③三人の決着
ラルフ残り一機。ゴリラ残りゼロ。剣士残りゼロ。アメコミ残り二機。
暮林はクォーターとの一対三を善戦し、二機目を落とすことになったが、ヒラッペとクロスを完全に倒すことに成功していた。
空き教室でこのゲーム対戦が始まってから、かなりの時間が経過していた。
「さすがだな……」
マサキは無機質なトーンで声を漏らす。
暮林は汗ばんだ両手でコントローラーを握り直した。ストック数に差はあるが、タイマンともなればあとは暮林のテリトリー。クォーター内の序列で二位のマサキを下すこと自体はそう難しくはなかった。これがいつもの、他愛のない対戦なら。
「俺の使っていいから手伝え。すぐ終わらせる」
「俺でいいか?」
「いいよ。どの道二つもいらねーんだ」
マサキの援軍を受けて、ヒラッペがアメコミのストックを借りて復活する。
暮林は表情を顰めた。というのも、暮林はいつ倒されてもおかしくない状況だった。
マサキの扱うアメコミキャラクターは、ストックを落とされない限り、徐々に攻撃力が上昇する特徴がある。現に画面内のアメコミは、赤く点滅する演出で、火力アップを表示していた。
敵の人数は減っているはずなのに、状況は確実に悪化している。そこらのゲームプレイヤーなら匙を投げそうだが、暮林は内なる心が煮え滾っているのを感じていた。
「こっからが俺の見せ場だぜ」
敢えて口に出すことでギアを一段階上げる。
プレイスタイルに変化があったのは一目瞭然だった。
マサキとヒラッペの舌打ちの回数が多くなる。
その理由は簡単だった。『攻撃が一切当たらない』からだ。俊敏に動き回るラルフの細かな弱攻撃が二人に蓄積されていくのに、ゴリラとアメコミは為されるがまま。
焦ったゴリラが一番威力のある強攻撃をかます。ヒラッペはその後の大きな隙を顧みなかった。ラルフは待っていたように懐に切り込んだ。
「入った」
そのままラルフの強攻撃が炸裂し、ゴリラは画面外に吹き飛んだ。
「……ぐ」
これで残った暮林とマサキのストックはお互いに一つ。
マサキは、暮林のプレイスタイルがどう変化したのか、ようやく理解したようだった。
ラルフは『特殊技を一切使っていない』のである。要するにBボタンを使った技を放棄し、Aボタンの技のみで戦っているのだ。プレイヤースキルが卓越していることもあるが、暮林は隙の大きい特殊技を使わないことで、繊細な立ち回りを可能にしていた。
「あとはお前だけ。ガキの頃からやってるんだ。掛けてる時間が違う」
「くっそ……!」
もはや赤そのものになったアメコミが距離を詰めてくる。それはマサキの姿と重なる部分があった。ラルフはその場回避をして、アメコミの最後の一撃を躱す。暮林はそのまま掴み攻撃に移行し、一番吹っ飛ばし能力のある上投げを入力した。
予備動作長めの演出が入り、画面が赤く閃光する。
暮林は人差し指にキスをして、キザっぽく天に向かって掲げた。
「俺の勝ちだ」
次の瞬間、アメコミの最後のストックが消え、ゲームセットの文字が表示された。
息の上がった四人組。ゲーム側はラルフの勝利を、画面から見切れんばかりに讃えている。四人は魂の抜けたように、その画面に目を奪われていた。
最初に冷静になったのは暮林。
三人の表情が緩んだのはしばらくしてからだった。
「いい勝負だったな」
「そだな」
「うん、みんなのハマる気持ちがわかった気がするよ……」
いつもの喋り方に戻った三人を認めて、暮林は感極まった。
「おかえり、チーム『クォーター』」
「何がおかえりなのかわからんが」
「まあ、乗っておけばいいんじゃない……?」
「はっ。ただいま、バヤシ」
暮林はマサキと、フィスト・バンプを交わした。
「落ち着け! 咲良、落ち着くんだ!」
鬼の形相で藻掻く泉の足が、一瀬の腹を蹴り上げる。
痛みなど蚊帳の外だった一瀬は、それよりも酷く苦しむ泉の両手を抑えていた。
「あああああ! あぁあああああ!!」
「頼むよ咲良! 元のお前に戻ってくれよ!」
「嫌だ! 放して! きもい! 臭い! 汚らわしい!」
強く抱きしめる胸中で、罵詈雑言をまき散らしている。
尋常じゃない暴れっぷりだ。泉と何度か喧嘩することもあった一瀬だったが、ここまでの抵抗は初めてだった。
「放して言ってるの! 嫌だ、誰か助けてよ! 誰か、誰か私を助けて!」
廊下にまで響きそうなほどに声を荒げる。しかしながら、一瀬には到底本気で言っているようには思えなかった。
「俺がここにいるじゃないか!」
一瀬の真っ直ぐな叫び声が響いたのか、泉は一様に大人しくなった。
抱きしめるその体躯からは、心臓の鼓動を感じる。
「助ける奴ならここにいる! お前の彼氏がここにいる! 俺はお前を助けたいんだよ! いつものお前と一緒に登下校したいんだよ! 今はただの彼氏だけど……お前のことを大切だと想う気持ちに狂いはないから!」
「慎太郎……」
自分を呼ぶ声にハッとして、一瀬は彼女の顔を覗き込んだ。瞳には光が戻ったような兆しがあるが、それと同時にまだ翳りが残っているようにも感じられる。
「そうだ、俺だよ。お前の彼氏の一瀬慎太郎だ」
肩を掴んで、正面から愛らしい顔を見据えていると、泉は視線を逸らした。
「でもこの前は、一人で帰ろうとしたじゃん……」
「それは、その……なんか気恥ずかしくなって……」
「恥ずかしい? 恥ずかしいなんて……そんなのただの言い訳でしょ?」
曖昧な返答が良くなかったのか、鋭い目つきで射抜いてくる。
怒りの感情は乗っている。だがいつまた、虚無の状態に戻るのか予期できなかった。
「……っ!」
覚悟を決めた一瀬は、泉の口元に自分の物を重ねた。突然の行動に驚愕する泉の頭が、床の方までずり落ちる。一瀬は構わずに唇を押し付けた。
「~~!! ~~~~っ!!」
泉は肩を押しのけようとするが、力は大したものではなかった。頭では拒否の意思もあるようだが、体はすべてを受け入れている。小さな抵抗も徐々に弱くなる。
確認の匂いが充満した行為。唾液が滴り落ちる前に、一瀬は顔を上げた。
「これで信じてくれたか?」
泉は頬を上気させると、また視線を逸らした。
「酷いよ……。こんなところでするなんて……。強引すぎるし」
「はは、たしかにな」
眼下で可愛らしく悶える彼女。これ以上のことをしたい気持ちもなくはなかったのだが、本来の目的は果たした故、今は我慢を決め込むことにする。
作り笑いの一瀬を抓るかのように、口元に体温が伝わる。泉がお返しと言わんばかりに人差し指を押し当てていた。
「もう一回」
花弁のように髪を広げる彼女を前に、我を忘れそうになる。五感を同時に犯された気分だった。静寂が二人を包み込み、それからどれくらいの時が経ったのだろう。実際には数秒だったはずだが、一瀬には無限の時と同義だった。
「甘えん坊だな」
「自分からしたくせに」
今度は性欲の匂いが充満していた。
教室を出ると、太陽の光が目の奥を刺激した。
一瀬は胸を撫で下ろす。大切なものを取り戻すことができたのだ。
自分はこの後どうすればいいのだろう。泉だけでも校外に避難させるのはどうか。
そんなことを思案し始めてすぐに、近くの教室の戸が開く。数人の赤いネクタイを着けた生徒たちが出てくる。その先頭に居るのは悪人面の後輩だった。
「暮林、お前何やってたんだ?」
「熱き友情の戦いだよ。やっぱりスラストは最高だね」
ピンクのネクタイピンを着けた四人が大きく頷く。
腑抜けではないようだが、別の意味で駄目なチームのようにも感じた。
「言っとくが、説教される謂れはねーぞ。そっちこそ彼女とイチャコラしてたんだろ」
となりでこぢんまりとしている泉を指で差してくる。
「こっちはこっちで大変だったんだ!」
「赤面するようなことやったのか」
激高する一瀬のように、泉も赤くなってしまった。
暮林がこれ以上場を荒らす前に、熱を冷まそうとする。
「今はそういう話をしている場合じゃない。まずは咲良たちを避難させる。前に教えてくれた裏口があるよな? そこから外に出よう」
「校内の生徒はどうするんだよ」
「それは……」
どうでもいい。
泉と友人を考えるなら、その選択も辞さない。一瀬の本心はそれだった。
「俺は新堂の企みを阻止する。仲間を助けた今なら、正面からやり合える」
だが暮林は、そんな甘い考えを否定するかのように、熱い言葉をぶつけてくる。
「ケリを付けたいんだ。一瀬はそうは思わないのか?」
「……わかった。協力するよ」
一瀬は逡巡したが、その熱を自分の心に灯した。
結局自分という人間は、幼少の頃から手を引っ張られてばかりだなと自虐する。
暮林は一瀬の出した答えに満足そうに頷いた。
「そうだ、上里は? あいつはどこにいんだ?」
「上里? ああ、上里か……。そういやあいつ、何やってんだろうな」
矢継ぎ早に飛び出した名前に、一瀬は少々気の抜けた返事をした。
「フッフー。三」
上里が引き金を引くと、正確な軌道で生徒の眉間に穴が穿たれた。
「四.五.六七。はちぃいいい!!」
薬莢の零れ落ちる音がリズミカルに木霊する。
腑抜けがドミノの牌のようにぱたぱたと倒れる。
興奮し切っていた上里は、鼻から深く息を吸い込んで、歓喜の声を吐き出した。
「束になっても無駄なんだよ。誰も俺を止めれない! 大人しく道を空けるんだなァ!」
逃げる男子生徒を追いかけると、どこからともなく腑抜けが阻んでくる。上里はそのすべてを意図もたやすく薙ぎ払っていった。さながらバレエのような舞だ。それを邪魔しようものなら、腑抜けだろうが倒れ伏すのみである。
男子生徒は二階の渡り廊下を駆け抜けると、放送室に立て籠もった。流れるようにスピーカーが音を鳴らす。
『全員に応援を要請する。新堂先生の理想郷を邪魔する者がいる。至急、放送室に来てくれ。放送室前にいるパーカーの男を排除して欲しいんだ』
好奇心が溢れてきて止まらない。神様の声はうるさいくらいに脳内に響いている。
上里は、ドアに付いている小窓を力強く叩いた。
「諦めろ先輩! もうオマエに逃げ場はない! そう思い通りにいくわけないんだ!」
音の密閉された空間で、ノートパソコンで何やら作業をしている。こちらの声が届くことはないが、カフを上げたままにしているのか、男子生徒の言葉は続いた。
『ハハハッ! ただの馬鹿野郎が……! 気付くのが遅いんだよ。二曲目の催眠用音楽はもう少しで完成する』
「チィッ! 気持ち悪い先輩だな! どうせ動機も大したことないんだろ!」
『賽は投げられたんだよ。あとはデータを移してCDに焼くだけさ』
諦観しろと、不敵な笑みを窓越しに向けてくる。時間はあまり残されていないようだ。
「このっ! このっ! あともう少しなんだ! あともう少しでクソ悪魔をぶっ倒せるんだ! こんな生殺しで終われるかってんだ!」
逸る上里は何度もドアに体当たりを仕掛けた。肩の痛みなど気にもならない。
倒したい。倒したい。
合法的な理由で人間を手に染めたい。
年季が入ったドアのくせに、どうして中々破れそうにないのか。
目の色を変える上里を追い詰めるように、廊下の奥に、大勢の揺れる影が浮かぶ。
「腑抜け……。そういうことか。悪魔らしく、悪魔の仲間を呼んだってことか……」
片膝をつき、トライポッドの装着されたスナイパーライフルを構える。これも最後の瞬間の寄り道に過ぎない。いや、むしろ楽しい時間が延長されたと考えるべきだ。
「いいぜ、順番にかかって来い。予備軍も残らずぶっ倒してやらァ!」
今までで一番甲高い音が、上里の脳内にだけ木霊した。
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