五話 為すべきこと

①作戦会議

 上里は校舎を実際に確認し、改めて状況を整理していた。

 尾鳥高校は腑抜けに溢れており、そうでない生徒は襲われる。

 音楽は洗脳を強めるためのもの。

 ピンクのアクセサリは名札であり、これがあれば仲間のふりをしていられる。

 そしてこの事件を起こした女王様は新堂らしいが……。

 上里はどうもこの事件の黒幕――悪魔は他に居るように感じていた。



 思考を巡らせながら二階を闊歩していると、階段の方から人の気配が近づいてくる。

 上里はいつものように探偵の如く柱に身を潜め、様子を伺った。

「ねぇってば! 遅刻したのはごめんって言ってるでしょ! もうちょっと優しくしてよ! 友達に見られたら恥ずかしいじゃん!」

 陽気な女子生徒が、生徒指導部と思しき男教師二人に両肩を抱えられている。

 髪を遊ばせ、アイメイクを施し、制服は隙を見せるためにか着崩しているのに、教師はその格好には興味はないと言った感じだ。

 腑抜けと化した教師は生徒を放送室に連行すると、命を果たしたように去って行く。

 上里はばれないようにドアを開き、放送室を覗き込む。

 僅かな隙間から確認すると、生徒の他に新堂の姿があった。その会話に耳を傾ける。

「あなたは、私のことどう思ってる?」

「え、急にどうしたの? 新堂だよね? どういう質問それ?」

 新堂は生徒の問いを無視すると、放送室のパネルを操作した。

 デタラメな音楽が室内のみに流れてくる。

「てかさ、相手が新堂で良かったよ! 反省文と課題、少なくしてくれないかな! お願い! 女同士のよしみ的な!」

 生徒はパチンと両手を合わせた。

「質問してるのは私よ。……ねぇ、どう? 私のこと好き?」

「いや、好きっていうかなんていうか……」

 新堂の圧力に押された生徒は動きを緩慢にする。

 新堂は真剣な眼差しで相手に訴えかける。

「ど、どうしたの、新堂……?」

 生徒の背中が壁に押し付けられた。

「私はあなたのことが好き。この艶々した髪も、宝石のような瞳も、さらりとした肌も、あなたのその可愛い性格も……すべてが好きよ。いえ、愛してるわ」

 言葉を一つずつ言い聞かせるように、精神に刻み込むように、生徒の体に触れている。

 それに合わせて、音楽のボリュームが大きくなる。

「何を言ってるんですか、新堂……先生」

 生徒はその態度に恐れを成して体を押し返そうとした。

 だが新堂はそれすらも包み込むように抱擁する。

「本心なの。私はあなたに愛を捧げる……。だからあなたも、私に愛を捧げて……ね?」

 さらに音楽が大きくなる。

 新堂が生徒を飲み込もうとする。

「あ……あっ……」

 生徒の消え入りそうな声が音楽の中に沈んでいく。

 瞳の光が失われていく。

 上里には、生徒の感情が消えていくように感じられた。

 新堂は何も言わなくなった生徒を認めると、再びパネルを操作して音楽を止める。

 そして虚構を見つめる瞳を恍惚とした様子で見つめ返した。

「――私のこと、好き?」

「……うん」

 直近の陽気な雰囲気など欠片もない淡泊な返事をする。

「そっか、ありがと」

「真希先生……」

 今度は生徒の方から抱擁した。

 上里は下らない劇でも見た気分になってため息を吐いた。

「なるほどね」

 そして親友に会うために、食堂へと歩を進めた。



「――で、昼休みになったわけだが……」

 今朝の騒動から数時間が経ち、三人は約束通り、食堂にて集合を果たしていた。

 いつもならごった返している喧騒は一切として存在しない。何人かの生徒は食堂に出向いたようだが、腑抜けと化し静黙を貫いていた。

 大半の腑抜けは、教室でオブジェのように固まっている。

 能天気な二人を一瞥し、暮林は目を細める。

「なんで、トランプなんてやってんだ?」

「大富豪楽しいだろ。別にいいじゃないか」

 そう言って、上里は手札からキングのペアをテーブルに投げる。

「一瀬、どうしてお前も付き合ってんだよ」

「カモフラージュだから仕方ないだろ。一般生徒っぽく振る舞っとけよ」

 一瀬は上里の出したペアより強い、2のペアを出した。そのまま束を横に流し、新たに3を一枚テーブルに出す。

「そういうもんなのか? 釈然としないな……」

 暮林は打ちのめされていた。この状況で大富豪をやるなんて、正気とは思えなかったのだ。しばらく呆然としていると、

「出さないならパスでいいか? じゃ俺の番な」

 暮林の番を飛ばして、上里が8を出す。八切りをして今度は――、

「お前ら、朝にした約束忘れてないか? 何か進展はあったのかよ?」

「俺は用意を済ませた。必要なものはここにある」

 一瀬が足元の鞄を示す。チャックは丁寧に閉められているが、抑えきれない音が漏れ出ていた。しかも音というよりは、不揃いかつ複数の生命を感じる声である。

「聞いたことない鳴き声が聞こえるけど……」

「珍獣の盛り合わせだ。生物部に借りてきたんだよ」

 これ以上話を深堀しても得るものはないと、暮林は見切りをつける。

 大富豪は、暮林が常時パス扱いで進んでいた。

「上里は? 何やってたんだ?」

「シミュレーション」

「シミュレーション? 何の?」

 聞き返すと、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに口角を吊り上げ、

「射撃の」

 威勢良くジョーカー込みの2のスリーカードを出した。

 一瀬は手札強すぎだろ、と呟く。

「もういい。この先について話そう」

 暮林が手札を伏せると、さすがに空気を読んだ二人も耳を傾ける。

「新堂先生を見た奴はいるか?」

「俺は朝から一度も見ていない。今朝のホームルームも代理の先生が来たからな。まあ、本人と話を付けるのが一番手っ取り早いんだが……」

「俺はさっき見たよ」

 上里の言葉に二人は反応する。

「けどさ、俺が思うにそいつは気にしなくてもいいと思うんだよね。もっと悪い奴が別にいるからな」

「またそれか……」

 だったら早くそれが誰なのか教えてくれ。そう言いたげに一瀬は口を尖らせた。

「ちょっと待て。本人から向かってきたぞ」

 硬直した暮林が指を差す。二人がその先に視線を向けると、件の新堂がカウンターでトレイを受け取っているところだった。ほど近いところには男女問わず大勢が会しており、三色のネクタイ・リボンを提げ、さらにピンクのアクセサリを身に着けた生徒が、行儀良く腰かけて気味悪いくらいの笑みを新堂に注いでいた。

 言うなれば、信者と本人による食事会を執り行おうとしていたのだ。

「おい暮林、どこに行く?」

「直接話してくる」

「ここで離れたら負けにするぞ?」

 神妙な二人と打って変わって、上里はマイペースな男だった。

「……ったく。ほら、出せる奴あるか?」

 負けず嫌いな一面を見せた暮林は、仕方なくシークエンスをテーブルに並べた。二人がそれより強い役を持っていないようなので、エースのペア、クイーンのペアを筆頭に、順番に手札を消化していく。

「俺の勝ちな」

 すでに使われているカードを把握した完璧な独擅場。

 一瀬は口をあんぐりと開け、上里はコミカルにお手上げのポーズをした。



「あの……ちょっと聞いてもいいですか?」

 巻いたパスタを口に運んでいた新堂は、暮林の存在に気付くと手を止めて、ナプキンで口元を拭った。上品な所作が一挙手一投足に表れている。

「あら、暮林君じゃない。急にどうしたの? 君も一緒に食べる?」

 新堂が誘い文句のように謳うと、揃って周囲の生徒が顔をこちらに向ける。

「そういうわけではなくて……あの、単刀直入に言わせてもらいます!」

「なぁに?」

「みんなの様子がおかしいのは先生のせいですか?」

「私の? 変なこと言うのね、暮林君」

 新堂は秘密を隠している風でもなく、あっけらかんと言ってみせた。

「これのどこがおかしいの? みんなこんなに幸せそうなのに。私が施したアクセサリを着けて、私と一緒に食事をする。模範的な学校の光景だと思わない?」

「模範的? 一般生徒を追い回すことがですか? 僕はそれが正しいとは思えません」

「知らないわそんなこと。私が指示したわけじゃないもの。みんな、私が好きだからそうしてくれてるんでしょう。ね、ミズノさん?」

 新堂は近くの女子生徒に「はい、あーん」と言って、自分のパスタを巻いたフォークを差し出す。生徒は恍惚の様子でそれを嚥下すると、顔を赤くして感極まってしまった。そのまま、顔面から自分の皿にダイブする。新堂はその様子を「あら」と一笑した。

「それに、君だって同じものを着けてるじゃない。そんな悲しいこと言わないで、ほら、一緒に食べよ?」

「…………」

 官能的な喋り方と、抱きしめたくなるようなプロポーション。それに男としての本能を感じながらも、暮林は先刻のマサキを思い出し、理性でなんとか抑え込んだ。

「ああそっか。君はまだ私を好いてくれてないのね。それをどうやって手に入れたのか気になるけど――いいわ。暮林君、良かったら二人きりでお話ししない? 周りの視線が気になるんでしょう? 誰にも気付かれないところで二人きりになろうよ」

「それが済めば、僕もそっちの仲間入りってことですか?」

「だからさ、おかしな物言いはやめてくれる?」

 新堂が不愉快そうにすると、周囲も合わせて、暮林に冷たい視線を浴びせた。飼い主に待てを言い渡されたわけでもないのに、相も変わらず手が止まったままの生徒たちだ。

「僕は遠慮させてもらいます」

 新堂は「そう」と声を漏らすと、無理やりな感じで笑みを作った。

「帰りのホームルームでも音楽を流す予定なの。間違っても変な気は起こさないでね」

 暮林は構わずに去ろうとする。

「暮林君。私、素直なコの方が好きよ」



 暮林が仲間の元に戻ってくると、二人はトランプを切っているところだった。

「あんまり無茶しない方がいいぞ。友人が腑抜けになっちまったんだろ。お前が最後の砦なんだ。そいつらを助けられるのはお前しかいないんだからな」

「な~な~、次はページワンでもやんね?」

 仲間が声を掛けているというのに、暮林は前を見つめたままだ。

 食堂を出て行こうとする。

「行こう。どうやらのんびりしている場合じゃないみたいだ」

「おいおい……どんな話をしたんだよ?」

「最悪の事態を想定した方がいい。俺たちがいつ捕まってもおかしくないんだ」

「それくらい俺だってわかってるけどな」

 上里はトランプを、一瀬は鞄を持って付いてくる。

「決めたよ、俺。ラスボスを攻略するには仲間が必要だよな」

「何を今さら。俺たちがいるじゃねーか」

「一番何もしてないお前が言うな」

「馬鹿共に目を覚ましてもらう。新堂先生のことはそれからだ」

「いいね。考えが合いそうで何よりだ」

「なら俺は、悪魔を本気で探してみるかな~」

 三人の足並みが食堂から遠のいていく。

 ちらりと顧みると、新堂は寂しそうにフォークを動かしていた。

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