③侵食される学校

「くそーー! 一体何だって言うんだよーー!」

 暮林は、不愉快な音楽の流れる校舎を全力疾走走していた。

 できるだけ教師の説教を食らいたくない暮林にとって、廊下を走るなんてもっての外だが、そうせざるを得ない状況になっていた。

 ホームルームで妙な音楽が流れてからクラスメイトの態度が急変し、暮林をしつこく追い回してくるのである。

「もしかして誘拐犯をシメたのが広まったとか? 俺の凄さに慄いて一度握手をしたくなったとか? 俺の知らないところで、俺って凄い奴認定されたのか?」

 追い回される理由を精査してみる。

 ちらりと後ろに視線をやると、魂の抜かれたようなクラスメイトが、糸の切れた人形のような足取りで追いかけている。少なくともファンの態度のそれではない。

「――じゃ、ねーみてーだな!」

 ぼやきながらも足を進めていくと、前方の教室の戸が音もなく開かれ、似たような生徒が雪崩れ込んでくる。目を丸くしつつも、冷静に人混みを飛び越える。

「おいおいおい! ゾンビ映画じゃないんだって! せめて武器を恵んでくれって!」

 逃げる先々を先回りしているのか、ゾンビ生徒は波のように向かってくる。

 このままじゃ埒が明かない。そう考えた暮林の目に留まったのは、一本の表札だった。

「職員室!」

 一人じゃこの状況を打開できないのであれば、教師の力を借りるしかない。

 乱暴に三回ノックをしてから、クラスと名前を言いながら戸を開ける。

 ――だが、

「……あれ、いない? いくらホームルーム中だからって、誰もいないもんなのか?」

 そこにあったのは静寂だけ。窓の外の草木くらいしか動いているものはない。

 思考が停止しかける。息の上がった肉体は肩を激しく上下させる。

 その肩を誰かが叩いた。

「どうしたんだい?」

 振り返ると、名前の知らない三人の教師が立ち並んでいる。

 状況が状況ということもあり、三人のスーツ姿には圧力を感じられた。

「駄目じゃないか、教室を抜け出しちゃ。今は黙祷の時間だろう?」

「あらあら。君、もしかしてまだなのね。なら仕方ないわね」

 しかも教室で見た、クラスメイトの張り付けたような笑顔と同じ表情をしている。

「もしかして、先生たちまで……」

 ゾンビ化しているのか? 暮林の表現を借りればそういうことになる。

 教師はそれを自覚していないのか、表情と言葉をちぐはぐにさせる。

「顔色が悪いぞ? どうして逃げるんだい?」

「安心しなさい。すぐに気分が良くなるから」

「そうよ、君もこっち側に来ればいいのだから」

 ピンクのネクタイピンをカチカチと鳴らし、じりじりと追い詰めてくる三人の教師。

 暮林の背後には生徒が迫っていることもあり、挟み撃ちになっていた。

 危機的な状況。終わりを覚悟する暮林の前に、思ってもみない救世主が現れる。

「バヤシィ! 伏せろォオオオ!」

 階段から人間離れした跳躍を見せたそれは、三人を一度になぎ倒した。

「マサキ、お前っ! 何やってんだよ!」

 驚きと同時に、感情が昂っていることを実感する。

 暮林は、一瞬でも弱いところを見せたのが情けなく思っていた。

「無事か! 変なことされてねーか!」

「それは大丈夫だけど……いやいやそれより! 何お前格好つけて登場してんだよ! そういうのは俺がやるもんだろ!」

「はぁ? バヤシさぁ、この状況でよくも呑気なこと言えんなぁ」

 軽口を叩き合う二人を、ゾンビたちは黙って見ていてはくれない。

「チッ! 来やがった! とにかく逃げんぞ!」

 手を招くマサキ。

 暮林は散らばった三つのネクタイピンを拾った。

「何してんだよ!」

「何かに使えるかもしれないだろ」

 倒れる教師の脇をすり抜け、二人は廊下の奥へ駆け出した。

 化学室に滑り込んで戸を閉める。

 一旦冷静になるために深呼吸をする。

 それが終わると暮林の方から、押し殺していた感情が爆発した。

「これって、どうなってんだ? なんであいつら俺たちを追ってくるんだよ」

「知るかよ。俺だって聞きたいくらいだ。前に話した『小悪魔』の噂はこれだったのかもな」

「『腑抜け』になるって話のあれか……。けど、それよりもあんなんゾンビじゃねーか。ひたすら追いかけてくる抜け殻みたいになってたし」

「だから『腑抜け』なんだろ。頭空っぽで動いてるし、強ち間違っちゃいねーな」

 二人きりの化学室で大人しくしていると、校内で起きていることが鮮明に聞こえてくる。男の叫び声、女の悲鳴。大きなものが倒れる音。早朝には似つかわしくない音ばかりだ。

 窓から様子を伺ってみると、数人の生徒が渡り廊下を走っていく姿が見えた。ここからでは、あれが逃げる側なのか追う側なのかはわからなかった。

「この様子じゃー、ヒラッペとクロスを拾うのは無理そうだな。できるだけ粘ったつもりだったんだが、数が多すぎる」

「一旦学校から出るってのはどうだ?」

「門の前には生徒指導部の教師が集まってた。多分無理だな。一目でわかったよ。あいつらも腑抜けになってる。逃げる奴がいないよう見張ってるんだ」

「なら、俺たちはどうすれば……」

「ははっ、こういう展開はバヤシの好物じゃないのかー? いつもだったら楽しんでそうだけどな」

「ぐ……見くびるなよ。籠城だろ。焦ってる感じを演出しただけだ。これぐらい簡単に乗り越えるさ」

「そうかよ。安心したぜ」

 これは別に弱気になっているわけではない。あくまで情報交換のワンシーンだ。

 二人がまた深呼吸をすると、狙ったように、戸が強く体当たりされた。

「チッ! 鍵、閉め忘れてんじゃねーかよ! マサキ、手伝ってくれ!」

 急いで入り口を抑えにかかる。マサキは錠を下ろそうと鍵に手を掛けたが、反応するのが遅かった。廊下にいる人間が、戸の隙間に指を潜り込ませる。

 力づくでもここを開けようとしている。無論二人は全力で抵抗した。

 暮林ぃー。真崎ぃー。ホームルームの時間だぞー。戻って来いよー。

 指で空いた隙間から、数人の目が中を覗き込んでいる。

「先生は悲しいぞ。今なら許してあげるから出てきなさい」

 さらにはそんな囁きまで聞こえて、二人は精神的にも追い詰められた。

 腹を括ったのはマサキだった。

「行けバヤシ! 窓から逃げろ!」

「は? 何言ってんだよ!」

「このままじゃここは破られる。そうしたら二人とも捕まっちまう。お前だけでも逃げるんだ!」

 入り口はどうにか抑えられているが、徐々に向こう側の力が増している。こちらの疲労が溜まっているのもあるが、腑抜けの数が増え続けているのだろう。

 気を抜いたらすぐに突破されそうな状態だった。

「でもそれじゃお前が!」

「馬鹿野郎!」

 マサキの叫び声に、暮林の心はビリビリと震えた。

「デカいことを成し遂げるんだろ。俺はその手伝いをしようって言ってるんだぜ……!」

「マサキ……」

「いいから行けバヤシ! 向こうの人数が増えてきてる! 限界が来る前に早く行け!」

 戸がカタカタと揺れている。マサキの手元も同じようになっている。

 暮林は逡巡した後、窓の方に顔を向けた。

「すまねぇマサキ! 必ず後で助けるからな!」

 棚をよじ登り、埃の溜まった窓をこじ開け、校庭の花壇へ飛び出す。

 ぐにゅりとした土の感触が上履きから伝わった。

「はは、は……今の俺、最高に格好いいだろ、バヤシ……。もっと輝く舞台はお前に譲っておくぜ……」

 暮林が最後に目にしたもの――それは、化学室でマサキが腑抜けに囲まれているところだった。窓際に見えるマサキのサムズアップが、ゆっくりと棚の陰に消えていった。

――――

 校庭を上履きで駆けていく赤ネクタイの後輩。滑稽以外の何物でもない。

 彼はそれを、三階の教室から恍惚と見下ろしていた。

 自席に着いてホームルームの時間を過ごす。

 周囲の生徒と同じように、自分が作曲した音楽に耳を傾ければいいだけなのに。

 頭の中では、クラスメイトの日常的な会話が反響していた。

 

 ――うわぁ……ニタニタ笑ってるんだけど……。

 ――つーかあいつ来てたんだ、気付かなかったわ……。

 ――こっちは受験で必死なのに余裕ぶりやがって……。

 ――外を眺めて格好いいとか思ってるのかな……。

 ――一人でもああいう奴がいると盛り下がるよな……。

 

 あんな奴、居ても居なくても変わんねーだろ……。

 

 取り繕うように机に向かう男子生徒。

 今はもうそんな言葉など気にしなくていい。

 一人だけ正常だった彼は――周囲の生徒のように沈黙を貫いた。

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