⑤交錯する思惑

 最後に暮林がプールから上がったところで、一瀬が切り出した。

「まさか、上里と暮林に面識があったとは思わなかったな」

「ま、色々あってさ」

「詮索はしないよ。そもそも俺たちはこんなことしている場合じゃないんだからな」

「こんなこと? 酷いな一瀬。親友に対しての言葉じゃないぞ」

「普段ならいくらでも付き合うさ。けど今は別だ。お前、状況わかってるのかよ」

 緊張感を取り戻すために暮林が口を開く。

「校舎の方で大変なことが起こってんだ。上里にも昨日話したよな、腑抜けについて。あいつら、腑抜けになっていない生徒を追い回し始めたんだ」

「追い回す……? 何のために?」

 その問いには一瀬が答える。

「『仲間にする』……。あいつらはそう言ってた」

「映画と同じだ。腑抜けに捕まると腑抜けになるんだ。仲間を増やすために追ってくるんだろう」

「とするとさしずめ、あの音楽は洗脳を強くするための物ってところか……」

「そうだな、催眠術とか音楽療法ってものもあるしな」

「メロディ次第で、音楽は喜怒哀楽様々な感情を与えられる。突き詰めれば、人を狂わせることができてもおかしくはない……のか?」

 暮林と一瀬は、上里を置いて状況を整理する。

「よくわからんけど、なんか面白そうじゃん」

「悠長なこと言ってる場合かよ。このままじゃ俺たちが取り込まれるのも時間の問題だぞ?」

 上里を諭すように、一瀬は言葉に重みを持たせた。

 暮林はそこで思い出す。

「そうだ、だったらこれを渡しておくよ」

「……ん、ピンク色のネクタイピン? 暮林、妙なセンスしてんな」

「お前、なんでこれを持ってるんだ?」

 暮林から渡された代物に、揃って目を瞬かせる。

「教師が持ってたものを奪ってきた。これを着けておけば、追われる心配はないんじゃないか? だって腑抜けはみんなピンクのアクセを着けてるだろ」

「……これが原因の一つとは考えないのかよ」

「俺が思うに、こいつは名札みたいなもんだ。これを着けてるかどうかで、仲間の是非を判断してるんだろう。てか、実際に……」

 暮林は、上里の方に指を向ける。

「あ、着けちゃマズかったか……?」

「な、大丈夫だろ。一瀬」

「釈然としないな……」

 三人はネクタイピンを留める。

 赤青青のネクタイに、ピンクダイヤモンドのような輝きが添えられた。

 ――とそのとき、尾鳥高校全域に、コールサインが鳴り響く。

 放送を語る女の声に、三人は聞き覚えがあった。


 皆さんおはようございます。

 二年一組担任の新堂です。


 この学校は間もなく、理想郷へと姿を変えます。

 多くの生徒がそれを支持してくれています。

 ですが、多分だけど何人かは、反抗的な行動を取っているでしょう。


 そこでお願いです。


 大人しく、私にすべてを託してみませんか?

 きっと幸せな学校生活が待っていると思うんです。

 争いや不安に駆られた生活とは永遠にさようならできるんです。


 どうか正しい判断をして下さい。

 それでは良い一日を。


「まるでテロ組織の犯行声明みたいだな」

 暮林は笑った。

 反抗的な何人か、とはここの三人を指すのだろう。

 本館の方はすでに手遅れなのかもしれない。

「なるほど、今のでなんとなく事態は飲み込めてきたよ。お前たちは女王様を叩きたいわけだ」

「そういや上里は前から言ってたな。この学校には『悪魔』が潜んでいるって。それが新堂先生だったってことか?」

「いや……どうだろうな。感じてるものは一個だけで、悪い奴が一人なのは間違いない。けど……今の奴は違う気がする。悪魔の気配は他に感じるんだ」

「黒幕が他にねぇ……」

「普通に新堂先生に会って話すんじゃ駄目なのか? いくら何でもこんなのおかしいだろ」

 暮林は焦っていた。

 それは一瀬も同じだが、冷静に努めて、

「落ち着け、暮林。変に動けば狙われるハメになる。俺だって咲良のことが心配なんだ」

「一瀬の彼女も腑抜けになっちまったのか?」

 二人は互いの置かれた状況を察する。

 上里は面白くなさそうに水を差す。

「不幸自慢している場合じゃないだろ」

「……ま、英雄になるためには遠回りすることも必要か」

 切迫している二人とは相反して、上里は余裕だった。

 しばらく虚構を見つめた後、思い付いたように振り向く。

「とりあえず、校舎の様子を確認させてくれよ」

 そそくさと監視員室に姿を消すと、パイプ椅子を持ってきて、プールサイドのベンチにそれを置く。

「何してんだよ」

 当惑する一瀬を尻目に、パイプ椅子に乗って、コンクリート囲いの向こうを覗き見る。

 そこに見えたものを表現するなら、混沌と秩序の両方だった。

 とある教室では一人の生徒が複数人から逃げ惑い、別のところではそれら人の波に飲み込まれ悲鳴を上げている生徒が居る。とある教室ではそれとは反比例して、教会のように全員が着席して、微かに聞こえる奇妙な音楽に耳を傾けている。

 そういうことか。上里は全貌を理解した。

 それと同時に気分が高揚していることを実感するが、今はひとまず抑えておく。

 というのも、一人の教師と目が合ってしまったのだ。

 模型のような動き方に、上里は「やべ」と声を漏らす。

「どうした?」

 暮林は怪訝そうにした。

「ここから離れた方がいいかも」

「お前、まさか……」

 一瀬は雲行きが悪くなったのを察した。



 武道館の階段に三人分の足音が木霊する。まばらな音が伴って出入り口に向かうと、先ほどの教師が立ち尽くしていた。裏口から出れば良かったかと思うが後の祭りだ。

 一切の色を持たない佇まいに、三人は同時に足を止めた。

「何をしていたんですか?」

 ほとんど開いていないと言ってもいいくらいに、教師は口を薄くしている。

「タニグチ先生。どうしてこんなところに……」

「嫌ですね、暮林君。とぼけても無駄ですよ。どうしてホームルームを抜け出したんですか?」

 笑っているのに笑っているように見えない。ある意味では器用な喋り方だ。

 一瀬はただならぬ様子に警戒して、

「暮林、この先生も駄目だ。みんなと同じ『腑抜け』になってる」

「駄目? 腑抜け? はて、何のことでしょうか? 言葉遣いには注意した方がいいですよ。指導対象になりますから」

「さっさと倒せば済む話だろ」

 上里は拳銃を構えた。

 どこからか湧いてくるのかわからない教師の気迫に対抗するためだ。

 しかしながら、そのさらに上を行くように、射線上に複数の人影が割って入る。

「なっ――」 

 異様な光景に、拳銃を滑り落としてしまう。

 いつの間にか、数え切れないほどの腑抜けが集まっていた。

「なるほど。君たちはまだそちら側の人間なんですね? だから反抗的な態度を取ると」

 壁のようになった腑抜けの向こうで、タニグチは同じ口調を続ける。

「さぁ、どちらなんですか?」

「別に。俺は『悪魔』を見つけたいだけだ」

 身構える二人に対して、上里は余裕を貫いた。

 一体は緊迫した空気に包まれる。誰かが口を開いた瞬間に、何が起こってもおかしくないくらいだ。

 間もなくしてその均衡は破られる。

「――予鈴が鳴りました。もうすぐ授業が始まります」

 校内に流れる電子音に従って、腑抜けの群れが散開していく。

「我々は仲間ですよね。君たちのこと、信じますよ」

 最後にタニグチがそう言うと、そこには三人だけが残された。

 暮林は腑抜けが去った方向を確認すると、水が混ざった額の汗を拭った。

「危機は脱したって感じかな。……ふぅ、焦ったぜ」

「別にあの程度の人数、屁でもねーけどな~」

 上里にとって、この程度は危機の内には入らなかった。

 その様子を見て、一瀬も緊張を解く。

「ネクタイピンの効果はあったってことだ。で、どうするんだよ?」

「とりあえず潜伏でもしておけばいいんじゃね。ここに長居しても仕方ないし。進展があったら昼休みに話せばいいだろ」

「そうだな。さすがに授業をサボるわけにも行かないし」

「揃いも揃って適当だな」

「意見を求めたのはそっちだろ。嫌なら白雪姫よろしくキスでもして来いよ」

「…………」

 上里のカウンターに、一瀬は沈黙した。

「じゃ、ここからは情報収集と行きますか。とりあえず校舎の様子を肌で感じねーと」

「仕方ないか……まあ、上手くやろう」

「よっし、俺の力の見せ所だなっ!」

 三人はそう言って、上里は自分の世界に戻るためにフードを被った。

 一瀬はネクタイを締めた。

 暮林は靴紐を結んだ。

「昼休みに食堂で。無事でいろよ、二人とも」

「待て……暮林、俺たちもそっちだ」

「ははは! オマエも変な奴じゃんかよ~!」

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