜いて集団に放り投げた。

 当然、腑抜けは『都合良く』その場に転んだ。

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